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 あまりにも戦闘力の高そうな二人の気迫に完全に気圧されながら、リコは毛布の端を握りしめたまま小さく挨拶を返す。


「以後は我々二人が交代で君の護衛を務める。基本的には私が昼間の時間帯を担当し、こちらのヒナが夜間の警備を担当する形だ。何か要望や、部屋の外へ出たい用事があれば、いつでも我々に声をかけてくれ」


「はい、分かりました。よろしくお願いします」


 実務的な取り決めを終えると、夜間担当のヒナは「それでは、私は一度執務室に戻ります」と短く告げ、無駄のない美しい挙動で一礼し、部屋を退室していく。

 ヒナが去り、部屋の中にはリコとアンジの二人だけが残された。

 途端に、気まずい沈黙が流れる。リコにとって、アンジはあの病室での「怖い男」という印象が強烈に残っている。彼の日に焼けた顔に刻まれた深いシワや、無数の戦いを感じさせる傷跡は、彼が重ねてきた修羅場の数を物語っていた。

 ふと、昨日エリカが誇らしげに語っていた『アンジさんはね、これでもこの北方地域で一番の剣豪なのよ』という言葉が頭をよぎり、リコはゴクリと生唾を呑んだ。そんな大物が自分の護衛になるなんて、やはり事態は想像以上に深刻なのだ。

 しかし、リコにはどうしても今、確認しておきたいことがあった。


「あの……アンジさん。ジルさんは……あの、私の向かいの部屋に泊まっていた、白銀の髪の男性なんですけど彼が今どうしているか、何か知っていますか?」


 リコは上目遣いで、恐る恐るアンジの顔色をうかがいながら尋ねた。

 すると、アンジは「ああ、あの男か」と得心のいったように腕を組んだ。


「あの男ならギラス将軍との直談判を終えた後、正式に軍籍の確認が取れてな。王都からの出向兵という扱いにはなっているが、今日からしばらくの間、このデンバー領の正規兵として前線で働くことになった。今は、第一の郭の城郭警備にあたっているはずだ」


「え……そう、なんですね……」


 アンジの言葉を聞いた瞬間、リコの胸の中に、すうっと冷たい落胆の影が広がっていった。

 てっきり、今日からはまた自分のすぐ近くで、暇さえあれば小言を言ったりじっと見守ってくれたりするのだとばかり思っていた。

 彼はリコが安全な場所に辿り着いたのを見届けると同時に、自らの「軍人としての義務」を果たすため、早々に職場を見つけたようなのだ。


「……そっか。ジルさんも、やっぱり忙しいんですね」


 ポツリと呟いたリコの心に、幼い頃に育った孤児院の厳格なシスターの言葉が、苦い思い出と共に蘇ってきた。


『いいですかリコ、働かざる者、食うべからずです』


 誰もがこの極寒の要塞で、命を懸けてせわしなく働いている。ジルも例外ではない。それなのに、自分だけがふかふかのベッドで昼過ぎまで眠り、豪勢な食事をもらってぬくぬくとしている。そう思うと、なんだか急に自分の存在が申し訳なく、居たたまれないような、ひどく肩身の狭い気持ちになってくる。


「どうした?まだ矢傷の具合が悪いのか?毒の後遺症でも残っているなら、すぐにエリカを呼ぶが」


「あ、いえ、大丈夫です!怪怪はもう全然——」


 リコが慌てて笑顔を作って答えようとした、まさにその瞬間、三度目となる扉のノック音が室内に響いた。今日は本当に、この静かな部屋への来客が絶えない日だ。


「はーい、アリナちゃあん!具合はどお?よく眠れたかしら?」


 扉を開けて、眩しいほどの笑顔と共にひらひらと手を振って入ってきたのは、白い医療服をまとった、まさに医療棟の天使ことエリカだった。彼女の放つ、おっとりとした柔らかい空気が、アンジの持ち込んだ硬い緊張感を一瞬で霧散させる。


「あら、アンジさん。もう新しいお仕事を始めていたのね?でも、今は私がアリナちゃんの問診と傷のチェックをする時間だから、男の人は邪魔よ。シッシッ」


 エリカは可愛らしく頬を膨らませながら、最果て一番の剣豪であるはずのアンジを、まるでうるさい蝿でも追い払うかのように手でシッシッと部屋の外へと追いやった。

 アンジは大人しく廊下へと退散していく。

 扉が完全に閉まり、室内が女性二人だけになると、エリカは途端にその綺麗な瞳をキラキラと輝かせ、リコのベッドの端へとパッと腰掛けた。その距離の詰め方は、王都の下町にいる噂好きな近所のお姉さんそのものだった。


