第三十一話 新人戦、最終日、決勝戦
「結構人いるんだなぁ」
「だな」
試合開始まで残り十分。選手たちはまだ入場していないが、会場は熱気に包まれていた。
「桜庭はやっぱりバスケ詳しいのか? 昔一緒にやってたとか」
「いや、全然。体育の知識ぐらいしかない」
もっともな藤の疑問に答える。バスケに詳しいか詳しくないかと聞かれたら、詳しくないが正しい。好きか嫌いかで聞かれたら……嫌い『だった』が正しいだろう。
「昔は嫌いだった」
「へぇ意外。恋人予定の幼馴染が熱中してるってのに」
むしろそれが理由だったりする。
「そりゃあ恋人予定の幼馴染が、たかがボールに取られたからな」
「あらやだ嫉妬深いタイプ」
わざとらしく答える藤と、顔も合わせず二人で笑う。
「嫌い『だった』ねぇ」
藤が人の言葉尻を捉える。
「相変わらずルールとか戦術とかはわからないけど」
インカレの決勝を何度も何度も解説されたが、いまいち頭に入ってこなかった。
「今は、好きだよ」
代わりに夢中な彼女の姿は、頭から消えて離れなかった。
「じゃあ桜庭は、気合入れて応援しないとな」
「……だな」
◇◇ ◇
歓声は聞こえない。先輩方の応援も、観客たちの声援も。今は全部、聞こえない。
加奈から渡されたボールの感触だけが、あたしの手の中にある。
点差は十二、まだ足りない。第三クォーター、残り時間は、今は忘れろ。
『あの時、死ねばよかったんだから』
声が聞こえる。あたし自身の心の声だ。こういう時に聞こえてくる、あたしの中の諦めの声。
——嫌だ。死にたくなんてない。大好きなこの場所にいつまでもいたいから。
構える。幼いころから、何度あのネットを揺らしてきただろうか。
高校一年の時はシュートの練習ばかりしていた。事故のせいだ。あの時の怪我は、あたしを走れなくさせた。それでも練習がしたくて、延々と繰り返したんだっけ。
大丈夫、今はもう痛くない。床を強く蹴って、相手を超えて高く飛ぶ。あの時、治療に専念できたから。右足はもう、普通の人と変わりはしない。傷跡はもうあたしの誇りだ。
遠回りだと思っていた。けれど今、ここにいる。この大きな舞台であたしは、いつものようにネットを揺らそうとしている。
『いい学校から推薦もらえて、毎日部屋に男呼んで。人生イージーモードじゃないですか』
いつかの言葉を思い出す。今はもう、相手の顔も覚えていない。
——だから、何?
今だって変わってない。赤大から推薦もらって、部屋には毎日空がいる。美味しいごはんだって、毎日作ってくれるんだから。大体人生の難易度なんて、他人なんかが決めてたまるか。
それがあたし。これがあたし。誰に何を言われたって、何一つあたしは変わらない。
『がんばれ、夏美』
声が聞こえる。あいつの声だけ、あたしに届く。それだけで確信できる。このシュートは、絶対に入るんだと。
同時に腕を振り上げる。ゴールから目を離さずに、真っすぐとシュートを放つ。
「よしっ」
ネットが揺れる。
歓声が聞こえる。先輩方の応援が、観客たちの声援が。ルールなんて知らないくせに、大声で叫ぶ空の声が。
目が合う。けれど手なんて振ってやらない。あたしを褒めてもらうのは、帰ってからって決めているから。
あたしはまだここにいる。あたしが望んだ場所にいる。だからもう、大丈夫。心配事なんてひとつもない。
点差は九、まだ足りない。第三クォーター、残り時間は、あと三分と三十五秒。
ちょっと負けてる、だから何?
取り戻したらいい。やり直したらいい。何度だって、諦めるまで。
そうだ、観客席の端っこで、『がんばれ』と叫ぶあいつとだって。
手をつないで励ましあって、隣を歩いて行きたいなら。
できるんだ、あたしには。
あたしはまだ、生きているから。
◆◆ ◆
テレビを見ながら冷凍チャーハンを食べる。夏美と別の日はこれぐらいがちょうどいい。きっと今頃打ち上げでもしているのだろう。死ぬほど悔しそうな顔をしながら。
「……ただいま」
と思っていたら玄関から落ち込んだ夏美の声が聞こえて来た。食事を中断し、急いで出迎える。
「おかえり、早かったな」
朝と同じ服装に、同じ持ち物。違うのは夏美の表情が、悔しさで歪んでいることぐらいだろうか。
「加奈にMVP取られたぁーーーーーーーーーっ!」
夏美の悔しさの原因は、大会のMVPに月城が選ばれたことだった。
「いや優勝しただろ!?」
「したよ!?」
「おめでとう」
「ありがとう!」
赤大女バスは、インカレに続き新人戦も優勝という快挙を成し遂げた。こと新人戦においては、夏美と月城の二人が優勝の立役者であったことは間違いない。
ないのだが、どちらか一人をMVPにとなった時に、選ばれたのは月城だった。本人はそれが死ぬほど悔しいらしい。
「ていうか空さぁ、あざみ先輩に自分のこと、あたしの彼氏って言ったでしょ」
「あのギャルの先輩?」
靴を脱ぎながら、夏美はそんなことを尋ねて来た。
「そう」
「そのせいで一次会の途中で追い出されちゃったんだから。はやくこじらせ直してこいって」
「なるほど」
夏美のあだ名は部内にかなり浸透しているようだ。
「で?」
「でって?」
白々しく夏美に聞き返される。追い出されたといっても、優勝の立役者が帰らない方法はいくらでもあっただろう。つまり一足早く帰宅した夏美の目的は。
「……こじらせ、直しに来た感じ?」
「まぁ、ね」
互いに視線を合わせられない。四六時中素直になるには、もう少し時間がかかりそうだ。
「シャワー浴びてきてもいい?」
「えっ」
その言い回しは、こう、来るものがあるといいますか。
「スケベ。そういう意味じゃないし」
夏美が暑そうにTシャツの胸元をぱたぱたと動かす。ああうん試合の後ですもんね。
「悪い、こじらせドスケベ男なんで」
「ふーん、だったら」
夏美はそのまま部屋に戻らず、脱衣所へと直行する。
「お似合いだね、あたしたち」




