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「当然です。誰があなたの護衛をするんですか」


「いやいや、でも、ベッドが一つしかないですよ?」


「ええ、ツインの部屋は全部埋まっていましたので仕方なくですよええ。仕方ないですねえまったく」


 あからさまに棒読みだった。大方、最初からこの部屋を指定していたに違いない。確信犯だ。悪い奴だとリコはジットリとジルを睨む。

 だが彼はどこ吹く風で、涼しい顔をしてリコを部屋へ押し込んだ。


「さあ、夕食にしましょうか。ルームサービスでもとりますか?」


「えっ!ルームサービスですか?」


 思わず食い気が先走り、うっかりリコは喜んで飛び跳ねてしまう。

 高級宿の絶品料理が部屋まで運ばれてくるという響きに、先ほどまでの警戒心は一瞬で消し飛んだ。ジルはその様子を目を細めて見た。


「メニューは何があるんでしょう!」


 部屋のメニュー表を見て、いくつか適当に決める。

 注文をすれば、しばらくしてホカホカのルームサービスが運ばれてきた。銀のトレイに載せられた料理からは、素晴らしい香りが立ち上っている。


「おいしーい!」


 リコがスープに口をつけていると、ジルは目の前で豪快にステーキを切り分けている。本当に経費を使い込む気のようだ。贅沢なディナーを堪能しながら、二人の間に穏やかな空気が流れる。


「そういえば、」


 リコがパンをちぎって口に放り込んでいると、ステーキを食べ終えたジルがナイフとフォークを置いて思い出したように言った。その灰色の瞳が、ふと真剣な色を帯びる。


「王都でやり残した事とは一体何なんです?」


「ああ、そのことですか」


 リコはモグモグと最後のひと口を咀嚼し、飲み込んでから話し始める。


「ようやく目標金額に貯金が溜まったんです。前にジルさんにも言ったでしょう?」


「ああ、そう言えばそのようなことを言っていましたかね……?そのお金を一体どうするんですか?」


 ジルは、彼女が新しいアトリエを開く資金か、あるいは画材の購入費用だろうと予想していた。だが、リコの口から飛び出したのは、そんな彼の想像を宇宙の果てまで吹き飛ばすような言葉だった。


