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それは音もなく、しかし大気を裂く暴風のような速度で飛来した。一瞬の閃光のようなそれは迷いなく剣を振りかざす兵士の喉元に突き刺さる。
「……、」
凄まじい衝撃と共に、肉を貫く鈍い音が響いた。喉元に小刀が突き刺さった男は声もなく息絶える。
男の目が驚愕に見開かれ、そのまま糸が切れた人形のように砂利の上へと崩れ落ちた。
ハッとリコが視線をやると、そこには息を荒げ、形相を変えた一人の男の姿があった。
走り込んできたジルが躊躇いなく抜刀し、その勢いのままもう一人の兵士に向かって剣を薙ぎ払った。彼の纏う衛兵の鎧は泥と煤に汚れ、その目は怒りで爛々と輝いている。
横一線に閃いたその剣筋をかろうじて避けた兵士がリコのそばに体勢を崩して転がる。
「ま、待て!うああああああ」
静止しようと兵士が上げたその右手が、ジルの一振りであっという間に胴体から離断した。
凄まじい筋力と速度によって放たれた剛剣が、骨ごと腕を叩き切ったのだ。鮮血が中庭の枯れ草にぶちまけられ、右腕を無くした男がけたたましい声を出す。
それは人が発する限界の悲鳴だった。しかし、ジルは振り払ったその剣先を止めることなく、冷徹なまでの正確さで兵士の喉に突き立てた。
激しい叫び声が、ゴボリという血の音と共に途絶える。
あたりに、静寂が戻った。いや、遠くの戦音は続いているが、この狭い中庭だけが奇妙な空白に包まれていた。血の匂いが鼻を突く中、ジルは手荒く剣を振って血を払い、すぐにリコへと駆け寄った。
「ジルさん……!」
その姿を見てリコは、弾かれたようにジルに縋りついた。血の匂いが鼻につく。腕を回した鎧は酷く冷たく感じた。
ジルも膝をついて、壊れ物を扱うかのように、しかししっかりとリコを抱き止める。彼の大きな手が、リコの背中を小刻みに震えながら撫でた。
「リコ……!」
「一体どうなっているんですか?」
ジルの胸に顔を埋めたまま、わずかに震える声でリコは尋ねた。なぜ彼がここにいるのか、なぜ城がこれほど乱れているのか。
「アンジさんが率いるギラス将軍の軍が攻めてきているのです」
ジルの口から語られた言葉は、リコの理解を遥かに超えていた。あの、北の地で自分を護ってくれた護衛であるアンジが、軍勢を率いて王城を攻め立てているという事実。
まだイマイチ状況が理解できないリコの前に、もう一つの足音が近づき、ヒナが息を切らせて現れた。
「ジル!まったく、私を置いて行くなんて」
ジルに遅れをとったのか、走り込んできたヒナが恨めしげにジルを睨んでいる。その息は乱れ、大剣には新たな血がねっとりと付着していた。しかし、懐かしいその顔を見てリコは素直に喜んだ。奈落の底で、かつての仲間が揃ったのだ。
「ヒナさん……!一体なにが起こっているんですか?」
「説明は後です。早くここを離れましょう。他の兵がやってくる前に」
ヒナは周囲を油断なく警戒しながら促した。ペンバーの命令が下った以上、ここには次々と追手がかかるはずだ。ジルはリコの手を取ると外へ出た。
中庭の狭い路地を抜け、城の開けた大回廊へと出た瞬間、その外の様子にリコは絶句した。
かつて美しく整えられていた王城の庭園や回廊は、今や完全に地獄の戦場と化していた。王軍が防戦を強いられ城内へ撤退している。漆黒の鎧を纏った北方の兵たちが、怒涛の勢いで中央から突き進み、王都の兵を圧倒していた。
血飛沫が舞い、敵味方入り乱れて混迷していた。床の絨毯は引き裂かれ、壁の装飾は砕け散り、至る所に死体が転がっている。
「こっちへ!」
ジルがリコの手を引いて走る。正面から進軍してくる北方軍の波に巻き込まれないよう、ジルは走ってそばの厩舎の中へ隠れた。藁の匂いと馬たちの怯える鳴き声が響く薄暗い空間で、三人はようやく息を整えた。
「ジルさん、ヒナさん、これは一体……」
リコがつぶやくと、ジルは混乱する彼女を安心させるように、再びリコを強く抱きしめた。ジルの香りが鼻腔に広がる。泥と汗と、かすかに血の混じった、でも紛れもないジルの匂い。その温もりに、リコの張り詰めていた心がわずかに解ける。
だが、その安息を破るように、ヒナが真剣な面持ちで話し始めた。
「リコさん、よく聞いてください」
ヒナの瞳には、かつてない重い決意が宿っている。
「ギラス将軍が陛下を殺されたことに怒り旗をあげました。大罪人のペンバーを捕らえるのです。そして、王位を正統な者に継がせると」
「王位……」
「王位の次期継承者は、リコさん、あなたです」
「「……!?」」




