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「違います!あのお金は、私が自分の力で……私が一生懸命に働いて稼いだ、私のものです!」


 大切な画業のプライドと、唯一の財産を「盗品」呼ばわりされた悔しさから、リコは恐怖を忘れて思わず大きな声を張り上げた。

 しかし、感情に任せて大声を出した代償はあまりにも大きかった。急激に動かした背中の傷口に、これまで以上の激しい痛みが走り、リコは言葉を失って絶叫した。


「ああっ……!!痛い……っ!」


「もう、いい加減になさい!尋問は今は絶対に無理ですと言っているでしょう!」


 部屋の中に、ピシャリと凛とした鋭い怒声が響き渡った。

 それまで後ろで控えていたエリカが、怒りで肩を震わせながら、大柄なアンジとリコのベッドの間に、自らの身体を投げ出すようにして割って入ったのだ。リコを背中に隠すように立つ彼女の姿は、今や神々しい本物の女神のようにも見える。


「これは看護師としての意見ではなく、医師の明確な診断です!意識が戻ったばかりの重病人に、これ以上そんな野暮で理不尽な尋問をなさるというなら、私にも考えがあります!明日一番に、将軍様の元へあなたの横暴を公式の苦情として申し立てますからね!」

 エリカの、普段の優しさからは想像もつかないほどの凄まじい剣幕に、さしもの「デンバー領一の剣豪」も気圧されたようだった。アンジは眉間のシワをさらに深く刻み、寝台の上のリコと、それを庇うエリカを交互に見つめた後、ふっと視線を落とした。


「……悪かった。私の行き過ぎだ」


 アンジは極めて低い声で一言だけ謝罪の言葉を口にすると、それ以上は何も語らず、豊かな黒髪を揺らして部屋から颯爽と出ていった。バタンと扉が閉まり、部屋にようやく静寂が戻る。


「アリナちゃん、大丈夫!?すぐに痛み止めの薬をだすから!」


 エリカは大慌てでサイドテーブルへ向かい、準備していた液体状の強い痛み止めをグラスに注いでリコの元へと持ってきてくれた。彼女の手は、怒りと看病の緊張で少し震えていた。


「さあ、少しこれを飲んで、今夜は何も考えずに眠るといいわ。あなたに今必要なのは、あんな男の尋問ではなく、心と身体の安静よ」


 リコの身体を優しく支えながら、耳元でそっと囁くエリカの声は温かく、優しい。

 リコは痛みに身体をガタガタと震わせながら、差し出された苦い薬液を一気に喉へと煽り込んだ。


 エリカが、リコの額の汗を丁寧に拭き部屋のランプの明かりを落として静かに部屋を出て行った後。

 静まり返った白い部屋の中で、薬の効果が回り始めるまでの間、リコは痛む背中を庇いながら、残された僅かな力で自分の膝を小さく抱え込んだ。

 ——どうして、こんなことになってしまったんだろう。

 ただ、大好きな絵を描いて、下町の人たちと笑って、少しずつ貯金をして暮らしていただけなのに。なぜ自分は今、こんな見知らぬ北方の最果ての地で、名前も身分も偽り、犯罪者の一味のように疑われながら怯えていなければならないのだろうか。

 ここには、自分の言葉を信じてくれる人は誰もいない。自分の本名を知っている人も、自分が描いたあの絵の価値を知っている人も、誰一人としていないのだ。

 ぼやけた視界の先、窓から差し込む冷たい月光が、あの夜、王都の事務室で自分の眼鏡を優しく外してくれたジルの、白銀の髪の輝きを思い出させた。

『あなたのことは、私が必ず守ります』

 あの時、私の目を真っ直ぐに見つめて、そう言ってくれたあの力強い言葉の残響が、今のリコの脳裏にひどく虚しく、切なく響き渡る。


「守ってくれるって、そう言ったじゃない……ジルさんの、嘘つき……」


 ポツリと、誰もいない真っ白な部屋の暗闇に向かって、弱音を吐き出した。




◇◆◆




「私には、あなたがそんな恐ろしい大罪を犯す悪人にはどうしても見えないんだけどなあ。ねえ、本当のことを教えて?あのお金、本当に誰かから盗んだりしたんじゃないの?」


 医療棟で数日間を共に過ごし、今ではすっかり気心の知れた仲になってしまった看護師のエリカが、リコの背中の矢傷の手当てを丁寧に施しながら、困ったように話しかけてきた。


「本当に違うんだってば!あれは泥棒なんかじゃなくて、私が自分で一生懸命働いて正当に得たお金ですー」


 リコはむっと不満そうに口を尖らせて抗議した。しかし、どれほど声高に無実を主張したところで、冷酷な現実は何一つ変わらない。

 リコの左腕には、ずっしりと重い頑丈な手錠がはめられており、その鎖の端はベッドサイドの太いアイアンフレームにがっちりと拘束されていた。寝返りを打つたび、あるいは手を少し動かすたびに、ジャラジャラ、ジャラジャラと、耳障りな金属音が静かな部屋に不気味に響き渡る。

 どうやら、アンジによるあの執拗な尋問の結果、リコに対する疑惑は晴れるどころか、完全に「逃亡中の凶悪な重犯罪者」としての扱いを決定づけられてしまったようだった。


「それならそうと、アンジさんにちゃんと言えばいいじゃない。アリナってば、アンジさんが部屋に尋問しにやってくるたび、貝みたいに貝殻を閉じて黙り込んじゃうんだから」


「……だって、それは言えない事情があるのよ」


 言えるはずがなかった。あの大金が、王都の高級住宅街で貴婦人の姿絵を描き上げた「絵描きの報酬(成果)」だと正直に話してしまえば、そこから芋づる式にリコという本名や素性が露わになってしまう。そうなれば、いつどこで王都の年寄衆の耳にリコの噂が届くかわからない。今度こそ言い逃れのできない本物の刺客が、この医療棟へあっという間に押し寄せてくるだろう。ジルの苦労を無駄にするわけにはいかないのだ。


「そんな頑な態度を続けていたら、今日の午後にはここを出されて、本物の牢屋行きよ?」


「うう、牢屋かあ……嫌だなあ……」


「本当に呑気なんだから。少しは自分の立場の危うさを自覚しなさいな」


 ここに運び込まれてから、早いものでしばらくの時間が過ぎていた。アオガヒイリの毒も医師の適切な治療によって完全に抜け、身体に目覚ましい回復の兆しが見え始めたため、ついに本日、医療棟から正式な「牢獄」へと身柄を移送されることになったのだ。残りの傷の治療は、薄暗い牢の中で引き続き行われるという。

 だけど、とリコは小さく息を吐いた。外の暗闇で正体不明の刺客に怯えながら逃げ回るくらいなら、いっそのこと分厚い石壁の牢屋の中に閉じ込められている方が、物理的には安全で安心かもしれない。ジルの安否も未だに分からず、連絡の取りようもない今、リコにはお上の命令に大人しく従う他、選択肢は残されていないのだ。

 そして宣告通り、午後になるとリコは問答無用で牢へと移送されることになった。







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