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見せなさいと強く言われても、今のリコは先ほど執事の男が用意してくれた、簡素で薄手の白いワンピース姿である。ここでそれを引っぺがされ、素っ裸になれとでも言うのだろうか。ジルの放つ、妙な圧迫感と頑なさに完全に気圧されてしまい、リコは諦めたように小さな吐息を吐き出すようにして細い声で囁いた。
「わ、わかりましたから。少し離れて、あちらを向いていてくれませんか?」
「…………」
ジルはムッツリとした表情のまま、眉間に刻まれた深い皺をさらに深くしたが、リコの懇願を受け入れてゆっくりと彼女の上から身体を離した。
目の前を塞いでいた巨大な圧迫感がようやく遠のいていく。リコはジルが完全に背中を向け、微動だにしないのを確認してから、恐る恐る椅子から立ち上がった。冷えた部屋の空気の中で、自分の指先が信じられないほど震えているのが分かる。これは緊張のせいだろうか、それともこの部屋の物理的な温度のせいだろうか。
リコは震える指先で、ワンピースの胸元のボタンを一つずつ外していった。そして、白い生地の襟ぐりを大きく左右に開いて、自らの背中を夜の空気に露出する。そのままではあまりにも心許なく、慌てて将軍府の毛布を雑に身体に巻き付けると、リコはゴクリと喉の奥で生唾を飲み込んでから、小さな声でジルに声をかけた。
「いい、ですよ……」
リコが声をかけると、待っていましたと言わんばかりにぐるりとジルがこちらに振り向いた。ただそれだけの、日常的な動作であるはずなのに今のリコにはなぜか心臓が跳ね上がるほど驚いてしまう。
ジルは無駄のない大股な足取りでリコに近づくと、迷うことなく彼女の背中側へと回り込んだ。
ジルの大きな指先が、まるで壊れやすい硝子細工に触れるかのように恐る恐る毛布の端をつかみ、ゆっくりと、確実に毛布が下へとずらされていく。衣服と毛布が背中の中ほどまで降ろされ、闇の中にリコの白い肌と、そこに生々しく残る傷跡が露わになった瞬間、ジルの喉の奥から息を呑むような微かな音が聞こえてきた。
傷自体は、エリカたちの懸命な治療によって既に完全に塞がっているはずだった。その傷口の上から、今は丁寧に白いガーゼが当てられている。
ジルは言葉を失ったままゆるゆるとその長い指先を動かし、傷口のすぐ側、ガーゼの周囲の皮膚を酷く痛ましそうにそっと撫でた。男の硬く冷たい指先が肌に触れる感覚が妙にくすぐったくて、リコは思わず肩を震わせて首をすくめてしまう。
「んっ……」
その微かな声を聞いたジルは、ハッと我に返ったように、初めに彼がしてくれたのと同じようにリコの身体へ毛布を優しくかけ直した。そして、衣服を整える間すら与えないまま、今度は後ろから衣服越しに、優しく、けれど強い意志を込めてリコの身体をしっかりと抱きしめた。ジルの広い胸に、リコの背中がぴったりと密着する。
「申し訳、ありません……」
「ジルさんが謝ることなんて……」
すぐ耳元の至近距離で、ジルの吐息が辛そうに、そして悔しそうに小刻みに震えて届いた。リコは、背中から伝わってくる彼の心臓の鼓動と、この密着した状況に胸がドギマギと高鳴るのを、必死に平静を装って隠した。
「あなたを守ると言ったのに……私の不手際で、こんな酷い傷を負わせてしまいました。……あなたを傷つけたやつを一日も早く見つけ出し、この手で嬲り殺しにしてやりたい」
いつもは冷静な彼が、真顔で恐ろしいほどの殺意を込めて不穏なことを言うので、リコはビックリして闇の中で目を丸く見開いた。
「あの、本当に私は大丈夫ですよ!確かに最初は矢に打たれて死ぬかと思いましたが、その後にアンジさんという凄く強い方が助けに来てくれて、刺客の残党を綺麗に追い払ってくれたのです。そのまま、ここの立派な医療施設へ連れてきていただいて、とても親切に傷の手当てもしていただきました」
リコはジルの力強い腕の中でモゾモゾと身体を動かし、彼の胸の中でくるりと反転して彼の方へと正面から向き直った。夕闇の中でつらそうに眉根を寄せたジルの瞳とリコの視線が至近距離でかち合う。リコは彼の罪悪感を少しでも和らげたくて、できるだけいつも通りの、能天気で普段通りに見える笑みを浮かべてみせた。