「奴隷を買いたいんです」


「ぶふうっっ!!!」


 リコの爆弾発言に、ジルが飲んでいた水を豪快に吹いた。

 日頃の洗練された宮廷作法などどこへやら、彼は激しくむせ返りながら、信じられないものを見る目でリコを凝視した。


「ちょっと、ジルさん汚いですよ」


 リコが軽く睨みながら、テーブルに飛び散った水滴を拭う。

 ジルは気にする様子なく、呆気に取られたようにリコを見た。耳を疑うとはまさにこのことだ。


「ど、奴隷……?」


「そうです、男性奴隷です」


「は……?」


 ジルの顔から完全に血の気が引いた。リコは彼が言葉の意味を理解していないのだと思い、親切に解説を付け加えた。


「なんだ、ジルさん知らないんですか?男性奴隷っていうのはあらゆる奉仕をすることが前提の奴隷で普通は……」


「いやいや、知っています!それくらい知っています!ちょっと待ってください、リコ、あなたは男性奴隷が欲しいんですか?」


「はい」


「そのために、あんなに節約して貯金をしていたんですか!?」


「はい」


 リコが至極当然のようにこくりと頷くと、ガタンとジルが青ざめた顔で立ち上がった。

 彼の脳内では、今まさに恐るべき誤解の嵐が吹き荒れていた。激しい嫉妬と困惑、そして焦燥感がジルの理性をスッポーンとどこぞへ放り投げてゆく。


「ダメです!いけません!許しません!男性奴隷が欲しいなら、私が男性奴隷になります!リコさん専属の男性奴隷です!いかがですか!!!?」


 鬼気迫る表情に呆気にとられ、リコはジルを見上げる。

 ジルの形相は正気を失っているのか、大真面目に叫んでいるのが逆に恐ろしかった。


「い、いかがですかって……私はもうちゃんと欲しい男性奴隷が決まっていて……」


「はあああ!???もうすでに、目星をつけているというんですか!?私ではダメというのですか!?あなたは!!見かけに反してなんて淫らな!」


「ぎゃっ!」


 立ち上がったジルにリコはヒョイと抱えられて、たちまちポーンとベッドへ放り投げられた。

 ふかふかのマットレスに背中を打ち付け、リコが身を起こそうとしたときには、すでにジルがその上に半分のしかかっていた。

 自分の首元のシャツのボタンをプチリと外しながらジルがリコを見下ろしている。その灰色の瞳は完全に据わっており、嫉妬の炎で熱を帯びていた。


「さあ、命じてください!きっと私の方が良い男性奴隷です!何がお望みですかご主人さま!」


「あ、あのジルさん落ち着いて……」


「これが落ち着いてられますか!ようやくあなたを手に入れられるとホクホクしていたんですよ!これでも軍隊でしごきあげられているのです。あなたの靴を舐めようが、足を舐めようがお望みのままに!」


 ジルがガバリとリコの足を掴もうとしたので、リコは慌てて足を引っ込めた。彼のあまりの暴走振りと、口から飛び出す過激な単語の数々に、リコは目を白黒させる。


「違います!そんなことはジルさんにして欲しくありません!」


「な、私ではなくその男性奴隷にして欲しいというのですか!?試して見なければ分からないでしょう!さあ!足を!!!」


「ジ、ジルさんのバカーーーーー!!!!!」


 話を聞いてくれないジルにリコは叫んでとうとう、うえーんと泣き出した。

 大粒の涙がリコの目から溢れ、ボロボロと頬を伝ってシーツを濡らす。

 突然泣き顔を前にして、ジルの脳内に一気に冷水が浴びせられた。我に返ったのか、彼は自分がどれほど恐ろしい暴挙に出ようとしていたかを理解し、オロオロと慌ててリコの背中を撫でる。


「す、すみません……少し錯乱してしまいまして、」


「うわーん!全然私の話しを聞いてくれないじゃないですかあ!」


「申し訳ない……私が悪かったです。泣き止んでください」


 リコはそれでもしばらくズビズビと泣き続けた。

 ジルはベッドの脇に正座せんばかりの勢いで縮こまり、ただただオロオロと反省の意を示している。すっかりジルが反省したころ、ようやくリコが涙を拭い、ポツリポツリと真実を話し始めた。


「昔、孤児院に住んでいた頃、近所にとても優しいお兄ちゃんがいたんです」


「はい」


「いつも私が描く絵を褒めてくれて、とても優しい人でした。だけど、彼の家も貧乏で……しばらくして、奴隷として売り飛ばされてしまったんです」


「そんなことが……」


「私が定年で孤児院を出たばかりの頃です。駆け出しの絵描きをしていて……仕事でお貴族様のお屋敷に伺ったときに、偶然彼と再会したんです。彼は男性奴隷にされていて……その時に、絶対に助けてあげるって約束したんです。奥様に話をしたら、八千万用意しろって言うから……本当に必死で貯金したんです」


「八千万……!?」


 ジルの口から、驚愕の吐息が漏れた。

 八千万——それこそ土地付きの家が二軒は建つほどの、莫大な金額である。

 ジルはようやく思い当たった。

 リコは王都でも絵が飛ぶように売れる天才絵師なのである。それほどの経済力を持ちながら、なぜ彼女はいつも薄汚れたボロ屋に住み、食事もロクなものを食べずに節約生活を送っていたのか。なぜ、自分が何度冷たく追い返そうとも、「飯の種!」と叫んでは必死にしがみつき、城に侵入してまで絵を描き続けていたのか。

 すべては、その幼馴染を地獄から救い出すため、その一点のためだけに、彼女は自らの身を削りながら血を吐くような努力をして金を貯めていたのだ。

 

「せっかく貯金が貯まったんです。早く王都に帰ってクリスを、助けてあげなくちゃ……」


 リコは赤くなった目で幼馴染の救出を願い、拳を握りしめる。

 ジルはそんな彼女の横顔をじっと見つめ、降参したように深く深い溜息をついた。


「はあ、……まったく、惚れ直しました」


 ジルは観念したようにつぶやく。

 

「あなたの奴隷になるのはまた次回にしておきます……」


「もう、ジルさんてば」


 リコの泣いてリンゴのように赤くなった頬が、ぷくっと膨らんだ。



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