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「中止だ、処刑は中止せよ!!」


「ギラス将軍だ——」


「将軍様がどうして——」


 一瞬にして凍りついていた処刑場に、激しい風を吹き込むように白茶けた土埃をあげて、何頭もの馬がかけこんでくる。

 先頭の馬には、白髪の壮健な顔立ちの男が、厳しい表情で手綱を握っている。まなじりに深く刻み込まれた目元の皺が、彼の若くはない年齢を物語っていた。それでも、その男の真っ直ぐに天へと伸びた背筋と放つ威圧感は、彼がこの地で持つ威光を示すに十分だ。

 何事かと誰もがその男を見て、将軍がわざわざこんな場所にと色めき立ち、処刑場全体がにわかに騒がしくなる。

 将軍のすぐ後ろには数人の男に混じって、馬を駆ける白銀の髪の男——ジルががいた。そのなびく髪を見た瞬間、リコの時間が止まる。


「どうどう」


 激しく土埃をあげ、荒い鼻息を鳴らしながら、馬の一団は処刑台のすぐ目の前で急停止し、足を止めた。

 リコの頭は壊れてしまったかのように働かない。何が起きているのか理解が追いつかず、ぼうっとただ、ジルを見つめた。


「っ!!」


 ジルが馬からヒラリと飛び降りて、外套をはためかせながらこちらへ向かって一直線に駆け寄ってくる。激しく見開いた瞳孔が、彼のその心境をありありと物語っていた。

 処刑人は、突然の出来事に呆気にとられたかのように、大剣を振りかざした体勢のまま完全に固まっている。今まさに、リコの首をはねようとしていたところだったのだ。

 その処刑人の持つ大剣と、土にひざまずくリコの狭間に自らの身体を強引に滑り込ませるようにして、ジルがリコに駆け寄って来た。ジルの額には、限界を超えて馬を走らせてきたことを物語る、大粒の汗が光っている。


「リコ」


 ギュッとジルに抱きすくめられて、リコの瞳が急激に熱くなった。

 先ほどまでのすべてを諦めていた抜け殻のような冷たい涙とは違う、身体の奥底から湧き上がる熱い、熱い涙があふれる。耳元で囁くように名を呼ばれ、リコの頬に涙が伝った。

 ジルがガクリとこうべを項垂れ、リコの首元に顔を埋める。彼の熱い息が首にかかるその瞬間、ふわりとリコの鼻腔をジルの汗の香りがくすぐった。


「うう、」


 ジルに力強く抱きすくめられた瞬間、背中の傷痕がズキリと痛みリコは思わず低く呻き声を漏らした。

 だが、いつもならすぐに変化に気づくはずのジルは今回ばかりはリコを放してはくれなかった。それどころか、彼女が本当に自分の腕の中に存在しているかを確かめるように、それこそ息もできないほどにぎゅうぎゅうとリコを抱きしめている。

 抵抗もできず、ただその強固な檻のような腕の中に閉じ込められながら、懐かしいジルの匂いがリコを包んでいた。


「無事で、良かった……!」


 絞り出すようにジルが胸の奥から呻いた。いつも冷静な彼の声は、今はじっとりと濡れ激しく震えている。


「あなたとはぐれてしまってから、どれだけ探し回ったことか……!もう、二度と、会えないかと……!」


 あのオカン地味た説教を得意とするはずの白銀の兵士が、ただ怯え、必死に自分を求めている。ジルの背負ってきた絶望の重さがその腕を通じて伝わり、とうとうリコは決壊した。ぐずぐずと不細工に鼻を鳴らしながら、子供のように大声を上げて泣いた。


「本当に、無事で良かった……!」


 何度も同じ言葉を繰り返すジルに、リコは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫ぶ。


「う、うええええん!ジルさんのバカあ!!守ってくれるって言ったのにい!汗臭いですよお!うわああん!」


「こ、こんな時にあなたは……!あなたを探し回っていたから風呂に入る時間なんてなかったんです!我慢してください!」


 まさかのカウンター攻撃を喰らいジルは動揺し、声を裏返らせて反論した。しかし、そう言いながらも、彼が抱きしめる腕を緩める気配は微塵も無い。その頑なな強さに、リコは「もう絶対に置いていかれない」という安堵を覚える。ジルが掻き捨てるようにリコを縛り付けていた縄を解いた瞬間、リコは細い腕でジルに縋りついた。


