第三十話 新人戦、最終日、朝
五月に入って、俺達の間に小さなルールが追加された。とはいえ難しいことじゃない。互いの予定をカレンダーに記入しておこう、というだけの話だ。
そして今日のカレンダーには、『新人戦最終日』と書かれてあった。
「おはよう夏美」
欠伸交じりの夏美が、寝室から出てくる。それを見て作っておいた味噌汁を再点火して温め直す。
「おはよう空。早いね」
「そりゃあね。先に食べる?」
「いつもありがとうございます」
豆腐とわかめの味噌汁を盛り、鮭と胡麻のおにぎりを二つ。それから玉子焼きとカットしたオレンジだ。
「「いただきます」」
皿に盛り、二人で食べる。夏美のリクエストで消化のいい炭水化物が中心だ。
「それで、お願いしたお弁当は……」
「三人分作っておいたよ。冷蔵庫に入れてあるから」
コンビニに寄って選ぶという時間すら惜しい、というので今日は昼食も用意しておいた。といっても朝と献立はほぼ一緒なので、手間としては大差ないが。
夏美と、月城。それと。
「……一人は試合に出ないけどな」
早瀬先輩の分である。なんでだよ。
「寝ている殺戮女帝を起こす訳にはいかないからね」
「もうすっかり定着したな、それ」
早瀬先輩は今やすっかり学内の有名人だ。学校側も彼女本人に加え、部へのサポートも増しているそうだ。同時に不名誉な二つ名も広まっているのだが。
「人にあだ名付けるのが好きな先輩がいるからね」
「夏美はのあだ名?」
「なつみん」
「意外とシンプルだな」
殺戮女帝と比べるとあまりにもあまりにも。
「あー……ミスった時に言われるあだ名はあるかな。つけたのは加奈だけど」
「絶対面白い奴だろ」
月城がつけた、という時点でもう面白い。
「言いたくない」
「じゃあ弁当は渡せないな」
夏美は味噌汁を飲み欲し、はぁとため息をついた。それからテレビをつけ見もしないニュースも流す。
「……こじらせドスケベ女」
味噌汁が咽る。どうやら俺の同居人はこじらせドスケベ女だったようだ。うんまぁ、言われてみたらその通りだな。
「絶対ミスできないな」
「そうですね」
テレビの電源を消し、卵焼きを平らげる。
「ごちそうさま。会場の場所はわかる?」
「藤と確認してから向かうよ。十二時半ぐらいがちょうどいいんだっけ?」
「昼休みがそれぐらいだからね。試合夕方からだから、待たせちゃうね」
「自由席だから他の試合でも見てるよ」
後から聞いたのだが、学内の応援席というものに入れるそうだ。しかし親御さんに混じって応援するのは敷居が高かろうと、自由席を提案してくれたそうだ。
「んー……まぁいいけど」
「何その気になるリアクション」
夏美はちょっと不満げな反応をする。
「ちょっと嫌かな、他の女を見てるみたいで」
あのねぇ。
「こじらせてますねぇ」
「こじらせてますからねぇ」
ふんと鼻を鳴らしてから、夏美が残りの朝食を平らげる。
「よし、ごちそうさま。シャワー浴びてくるから」
「洗濯もやっとく?」
「それはあたしの仕事だから。空も洗濯物あったら出しといてねーっ」
そう言って夏美は脱衣所へと消えていった。俺も朝食を終えたので、シンクに食器を持っていく。
「了解、掃除はこの後やっとくから」
「ごめんねーっ、来週はあたしやるから!」
シャワーを浴び終えた夏美がいつものジャージに着替え、玄関先で靴ひもを結び直す。大きなボストンバッグに百均で買った保冷バッグ。
「忘れ物ない?」
「うん、大丈夫。昨日の夜に全部チェックしたから」
ふぅと細く息を吐いてから、夏美がこっちに振り返る。
「……帰ったら、全部話すね」
「了解」
「それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
