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第十九話 エンドロールが終わるまでは

「……あたし、寝てた?」


 膝の上で、夏美がもぞもぞと動き始める。


「三十分ぐらいな。今クライマックス。多分」

「面白くなった?」

「全然」


 上映開始からほぼ一時間。画面に映る派手な映像。だけど大人となった今では、物語の粗や棒読みばかりが気になる。


「子供のころはさ、今よりもっと素直だったよね」

「だな」


 夏美も同じ感想だったのだろう。一番盛り上がるはずのシーンなのに、まったく楽しくなさそうだ。


「色々あったからな」

「お互い意地っ張りだしね」


 否定できない。


「ねぇ空」

「ん?」


 見下ろすと、夏美の顔があった。


「ちょっとだけさ、素直にならない? ……映画、終わるまででいいから」

「そうするか」


 色々あった。けれど今だけは、映画館にいたころのような気持ちで。


「ポップコーン食べたい」

「食べたら?」

「食べさせてよ」


 袋からポップコーンを一粒とって、夏美の口に運ぶ。唇が指先に触れないよう、恐る恐る。


「……この間は、ありがと。学食で」

「ナンパのやつ? 大したことしてないよ」

「そっちじゃなくて」


 夏美は一回目を閉じてから、俺の目を真っすぐと見つめて。


「……可愛いって言ってくれた。嬉しかった」


 ……素直過ぎやしないだろうか。


「空も食べる?」


 小さく頷く。夏美もポップコーンを一粒取る。口を開いてみせれたら、指先で投げて放り込む。


「よし、スリーポイント成功」


 塩味のはずなのに、やけに甘い自覚があった。


 映画の終わりが近づいていく。安っぽい大団円で、何も解決してないんじゃないかって思う。だけど仮初の幸福に浸りたくなる気分は、嫌というほどわかる。


「夏美は大学楽しい?」

「充実してるよ、おかげさまで。ご飯毎日ありがとね」


 照れて悪態をつきたくなるが、今は素直に感謝を受け取る。


「空は?」

「そうだなぁ」


 入学式から一週間。


「授業はまだよくわからないけど、話せる奴もできたし、サークルの会長もいい人だったし」


 素直に思う。俺の大学生活は、願った以上に悪くないんだなと。


「家に帰ると夏美がいて、こうやって映画を見てさ」


 悪くない。何一つだって悪くない。はずなのに。


「……なんで」


 俺の素直な感情は、夏美の頬に涙を落した。


「なんであの時、出て行ったんだよ」


 情けない、格好悪い。


「もう会えないって、会っちゃいけないんだって」


 だけど、無理なんだ。まだ俺は、あの日から前に進めないんだ。


「ずっと、思ってたんだぞ、俺」


 夏美の顔がすぐそばにある。触れられる距離にいる。押し倒せる状況にある。過ちがあったとしても——責任を取れる年齢になった。


 それなのに。


「動けないんだ、あの日から。このまま触れたら、またどこかへ行くような気がして」


 わからないんだ。こんなにも近い俺達の距離が。


「教えて、くれよ」


 夏美の指が涙を拭ってくれる。それだけで胸の鼓動が鎮まっていく。


「……もうちょっとだけ」


 夏美の瞳が潤み始める。


「もうちょっとだけ、待って欲しい。映画終わったら……また素直じゃなくなるから」


 震える指先で、彼女の涙を拭いたくなる。


「そしたらまた、気持ちの整理ができなくなるから」


 同じ顔をして、互いに向き合う。ぐしゃぐしゃの泣き顔で、いつかの痛みと向き合いたくて。


「ごめんね、あたし意地っ張りで」

「……いつか、ちゃんと話してくれるか?」

「うん。約束するから」


 約束。いつ以来だろうか、そんなことを二人でするのは。


「だったら、待つよ」

「ありがと」


 主題歌が流れ、エンドロールが始まった。二人だけの素直な時間は。


「映画、終わっちゃったね。子供向けだから短いのかな」

「エンドロールが終わるまでが映画だろ?」


 まだ、ほんの少しあったから。


「だね」


 夏美の右手を掴むと、彼女が指を絡めて来た。それから、どちらからなんてわからないけど。


 互いの唇が、触れた。幼い日の約束を確かめ合うように。


「やっぱりあたしは空のこと、大好きだ」


 ぐしゃぐしゃの笑顔で笑いあう。


「誰にも渡したく、ない」






 さて。さてさてさてさて。


 とある男女が、映画を見ながらキスをした。しかも一つ屋根の下に住んでおり、一度だけだが男女の関係にあったものだ。


 ここで問題だ。難問だ。大学入試より難しい。その晩男はどうしただろうか?


 一番、そのまま押し倒して再び結ばれた。


 二番、結局押し倒せなかったので、部屋に戻って覚えたての猿みたいに耽った。


 三番、隕石が落ちて地球が滅亡した。


 正解は——。


「おはよ」


 部屋から出てくる夏美。昨日のことは置いて来たかのように、すっきりとした顔をしている——さぞすっきりしたでしょうとも。


「おはよう。今日も朝練?」


 リビングのソファに座る俺。またエンドロールが流れているが、今度は面白かった。まさか怪物の正体が、あれのあれであれだったとは。Ⅱは少し難しかったが、シリーズ通して面白かったな。


「今日は昼から。てか何、徹夜でアニメみてたの?」


 正解は、四番。徹夜でアニメを見続けた、でした。ふざけんなよマジで。


「……寝れなかったからな、昨日は」

「あたしは寝れたけどな」


 理由がある。もちろんそこで勝ち誇った顔をしている女だ。


「ところで夏美、お願いがあるんだけど……いいかな」


 さて問題です。その晩女は以下略。


「な、何よ改まって」


 正解は。


「声、もうちょい抑えて欲しい」

「声?」

「……オナ」


 ——二番だ。


「はあああああああああああっ!? してない、していないからそんなの!?」

「人の名前何度も呼ぶなよ……」


 昨日は本当にヤバかった。寝ようと思って布団に入ったら、隣の部屋から声が聞こえて来た。しかも名前呼びのおまけつき。


 あのですね、夏美さん。一緒に暮らしてるんですよ俺達。と言いたくなっても、扉を開けてはならない。そういうルールを二人で決めたから。


「呼んでない、呼んでないから!」


 この女嘘ついてやがるぜ。


「ああああああ朝練あったんだあたしあああ朝ごはんいらないわああああああ」


 そして急いで部屋に戻る夏美。大学生活が始まって、最初に迎える日曜日の朝だけど。


「いやーほんと」


 視線を下に向けると、俺の本能担当が『押し倒す準備は整っております』と主張してくるから。


「待てんのかよ、俺は」


 まぁけれど、待ちきれないなら……ちょっとはこっちが前身してもいいんじゃないか? いや、もちろん押し倒したりはしないけれど。


 例えばそう、ちゃんとしたデートに誘ってみるとか。いい機会があったら、だけど。

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