第一話 三年半と少しぶり
中学三年生の夏、幼馴染と初めて結ばれた。
大好きな相手だった。これから先、ずっと大切にしようと思った。いつまでも隣にいてくれると信じていた。
だけど。
「あのさ、あたし達……しばらく会うのやめよっか。高校も別になるし、さ」
先に着替え終えた彼女は、背を向けてそう言った。
「だいたいさ、幼馴染ってだけで一緒にいるのが変だったんだよ。迷惑だったでしょ? あたしと夫婦だーって揶揄われたりして」
そんなことは、ない。もっと一緒にいたいんだ。
なぁ、俺は——。
「……さよなら、空。元気でね」
あの時伝えられなかった言葉は、まだ。
三年半と少し経った今も、胸の奥にこびりついている。
◆◆ ◆
『どう空、駅ついた? 東京は天気いいの?』
「暑いし人多すぎ……この辺は住宅街って感じで静かだけど」
地元から新幹線で数時間、そこからさらにナントカ線とウンタラ線を乗り継いで一時間弱。三月の半ば、地元より暑い知らない街を一人で歩く。
俺は今朝の約束の通り、指定された駅で母に電話をかけていた。
『文句言わないの。あんたが東京の大学に行きたいって言ったんじゃない』
聞いてきたのはそっちだろ、と言いかけたが止めた。学費に加えて生活費まで出してもらう俺には、発言権などないのだから。
『あ、そろそろ母さん仕事に戻るから。マンション綺麗に使いなさいよ? 破格なんだからね、2LDK家具家電つきをあんなに安く借りられるなんて。向こうのご厚意に甘えているのよ、こっちは』
「わかってるって、そう何度も言われなくたって」
ツー、ツーと虚しい音が木霊する。ため息をついてから、スマホの地図アプリを再び立ち上げる。
母さんの言葉は一方的だったが、正しい。高校のころの俺はひたすら勉強していた。結果として悪くない私立大学に現役合格したのだが……東京の私立だけあって家賃も学費もかなり高い。
という話を母さんが知り合いにしたところ、知り合いが所有しているマンションの一室を格安で借りられることになった、という訳だ。大学まで電車で一本と好立地だ。
前の住人が急遽退去して、時期が悪く借り手が見つからず……みたいなことを一方的に言っていたが、その辺りは俺が気にすることでもないだろう。
『目的地に到着しました。お疲れ様でした』
アプリが到着を教えてくれる。俺より年上だろう古めのマンションだ。赤茶色の壁から年季を感じるが、結構キレイに見える。
預かった鍵は……よし、ポケットに入っている。いつの間にかニヤつく自分に気づき、口を手で覆ってしまう。
嬉しいに決まってるだろ。ショッピングモールしかない地元生活から一転、東京で一人暮らしだぞ? 遊ぶところは山ほどあるだろうし、バイトだって肉体労働以外も選べる。
それに、もしかしたら、彼女だってできたり——
『……さよなら、空。元気でね』
不意に、彼女の言葉が頭を過る。あいつと交わした最後の言葉を俺はあと何回再生するのだろうか。
いや、もうこれっきりだ。今決めた、そう決めた。
無理して東京に進学したのはあいつから離れたかったからじゃないか。あのバスケ狂いのことだ、きっと地元の大学あたりでバスケットボールを追いかけているだろう。
忘れろ忘れろ、あいつのことなんて。
「……よし、一〇七号室だったな」
自分に言い聞かせるために、わざと声に出す。スーツケースのハンドルを握り直し、一〇七号室まで歩く。表札には、もちろん何も書いていない。真っ新な表札はどこか俺の新生活を応援してくれているかのようだ。
ドアノブに手をかける、気づく。いや鍵出してないだろ、と。だが俺の予想に反して、扉が動いてしまう。
泥棒? 初日に? 警察、大家さん? てか大家さん誰だ?
もう一度深呼吸して、考える。母さんは仕事に戻ったから、連絡がつくのは早くて夜だ。警察は……説明できるか、今の状況?
