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彼の過去 中学三年生、春(前)

 中学三年の春——夏美の事故から二週間。学校が終わると、俺は寄り道もせずにバスに乗っていた。そのまま二十分ほど揺られて、目的地まで下を向く。


『次は、川北総合病院前——川北総合病院前——』


 急ぎ足で受付に向かい、所定の用紙に名前と住所を書く。それから面会許可書を受け取り、一番奥の個室へ向かう。


 扉をノックすると、か細い声で『どうぞ』と聞こえてくる。


「夏美」


 扉を開ける。ベッドに横たわる夏美が窓の外を眺めていた。右足にはギプスが巻かれ、サインペンでクラスメイトや部活の仲間のメッセージが書いてある。


 ——自分勝手な励ましの言葉を書いた連中は、もう彼女の病室には来ない。


「今日も来たんだ」

「これ、今日のノートとプリント。といってもクラスは別だけどさ」

「……どうせ一学期の終わりまでいけないんだもん。大して変わらないよ」


 机の上に学校の配布物を並べて見せる。その中の五月の行事予定が目に留まったのか、夏美が小さく呟く。


「修学旅行、行きたかったな」


 連休が明けた次の週に、修学旅行と書いてあった。二泊三日、行先は東京と横浜だ。


「空は自由行動どこ行くの? 博物館行きたがってたよね」

「……行かない」

「じゃあどこ行くの?」

「じゃなくて、修学旅行に行かない」


 決めていたことを、俺は答える。


「あたしの、せい?」


 夏美が病院で暗い顔をしているのに、俺だけ修学旅行に行ったって楽しくないと思った。あの時、ちゃんと夏美を引き寄せていたら——こんなことにはなっていなかったから。


「と、東京なんてさぁ! 街も電車も人ごみばっかりだろ!? 楽しいわけなから、行かないことにした。先生もそれでいいってさ」

「何それ」


 強がりを言えば夏美が笑う。それだけで、救われたような気になる。


「あたしは楽しいと思うけどな、満員電車に押し込まれる空を見るの」

「何で夏美は見てるだけなんだよ、夏美も押し込まれろよ」

「ふーん、じゃあ一緒に押し込まれよっか。我慢比べ我慢比べ」


 行事予定を眺める夏美の顔が、また曇り始める。五月末の中体連が目に留まったのだろう。


「……医者は、なんて?」

「ギプスが取れて歩けるのが夏。バスケとか、激しい運動は……そこからもリハビリ頑張らないとダメなんだって。学校通って、リハビリして、さらに受験勉強ってのは、難しいんじゃないかって、パパとママが」

「そっか」


 言葉が詰まる。何もできなかった自分が憎い。


「ごめん、俺、目の前にいたのに……」


 何とか言葉にできたのは、何度目かわからない謝罪の言葉だ。


「……あたしさ、当たりどころが悪かったら死んでたんだって」


 俯きながら、夏美も零す。


「でもね、あの時ちょと跳んだでしょ? ほら、空の手避けようとして。そのおかげで、足だけで済んだんだよって……今日先生に言われたんだ」


 身振り手振りで色々説明してくれる。


「空はあたしの命の恩人だね」


 それから無理して笑ってくれたから、視界は滲み始めていた。


「あ、泣いてる?」

「泣いてない」


 目頭で指を抑え、必死に誤魔化そうとする。


「……空、北高目指してるんだよね」

「うん」

「今から頑張ったらさ……あたしも行けるかな。やっぱり猛勉強かな?」

「行けるって、絶対」


 それから涙を拭いて、夏美の手を強く握りしめる。


「俺が、毎日教えるから」

「……うん、よろしくね」


 二人して額を合わせて笑ってみせる。大丈夫、大丈夫だって。俺達はこれからも一緒だって、声に出さない約束を交わした。



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