彼女の過去 中学三年、夏(後)
目を覚ます。空がいる。どうしようもないあたしを、受け止めてくれた大事な人が。
窓から茜色の光が差し込む。雨はもう、上がっていた。
布団にくるまり、寝顔を見る。体にはまだ、あたしのじゃない温もりが残っていた。
——ああ、好きだなぁ、この人のこと。
寝ている空にほんの少しだけキスをしてみる。今更ながら、それだけで顔が真っ赤になる。
ついさっきまで、もっと凄いことをしていたくせに。
目を覚ましたら、責任を取るって言うのかな。プロポーズじゃんそれって言って、あたしは笑顔ではいと答える。
嫌な気持ちは、和らいでいた。どこかで覚えた、ありきたりな台詞は——単純なあたしには効果覿面だったらしい。
でも、嘘をついてしまった。
大丈夫な日の数え方なんて、知らなかった。
妊娠したら、どうなるんだろう。
子供のころの約束みたいに、あたしと、空と、赤ちゃんの三人でどこかで暮らすのかな。
それはきっと、素敵なことだ。
仕事に行く空を、赤ちゃんを抱いて見送るんだ。家事はまだ、できないけれど。きっと覚えて、美味しいご飯を作ってみせる。
夕方になったら、空が帰って来るんだ。お疲れさまって言って、おかえりのキスをして。でも赤ちゃんが泣いちゃうから、二人でそれをあやしてさ。
空は、どんな仕事をするんだろうか。きっとなんだってこなせちゃうんだ。
だって空は、あたしのためなら、なんだってしてくれるから。
——あたし、は?
あたしはただ、待ってるだけなの? 中学校を出たばっかりで、ちゃんとした仕事なんてあるの?
怒られるのは、怒鳴られるのは、あたしじゃない。きっと空だ。空は同級生を妊娠させた男として、生涯白い目を向けられる。
その度にあたしが行って——何を、言ったらいいの?
あたしがして欲しいって言いましたって、自分から触れて回るのか。そんなことが許されるのか。
空が詰られ、責められ、耐えている間に……あたしは何ができるのか。
何も、ないんだ。
対等なんかじゃ、ない。あたしが引いてあげた小さな手は、あたしよりずっと大きくなっていた。拗ねてばかりの丸い背中は、あたしを全部背負えるぐらいに広くて。
生涯あたしを、背負い続ける。
目指していた学校も諦めて。これから見つける夢も捨てて。ただあたしのためだけに、毎日を過ごし続ける。
それは幸せなのかと——聞けない、聞けるわけがない。
だって空は、その通りだって答えるから。わかっているから。あたしが好きになった人は、そういう人だから。
あたしのために、全部を平気で捨てられる人。
人生で一度の修学旅行も、あたしと同じ高校に行く夢も。捨てた、捨てさせちゃったんだ。あたしが望んでいることを、全部全部叶えるために。醜い独占欲も、性に対する好奇心だって、全部全部、叶えてくれた。
——本当に最悪。
あの子の言った通りだった。あたしは本当に、最悪の女だったんだ。
——自分だけかわいそうって顔するくせに。
あたしが泣いたら、空が来て。全部から守ってくれる。
——いいことばっかり舞い込んで。
犠牲はずっと、あったんだ。あたしに舞い降りる幸運は、空の幸運が代償なんだ。
——死ねばよかったのに。
だめなんだ、あたしは。空の重荷にしかなれなくて。空の人生を奪うことしかできなくて。
手をつないで励ましあって、隣を歩いて行きたいのに。
できないんだ、あたしには。




