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リコはカゴに入ったサツマイモを受け取ると、厨房館へ向かう。
そのカゴは丸々と太ったサツマイモがぎっしりと詰まっており、リコの小さな体に比例してとても重そうに見えた。背後には巻き添えをくらって大量のサツマイモが入ったカゴを抱えたアンジがピッタリとついてくる。北方一番の剣豪に、まさかサツマイモの搬送を手伝わせる客人がいるとは、周りの兵士たちも思いもしなかっただろう。アンジは、自分の体格に比べればあまりにも場違いな芋のカゴを両腕で抱えながら、苦笑いを浮かべた。
「君は客人の身だ。芋など運ばずとも……」
アンジは奇妙なものを見るような目でリコを見た。リコは彼の戸惑いを察して、軽く笑って返す。
「私のいたところもここのように食糧はとても貴重なものでした。働かざる者は喰うべからずとよく言われたものですよ。アンジさんこそ、護衛のお仕事なのに私に付き合って手伝っていただいてありがとうございます。」
リコが笑顔でお礼を言うと、アンジは獣のような体格に似合わず爽やかに笑って返した。
「大したものだ。将軍府の皆に可愛がられるわけだな。私も今一度気を引き締め、君を見習おう」
ここしばらくの間で、リコはすっかりアンジのことが好きになっていた。
最初の病室での詰問があまりにも怖かったため警戒していたが、その実、彼はとても誠実で人柄も良い。彼は遠流の身だそうだが、その過去を微塵も感じさせないほど、将軍府の皆にも好かれ、人望もあるようだった。
リコと二人で歩けば、たくさんの人がニコニコとアンジに声をかける。すれ違う若い兵士たちも、洗濯物を抱えたメイドたちも、誰もが親しげに「アンジさん、お疲れ様です!」と頭を下げていく。
二人が賑やかな声を頼りに「厨房館」へと辿り着くと、そこは夕食の仕込みの真っ最中で、凄まじい熱気と美味しそうな匂いに包まれていた。
リコが厨房館へサツマイモを届けると、メイドが愛想よく食糧庫から出てきた。
「頼まれたサツマイモを持ってきました。」
「あらアリナちゃんにアンジさんね?ありがとう!この用紙に記入してくれる?」
ペンと薄い緑の記録簿が渡される。リコはそれにサラサラと記入した。
リコが記入していると、困ったようにそのメイドはアンジに話しかけた。
「アンジさん、絵が上手な方を知らないかしら?今度メイド見習いに山草の見分け方を教えなくちゃいけないんだけど、この間メイド見習いの子供たちが資料の絵にソースをこぼしてしまって……何枚か新しいものを描かなくちゃいけないの。私は絵はからっきしだし……」
「絵か」
アンジが思案する様子を見せる。
要塞の荒くれ者たちの中に、繊細な植物の絵を描けるような者がいるかといえば、極めて望みは薄いだろう。アンジは腕を組み、記憶を掘り起こすように難しい顔をした。
リコは書き終わったペンと記録簿を返してニッコリ笑ってみせた。絵描きはリコの本職だ。挿絵や描写のためにスケッチをすること——それは彼女が最も得意とする領域そのものだった。
「私、絵なら描けますよ」
「アリナちゃん!本当!?」
そのメイドは飛び上がって喜んだ。彼女の澄んだ瞳が嬉しそうにキラリと輝く。
「はい。絵なら小さい頃から描いていて得意です!何を描けばいいんですか?」
「嬉しいわ!ちょっとこっちに来て!」
リコはメイドに連れられて奥の部屋へ進んだ。そこにはたくさんの山草や薬草が保管されている。ひんやりとした空気の漂う貯蔵庫には、乾燥させたものから、今朝摘んできたばかりのみずみずしいものまで、何十種類もの草木が整然と分類されていた。
メイドはそのいくつかを手に取ると小さな袋に入れてリコに渡した。
「これを全部描いて欲しいの。画材は図画館へ行って好きなものを貰ってきていいから!」
「はい、お任せください!」
リコは図画館への行き方を教えてもらい、山草の入った麻袋を大切に抱えて厨房館を後にした。
厨房館は王府の中央に位置する場所にあるが、図画館は西の区画にあるらしい。
