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どれほど頑強に設えられた要塞であっても、そしてどれほど苛烈な緊張感が張り詰める最果ての地であっても、時間は等しく、かつ確実に流れていく。リコがデンバー領の将軍府――俗に「黒城」と呼ばれる巨大な軍事拠点の一室に落ち着いてから、あっとう言う間に数日が過ぎ去った。
ジルは仕事が終わると、毎日リコの部屋へ顔を出してくれる。
王都を出発してからというもの、リコを連れて死線を潜り抜けてきた彼は、今やデンバー領の正規の軍服にその身を包んでいる。華美な装飾こそないが、最果ての厳しい風土に耐えうる実用的な意匠の衣服は、ジルの持つ無骨ながらも洗練された佇まいにとてもよく馴染んでいた。
彼は城郭の警備を担当しており、比較的楽な仕事についているらしい。
夕暮れが過ぎ、夜の帳が降りる頃になるとジルは静かにリコの客室の扉を叩いた。その表情には日中の任務の疲れがうっすらと浮かんでいるものの、リコの無事な姿を確認すると、張り詰めていた口元がいつもわずかに緩む。
「傷の痛みはどうです」
そう言って部屋の椅子に腰掛けるジルの様子から、リコは彼が日々送っている新しい生活の断片を聞き出すのが日課になっていた。ジルによれば、警備自体も担当の持ち回り制で、警備の担当ではない日は鍛錬をしたり、馬の世話をしたり、細々と雑務をこなして過ごすそうだ。
最果ての要塞における軍人の生活は、王都のそれとは比較にならないほど泥臭く、そして実用的だった。ジルは非番の日であっても朝早くから練兵場に赴いて黙々と剣を振り、午後には厩舎で荒々しい軍馬たちの体を刷毛で整え、時には兵站部から頼まれた物資の荷下ろしまで手伝っているという。どのような場所であっても生真面目に尽くすのは彼らしい。
そして、ジルが部屋に来るたびに顔を突き合わせるため、夜の護衛担当のヒナと彼はいつの間にか顔見知りになっているようだった。
ヒナは夜間の警備のために部屋の隅の影に音もなく佇んでいることが多かったが、ジルがやってくると、その鋭い釣り上がった目尻をわずかに和らげ、武人同士にしか分からない短い挨拶を交わすようになった。
「相変わらず、ジルは定時のお見舞いを欠かしませんね」
毎日、ほんの十数分ほどの短い時間だがそれでも、ジルがその白銀の髪を揺らして部屋に現れるだけで、リコの胸にこびりついていた心細さが消え去っていく。
しばらくたったある日、すっかり傷も癒えたとエリカからお墨付きをもらい、とうとうリコは自由に出歩くことが許された。
一歩外へ踏み出した将軍府は本当に広かった。何世代にもわたって切り出された城は今でもあちこちで拡張工事がなされており、城の全貌を知るものはいないだろうとアンジは言う。
切り立った巨大な岩山を文字通り削り、組み上げられたこの要塞は、終わりのない増築を繰り返す生き物のようだった。リコが上を見上げれば、遙か高所の防壁の上で、石工たちが今もせわしなく槌を振るっているのが見えた。
「アンジさん、全体の地図はないのですか?」
リコが尋ねると、アンジは首を横に振った。
城の地図は各区割りごとに別々に保管され、城全体を描き記した地図の作成は防衛のために禁じられている。
「万が一、外敵に城の構造のすべてを知られたら、この防壁の意味がなくなるからな。すべてを一目で把握できる地図の作成は、ギラス将軍の命令で厳格に罪とされているのだ」
さらにアンジの解説は続いた。この街全体も第三の郭で囲われており、その壁も幾世代にもかけて建築されたものだという。古い石材の上に、少し色の違う新しい石が積み重ねられている様子は、この土地が潜り抜けてきた無数の戦乱の歴史そのものを物語っていた。ゆえにここは北方の防壁として難攻不落の地であった。
リコはアンジの案内に従って城内の様々な通路や中庭を巡ったが、その中でさらに奇妙な光景に気がついた。
王府内には何箇所も庭や空中庭園が存在していたが、全て野菜や薬草などが栽培されている。王都の宮殿にあるような、ただ目を楽しませるための美しいバラや色鮮やかな花々などは、ここには一輪も見当たらない。畝を作って青々と茂っているのは、見事な大根やキャベツ、そして生命力の強そうな薬草ばかりだった。
「お庭なのに、まるでお野菜の畑ですね……」
リコが呟くと、アンジは真面目な面持ちで頷いた。
これは戦乱時の名残だという。籠城を決め込んだ際、食糧難は深刻な問題を引き起こすからだ。もしも数ヶ月、あるいは数年にわたって外敵に完全包囲されたとき、美しい花などは何の役にも立たない。少しでも自給自足を可能にするために、土のある場所にはすべて実のなるものを植えるのが、この黒き城の鉄則だった。もちろん、城の蔵には日持ちのする穀物などの食糧が貯蔵されていたが、それでも万が一への備えを怠らない姿勢が、この要塞の強さを支えている。
元気になったリコは、やがて細々と雑務を手伝うようになった。
散歩ついでにウロウロしていたところに出会った、忙しそうに働くメイドの手助けをしたことがきっかけだった。実際に始めてみると、城の広さに比べ、人員は不足しているようでいくらでもやることはあった。
最果ての厳しい環境下では、誰もが何らかの役割を持ってせわしなく動いており、ぼんやりと突っ立っている者など一人もいない。やはり、食客の身に甘んじてはいられない。
まずは自分が住まわせてもらっている部屋の掃除だ。
リコはバケツと雑巾を借りると、床を磨き、窓を拭き、リネンを綺麗に整えた。それが終わると、今度はリコの住まう客室棟の清掃も手伝うようになった。最初は驚いていたメイドたちも、リコの真面目な働きぶりを見て、次第に笑顔で雑巾を貸してくれるようになった。
さらに、気分転換に出た庭で、いつの間にか畑仕事も手伝うようになっている。王都の下町で逞しく生きてきたリコにとって、土をいじり、雑草をむしる作業は、決して苦になるものではなかった。むしろ、心地よい汗を流すことで、王都での恐ろしい記憶が少しずつ薄れていくような気さえする。
いつものようにリコが土いじりをしていると、腰の曲がった庭師のおじいさんがリコを呼んだ。
「アンジさんアリナちゃん、このサツマイモを厨房館へ持って行ってくれるかい?頼まれているんだ。」
「はーい!」




