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 エリカは中から一冊の古びた、しかし丁寧な装丁が施された本を取り出した。


「じゃーん!」


 彼女が自慢気に掲げた本のタイトルには「月の歌」と書かれている。

 表紙には、銀色の箔押しで美しい三日月の意匠が描かれており、長年大切に読み込まれてきた形跡があった。


「アリナちゃんは月詠祭は初めてなんでしょう?」


 エリカに本を差し出されてリコはそっとそれを受け取った。

 手の中に収まる本の重みを感じながら、リコはパラパラとページをめくってみる。そこには、古今の高名な詩人たちが月をモチーフにして詠んだ、美しい抒情詩や情熱的な愛の言葉が、美しい筆跡で所狭しと並んでいた。


「その本にはたくさん月を詠った詩が集められてあるの。皆んな詩を読むなんて上手に出来ないから大抵そういう本から好きな詩を引用してパートナーや好きな人に贈るのよ。もちろん自分で詠む人もたくさんいるけどね」


「へえー」


 リコがパラパラと中身を見てみると、ヒナも興味があるのか覗き込んでくる。

 普段は恋愛事や華やかな祭事に一切の関心を示さないヒナが、心なしか身を乗り出すようにしてページを凝視している様子が、リコにとっては非常に新鮮に見えた。


「アリナちゃん、それ貸してあげるから月詠祭までに好きな詩をひとつ選んでみたら?」


「いいんですか?ありがとうございます!」


 リコは嬉しくなって椅子の上で飛び跳ねた。せっかくのお祭りなのだ。自分も是非とも参加してみたい。


「ヒナさんは誰か詩を送りたい人がいるんですか?」


 ふと気になってリコがヒナに話を振ると、フイと彼女は視線を逸らした。心なしか頬が赤くなっている気がする。

 いつも冷静沈着なヒナが、あからさまに動揺して視線を泳がせている。


「私は……月詠祭りがそういうお祭りとは知りませんでしたし、当日はあなたの護衛をしないといけないので……」


 ヒナのその反応を見て、おもしろそうにエリカが彼女の顔を覗き込んだ。

 エリカの瞳が、獲物を見つけた悪戯小僧のように爛々と輝き始める。


「さては、すでに誰かに誘われてるわね?」


「わ、私はもう断りましたから……!」


「良いじゃない、その人と行って来れば!お祭りの日一日なんて、アンジさんに代わって貰えばいいのよ。アンジさんなんてどうせ毎年お誘いは全部断っているんだから、きっと大丈夫よ!」


「い、いえ、そんな訳には……」


 エリカの中ではすでに算段がついたようだ。エリカは楽しそうに笑っている。

 ヒナが必死に拒絶しようとするものの、エリカの強引なペースに完全に巻き込まれていた。ヒナの頬はますます赤くなり、どうして良いか分からないといった風に、長い睫毛を震わせている。


「大丈夫!私がアンジさんに頼んであげるから!ね、そうしたら?」


 ヒナは頬をかすかに紅潮させて眉を下げている。普段落ち着いている彼女のこのような様子は珍しい。どうやら彼女にも気になる人がいるようだ。

 

「私もせっかくのお祭りですからヒナさんにも楽しんでほしいです。私からもアンジさんにお願いしてみますよ!」

 

 リコがギュッとヒナの手を握ってそう言うと、二人に押し切られる形でヒナはお祭りの日は休みを取ることになった。翌日さっそく、エリカとリコが二人でアンジから彼女の休みをもぎ取ってきたのだ。アンジには少し負担をかける形になってしまうが、そこは仕方がない。

 

 次の日の夜、リコは王府の中庭で歌集を読んでいた。ジルに送る詩の選定をするのだ。

中庭には、背の高い北方の樹木がそびえ立ち、その葉の間から、澄み切った美しい満月がこうこうと柔らかな光を投げかけていた。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った要塞の中庭は、まるで異世界のように幻想的だった。

 護衛でヒナもついてきているため、二人は小さなベンチに腰掛けて月を見上げては詩について色々と語り合う。

 

「私、詩に添える絵を描こうかしら」


 自分の得意なことはもちろん絵だ。リコは空を見上げた。


「素敵な案だと思います。ジルならきっと喜びますよ」


「そうでしょうか!そうと決まれば、善は急げですね!一度部屋に帰って画材を持ってきましょう!」


リコとヒナは一度部屋に戻り、木炭と紙を持ってきた。中庭のベンチからは月がよく見える。同じ場所で絵を描こうとリコとアリナが再び戻って来ると、どうやらそこに先客がいた。


 一人の男がベンチに座っている。

 夜風に吹かれながら、その男は静かに佇んでいた。

 黒髪のその男はリコが見たことのある男だった。目の前で月を見上げている男の、非の打ち所のない高貴な横顔と、どこか冷徹でありながらも圧倒的な気品を纏ったその佇まい。さらに、ベンチから少し離れたところに数人、お供が控えているようだ。彼らは一様に、油断のない鋭い視線で周囲を警戒しており、男の身分の高さを無言で証明していた。


「ブラッド王子……!」





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