第二話 ルームシェアは突然に
リビングで大人しく夏美の着替えを待っていた俺。
「正座」
ソファに座っている俺を見るなり、夏美が冷たく命令してきた。なので、ソファの上に正座する。
「じゃなくて、床」
「はい」
ソファから下り、カーペットの上に正座する。夏美はため息をついてから、食卓テーブルの椅子に腰を掛けた。
「で、なんで空があたしのマンションにいるのよ」
「え? 夏美の家?」
いや俺が借りた家だろここは、という言葉をこらえる。不機嫌な時の夏美には逆らわない方がいい——幼稚園からの教訓だ。
「……正確にはママのだけど」
「あぁ、おばさんの」
夏美のおばさんを思い出す。夏美はキツい態度や物言いをする性格だが、おばさんは真逆だ。ふわふわとかポワポワとか、そういう擬音がよく似合う。
ちなみに母さんとは高校のクラスメイトで、昔から仲良しで——。
「あれ?」
「何よ」
母さんは言った、知り合いから借りていると。その知り合いってもしかして、いやもしかしなくても。
「このマンションって、もしかして投資用だった?」
「どうして空がそんな話知ってるのよ」
——一番大事な情報が抜けてるじゃないか。
ここ夏美のおばさんのマンションなの? 夏美から離れようとして上京したのに、逆に懐に入ったの?
「母さんがさ、知り合いから格安でこのマンション借りたって……俺、春から東京の大学に通うから」
今度は夏美が首を捻る番だった。雑に頭を掻く彼女を見て、俺は思い出す。
……夏美のおばさんも肝心なところで抜けてる人だったな、と。
「……ちなみに大学ってどこ?」
「赤崎大学」
「えっ? あたしもなんだけど」
「嘘だろそんなに頭良くないだろ」
「うっさい。ていうか勉強以外でも入る方法あるし」
「……推薦?」
「スポーツ推薦」
くそっ、その手があったか。俺は内申点も微妙で使えなかったが夏美は別だ。聞かなくたってもわかるぞ、絶対バスケだ。そもそもこいつは高校だってバスケで推薦もらったんだ。
「……ちょっと待って。ママの知り合いの子供の赤崎大の新入生って、もしかしてあんたのこと?」
「何その『の』が多い新入生」
「いいから」
「あー……おそらく?」
首を捻って答えるが、質問の意図がわからない。
「あたし、ママから言われてたんだよね」
「何て?」
「マンションにあたし一人を住まわせるのはもったいないから、『ママの知り合いの子供の赤崎大の新入生』とルームシェアしなさいって。家賃はその知り合いからもらって、仕送りに充てるって」
「へぇー……」
おばさんの口調を不意に思い出す。あのねー夏美? ママのー知り合いのー子供のーみたいな風に言ったんだろう。ポワポワしながら。
「ルーム、シェア……?」
聞いてない単語が出て来たぞ。一人暮らしじゃないのか俺。母さん言ってたか?
「ママに電話していい?」
「是非そうしてくれ」
夏美はスマホを取り出し、おばさんへと連絡する。ありがたいことに、電話はすぐに繋がった。
「もしもしママ? なんかうちに空が……はぁ!? サプライズゥ!?」
思わずその場で咽てしまう。じゃあ四年間幼馴染と暮らしてね、はサプライズの域を超えているだろうに。
「いやだから! 勝手に決め……いや……そんなに……バイトできない」
夏美は語気を強めておばさんに抗議する。だが途中から、明らかにテンションが下がっていく。
「ここの家賃、えっ、そんなにするの!? いや、お金は……確かに……そう、だけど」
子供を黙らせる方法が、親にはある。そう金の話だ。具体的な金の話をされた俺達に、反論は許されない。
「けど、空は男だし! いや、それは小さいころの話で……」
あともう一つあった。記憶がないぐらい幼いのころの話だ。
「…………わかった、空に替わる」
すっかり意気消沈した夏美は俺にスマホを差し出してきた。
『もしもし空くん元気だったー?』
「お、お久しぶりです」
記憶の通りの間延びした声が響くので、思わず虚空に頭を下げる。
『もう畏まらなくていいのにー。たかちゃんもー』
俺の母さんね。
『このことは了承済みだから、気にしないでね~』
「は、はぁ……」
まぁ母さんに『夏美とルームシェアするんだけど?』て言っても『よかったわね』って返ってくるだけだろうけども。
『空くんはー夏美と暮らすのは……嫌?』
圧を、圧を感じる。知らなかった、のんびりとした喋り方でプレッシャーを放てるなんて。
「あ、えっと、その……夏美が、嫌じゃなかったら、的な」
しどろもどろになりながらも、探り探りな言葉を返す。一応正解を引けたのか、電話口からは満足そうな『うんうん』という言葉が聞こえた。
『じゃあー解決ねー♪ 夏美に替わってー?』
「はい……」
スマホを夏美に返す。お互い疲弊したのか、受け渡す手が震えていた。
「うん、わかった、わかった……うん、じゃあ……いいよ送らなくて、え、わざわざスピーカー? いいけど……」
ぐったりした顔で夏美がスマホを操作する。
『もしもし空くんー? こっちから送って欲しいものってあるー? お菓子とかーお洋服とかー入学祝いってことで、買ってあげてもいいんだよー?』
間延びしたおばさんの声が響く。でも娘の心配しているんだな、というのはわかった。
「そこまでお世話になるわけにはいかないですよ」
それに気づいたのか、夏美も疲れた顔で微笑みを浮かべる。きっと俺も同じ表情をしていただろう。
いきなり始まったルームシェア生活だけど。
こんな風に同じ表情をできるなら、何とかなりそうな気がして来た——。
『あっ! コンドーム送らなきゃ!』
——突然何を言い出したんだこの人?
「つ、使うわけないでしょ! そんなもの!」
顔を真っ赤にして反論する夏美。でもその言い草は別の意味になるんじゃないか。
『えっ避妊なし!? ってことは孫産んでくれるのね!? ママ嬉しい……!』
ほらぁ。というかおばさん正気か? それでいいのか?
「そういう意味じゃなくて……!」
『あー楽しかったー』
最後に感想を言い残して、おばさんは電話を切った。ツー、ツーと虚しい音が響く。気まずい俺達だけが残される。
というか『楽しかった』って言ったこの人? 実の娘にしていい冗談超えているだろ……ということは、冗談じゃないのか? 夏美は……眉間に皺寄せてスマホを睨んでいる。それはそうだ。
「……何よ」
俺の視線に気づいた夏美が悪態をつく。
「いや、娘にしていい冗談じゃないなって」
「だよねぇ」
はははと乾いた笑いが響く。少しだけ気の抜けた表情は、昔に戻ったように思えた。
「まぁ、あの時だって避妊しなかったし」
「そっちが安全日だって」
何気ない幼馴染との会話——どこがだよ。
お互い顔を背けたのは、話題選びに失敗したからだ。おばさんが余計なことを言ったせいだ。だめだ、絶対俺達の顔真っ赤だ。
「……不本意ながら、あんたと暮らすしか選択肢がないわけだけど」
「こっちも似たようなものだな」
顔を背けたまま、ようやく本題へと戻る。俺達に許されたのは、このマンションでの気まずいルームシェア生活だけで。
夏美は椅子から立ち上がり、まだ正座中の俺の前に立った。それから赤い顔のまま、右手を前に差し出してくれた。
「とりあえず、よろしく」
だから俺も握り返——
「の前に」
そうとしたんだけど空を切る。
「共同生活における、ルールが必要だと思わない?」




