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16


 リコは鼻歌交じりに、豪奢な装飾が施された鉄製の門をくぐり抜けた。

 足取りは羽のように軽く、胸の中は達成感と高揚感で満たされている。それもそのはず、精魂込めて描き上げた一枚の絵を、注文主である貴婦人に無事納品することができたのだ。

 

 訪問したのは昼過ぎだったのだが、仕上がった絵を目にした奥方は大層喜び、リコの手を両手で包み込んで絶賛してくれた。その興奮冷めやらぬまま、気がつけば宮殿の晩餐会と見紛うばかりの豪華な夕食までご馳走になっていた。

 贅を尽くした料理の数々を思い出し、リコは思わず頬を緩める。特にあのジューシーな合鴨のローストに添えられた、甘酸っぱいベリーのソースは絶品だった。

 夢のような時間を過ごし、気がつけば周囲の日はとっぷりと暮れている。


「ふふん、ふーん、ふふん……」


 いつもの厳格な執事に、背中に刺さるようなジットリとした視線で見送られたことなど、今のリコにはどうでもよかった。

 鼻歌なんかを歌いながら、静まり返った夜道を軽快に歩き出す。これほど上機嫌なのは、ただお腹がいっぱいだからではない。鞄の奥深くに、しっかりと仕舞い込まれた報酬の重みを感じていたからだ。

 

 だが、その至福の時間は唐突に終わりを告げた。

 向こう側から、すっかり見慣れた白銀の髪が、夜の闇を切り裂くようにして走ってくることに気がついたからだ。息を切らし、軍服を乱したその男は、間違いなくジルだった。


「リコ!」


 緊迫した彼の声が夜の静寂に響く。しかし、まだおとぎ話の余韻の中にいるリコは、その表情の深刻さに気づくこともなく、のんびりと間の抜けた返事を返した。


「あ、ジルさーん!聞いてくださいよう。今日私、とっても良いことがあったんです!なんとなんと、私の長年の貯金がようやく目標額に……」


 しかし、リコは最後までその幸福な言葉を紡ぐことは出来なかった。

 凄まじい勢いで駆け寄ってきたジルは、挨拶もそこそこにリコの両肩を掴むと、ガクガクと前後に激しく揺さぶった。思考が強制的に停止する。なんなら少し、さっきお腹いっぱいに食べた至高の合鴨がお口からコンニチワしてきそうだ。


「まったく!こんな遅くまで一体全体どこに居たんですか!家にもいないし、馴染みの画材屋にも、いつもの市場にもいない……ほんっっっとうに、街中を必死で探し回ったんですよ!!!それが蓋を開けてみれば、フラフラとこんな高級住宅街を……!」


「な、何かご用ですかあ……」


 弱冠目が回って視界がぐにゃりと歪んだリコは、フラフラとする頭を手で押さえながら、消え入るような声でジルに尋ねた。

 一体全体、藪から棒にこの男は何なんだろう。リコにしてみれば、自分がどこの道をどう歩き回ろうが、それは完全に個人の自由であり、リコの勝手であるはずだ。ここまで怒鳴り散らされる筋合いはない。


「とにかく、一刻の猶予もありません。急いで城へ行きますよ。ああ、その前に一旦あなたの家へ寄って、例の絵を持ってこないと……」


 言いながら、ジルはリコの細い腕を強引に掴みグイグイと引っ張り始めた。

 リコはもつれた足でどうにか歩き出す。しかし、焦るジルがあまりにも大股で、そして容赦のない速さで歩くものだから、リコは歩調を合わせるために、ついに小走りにならざるを得なかった。


「城へ行くんですか?普段は私がちょびっと忍び込んだだけで、あんなに邪険に『二度と来るな』って城から追いだすくせに……」


「事情があるんです。ここでは人目があって話せません。家についたら、何が起きているのかすべての事情を説明しますから、お願いですから急いでください!」


 いつになく切羽詰まった、余裕の欠片もない様子のジル。その尋常ではない雰囲気に気圧され、リコはこれ以上の文句を言うのをやめ、黙って彼に従うことにした。

 それにしても、あんまり急いで走るものだから、昼間の大金が収納された自分の粗末な鞄が肩からユラユラと激しく揺さぶられている。走る衝撃で鞄の紐が切れやしないかとリコは気が気じゃなかった。

 よく見ると、ジルは仕事中なのだろうか、いつも城で見かける兵士の仕事着を着たままで、腰には儀礼用ではない本物のサーベルを帯剣している。それがジルのせかせかとした歩みに合わせて、不穏に揺れてはカチャカチャと金属音をたてていた。


 リコの表情にいよいよ隠しきれない疲れが滲み始め、息が上がりかけたころ、ようやく見慣れた二人の下町の家に帰り着いた。そこは高級住宅街とは対照的な、古びた木造の家屋が身を寄せ合う、薄暗い路地の一角だった。


「鍵を開けてください。早く」


「あ、はい」


 背後からジルの焦燥を含んだ声に催促されて、リコは大慌てで鞄の底を探り、使い古された真鍮製の鍵を取り出す。

 呼吸を整えながら、冷たい鍵をいつものように鍵穴に差し込もうとしたその時、リコの指先が妙な違和感を捉えた。カチリ、という手応えがない。


「あれ、鍵が開いてる……?」


 おかしいな、出かける時は確かに閉めたはずなのに。


 不思議に思い、何の警戒もなしに扉を押し開けた瞬間だった。背後にいたジルが、獣のような素早さでリコの襟元を掴み、力任せに後ろへと引き剥がした。

 予測不能の強い力に引っ張られ、リコは体勢を崩して外の冷たい地面に激しく尻餅をついた。お尻と腰に、ジンジンとした鈍い痛みが一気に広がる。


「痛っ……!」


 一体何をするのよ、と文句を言おうと顔をあげたリコの視界に、信じられない光景が飛び込んできた。

 半開きになった漆黒の玄関口から、冷酷な光を放つ抜き身の白刃が突き出されていたのだ。間一髪、ジルの引きがなければ、リコの胸はその刃に貫かれていただろう。続いて、ジルが瞬時に引き抜いたサーベルと敵の刃が正面から激突し、火花を散らしながら、金属が重なり合う音が夜空に甲高く響き渡った。


「っ……逃げなさい!!!!リコ!!!」


 鼓膜を震わせるジルの絶叫。

 何が起こったのか、リコはサッパリわからなかった。





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