もう何度目かわからないやり取りを交わす。交わしたのだが、夏美はそこから動かない。
「……行ってきますって言ったんだけど?」
「行ってらっしゃいって言っただろ?」
「ちょっとは察してよ」
夏美は俺の肩を掴んで、小さくキスをしてくれた。ひと月ぶりぐらいだろうか。
「じゃ、今度こそ行ってくるから」
顔を赤くした夏美が、そのまま家を後にする。
——いや新婚のやり取りだろ、今の。
藤と合流し、公共のスポーツ施設へと向かった俺達。さて、ここで俺達は顔を合わせたくない人と待ち合わせ中なのだが。
「やあやあ! よく来てくれた弟たちよ!」
俺達をみつけた早瀬先輩が、満面の笑みで声をかけてきた。自然と視線が地面に落ちる。目を会わせたくないからだ。
「あっ人違いですチケットだけください」
「オレの家に姉はいません」
「冗談だよ」
絶対嘘だろ。ちょっと目を見てみるかあっ本気だこの人。
「キャプテンって色々忙しそうですけど、オレ達を出迎えてもよかったんですか?」
「まぁ試合に出る訳じゃないしな。それに」
藤の質問に肩を竦める早瀬先輩。それからチケットを二枚取り出し、俺達に手渡してくれた。
「今年は一二年生達に自分で決めさせるようにしたんだ。私のワンマンチームで終わらせたくないからな」
どうやらこの人は自分の将来だけではなく、部全体の成長も考えているらしい。
「考えているんですね、色々」
「姉さんって呼んでくれていいぞ」
「「絶対嫌です」」
藤と言葉が重なる。俺達の心は、今ひとつだ。
「早瀬ちゃ~ん!」
と、後ろから金髪の女性が走って来た。ギャルっぽい感じのする人だ。キャプテンをちゃんづけできるから、三年か四年のどちらかだろう。
「へぇ、この子が自慢の弟くん? どっち?」
「両方です」
「「両方違います」」
また藤と重なる。早瀬先輩が敬語を使ったので、このギャル先輩は四年生だろうか。
「でも朝のミーティングで言ってたよ? 今日は私の弟たちが見に来るから、負けたら絶対に許さないぞって」
「どうして平然と嘘をつけるんですか?」
ギャル先輩からの情報に思わず疑問を挟んでしまう。だが早瀬先輩はどこ吹く風と笑っている。
「全く困った弟たちだ。家にこんなに素敵な姉がいるのに、元祖アニメ研究会で女の子のばっかり眺めて」
「「なんで知ってるんですか?」」
誰か言ったか? 夏美か、月城か? いやあの二人に元祖と本家の違いなんてわからないだろう。つまり別ルートから俺達の情報を仕入れたのだ。こわい。
「でもさっきお弁当自慢してたよ?」
「それは俺が作りました。他の人に頼まれて」
他の人、と少し濁す。だがギャル先輩には通じないのか、ニヤニヤしながらこっちを見てくる。
「早瀬ちゃんの弟じゃないなら、一体君は誰の何なのかな~?」
「俺は」
一つ咳ばらいをしてから、ギャル先輩に真っすぐ向き合う。
「夏美の恋人です」
おお、と藤が声を漏らす。
「予定、ですけどね」
けれどこれぐらい、いいだろう? 少なくとも俺と夏美の宙ぶらりんな関係は、もうすぐ終わろうとしているのだから。
「そっかそっかぁ」
両手を組み、うんうんと頷くギャル先輩。
「あ」
して隣には、俺を弟だと思い込んでいる異常者がいるわけで。
「あっ、ああっ、寝取られっ、あっ、あ……」
ぶるぶると震えだす早瀬先輩。ギャル先輩は急いで早瀬先輩を羽交い絞めにして、そのまま後ろへ引きづっていく。
「はいはい仕事に戻りましょうか。自由席はあっちだからね~!」
うーん強い。俺も四年生になったら殺戮女帝呼ばわりされている後輩を羽交い絞めできるようになるだろうか。うん無理だな。
で、藤が俺の肩を叩いてくる。
「やるねぇ桜庭さん」
「……だろ?」