「それにしても、アリナちゃん!あなた、あのギラス将軍様の『訳ありの親戚』だったのねぇ?処刑台の刃が落ちる寸前で、まさか将軍様が自ら乗り込んできて刑を引っくり返すなんて、私、聞いててハラハラしちゃったわ!」


(だから……その『訳あり』って何なの……!)


 本日二度目となる、ギラス将軍への無言のツッコミを心の中で絶叫しながら、リコはげんなりとした表情で、エリカを見返した。

 否定も肯定もできないのだ。


「ふふ、『訳あり』のせいであの病室ではアンジさんに何も喋れなかったのね?今、この黒城の中ではあなたのその『訳あり』の正体についての噂でもう持ちきりなのよー?」


 エリカは楽しそうに、いたずらっぽく声を潜めてリコの耳元に顔を近づけた。


「城郭の兵士たちの間ではね……あなたが『若かりし頃のギラス将軍が、王都で密かに生ませた隠し子』だとか、はたまた『その孫娘』だとか、そんな噂話が真しやかに囁かれているのよ?」


「ええぇぇえぇぇ……!!」


 リコは完全に魂が抜けたような声を上げた。

 隠し子。孫娘。どれ一つとして掠ってもいないし、リコはただの、下町で貧しく暮らしていた一介の絵師に過ぎない。ギラス将軍の顔なんて、昨日初めて見たばかりだ。


「でもまあ、言われてみれば、そのちょっと困ったように下がる眉毛とか、若かりし頃の将軍様の面影が、ないこともないような、あるような、ないような、やっぱりないような……?」


 エリカはリコの顔を両手で挟んでじっくりと観察しながら、自分で言ってツボに入ったのか、「キャッキャ」と鈴を転がすような声で楽しそうに笑った。彼女にとっては、退屈な最果ての要塞に突如現れた、極上のエンターテインメントなのだろう。

 リコは完全に不貞腐れて、エリカの手から顔を外すと、ベッドのサイドテーブルに両肘をついて、思い切り不満げに頬杖をついた。


「もう……勝手に言ってればいいですよ。私、そんな高貴な血筋じゃありませんから」


「ふふ、怒らないで? 退屈な殿方ばかりのこの城で、あなたみたいな可愛い女の子とこうしてお話しできるのが、私は嬉しくてたまらないの」


 エリカは、おっとりと艶やかに微笑んだ。

 しかし、リコは知っている。このおっとりとした「天使の笑顔」エリカはこう見えて、その卓越した美貌と大人の色気で、これまでに数々の屈強な兵士や騎士たちを骨抜きにし、泣かせてきた「魔性の女」でもあるのだ。王府の血気盛んな兵士たちを順番に食い散らかし、彼女の艶やかな肉体と甘い言葉に溺れ、破滅しかけた男の数は少なくないらしい。いわば、この男だらけの無骨な要塞における、裏の絶対権力者……かもしれない。


「よし、傷口の具合も問題なさそうね。軟膏がよく効いているわ。それじゃあまた明日、同じ時間帯に診に来るからね、アリナちゃん」


 エリカはリコの背中のガーゼを手際よく貼り替えると、最後にリコの額に優しく触れ、「良い子で休んでいるのよ」と言い残して、華やかな香りを残したまま風のように去っていった。どうやら、明日以降も毎日、彼女はこうしてリコの部屋を訪れてくれるらしい。


 再び一人きりになった、静かなゲストルーム。

 この見知らぬ、厳寒の最果てデンバー領には、リコの知る友人や家族は一人もいない。

 ジルが遠い城壁の警備に行ってしまい、心細さに胸を締め付けられていたリコにとって、エリカがこうして短い時間であっても、毎日自分に会いに来て、他愛のないお喋りをしてくれるということは、今の彼女にとって、暗闇の中に差し込む一筋の、何よりも心強い救いの光であった。

 リコはもう一度、ベッドの上の大切なボロ鞄を抱きしめ、窓の外の遠い黒い城壁を見つめた。





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