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「そうか、ジル。拘置所でそなたが余りにも青い顔をしていたゆえ、労おうと呼んだのだ。そう固くなるでない。ただの雑談だ」


 王はカップに手を伸ばした。


「子供染みているかもしれんが、私はアップルティーが好きでな。政治の生臭さに疲れた時は、いつもこれを飲むのだ」


 そう言ってひと口啜る。王の口内にたちまち芳醇な香りが充満した。砂糖は無し、ストレートで香りを楽しむ。

 林檎の爽やかな酸味と茶葉の深い渋みが、王の張り詰めた神経をわずかに解きほぐしていく。一方、王の目の前に座る兵士はジッとカップを見つめたまま、何か思い詰めているようだった。ジルの心の中で、何らかの葛藤が激しく渦巻いているのが、その固く結ばれた唇から見て取れた。


「陛下、私はユーゲン兵長の元で報告書をまとめておりましたので、今回の件の経緯はおおよそ把握しております」


 王は兵士をジッと見た。灰色の瞳が真っ直ぐ見つめ返してくる。

 その瞳には、単なる恐怖を越えた、ある種の強い決意が宿っていた。一介の下級兵士が、王の前で事件の核心に触れるような発言をすること自体、本来であれば許されることではない。


「そうか。ならば、これが公に話せる性質のものでないことも分かっているであろうな」


 王が鋭い視線でジルを射る。暗に、それ以上は話すなと忠告をしたのだが、それでも兵士は視線を逸らさなかった。

 これ以上の深追いは、王にとっても、術策を弄する年寄衆にとっても、命取りになる可能性がある。しかし、ジルはその王の視線を受け止めながらも、さらに一歩踏み込んできた。


「陛下、今回のことでどうしてもお伝えしたい話があります」


「………よかろう。皆下がれ」


 王が合図をすると、御付きの者たちが一斉に退室する。

 ジルゼンが最後に部屋を出て、重厚な扉が静かに閉まり、部屋の中には完全な沈黙と、冷めかけのお茶の香りだけが残された。


「お人払いをいただき、ありがとうございます」


「かまわん、話せ。そなたが私に告げたいこととは何だ」


 白銀の髪の兵は少しだけ震えた声で話し始める。

 ジルの声はこの密室の中では驚くほど明瞭に響いた。彼は己の全存在を賭けるように、言葉を紡ぎ出す。


「先ほど処刑された者は、最期まで無実を主張しておりました」


「うむ、犯行時刻は中庭にいたと証言していたな。誰もいない場所にいたと」


「陛下にも上げた報告書にはこう書かれていたはずです。『ヘクセル殿下の講義のある、毎週水の曜日のその時間帯は、手が空くためこっそりと仕事を抜け出して中庭で猫と遊んでいた』と」


「そうだ。男はそう主張した。だが、それを裏付けるアリバイが無い」


「……そのアリバイが、立証できるかもしれません。男の言う通り、その様子を見ていた者がいるのです」


「なんと……!それはまことか!?」


 王は目を剥いた。と、同時にやるせ無い怒りが沸々と己の心に湧いてくるのを感じた。だがここで怒っても仕方がないと、努めて冷静に王は続けた。

 目撃者がいた。その事実が意味することはあまりにも大きかった。あの世話係を、彼を救う手立ては確かにこの世界のどこかに存在していたのだ。王の胸に、激しい後悔の念が突き刺さる。


「なぜ、その重要な事を早く話さなかった!処刑の前に私の元へ走る時間はあったはずだ!」


「陛下、どうかお許しください。私は処刑のあと、死体の処理で男の顔を見て、その時初めて気付いたのです」


「……どういうことだ。詳しく話せ」


 ジルは一度深く息を吸い、語り始めた。


「下町に、一風変わった絵描きの娘がおります。その娘は、北東の城壁の穴からしょっちゅう城に忍び込んでは、勝手に絵を描いているのです。先日、その者の家に行ったときに、私は中庭で男と猫が戯れている描きかけの絵を見ました。その絵に描かれていた男の顔と、先程処刑された男の顔が、全く同じだったのです。絵描きの娘は、その絵はまさに毒騒ぎのあった日の、あの時間帯の絵だとも申しておりました」


「なんと……」


 王は驚いた。その絵を無実の証拠としてあげることができれば、第一王子を守ることができる。さらには早計に処刑を進めた年寄衆を追及することも可能だ。

 形勢は一変した。年寄衆が作り上げた完璧な嘘の城壁に、決定的な亀裂が入ったのだ。その絵こそが、死んだ男の無念を晴らし、王宮の勢力図を塗り替えるための最大の武器になる。


「絵描きの娘は北東の城壁から忍び込んでおりますので、入城時刻の監視の記録もあります。当日私が上げた、彼女の侵入に関する報告書もあるでしょう。合わせて娘が描いた絵と証言もあれば、証拠は充分かと存じます」


「……そなたの直属の上官は、やはりユーゲンであったか?」


「はい。ユーゲン兵長の隊に属しております」


「ユーゲンには私から話しを通しておこう。そなたはこれより直ちに、その絵と絵描きの娘を安全な場所へ連れて参れ。よいか、けして他言してはならぬぞ。壁に耳があると思え」


「かしこまりました。命に代えましても」


 ジルはお茶を一気に飲み干すと、一礼をして下がって行く。

 彼の去り際は、先ほどまでの怯えが嘘のように迅速で、迷いがなかった。


 入れ替わって御付きの者たちがゾロゾロと部屋へ入ってくる。王はジルゼンを側に呼び寄せると、他には聞こえぬように囁いた。


「ユーゲン兵長をすぐに私の執務室へ呼べ。それから今回の件の、犯人の厨房への出入りを見たという証言をした者どもを、極秘裏に捕らえてこい。よいか、くれぐれも年寄衆には勘づかれるな。迅速に動け」


 ジルゼンは痙攣のような相槌を打った。そのまま静かに部屋を後にする姿は実に頼もしい。

 王が手元に視線を落とすと、お茶は既に冷めきっていた。




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