機械仕掛けと世紀末潜入捜査員 その三 刹那の闘争
背筋は伸ばしたまま、赤い絨毯を踵で蹴るように駆けた。ホテルマンとしての最高速度だ。お客様とすれ違う際は世界と種族に合った一礼をする。
……こんなことがガキでもできるって? 俺はどれだけ驕っていたんだ。
「くそ、ちょうど行ったか……」
エレベーター乗り場に着いたがタイミングが悪かった。慌ててボタンを押しても、勇者が乗ったと思われるそれは瞬く間に一階から二階へと上がっていく。もう一台はいまだ最上階。
俺は急いで踵を返した。外廊下に出て、鳥の囀りと水音を隣に、階段を駆け上がる。
魔王がいるのは三階。残された時間はほとんどない。脚力を振り絞り、地面を蹴って、蹴って、だが慌ただしい音は絶対に立てない。身嗜みを乱してはならない。厳しい誓約のなか一階から二階へ。二階から三階へと上がっていく。
「待って! 少し聞きたいことがあるの」
途中、お客様に声をかけられて足を止めざるを得なかった。人型の宿泊棟なこともあって相手は人間。金髪に碧眼で、麦藁帽子に白いワンピースを着た少女。……コヅカハルトのロリ嫁だ。名前は確かエルフィ。
「はい、どうされましたか? お客様」
冷静でもあったし焦っていた。急がないといけない。けど対応しなくては。俺は自然な仕種で無線機のマイクを指で数回弾いた。
(機械を、十秒、止めろ)
――治安維持隊緊急信号。俺の世界の独自の通信暗号だが、分かってくれると信じることにした。
『了解です。エレベーターの速度を遅くし、数秒停止させます。そのかわり何がなんでも凶行を防いでください』
カノンが応じてくれた。やっぱり彼女は既に知っていたか。元の世界に戻ったら暗号を一から作り直さないと。
「ねぇ、私の、私の大事な夫を見なかった? エントランスで寝ちゃって、部屋まで運ばれたらしいんだけど起きたらいなくなっちゃったの」
少女は穏やかに一枚の写真を取り出した。コヅカハルトの寝顔のドアップ。病的な瞳で覗き込んで、一瞬ばかり恍惚とする。けどすぐに我に返って、年齢相応の少女のように取り繕った。
彼女は嘘をついてる。エントランスで眠りこけたような動きをしていたが、あれは間違いなくフリだった。一体二人の間に何があった。いや、そこを言及するのはホテルマンとしては駄目だ。
「コヅカハルト様であれば十分ほど前に下の階へ降りて行ったかと」
「本当? すぐ探してみるわ。ありがとうね」
一礼。少女が階段を下りて行き、姿が見えなくなった瞬間、俺は全身の力をもって階段を駆けた。蹴り上げて、手すりを引っ張って、体を押し上げる。
「――というのがプールなるものらしいぞ。……どう思う。クロノディアスよ」
「水で泳ぐことが楽しいとは思えませんが士気高揚の一環にはなるかもしれません。一度確かめることには賛同致します。魔王様」
三階に着いた。外廊下から響く二人の声。まだ遠いが確実にエレベーターのほうへと近づいてきている。
……勇者はどこに行った? 必死になって見渡してもどこにいるかが分からない。エレベーターの周辺にあるのは別世界の写真と、小さなテーブル。花瓶。外廊下も見える限りはいない。空を飛んでいるのか? 慌ててフェンスから半身を出して周囲を探るも彼女の姿はどこにもない。
だがエレベーターは間違いなく着いている。中で待ち伏せてるのか? 俺は警戒を巡らせながら、テイザーガンを構えた。忍び足で一歩、二歩と進んでいくが、魔王の声はさらに近づいてきている。残された時間はない。
思い切って駆けた。ボタンを押す。背中を壁につける。。三階に留まっていたエレベーターの扉が開く。……だがそこにも勇者の姿はなかった。
もはや最初に尾行していたときの彼女じゃない。コヅカハルトが入れ知恵をしたのか? 何故? 落ち着け。考えろ。そうだ、創意だ。応用性が求められるのは何もホテルマンだけじゃない。
――――俺ならどこに隠れて犯罪者を待ち伏せする? 自問自答。直感と同時に体は動いた。天井に銃口を突き上げる。
「やっぱり上にいましたか! 見つけたよお客様! かくれんぼは控えていただけますか!?」
勇者はいた。黄金の双眸を鋭く輝かせて、血の色をした髪を揺らし、両翼の爪と尾を突き立てて天井を張っていた。プレートアーマーが鈍く光る。
手には長剣。透き通った白い刃をしていて、魔法だの魔術だのは理解できないが、それがただならぬ武器であることだけは本能が叫び理解できた。戦車砲が向いたときのような恐怖感。だが俺は仕事をしなければならなかった。
「お客様とて許されない行為があります! 武器を捨てて投降してください!」