リコとアンジは幾重もの石門を潜り抜け、静謐な空気が流れる西の区画へと向かった。そこは、過去の歴史書や軍事記録、そしてわずかながらの美術品が保管されている、この要塞における「知識の書庫」とも言える場所だった。
図画館で画材一式を借り受け、リコは窓際の明るい机に陣取ると、麻袋から一本の薬草を取り出し、それを観察しながら迷いのない手つきで炭筆を走らせていた。サッ、サッ、という小気味よい音が静かな室内に響く。葉脈の走り方や茎の細かな産毛まで正確に写し取られていく様子を、横で見守っていたアンジは心底感心したように呟いた。
「絵も描けるんだな」
「ええ、まあ……昔から絵を描くのが好きんです」
途端に、ギラス将軍やジルに身の上を話してはいけないと言われたことが思い出され、リコは少し言葉を濁す。こちらに来てからは、人物画は描いてはいけないとジルにもきつく言われているのだ。
(危ない……!どこから私の正体がバレるか分からないんだから)
リコは気まずそうに三つ編みを弄った。その小さな動揺を隠すように、筆先を熱心に動かし続ける。
「驚いた。アリナは多才だな」
「えへへ」
リコが笑って濁すと、アンジは気に止める様子も見せず、少し懐かしそうに目を細めながら言った。
「俺の娘も絵を描いていた」
「え、アンジさんに娘さんがいるんですか?」
リコは驚いて彼を見上げた。確かに、娘がいてもおかしくはない年齢だろう。
アンジは窓の外の、遠い南の空を見やるように視線を彷徨わせた。その獣のような鋭い瞳が、今だけは信じられないほど柔らかく、眩しそうな光を宿している。
「ああ。娘が描いた絵がたくさん家にある」
アンジは眩しそうに目を細める。そこに見えない娘をリコに映しているかのようだ。リコの胸の奥はじんわりと温かくなった。
しばらく図画館で絵を描いていると、やがて一人の男の絵師が物珍しそうにリコの絵を覗き込んだ。
その男は衣服にたくさんの絵の具をつけており、いかにも職人といった風貌をしていた。彼は描き上げられたばかりの薬草の絵をじっと見つめ、驚いたように声をあげた。
「へえ、山草の絵かい?上手に描くねえ」
「厨房館のメイド見習いの教育に使うそうなんです」
リコがヒラリと出来上がった絵を何枚か見せると、その絵師は目を細めてリコの描いた絵を見つめた。
「素晴らしい。線の迷いが全くない。お嬢ちゃん、なかなかの腕前じゃないか」
男は何度も頷きながら、さらに興味深そうにリコの顔を覗き込んできた。
「アリナちゃんは絵が上手だねえ。植物以外にも描けるのかい?風景画や、人物画は?」
「人物画は苦手ですが……風景画も描けます」
リコは少しだけ嘘をつく。
リコの描く姿絵は王都では大量生産されていたのだ。もしここで完璧な人物画を描いてみせたら、画風や筆の癖から、どこで足がつくかわからない。ジルの言いつけを守るためにも、ここは苦手と言い張るしかない。
そんなリコの気も知らず、絵師の男は嬉しそうに手を打った。
「なんと!それなら城の裏手にある神殿の壁画の補修を手伝ってくれないかい?見ての通り人手が足りなくてねえ。人物以外のところでいいから、補修を手伝って欲しいんだよ。」
男の話によれば、城の裏手にある古い神殿の壁画が、北方の厳しい冬の寒さと乾燥で、あちこち剥がれ落ちてしまっているらしい。まともに筆を握れる絵師が要塞内には数人しかおらず、困り果てていたというのだ。人物の顔などの難しい部分は自分たちがやるから、背景の木々や空、岩肌といった風景の補修だけでも手伝ってほしい、と男は熱心に頭を下げた。
「いいですよ!私に手伝えることなら何でも言ってください」
リコがにっこり笑って返事をすると、絵師の男は上司に知らせてくると言って嬉しそうにいそいそと部屋を後にする。
男の足音が遠ざかっていく中、アンジが呆れた様子でリコを見つめている。
「まったくお人好しだな。俺は絵は描けんぞ?」
「いいですよ、アンジさんの本来のお仕事は私の護衛です」
アンジは呆れたように少しだけ笑うと、アンジはどっしりと壁に寄りかかったまま、静かに絵を描くリコを見つめた。




