三重奏
恐すぎるよ…。
今になって体が震えてきた。なんだあの地震は。二十年の人生で何度も体験したのとは比べ物にならない揺れだった。
本当は怖くてスーパーから一歩も動きたくなかったのに、さっきは何であんなこと言っちゃったんだろう?
パニック状態で豪介にしがみつきながら来たけど、ここまでの道はあまり憶えていない。
バイクを止めた豪介は民宿の扉に手をかけたが上手く開かないみたいだ。
これって家が歪んでるって事でしょ?入るの怖いよ。
って思ってたら、いつの間にか玄関を突破した豪介が中に入っていく。
どんな根性してんだ?
「俺は向こうを見てくる!」
学は美緒ちゃんを伴って建物の裏手に回ろうとしているみたいだ。
「家から離れる時には絶対に声をかけろよ!!」
え!?無意識に指示しちゃった。
口から勝手に言葉が出てくるみたいな感覚だ。
俺ったらどうしちゃったんだろう?こんなキャラじゃないのに。
「こっちにはいねぇ」
豪介が息を切らせながら建物から出てきた。
「中はどんなだった?」
「家具が倒れてたりして、ひでぇ有様だ」
「お婆ちゃん、下敷きになってたりしないよな?」
「多分…だけど全部持ち上げて確認したわけじゃねぇ。もう一度見てくるか?」
お婆ちゃんはご飯を炊いたりして、夕食の準備を始めてた筈だ。あの歳でそう遠くまで避難したとは思えない。
「台所にはいなかったんだな?二人は裏の方を見に行った。そっちに合流しよう」
「おうよ!」
俺達が裏手に回ると、大きな蔵の前に学と美緒ちゃんがいた。
「こっちはどうだ!?」
足の速い豪介が駆け寄って学に問い質した。
「美緒ちゃんがお婆ちゃんらしき声を聞いた気がするって言ってる。間違いないんだな!?」
「うん!間違いねぇ、こん中で祖母ちゃんの声がした!」
「中を見ようとしたんだけど扉が開かないんだ。豪介、何とかならないか?」
地盤ごと歪んでるのか、こちらの扉も軋んで開かないみたいだ。
「やってみる!」
俺はその時、豪介が人ではない何かに見えた。
その迫力は山門で魔を払う仁王像。
まくり上げた腕は俺の倍も太く、筋肉の塊のようなそれには太い血管が何本も浮かんでいる。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!ガァ!」
ぎしぎしと音を立てながら扉が開いた。
つうか、豪介が扉を抱えてる。
こいつ!扉ごと外しやがった!!
「お祖母ちゃん!」
蔵の中に駆け込む美緒ちゃん。
俺も恐る恐る中を覗くと、そこには倒れて意識を失ったお婆ちゃんがいた。
お婆ちゃんはさっき見た日本刀を大切に抱えている。近くには煤けた写真や細々としたものが散乱していた。
亡くなったご主人の思い出の品を持って逃げようとしたところ、落下物にでも当たったのだろう。
『ゴゴゴゴゴ』
「ねえ?これって、なんの音?」
蔵が崩れるのが恐くて入り口に一番近かった俺が、最初にその音に気付いた。
「おい!津波だ!逃げるぞ」
音の方向を見た豪介が叫んだ。お婆ちゃんを抱えるとバイクに向かって全力で走り出す。
大人を一人抱えているってのに豪介の方が足が速い。
火事場のクソ力ってやつか?こいつ正義超人かよ!