「私は魔王を殺すためだけにいるの! 邪魔しないで!」
俺は引き金を引いた。小さく乾いた音と共に二本の電極が放たれる。彼女はしなやかに一回転して宙を舞った。剣を横薙ぎ、白刃の一閃が針を切り伏せる。
剣を鞘に戻しながら続けざまに翼爪で一撃。二撃。俺の喉元を切り裂こうと振り下ろした。半身を反らして回避し、そのまま後方に回転して態勢を取り戻す。彼女は既に急接近していた。その金色の竜眼が目の前にある。瞬膜すら視認できた。
暴風が頬を掠めた。彼女がその拳を放ったのだ。一撃は避けたにも関わらず衝撃だけで皮膚が切れる。鮮血が舞った。右からの殴打。アッパーカット、ストレート。
俺にとってどんな戦闘だって賭けだった。不意打ちされたときも、奇襲したときも、正面衝突も、ただひたすら相手の行動を予測して、これだと思った選択肢に全てを委ねて、誰よりも早く体を動かしていく。
殴打、殴打殴打殴打! 休む暇もない敵の連撃を全てを受け流し、はたまた避けていくと彼女はさらに速度を速め、手加減をやめていった。拳骨部での殴打。ヘッドバッド。肘打ち。一撃は重みを増して、重症を負いかねないほどの破壊力を帯びていく。
「お客様、拳骨部でのフックも反則でございます!」
「なんの話!?」
ついに勇者は鞘を手に取った。けれども抜刀するわけではなくその状態のまま斬りかかる。――その行動は読めていた。鈍器による殴打。
俺は武器を受け止めて、そのまま奪い取ってしまおうと腕を伸ばした。一撃が手に触れる刹那、衝撃だけで皮膚が切れる。あまりにも鋭い打撃。否、もはやそれは斬撃に等しく、一撃を受け止めた俺の腕が裂けるように斬り下ろされる。
勇者は驚愕に目を見開いた。斬った腕から両断されたコードが靡いたからか? 血ではなく油と、火花が飛び散ったからか? ギリギリと金属が摩擦し合う狂音が響く。俺の片腕が無力化された音だった。彼女は確かに致命的な一撃を与えたが、同時、付け入る隙を露わにした。
俺は一気に身を屈めた。全身をバネにして絨毯を蹴り上げ飛び掛かる。壊れた腕で勇者の持つ鞘を捌いて、彼女の頭部に全力の頭突きをぶち込んだ。
ガツンと、頭のなかで鈍痛が轟く。視界がぐらりと揺れる。気持ち悪い。胃の奥から喉元にまで酸っぱいものが込み上げて、抑え込む。だがダメージを受けたのは勇者も同じだ。だらりと血を流す鼻を押さえて瞳を潤ませていた。
「偉大なる父の腕を傷つけた償いはしてもらいますよ。お客様」
絶対に逃げられないように俺は勇者を抱き締めた。勢いのまま押し倒す。血の臭いのなかにほのかに混じる甘い香り。硬い金属の感触。彼女が鎧を着ていて助かった。じゃないと恥ずかしくてこんなことはできない。
「なななななな! なにするのだわ!?」
こんな状況にも関わらず、勇者は年頃の少女みたいに顔を真っ赤にして口籠った。目を泳がせる。俺は容赦なくその間抜け面に対獣用激辛スプレーを吹き付けた。一度、二度、三度、目にかけたら失明するらしいが、関係ない。口のなかが真っ赤に染まるくらいスプレーを放出した。
「にゃあああ――――! んんんんん!」
「お客様、他のお客様に迷惑なので叫ばないでください」
痛みからか悲鳴をあげようとした彼女の口に拘束用粘着テープを張り付け、手錠、足枷をつける。勇者は拘束具にすら意識を向けられず、水に落ちた芋虫のごとく辛さに悶え続けていた。ガチャガチャと鎧が音を立てて、苦しさを体現するように尻尾と翼が暴れている。
「カノン、勇者が抜刀して襲い掛かってきたから拘束した。彼女の身柄をこれからエントランスに運ぶ」
『良かったです。怪我はないですか?』
勇者を無傷のまま捕まえるのは不可能だった。頭突きもしたし、今この瞬間も彼女はスプレーの苦痛に悶え苦しんでいる。
「すまん。捕まえるために多少彼女を傷つけてしまった。一応お客様だったのに」
『違います。バロン、あなたに怪我はなかったかと聞いているんです』
頬に切り傷と義手の破損ぐらいだ。腕は装着に時間を有するものの、幸いなことにまだ予備がある。被害は軽微だ。彼女が俺を殺そうとはしなかったことも、本調子では無かったのも運が良かった。
「まぁ、軽傷だ。すぐに戻る。……そういうわけだ勇者様。連行させてもらう」
「んんんんー!! んー!」
俺は勇者を御姫様抱っこして階段を下りて行った。彼女は痛みに体をくねらせ、屈辱と恥ずかしさで紅潮した頬をぐずぐずと涙で濡らしていて、あまりにも居た堪れない様子になっていた。
さすがに少し……可哀想かもしれない。ちょっぴりだけだが。




