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「毒なんて、この城の厳重な体制なら、あらかた毒見の段階でバレるだろ?犯人も、本気で王子を暗殺やる気だったなら、もっと他に賢い手があるだろうによー」
ジルは早くも諦念の境地に至り、手元の別の仕事を片付けながら、冷淡な口調で答えた。
「……よっぽど、突発的で短絡的な犯行か。もしくは——バレることもすべて想定内でなんらかの犯行を進めたか、そのどちらかですね、きっと」
もし前者であれば、間抜けな犯人がボロを出して、あっという間に片がつくだろう。
だが、本当に厄介なのは、後者の場合だ。背後に巨大な組織や、他国の陰謀が渦巻いているケース。その場合、ジルたちの前に待ち受けているのは、行き詰まる捜査の連続と、底無しの残業地獄の日々である。
ジルはそっと身震いすると、これから始まる長い戦いから目を背けるように、目の前の書類にペンを走らせ続けた。
それから数日間、王城の執務室は、まるで戦場のような喧騒に包まれた。
ほどなくして、上層部から戻ってきたユーゲン兵長からの正式な指示が回ってきた。既に他の実働部隊の隊員たちは、寝る間も惜しんで城内の厨房や給仕、出入り業者の捜査に着手しているらしい。
案の定、ジルは現場の捜査ではなく、事務方の総責任者を任されることになった。
次から次へと上がってくる、膨大な捜査資料の整理。そして、現場の荒くれ者の隊員たちが、眠気と戦いながらミミズが這ったような汚い文字で書き殴った、支離滅裂な報告書を、美しく理路整然とした公文書にまとめ直す仕事が、ジルの両肩に容赦なくのしかかった。目元には瞬く間に、濃い死相のような隈が刻まれていく。
だが、事件発生から数日も経たないうちに、捜査は急展開を迎えた。
犯人の目星がついたのだ。ジルは、提出された最新の取り調べ報告書を整理しながら、その不自然さと、記載された名前にすぐ気がついた。
「兵長、失礼します。……本当に、この報告書にある人物が犯人なのですか?」
ジルが、清書したばかりの書類に記された人物名を指差して尋ねると、デスクの向こうで疲れたように座ってたユーゲン兵長は、苦虫を噛み潰したような難しい表情をして重々しく頷いた。
「厨房の裏口から、事件直前に不審な動きで出ていく人物を見たという、複数の目撃証言がそいつと完全に一致している。さらに調べたところ、犯行時刻にその者の明確なアリバイもない。……動機についても、色々と裏から出てきている状態だ」
「でも、この犯人って確か……」
ジルは、普段の冷静さを欠いて少し狼狽えた。犯人として挙げられている男の、個人身上資料のページをめくる。
兵長は眉間に深いシワを刻んだまま、静かに吐き出した煙の向こうで頷いた。
「ああ。お前の見間違いじゃない。……我が国の、第一王子の『筆頭世話係』を務めている男だ」
部屋の空気が、凍りついたように冷たくなる。
犯人とされている男は、単なる厨房の雇われ人などではなかった。この国の次期王位継承権を持つ、第一王子の最も近くに仕える忠臣だったのだ。
もし、この事実が公になればどうなるか。「我が国の第一王子が、王位継承のライバルである隣国の王子を、暗殺しようとした」などという噂が、まことしやかに流れ始めるのは火を見るより明らかだった。それが事実であろうと、仕組まれた冤罪であろうと、たちまち深刻な外交問題、ひいては国内の派閥闘争へと発展する。
不穏で、血生臭い空気が城内に流れることを確信したのか、兵長はさらに眉間のシワを深くし、軽く指をデスクに叩きつけた。
「すでにその男は、地下牢に捕縛されている。お前のところにも、じきに詳細な供述内容や証言があがってくるだろう。内容は、すぐに国王陛下へ直々に提出することになっている。資料とあわせて、いつでも陛下に出せるように、公式の報告書も急ぎでまとめておけ。頼んだぞ、ジル」
「……わかりました」
しかし、ジルの期待に反して、遂にその晩、地下牢からの決定的な供述証言が事務室にあがってくることは無かった。男は口が固いのか、あるいは裏でさらなる政治的な圧力が働いているのか、取り調べは難航しているようだった。
事件発生からほぼ不眠不休、城に泊まり込みで働き詰めていたジルの限界を察したのか、深夜、ユーゲン兵長はようやく彼の一時帰宅を許した。
「ジル、今日はもう兵舎へ帰れ」
ジルはフラフラとする足取りで上着を羽織り、深く一礼して執務室を後にした。
城の外に出ると、夜の冷気がジルの熱を持った頭を少しだけ冷やしてくれた。
宿舎へ向かうため、静まり返った夜の街路をぼんやりと歩き始めたジルだったが、数歩も歩かないうちにはたと足を止めた。
ジルの脳裏に、数日前に手錠をかけて捕まえた、あの向こう見ずな少女の顔が思い浮かぶ。
(……あの馬鹿は、今どうしているだろうか)
城内がこれほどまでに張り詰めた、危険な空気になっているとは露知らず、またのんきに「新作のインスピレーションが~」などと言って、明日にも城に忍び込もうとしているのではないか。もし、今この緊迫した状況の城内で、彼女が不審者として捕まりでもしたら——最悪の場合、今回の暗殺未遂事件の「共犯者」や「口封じのターゲット」として、闇から闇へと葬り去られかねない。
ジルはくるりと踵を返し、身体の重さも忘れて、別の慣れた道を急いだ。既に辺りは暗闇に包まれている時刻だがこれだけは、今すぐに伝えておかなければならなかった。




