第二十七話 ガールズ・トーク(前)
「これで隠し事はなし、だね」
熱くて飲めなかったお茶は、いつのまにか冷めていた。机に置かれたお寿司の数は、さっきと変わらない。
「そっか」
加奈があたしの手を握ってくれる。
「ありがと、私に話してくれて」
「うん」
「それからごめん、辛いこと思い出させて」
「ううん、もう大丈夫だから」
辛かった、本当に。あの時は本当に死んでしまいたかったから。その感情を、あたしが乗り越えるべき問題を——空に全部、押し付けたんだ。
「それで、さ。どうすればいいと思う? その……空とうまく行くには」
けれどあたしは、どうしようもなく彼が好きだ。もう一度幼馴染の先に行きたい。
「恋愛面は夏美の方が経験豊富なんですけどぉ?」
改めて言葉にされると、照れる。あの時のことは後悔している、後悔しているんだけど——ちょっと優越感に浸ってしまう。
「まさか出会った時から経験済みだったなんてね……夢にも思ってなかったわ。先越されたーとか、そういう次元じゃなかったわけだ」
「まぁ、はい」
「ところで、後学のために聞きたいんだけど」
「何?」
加奈が身を乗り出してくる。部屋に二人しかいないくせに、耳打ちで尋ねて来た。
「……やっぱり、気持ちいいものなの?」
「えぇ、それも言うの?」
「嘘ついたらカニももらっちゃう」
加奈のお箸があたしの分のカニを狙う。カニを差し出すか、正直に白状するか。
「……めちゃくちゃ気持ちよかった、です」
だってカニ、食べたかったし。
いや本当の本当に後悔している。そのことは嘘偽りない事実だ。けれどそういう感情面を全部棚上げして、空との初体験の時の快楽という一点にだけ絞ると——こう答えるしかない。
「今でも思い出したりする?」
「空と再会してからは、ほぼ、毎日……」
高校の時は、時々ぐらいだったと思う。けれど本人が部屋にいるのだから、『思い出すな』は無理がある。
「それで下着の中に手を伸ばし……」
「明日も朝練あるのにと思いつつ……」
ついつい三十分から一時間ぐらい……。
顔を上げる。加奈の表情に気づく。固まっている。
「え、冗談のつもりだたんだけど。本人隣にいるんだよね? 毎日!?」
「本人隣にいるから余計思い出すんだって! 毎日!」
この手が触ってくれたんだよね、とか。鼻の頭がちょっと当たってたんだよな、とか。あたしあれ舐めたんだよな……とか。ふとした瞬間に思い出してしまうのだ。毎日。
「うわーっ、よくそれバレないね」
黙る。
「かにかにかにかに~っ」
加奈のお箸がカニを狙う。
「……声デカいから抑えてくれって」
「声聞かれてたの!?」
ばんと机を加奈が叩く。
「言われてからは抑えてるよ!?」
「まだ止めてないの!?」
加奈が今まで見たことないぐらいに呆れている。あたしの赤裸々すぎる毎日は、親友にこういう顔をされるものだったらしい。
「えぇ……嫌じゃないの? もし聞き耳立ててたらどうするのさ」
想像してしまう。寝室で一人耽るあたし、扉の向こうに空がいる。空は目を閉じあたしの声を聞き逃さまいと集中している。
どうするかと問われたら。
「……興奮する」
この答えしかないわけでして。絶対マグロより顔赤いでしょ。もしくはサーモン並みにピンク。それは脳の中のほうか。
「はいカニ没収~っ」
カニが加奈の口に運ばれる。水曜から食べたかったカニが、加奈の胃袋に収まってしまう。
「えぇー……!? 正直に話したのに」
「これはね、こんなこじらせドスケベ女と新人戦を乗り越えなきゃいけない私に対するご褒美なの」
「こじらせドスケベ女……」
反論したい。したいけれど、何一つ反論できる材料がない。そっかあたし、こじらせドスケベ女だったんだ……。
「……まぁその時にさ、夏美が考えてたこともわかるよ」
「そっか」
加奈には話して、空には話していないことが一つだけある。どうして初体験のあとに、あたしは空と会わなくなったのか。その理由だけは、加奈の方がよくわかると思ったから。
「だからといって、三年半音信不通はどうかと思うけどね。高校の時に一回でも連絡していたら、ここまでこじれてなかったんだからね?」
「はい……」
それは、本当にそう。高校の時に一回でも勇気を出していたら、少なくともルームシェアは……初日から『同棲』だっただろう。
「それで、話を聞いてて思ったんだけど」
「うん」
んーと少し考えてから、加奈が結論を出してくれる。
「二人は今、やり直してるんだなーって。中学生をさ」
「そう、かな」
「水曜に博物館デートしておいて?」
「あー……そう、ですね、はい」
博物館という選択肢は、空があの時行けなかったからと思って提案した。けれど本当のところは……あたしが望んでいたんだ。
事故のせいで行けなかった、二人の修学旅行に。
「今のは玉子で許してあげるね」
玉子が取られる。結構好きなネタなんだけどな、それ。
「んで新人戦は出れなかった中体連。だから優勝したいんでしょ」
「そう、かも」
高校の部活に未練はない。最後の最後にしてライバルを倒して、佐伯監督に全国の景色を見せてあげられた。二回戦で負けちゃったけれど、それでも悔いはないと思える。
だから悔いがあるのは……やっぱり中学校の時だ。
「掛け違えたボタンをさ、一つずつはめ直している感じ。でも怖いんでしょ? 最後のボタンの時に、一つズレたせいで間違えてたって気づくのが」
経験がある。寝ぼけてブラウスを着ていたら、第一ボタンが留まらなくてまたやり直しになったことが。
一緒に暮らして、買い物して、キスをして、デートして。ここまで一つづつ、二人で上手くやって来た。だから今、あたし達は最後のボタンの手前にいる。
中学の時に間違って留めてしまった、最後に留めるべきボタンに。もしそれが間違っていたら——今日までが台無しになる。
それが怖んだ、あたしは。