豪介の指示で俺が学の後ろに飛び乗った。
ハーレーには豪介と美緒ちゃんが、お婆ちゃんを挟む形で三人乗りした。
そこから先の道のりもよく憶えていない。
一瞬振り返った時には津波がかなり近いところまで押し寄せていて、俺は震えながら学の背中にしがみついた。
今しがた通った道が、凶暴な水の塊に飲まれていく。
「しっかり掴まれば大丈夫だ!津波は時速100Km程度。この真っすぐな道なら振り切れる!」
空気ではなく背中を通し聞いた学の声は、心を落ち着かせる不思議な響きを伴っていた。
お腹の中で聞いたであろう母さんの声も、俺をこんな気持ちにさせてくれたのかもしれない。
学の言葉だから安心できた。
聡明で、やさしく、いつだって冷静なこいつの言葉だから、俺は自分を保つことができたんだ。
◇◇◇◇◇
自由気ままなバイクの旅は、全力のボランティア活動に一変した。
俺達三人とも東京に家族を残してたから、やっと無事を報告できた時にはすぐに帰ってくるように懇願された。
だけど、道は寸断されているうえ、ガソリンも中々手に入らず、そのまま南相馬の避難所で過ごす事になった。
余震の続く小学校の体育館は、そりゃあ凄い状況だったよ。
学校の体験ボランティアで行った老人ホームと同じ臭いがした。理由は被災者の名誉のために伏せておこう。
数日で落ち着くと思われた避難所だったけど、日に日に人が増えていくんだ。
避難区域が広がれば、それだけ被災者の数だって増える。ここは原発にも近い場所だって、地元の人から聞いて初めて知った。
三月十四日の夜に避難所がちょっとしたパニックになった。
それまで晴天が続いてたけど、翌日に雨の予報が出たからだ。
「黒い雨が降る」
誰かが放った一言で、集団の統制が一気に崩れた。原発から少しでも離れようにも、ガソリンの目途が立たずに半狂乱になった人が続出した。
そんなパニックが一晩で何度も起きた。出所の怪しい情報に翻弄されまくった。
それでも、俺達とその周辺は冷静だった。
学がいたからだ。
学はその知識で、原発の作業員と同レベルで危険について分析できた。
避難所における物資の分配や、衛生対策、外部との折衝。様々な場面で冷静なリーダーが必要だ。
学がいなければと思うとゾッとする。
若者をまとめて、周辺の警備や捜索班を編成したのも学だ。
俺と豪介、それと地元の数人で行方不明者の捜索をした。原子炉への注水がようやく始まった頃だ。
民宿今野の周りは酷い有様で、大きな鉄塔が飴細工のように曲がっていたり、海岸線からはるか遠くの田んぼの中に船が打ち上げられていた。
それは悪趣味なオブジェみたいで、とても直視する気になれない。
海水が含むプランクトンが腐ったのか、かつては美しい田園地帯だった場所を異臭が包んでいる。
「想像以上の酷さだな」
マスクの下から、豪介のくぐもった声が聞こえる。
『被害状況のよく分からない放射能より、今そこにあるリスクを直視しろ。腐敗した土から舞い上がる粉塵を吸い込めば、肺炎が蔓延する』
そう言った学の指示に従い、全員がマスクの着用を厳命されている。
津波に襲われた民宿は、二階の真ん中位に茶色い線が付いていた。
これを見たお婆ちゃんが消沈する様は見たくない。思い出の詰まった民宿は壊滅的と言っていい被害だから、しばらくは詳細を話さない方がいいと思う。
豪介が引くリアカーに目ぼしい品を満載し、夕日の中を長い影が力なく進んでいった。
俺達はこんな感じで遺留品を探したり、瓦礫を道の端に寄せたり、倒れた墓石を起こして回ったりした。
会う人みんな燃えていた。
ある日、異常なほどのテンションで話すおじさんに会ったんだけど、別のおじさんから聞いた話では、ハイテンションなその人の家族全員が行方不明だと言っていた。
「お互い頑張りましょう!!」
「ありがとうな!!」
俺は言葉を失ってしまったけど、学はおじさんと固い握手を交わしていた。
想像もできないような焦りや悲しみを背負っていながら、それでも前を向き続けるおじさんを見てたら、涙が込み上げてきた。
でも、泣いてはいけないと思った。
俺なんかが泣いたら、おじさんの気持ちを踏みにじる気がしたから。
悲しんだり、悔やんだりする前にやることが沢山あった。
こびりついた泥の数が俺たちの勲章だった。
こんな感じで三月の終わりまで過ごしたんだ。