いやだめだ、母さんがこのマンションについて色々話していたが、引っ越しのバイトで疲れていたせいで話半分しか聞いてなかった。
どこかで時間潰すか? ネカフェ、コンビニ? 駄目だ、せっかく新生活が始まるのに無駄金は使いたくない。
——よし、開けよう。そして中を確認しよう。
泥棒だって決まっていない、というか普通に母さんの知り合いかもしれないじゃないか。
「……お邪魔しまーす」
ただいまでいいんじゃないか、と自分で疑問に思いながらも、そぉーっと玄関の扉を開ける。
電気はついていない、だが靴がある。女性もののランニングシューズだ。あーはいはい、その知り合いの人のだな。泥棒はわざわざ靴脱がないよな、と一人納得する。
俺も靴を脱いで、静かに家の中へと進む。リビングへの扉は閉まっており、中は見通せない。代わりに気づいたのは音だった。水、いやシャワーかこれ? 横の扉から聞こえてくる。
なるほど、水回りの掃除をしてくれているのか。声を掛けるべきだろうか。
引き戸をできるだけ静かに開ける。これは、あれだ。戦略的な理由だ。仮に母の知り合いだった場合でもお互い『びっくりしたなぁ』で済む話だからだ。泥棒なら不意打ちになる……いや喧嘩とかしたことないけど。
脱衣所へと侵入する。ドラム型の洗濯機がゆっくりと動いている。そういや前の住人が急遽引っ越したとかで家具や家電はあるんだっけ。
して、風呂場。電気がついて、シャワーの音が聞こえる。あとは……鼻歌、だろうか。フンフフンフフーンと中々のご機嫌らしい。声の主は……女性だ、ということは靴の持主だろうか。
そっか、今日暑かったからか。その母さんの知り合いが先に来たけど、汗かいたからシャワー浴びているんだ。洗濯はきっと、汗で汚れちゃったのだろう。
ということは、俺がここにいるのは非常によくないね。
女性のシャワーの前でじっと息を殺しているのだから、覗き魔以外の何者でもないぞ。
よし、じゃあ退散してリビングで待ってよう。いや一回出て今度はチャイム鳴らして、今来たみたいに装った方がいいな。
そうと決まれば——という判断を、俺はもっと早くするべきだった。
大体俺はいつだって間が悪い。あの時だって、そうだ。あいつの手を取っていたら、今とは違う人生があったんじゃないか?
シャワーが止まる。それから「ふぅ」という声が漏れる。ガラガラと音を立てて風呂の扉が開かれた。だめだもう言い訳をひたすら並び立てるしかない。
「いや、決して怪しいものじゃないです! 俺は桜庭空十八歳、今日からここにお世話になる予定の大学生で——!」
決して何も見まいと、目を閉じながら必死に叫ぶ。
「え、空……?」
だが聞こえてきた声のせいで、俺は目を開けざるを得なかった。
懐かしい声、何度も聴いた声が。
「——なつ、み」
幼馴染の久坂夏美の声が、聞こえてきたから。
「……ひ、ひさしぶり?」
最後の会話から、三年と少し。茶色がかった髪はあのころより少し伸びて、肩にかかる程度の長さに。身長も顔立ちも、記憶より大人になっている。美人と可愛いの間ぐらいだろうか、浮ついた男共が黙ってないだろう。
間違えるはずのない、忘れたことなんて一度もない。大好きだった彼女が、何度も思い出した彼女の裸が、今目の前に……。
裸だな。うん。右足の手術の痕は……だいぶ目立たなくなったんだな。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!」
声にならない夏美の叫び声が響き渡る。それから顔を真っ赤にして、急いでバスタオルを取る。
「なっ、なっ」
大事なところを隠す夏美。それから持ち前の大声を張り上げる。
「なんであんたがここにいるわけっ!?」
鼓膜に懐かしい声が響く。こっちもたまらず声を張り上げ返してやる。
「そっちこそ、なんでいるんだよ!?」
三年半と少しぶりの会話は、お互い言いたいことが言えたようだ。
忘れたかったはずなのに、忘れるためにここに来たのに。三年半と少しぶり会話ができた嬉しさで、つい顔がにやけてしまう。
決して下心ではなく……。
「——いつまで脱衣所にいるのよっ!?」
「ごめんなさいっ!」