「こうやって、無事にまたジルさんにも会えて……私は今、とっても嬉しいです」
「…………」
一瞬、ジルは驚いたようにその端正な目を見開いた。リコの真っ直ぐな瞳をじっと見つめた後、彼は諦めたように深く息を吐き出し、再びリコを自分の身体をそっと抱き寄せ、その細い首筋に顔を深く埋めた。
「やっぱり、あなたはバカです……男の部屋を夜中に一人で訪ねておいて、その上こんなに簡単に服を脱ぐなんて、バカとしか言いようがありません」
「バ、バカって……!ジルさんが今すぐ脱げってあれほど言ったんじゃないですか!酷いですよう!」
理不尽な物言いにリコがふてくされた抗議の声を上げると、ジルは何も言わずゆるゆると毛布の上から傷の上のガーゼがあるあたりを、なだめるように、あるいは諭すように大きな指で優しく撫でた。それはリコの怒りを諫めているのだろうか、それとも、自分自身を必死に諫めているのだろうか。
「リコ」
そう、鼓膜を震わせるように耳元で囁くジルの吐息は、またしても震えていた。
このままでは、妙に落ち着かない。リコは照れ隠しも含めてポソリと日中からずっと頭の片隅にあった疑問を呟いてみた。
「ギラス将軍様って、思ったより普通のお爺ちゃんでしたね。私、高名な将軍様って言うからてっきりもっとこう、ギラギラした壮年の男性かと思っていて……都に帰ったら、絵の題材にしようと考えていたんですけど」
リコが突拍子もない感想を口にしてみると、一拍の間を置いて、それまで張り詰めていたジルの身体からすっと力が抜けた。そしてクスクスと、呆れたようなけれど愛おしくてたまらないといった風にジルが低く笑い始めた。
そのまま、彼は名残惜しそうにしながらもリコの身体をそっと腕から離してくれる。拘束から解かれ、リコはなぜか少しだけホッと安堵した。
「あなたは本当に、どこへ行っても変わりませんね……私は後ろを向いていますので、早く服を着てください」
「もう、脱げって言ったり着ろって言ったり、人使いが荒いんだから……」
リコは口を尖らせてブツブツと文句を言いながらも、手早くワンピースのボタンを留め、衣服を元の状態へと戻した。やはり衣服をちゃんと着ないと寒いので、もう一度毛布にミノムシのようにくるまり、先ほどの椅子に座り直す。
そうしてようやく落ち着いたところで、リコは自分がはぐれた後、どのようにしてあの地下牢屋にぶち込まれるに至ったのか、その詳細な経緯をジルに説明して聞かせた。ジルは静かに耳を傾けていたが、リコが何か無茶をするたびに、何度も途中で「あなたは本当にバカですね」「信じられません」と、呆れたように横槍を入れてくる。
「もう、バカバカって失礼ですよう!そういうジルさんこそ、私とはぐれた後どうしていたんですか?あなたが失踪したと風の噂に小耳に挟んで、私も本当にヤキモキして心配していたんですよ」
リコが少し怒ったように尋ねると、ジルは少し遠い目をして自らの過酷な旅路を振り返るように静かに語り出した。
「私はあなたとはぐれた後、まず近くの宿場町へと急行しました。あなたがそちらへ逃げてきているかもしれないと思ったからです。そこで、あなたを襲った王都の刺客どもが返り討ちにあって殺された旨を現地の役所に届け出ました。しかし、そこにもあなたの姿はなかった。だから私は、それから寝る間も惜しんで、ひたすらあなたの消息を探し回っていたんですよ。そうして、ようやくあなたの居場所を掴んだと思えば、明日処刑になると言うではありませんか。……ああ、本当に、あの瞬間は生きた心地がしなかった。今、こうやって無事にあなたと将軍府に辿り着けたのは、まさに奇跡以外の何物でもありません」
「……だから、さっきあんなに汗臭かったんですね」
リコがジルを見上げてそう言うと、ジルは全く悪びれることなく、むしろ誇らしげにふっと口角を上げてみせた。
「名誉の香りです」
そう言って、二人はいつものように視線を合わせ、小さく笑い合った。
その夜、リコは人生で初めて眠る将軍府のフカフカで大きなベッドの真ん中に身体を沈めた。極限の緊張から解放され、ジルと再会できた安心感からか、あるいは何日分もの疲労が一気に押し寄せてきたのか、泥のようにぐっすりと眠り込む。
次にリコがパチリと目を覚まし、窓の外の眩しい光に気がついた時には、時計の針は既に昼を大きく過ぎていた。




