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 王都の空に響き渡る新王の即位を告げる鐘の音は、一人の男にとって、長きにわたる牢獄からの解放を意味していた。


 新王の即位により、広く恩赦が施されアンジも晴れて罪人の身の上から解放された。


 かつて重罪人として北方の辺境・デンバー領へと流刑に処されてから、実に二十年以上の歳月が流れていた。罪人としてデンバー領から一歩も出ることは叶わなかったが、ギラス将軍の護衛としてとうとう二十年以上を経て再び王都の地を踏んだ。


 石造りの頑強な城壁、行き交う華やかな馬車、そして耳を掠める都会の喧騒。すべてがかつて彼が知っていた王都の面影を残しながらも、決定的に様変わりしていた。


 フェフィリア妃殿下はアンジの同行を嫌悪したが、父の訃報に今はそれどころではないのか、大人しく将軍の言葉に従っている。

 前国王の急逝という国家の激震、そして祖父である将軍の絶対的な権威の前には、その嫌悪感を押し通すだけの余裕はなかった。

 殯の期間が明ける十日後には葬儀が行われるということで、ギラス将軍を始めフェフィリア妃殿下とブラッド王子も、急遽葬儀まで王城に滞在することになっている。


 王城の厳かな一画に設けられた最高級の客室。その贅を尽くした空間の窓辺で、北方の老英雄は静かに佇んでいた。


「王都は久しぶりじゃろう。あれから、何年ぶりかのう?」


 ギラス将軍が用意された客室で、ゆったりとくつろぎながらアンジに尋ねた。

 暖炉の火が老人の深く刻まれた皺を照らし出す。その瞳は、すべてを見透かしているかのように穏やかで、同時に鋭さを秘めていた。

 アンジは一歩前に出ると、かつて己の身を拾い、北方での生き方を与えてくれた主君に対し、直立不動の姿勢で答えた。


「二十一年ぶりになります」


「そうか、もうそんなになるかの……」


 ギラス将軍はゆっくりと頭を振った。

 一人の男がすべてを失って北方に消えたあの日からの歳月に、老英雄は静かに目を細める。


「数十年ぶりの王都への再来が、このような形になるとは誠に残念じゃろうて」


「いえ、王都の土地を踏むことは二度と叶わぬと思っておりましたので……お供頂き感謝しております」


 アンジが頭を下げる。

 その言葉に嘘はなかった。罪人としての烙印を押された自分は、生涯をあの極寒のデンバー領で終えるのだと確信していたのだ。

 

「ほほ、昔とは変わったところも多いじゃろう?葬儀までに時間を作ってやるゆえ、好きに見回ってきて構わんぞ。そちには行きたい場所もあるようじゃからの」


 その言葉に、アンジの心臓がドクンと大きく脈打った。

 行きたい場所。この王都において、彼が片時も忘れることができなかった、唯一の未練。

 アンジがパッと頭を上げた。


「……よいの、ですか?」


「構わん。わしはもう城についたのだし、護衛は他の者でもまわるじゃろ。滞在は葬儀が終わるまでゆえ、心残りが無いように好きにするがよい」


「……ではお言葉に甘えて」


 アンジはギラス将軍に礼を言うと、その日は休んだ。


 三日後に、数日の休みを貰いアンジは朝から街へ出た。

 城下町は道のりだけは変わらぬものの、建ち並ぶ建物や人は様変わりしている。

 二十一年の歳月は、かつて彼が歩いた街並みをすっかりと書き換えていた。古びた商店は洗練された石造りの店へと変わり、行き交う人々の衣服の流行も全く異なっている。

 アンジはその巨体を群衆に紛れ込ませながら、記憶と、事前に得ていたわずかな情報を頼りに、目的地を探して歩き回った。


 アンジは人に尋ねながら小さな裏通りの店をようやく見つけ出した。

 人通りの少ない、静かな路地の奥。目立たない看板を掲げたその店舗の、古びた木製の扉を押し開ける。

 そこの店の扉をくぐると、紙とインクの匂いがアンジの鼻腔をくすぐる。


 独特の、少し酸味のあるインクの香りと、乾燥した上質な紙の匂い。その空気を感じた瞬間、アンジの胸に言い知れぬ感慨が湧き上がった。


「やあ、いらっしゃい!何か絵をお探しですかな?」


 そこは街の小さな絵見世だった。奥から人の良さそうな主人が両手を揉みながら顔を出す。

 エプロンをつけた小太りの店主は、いかにも商人らしい愛想笑いを浮かべながら、熊のように大柄なアンジの手元や衣服を値踏みするように見つめた。


 アンジはグルリと店を見回した。どうやらこの店には置いていないようだ。

 壁に掛けられた数々の風景画や肖像画、棚に並べられた細々とした版画の束。その中に、彼が求めている「名前」の形跡は見当たらなかった。


「ああ、噂の絵師の版画を買いにきたのだが……」


 アンジの声には、隠しきれない緊張が混じっていた。


「版画ですね。ええ、どちらの絵師のものですか?」


「リコと言う絵師だが、どうやらここには置いていないらしい」


 アンジが少し残念そうに言うと、店の主人はポンと手を打った。

 その顔に、驚きと、どこか納得したような表情が浮かぶ。


「おや、珍しい!リコ氏の絵はご婦人方に人気ですからねえ、男性のお客さまは滅多にいないんですよ!ちょうど在庫が少なくなっておりましてね、今店頭には出していないんですが……ちょっと待ってくださいよ」


「ああ、頼む」


 店の主人はいそいそと奥の部屋へ姿を消した。どうやらリコの絵は店頭に置いていなかっただけのようだ。アンジは少しはやる心を抑えながら、主人を待った。


 薄暗い店内で、アンジは自身の大きな手をじっと見つめた。「リコ」その響きだけで、彼の胸の奥が締め付けられる。


 リコは、アンジのたった一人の娘である。生まれてから顔も見たことがない、たった一人の娘であった。


 二十一年前、罪人となったアンジには、生まれたばかりの我が子を育てる資格も環境もなかった。罪人の自分が育てることもできず、孤児院に預けられ育った娘である。

 だが、親としての情愛まで捨てることはできなかった。





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