「いいんです、ぐすっ、……ジルさんの汗の匂いドンとこいです妄想が捗りますしきっといつか良い題材に……!」


「あ、あなたはまったく……」


 あまりにもストレートで斜め上の告白に、ジルの口角が痙攣するようにヒクリと動く。引き締まった表情の頬をわずかに朱に染め、動揺したように左右に目をウロウロと泳がせた後、自らの熱を振り払うようにジルは大きく頭を振った。


「そこにおる娘はわしの縁戚のものじゃ。この将軍が隠密に呼び寄せた娘の首を刎ねようとする愚か者はどこにおる!!!」


 地鳴りのような、ギラス将軍の圧倒的な怒号が処刑場全体に響き渡った。その衝撃的な言葉を聞き、境界線の柵の向こう側にいた聴衆人達が一層声高に、ザワザワと騒がしく囁き合い始める。その場に居た処刑人をはじめ、執行官や兵士たちは、最高司令官の凄まじい逆鱗に触れたことを察し、恐れ慄いた様子でバタバタと地べたに膝をつき、深く頭を垂れた。


「この者はいかなる罪も犯してはおらぬ、冤罪じゃ!」


「お許しください将軍!!」


 将軍の高らかに響く声音と、膝をついた執行官たちを前にしてようやくリコはホッと胸を撫で下ろした。

 どうやら死すべき定めの日は、今日ではないようだ。

 状況が落ち着いたことを見計らい、ジルがリコの身体をそっと抱き起こし、立ち上がらせる。まだ少ししゃくり上げながらも、リコはこっそりジルの服の袖で、ズビズビに汚れた顔の鼻水を拭った。しょうがない、あいにくハンカチを持ち合わせていないのだ。幸いなことに、ジルはリコのこの暴挙にまったく気づいていない。


「怖がらせてしもうたの、アリナ」


「……へ」


 突然、聞き慣れない名前で呼ばれ、一瞬間を置いてリコはそれが自分のことかと我に返った。


(そうか、私は今は偽名を名乗っているんだった)


「あ、あの、いえ、めっそうもない」


 将軍はアルフレート王からの密書で自分の正体を知っているはずだが、多くの人々が耳を澄ませているこの場ではあえて「アリナ」という偽名を使って正体を隠匿してくれているのだ。ジルの影に隠れるようにしながらリコはブンブンと両腕を振ってみる。将軍様のような高貴な方を前に、流石にどう振る舞えば良いのかリコにはわからなかった。


「ひとまずわしと共に城まで来てもらおうかの」


 先ほどまで処刑場を震わせていた怒号とは打って変わって、穏やかな好々爺を思わせる声が将軍の口から聞こえてくる。

 どうすべきか戸惑っているリコの手を引いて、ジルは自分が乗ってきた立派な軍馬の側へと彼女を誘導した。リコがよじ登るようにして必死に大きな馬の背に座ると、そのすぐ後ろにジルがヒラリと軽い身のこなしで飛び乗り、リコを包み込むようにして手綱を握る。ジルの広い胸の中に、リコの身体がすっぽりと収まった。


「はっ」


 短い掛け声と共に、再び馬が力強く地面を蹴って駆け始める。

 馬上の揺れに身を任せながら、リコはそれまでとは一段と高くなった視線から、かつて自分を死へと誘った処刑場の門を見下ろす。門の周りに集まっていた見物人たちは、処刑が開始された当時よりも明らかに興味をそそられ、驚きと興奮に満ちた好奇の目をこちらに向けていた。

 そんな人々の視線を浴びながらリコはようやく、あの忌まわしい処刑場を後にしたのだった。







ようやくジル再登場できた……!

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