彼女の過去 幼稚園年少、夏
幼いころから、空はあたしの家で過ごすことが多かった。空の両親は共働きで帰りが遅く、母同士が親友だったからだ。幸いうちの家は広く、ママも子供が好きだったため、いつしかそれが当たり前だと思っていた。
だから空は、あたしの弟だと本気で思っていた。あたしが手を引いて上げないといけない、世話の焼ける弟。
けれど、その弟は……どういう訳か、夕方になると知らない誰かに連れていかれるのだ。それが空の母だというのは、三歳のあたしにはまだよくわかっていなかった。
「どうして空、いなくなるの……?」
空を見送った玄関で、あたしはママに泣きついていた。
「それはねー、夏美。空くんは、たかちゃんの家の子だからよー?」
ママはあたしにもわかるように説明してくれた。だからその時、思い切り泣いたのを覚えている。
「やだ! ずっと空といっしょがいい! 空はあたしと、ここで暮らすの!」
「それはねー、できない……」
困ったようにママが笑ったのを覚えている。
「こともない、わね」
それからすぐに、何か思いついたような顔をしたのも。
「あのねー、空くんとー一緒に暮らす方法がねー?」
今にして思えば、ママにとって空はほとんど息子のようなものだったのだろう。もしかしたら、今でもそうかもしれないけれど。
「ひとつだけあるって言ったら……どうする?」
だから娘に……あんなことを、吹き込んだのだ。
次の日。幼稚園の後に家でままごとをしていたあたしは、最高にご機嫌だった。
「にひひひひ」
「なんだよ、夏美」
呼び方が違う、と諫める。
「夏美じゃなくて、ママ! 空がパパ! この子が赤ちゃん!」
あたしと空と、お気に入りのぬいぐるみを順番に指をさす。
「……ママ」
「はーい!」
満足したあたしは、空に抱きついて頬ずりする。空は迷惑そうな顔を……していなかったと思いたい。
「あたし、大きくなったら……空とふうふになってあげるね? おままごとじゃなくて」
そう、結婚。それがママがあたしに教えた、空とずっと一緒にいられる方法だった。
「そしたらうちで、いっしょにくらせるから!」
あたしは夢見ていた。今も見ているかもしれない。
「ママのあたしと、パパの空、それから赤ちゃんの、さんにんで!」
幸せな家庭を、空と築くことを。
「……しょうこは?」
空はそれを信じていなかった。後から知ったが、空はよく両親に約束を破られていたからだ。休日に遊びに行く約束を、誕生日にケーキを買ってくれる約束を、親子三人でどこかに外食に行く約束を。
忙しかったんだと今ならわかる。けれど子供にとって、全てを疑うに足りる出来事だった。
「しょうこがないと、しんじられない」
「もう、しょうがないなぁ」
それをあたしは、どこで知ったのだろうか。両親がしていたからか、それともアニメで見たのだろうか。
わからない。だけど、わかっていた。結婚の証拠とは、互いの唇をあわせることだと。
だから、ファーストキスを彼とかわして。
「えへへ」
あたしが映った、空の瞳をまっすぐと見つめて。
「大人になったら、結婚しようね!」
いつか果たしたい、未来の約束をした。




