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 背中の傷がまだ完全に癒えていないため、車椅子に乗せられての移動である。エリカに涙ながらに見送られ、医療棟の建物の外へと初めて一歩足を踏み出したリコは、目の前に広がったあまりにも異様な光景に、思わず言葉を失って息を呑んだ。


 視界の至る所に、天を突くほどに巨大な「黒い外壁」が延々と連なり、周囲の広大な土地を完全に覆い尽くしている。これまでリコが「のどかな地方の医院」だと思い込んでいた場所は、膨大な軍事資源が蓄えられた、巨大な軍備施設の内部に置かれたほんの一部に過ぎなかったのだ。


「……ここ、まるで街っていうより、巨大な要塞だわ……」


「そうだ。よく分かっているじゃないか、要塞だよ」


 リコの車椅子を後ろから無愛想に押している、連行役の下級兵士が鼻で笑いながら言った。


「ここはデンバー領、カンオル地の要塞。いま俺たちがいるこのエリアは『第二のくるわ』と呼ばれる軍事区画さ」


「それなら……あそこに見える、あの大きな建物は?」


 リコが細い指を突き出し、遠くを指差した。

 視線の先には、まるで巨大な天然の岩山そのもののような、黒光りする不気味な城がそびえ立っていた。実際、それは周囲の高い岩山をそのまま力任せに切り出して造られた、超巨大な天然の石城であった。

 城の背後には、城が切り出された元となった、垂直に切り立った岩山の絶壁が屏風のようにそびえ立ち、一切の裏口からの侵入を拒んでいる。太陽の光を浴びて黒々と光り輝くその城の姿は、難攻不落という言葉を具現化したように堅牢であり、その城の周りにもさらに厳重な高壁が築かれていた。

「あれが『将軍府』だ。このデンバー領を統べるギラス将軍が住まう絶対の場所であり、同時にここ全体を統括する『第一の郭』さ。ここからは死角になって見えないが、第二の郭のさらに外側には、一般の町民や商人が住まう『第三の郭』が広がっている。だからな、お前みたいな小娘がどれほど知恵を絞ってここから逃げ出そうとしたところで、絶対に無駄だぞ。郭の門を通るたびに厳重な検問があるからな」


「あそこが……あの黒いお城が、ギラス将軍様の……将軍府……?」


 リコは呆然とその威容を見つめた。どうやら自分は、逃亡の果てに知らぬ間に当初の目的地であったデンバーの将軍府へと、すでに到着していたらしい。

 王都を出る前、アルフレート王は「北の将軍には私からあらかじめ裏で話しを通しておく」と言っていたらしい。ならば、あの城の中にいる王にさえ会うことができれば、この理不尽な泥棒扱いの誤解はすべて解け、保護してもらえるはずなのだ。


「ねえ、兵隊さん。なんとかして、私が今すぐあの将軍様に直接お会いする方法はないかしら?」


「馬鹿言え。お前みたいな怪しい身元の容疑者が、ギラス将軍に会えるわけないだろう。お目にかかれるのは、何ヶ月も前から謁見の許可を申請して認められた、一部のお偉方様や貴族様だけだ。ほら、余計なことを考えてないで、さっさと行くぞ」


「ええー。そんな融通の利かないこと言わずに、今ここで私をドロンと逃してくださいよう」


「うるさいなあ。そんな勝手なことしてみろ、今度は俺が上司からどんな処罰を受けるか分かったもんじゃないんだよ」


 どうやら、リコの連行を担当しているこの兵士は、根っからの悪人ではないようだった。彼は人の良さそうな苦笑いを浮かべると、軽くリコ頭を小突いた後、再び車椅子を押して薄暗い牢獄の入り口へと向かった。

 ジメジメとした石造りの独房へリコの身体を押し込み、手首の拘束を確認した後、その兵士は鉄格子の向こうから、少し同情するような目を向けた。


「おい、アリナ。明日からいよいよ本格的な尋問が始まるからな。今のうちにちゃんと口を開いて、本当のことを話す準備をしておけよ?明日やってくる本職の尋問官は……俺やあのアンジさんと違って、これっぽっちも優しくないからな。拷問だって辞さない冷酷な奴らだ」


 それだけ忠告を残すと、兵士は入り口に佇む牢番の兵士に短く挨拶をして、足早に去って行った。


 残された牢の中は、ひたすらに暗く、そして骨の髄まで凍みるほどに寒かった。

 木造と粗末な石材で造られた牢獄は、至る所が隙間だらけで、北方の冷たい夜風が容赦なく吹き込んできた。流石は北方の領土、これでも冬が明けた季節なのである。

 長く続く薄暗い廊下の先には、二人の屈強な牢番が、小さな机に腰掛けて暇そうに番をしていた。

 あてがわれた寝床には温かい布団など一枚もなく、ただ冷たい木の板が床に敷かれているだけだったが、リコは王都からの二十日以上に及ぶ過酷な野宿生活のおかげで、そんな硬い環境にもすっかり適応している。大して苦労することもなく、その夜は泥のように眠ることができた。


 翌朝には、具がほとんど入っていないわずかな野菜スープと硬いパンが出されたが、その貧相な食事内容も、王都で貧乏絵描き生活をしていた頃の日常とさほど変わらない。

 医院での、エリカの至れり尽くせりな手厚い扱いに比べれば、確かに雲泥の差かもしれない。けれど、リコは生まれつきのタフさで、「これはこれで、案外誰も私を狙ってこないし、静かで大丈夫かもしれないな」と、どこか気楽に、楽観的に考えていた。


 しかし、そんなリコの浅はかな安寧は、その日の昼下がりに一瞬で破られることになる。




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