帰る気になったのは新学期が始まるのと、やっとガソリンの心配が無くなったのもあるけど、美緒ちゃんとお婆ちゃんが埼玉の親戚の元に身を寄せる見通しが立ったのが大きかった。
無理をすればそれまでも帰るチャンスもあったけど、学がウンと言わなかったからね。
美緒ちゃんは学にべったりだったけど、からかう気にはなれなかったよ。
こうして、俺達にとって……いや、全ての被災者にとって、忘れたくても忘れられない日々が過ぎていった。
一生の記憶に深く刻まれるであろう大学二年の春休み。
思い返せば、たった二十日間の出来事だった。
◇◇◇◇◇
「どうした急に?」
「うへぇ!びっくりした!」
流れ込んできた記憶に呆然としていると、部屋の片隅から声をかけられた。
すわ人外の怪と遭遇かと腰を抜かしそうになった。
恐る恐る声の方向に目を向けると――
クールな視線を俺に向ける学がいた。
「学!?本当に学か?生きてるのか!?」
「勝手に俺を殺すな。ずっとここにいたじゃないか。今度はどんな小説に影響されたんだ?」
やっと記憶の混乱が落ち着いた。
こちらの時間軸……全員でお婆ちゃんを探しに行った過去から地続きの現実では、今日は学が家に来てたんだった。
「翔太はそんなPCいつの間に買ったんだ?」
実際にはmodのコメントを編集した瞬間に学が現れたのだが、本人にそんな自覚は無いと思う。
ノートPCのことは有耶無耶にして、俺は震災から七年の出来事を整理した。こうしないと、何パターンもの思い出が混在して、支離滅裂な発言をしちゃいそうだからね。
「二次会はお前に任せていいんだよな?」
「も、もちろん!最高の二次会にするから楽しみにしてろよ!!」
「ははは。そう言われると余計心配になるな」
来年に予定されている美緒ちゃんと学の結婚式。
披露宴での友人代表スピーチは豪介に譲ったけど、二次会は趣向を凝らしてお・も・て・な・しする所存だ。
「なんだか、学に会ったら豪介も呼びたくなっちゃったよ。あいつも誘ってこの後一杯どう?」
「おいおい。二次会の計画はどうするんだ?」
「まだずっと先じゃん?急に三人で飲みたくなっちゃった!今日は勘弁して」
「ほんとに大丈夫なんだろうな~?」
そういって渋面を作った学は、七年分のたくましさと優しさを身に纏っている。
諦めていた親友は、いつものように横にいた。
◇◇◇◇◇
「だから、あの時が運命の分かれ道だったんだって~!」
毎度おなじみの学芸大学『Blue Reef』のカウンターには、凸凹した三つのシルエットが影を落としている。
ブラッディメアリーがたっぷりと注がれたグラスも三つ並んでいる。
「んなこと言ったら、毎日が分かれ道みたいなもんじゃねぇか?」
「なかなか哲学的な言葉だな」
豪介の言を聞いた学が首を縦に振っている。
こいつらは二人とも徹底的なリアリストなんだよな。俺の言ってることなんて抽象論としか思ってもらえないよね。
「例えばさ、あのスーパーの前で、俺が極上の指示を出さなかったらどうなってたと思う?」
俺だって少しは褒めてもらいたいじゃん?
結構大変だったんだぜ?
「どのスーパーだよ?」
うっそーん?豪ちゃんったらもう忘れちゃったの?
あの時だよ!俺がみんなでお婆ちゃんを探しに行こうって言ったじゃないのさ。
忘れるなんて酷くないか~?
「『極上の指示』って…」
学君?君は感謝って言葉を知らないのかい?
誰のおかげでここにいると思ってるんだい?
「ほら、美緒ちゃんのお婆ちゃんを探しに行く前にさ……」
「ああ、あの時な。確かにお前にしちゃ気の利いたこと言ったよな」
「確かに。翔太にしちゃよくやったな」
ガックリ……そんなもんでしょうよ。
どうせ俺が存在感を見せたのはその時だけで、あとはブルブル震えてるだけでしたよ。
っていうか、『翔太にしては』っていうのは枕詞なのか?
ちはやふるとか、垂乳根のとか、そういうのと同じなんですかっての!
俺の知らないうちに新しい文法が定着しちゃったんですかっ!?
「でもよ、翔太がいたから楽しかったってのはあるよな?」
お?意外なところから豪介がフォローしてくれたよ。
「まあな。避難所のムードメーカーみたいな存在だったしな」
へ~。そんな風に見られてたんだ。
なんか学には生れて初めて褒められた気がする。
若干腐りかけてたけど楽しくなってきたよ!
