彼女の過去 中学三年、夏(中)
「ねぇ聞いた? 夏美先輩学校戻って来たんだって」
部室の中から声がする。二年生達の声だ。あたしの組んだ練習メニューに文句も言わず付き合ってくれた。
なのに胸がざわついたのは、心のどこかで気づいていたのだろう。
「——ああ、あいつ? 本当にウザかったよね」
あたしは、嫌われていたんだって。
「ウザいだけならまだマシだけどさぁ、萩女子から推薦もらったんだって。バスケで」
あたしの話が聞こえる。
「うっわ自分だけ? 私ら引き立て役じゃん、それ」
「最悪だよね、散々ウチらを走らせておいて、自分だけいいとこ行くのさぁ」
あたしを先輩と慕っていた声が、楽しそうにあたしの話をしている。
「萎えるわー、本当に。てか萩女子、付属中学もあるお嬢様学校じゃん」
「ほら、あいつの家金持ってるから」
「いやいや、金持ちなら最初からそっち行けって。誰もお前とバスケしたくなかったっての」
はははと笑い声が聞こえる。
「ていうかなんで公立中なんて来てんの?」
「あの人でしょ、桜庭先輩」
違うのに、そんな理由じゃないのに。
「何かあったら空、空ーって。マジでないわーって感じ」
「桜庭先輩さぁ、毎日あいつのとこに行ってたらしいよ。普通遠慮しない? 受験生だよ?」
「あれでしょいつもの、幼馴染だからーって」
動けない。どうしてだろう、あたしはもう歩けるはずなのに。
逃げなきゃ、逃げなきゃ逃げなきゃ。ここはあたしの居場所じゃなかったんだ。そう思っていたのはあたしだけで、勘違いしてたんだ。
ここでやることなんて、何も残っていなかったんだ。
「あ」
扉が開ける。二年生達が一瞬だけばつの悪そうな顔をした。けれどすぐに、あたしをあざ笑う——見たことのない、さっきまでの表情になった。
「夏美先輩、聞いてましたぁ?」
「おめでとうございまーす、萩女子推薦もらえて」
「自慢でもしにきたんですかぁ?」
「違、そんなんじゃ」
「ちょっと泣いてるんだけどーっ」
ゲラゲラと後輩達が笑い出す。
「何が違うんですか?」
「あたじが、呼んだんじゃ、ないっ、がら」
声が震えて、涙が流れる。怖かった。人から悪意に晒されたのは、これが初めてだったから。
「出た出たーっ」
「いつもみたいに呼んだらどうですか? きっとぉ、助けに来てくれますよぉ?」
「あいづは、がんげい、ないっ」
「あいつだって、ウケるわ~。彼女気取りですかーっ?」
ひとしきり笑い終えたあと、一人の後輩が前に出た。一緒にランニングして、日が沈むまで練習して、一番慕ってくれてると、勘違いしていた後輩が——あたしを突き飛ばした。
「やめ、でよ」
ガチガチと歯が鳴る音が、頭の中に響いた。それなのに、あたしを見下ろす彼女の声ははっきりと耳に響いた。
「ねぇ夏美先輩、車に轢かれてよかったですね」
笑顔で彼女が、そう言った。
「いい学校から推薦もらえて、毎日部屋に男呼んで。人生イージーモードじゃないですか」
否定したかった。だけど、真実だった。
「本当最悪。自分だけかわいそうって顔するくせに、いいことばっかり舞い込んで」
だから。
「——死ねばよかったのに」
その一言が、まだ。
耳の奥で、ずっと響いているんだ。




