神の顕現(4)
しばらくの間、彼はわたしの頬を撫でたり肩を撫でたりしていた。彼を刺激しないようにされるがままになっていたけれど、段々といたたまれない気持ちになってくる。声をかけた方がいいのだろうか。でもそれが彼に気に障ったらどうしよう。頭の中でぐるぐると考えが巡る。
そういえば彼は、最初に「汝が望むものは?」と尋ねてきた。わたしは返事をしていないけれど、あの問いにも深い理由があるのだろうか。もしわたしが元の世界に戻りたいと願ったら、叶えてもらえる……ということはあり得ないだろう。そもそもわたしは、男神様の要望を達そうとする教皇様の手でここに閉じ込められている。ならば教皇様の主である男神様は、確実にわたしがここに閉じ込められていることを望むと考えられるから。
狭いあの空間からは逃れることができたけど、こうして男神様が目の前にいるという状態は、先ほどよりもむしろ悪化していないだろうか。
「汝から、彼奴の薫りがする」
「……っ!?」
色々考えていたら、突然わたしの眼前が赤色でいっぱいになった。これは、彼の瞳だろうか。それに気づいた時には、わたしと彼の唇が触れあっていたのだ。
このままだと不味い。黒様のお話では、男神様の力を持った精巧な影によってわたしは疑似的に発情させられ、影に犯されそうになっていた。ならば今も、変な力が注ぎ込まれて、さっきのように誰かの熱を求めてしまうようになってしまうかもしれない。そうなってしまったら、今度こそ無の深淵というものに呑まれてしまうかも。
だからといって、彼から離れようにも、背に手が回されているせいで身体を動かすことができない。力はそれほど強くないのに、身体が強張って動けないのだ。
舌を絡め取られる。段々と呼吸ができなくなって、考えることもできなくなっていく……。
「——先から障りばかり。貴様、何の用だ」
しかし、彼が顔を離したおかげで呑み込まれることはなかった。変な力も注ぎ込まれていないから、身体が異様に熱かったり、誰かの肌を求めたりすることはない。
息を整えながら辺りに視線を向けると、目の前にユイナート様そっくりな彼がいるのは変わらないが、彼の背後に眩い光があることに気が付いた。あれは何だろう。ただの光ではないことは一目で分かるけれど、何なのかは見当もつかない。彼の言葉から判断するに、男神様関連のものではないものと思われる。
「その者に手出しをすることは許さぬ。お主の行動は近頃少々目に余る」
「貴様に指図される筋合いなどない。余の御所に侵入するなと何度申せば分かる。貴様は変わらず無能であるな」
「お主に言われとうはない。お主の務めを放棄し、余に全てを強いたお主は正しく愚弄」
謎の光から美しい女の人の声が聞こえたかと思うと、男神様とその光が言い争いを始めてしまった。
……何だろう。何が起こっているのかよく分からない。
男神様と対等に言い争っているこの光はただ者ではないということははっきりと分かる。男神様と対等な方といえば、思いつくのは女神様だけだ。ということは、この光は女神様なのだろうか。
そんな……そんなことがあるのだろうか。遥か高みの存在である神の二柱がこの場にいて、その神々が言い争いをしている。話し方が古風なだけで、まるで人間のような掛け合いだ。神様というのは、もっとこう、仰々しくて簡単に姿を現さない、人間では到底理解が及ばないような神秘的な御方ではないのか。
勿論目の前の二方は神々しくて、近くにいることに畏怖を感じるほどの圧倒的なオーラがある。それでも何だか不思議な感覚なのだ。男神様がユイナート様の姿をしているのも大きな理由だろうか。
男神様はわたしから目を離して光を見ている。今なら隙をついて逃げられるかと考えたが、そう考えた瞬間に彼の手が伸びてきてわたしの腰に回された。ぐいっと引き寄せられて、距離が縮まる。これ、ユイナート様にも何度か同じことをされた覚えがある。
「この者は余のものである。貴様は疾く去れ」
「その者には余の祝福を授けている。お主が付け入る暇はない。そも、我々が人の子と直に接するのはよろしからぬ事。お主は過ちを犯しておる」
何やら険悪な雰囲気だ。ユイナート様の姿をした男神様からは先程よりも強い力が漏れ出ていて、足元には影が蠢いている。対して女神様だと思われる光は輝きを増し、距離があっても目を開けていられないほどだ。
光と闇。ふとそんな言葉が頭に浮かぶ。
女神様が「光」なら、男神様は「闇」だという認識が一般的だ。今彼らから感じるこの力は、まさしくそれを現しているのかもしれない。