『美緒の祖母を四人で助けに行く。全員がはぐれないように注意する。 2011/03/11 15:03』
七年前のmodのコメント欄はこうなっている。もちろん、俺が編集してこうなった。
四人で助けに行くだけでは運命の扉は開かなかった。
何がダメかって、またあの警告のメッセージが出たから。
登録ボタンは押していないから推測するしかないけど、行った先で帰らぬ人になるんだろうと思う。
四人はあの時、必ず一緒にいる必要があった。手分けしてお婆ちゃんを探すのは一見効率が良いように見えて、回避行動を遅らせる結果を招いてしまったんだと考えられる。
民宿の辺りで四人がバラバラに行動すれば、犠牲者はきっと俺だけじゃなかった筈だ。
警告が出たところで閃いて『全員がはぐれないように注意する』を加えてみた俺って凄くない?
なんて事、二人には絶対言わないけどね。こいつらは絶対に信じてくれないからね。
マジでスーパーファインプレーだったと思うんだけど……ドヤ?
「翔太、なんで黙ってドヤ顔してんだ?気持ち悪いぞ」
学君……君が賢いことは知ってるよ。でもさ、何でそんなに察しがよろしいんですの?
こちらは気持ちよく自画自賛してたのにさ。
余韻に浸ってもいいんじゃないの?
「ところでさ、もし過去に戻れるとして、やり直したい事ってある?」
ブラッディメアリーを早々に飲み干した二人が、思い思いの酒を口にして思案する。
そういえば、前にもこんな質問したね。あの時は学はおらず、宝くじが当たったらの話だったけど。
「んあ?まぁ、無ぇことも無ぇけどな……」
「一応ある」
なんだか二人とも歯切れが悪いな。
マー君?せっかく久しぶりに会ったのに~!つれないんじゃありませんか?
こういう時は豪介を突っつくに限るな。
「隠し事?豪介らしくないね」
「ッチ、うっせーな!よくある話だよ。ガキの頃にやらかしちまってな」
ヒヒ。やっぱり釣られたよ。
チョロいね。チョロ仁王だね。
「詳しく教えろ」
学も気になるよね?
「お前ら食いつきすぎだろ!?しょうがねぇな。小学校に………美咲ちゃんって子がいただろ?俺はあの子が好きだった」
「で?」
ゴクリと唾を飲む俺と学。
「…放課後にな、彼女のリコーダーを………」
えええ~!まさか豪介も俺と同じカルマを抱えてたのか!
「お前もか」
「ええええ~!!ちょっと待って!学も?」
「俺の人生唯一の汚点だ」
学も同カルマ?同業者!?
ふたを開けてみれば、俺達は一本のリコーダーを三人で仲良くシェアしてたらしい。
そりゃ美咲ちゃんだって、次々と男子が自分の笛を咥えてたら驚くだろうよ。
むしろその頻度にこそ眼をむくだろうよ。
馬鹿とバレてる俺だけじゃなく、硬派な豪介と優等生の学まで変態行為に興じてたんだからな。
トラウマ確定。衝撃の光景だったろうな。
可愛そうな美咲ちゃん。
そんな俺らのソプラノリコーダー三重奏が聞こえない筈もないのに、角井さんは顔色を変えず淡々と仕事をしてる。
下世話な話は聞かなかった事にしてくれてるみたい。
「うまく言えませんが、翔太さんからは人の運命を変えるような、不思議な力を感じますよ」
うわ。神!角井さんマジ神!
美しい動作でシェーカーを振る角井さんから、低音の神託を賜ったぞ!!
「そりゃ買いかぶりすぎっす」
「翔太にしちゃ結構いい評価が貰えたな」
この愚民どもめ!
神の言葉を聞け!
まあ…これでいいのかもね。
死線を潜った戦友なんて、生還した後はこのくらいが丁度いいんだ。
「ご結婚、おめでとうございます」
そう言って、角井さんが注文していないお酒を出してくれた。
名前の無い、オリジナルのカクテル。
東北で採れた洋梨を使っているそうで、不思議な縁を感じずにはいられない。
「学の結婚に乾杯だな!」
豪介が小さなカクテルグラスを摘まむようにして持ち上げた。
三人が揃った幸せにも乾杯だ。
宝石を溶かしたようなカクテルはトロリとした口当たりで、そして甘酸っぱい味がした。
三章が終わりました。
お読みになっていかがでしたでしょうか。
現在、会社員としての本業が忙しく、四章が書ききれておりません。
ほぼ一日一話のペースで投稿しておりましたが、更新ペースが落ちるのをお許しください。
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