元気だったか?
学芸大学で豪介と解散して家に帰ってきた。結構飲んだはずなのに、不思議と頭はクリアなままだ。
俺は暗い部屋で独り、ノートPCの液晶画面を見ている。
過去の出来事をmodで変えられると聞いて、どうしても変えたいといえば学を亡くした事だろう。
リコーダー事件も変えたくないわけではないが、それはあまりにも自己中心的に過ぎると思って止めた。
あの時は確か俺も旅行に誘われたけど、バイクの旅は寒いと思って断ったのだ。
『豪介と学から旅行に誘われるが断る 2011/02/10 17:12』
コメント欄からすぐに見つけることができた。豪介と学が俺を旅行に誘った時のイベントだ。
ここに文字が載ったのは重要なイベントだからだろう。
この誘いを断った事と学が亡くなった事は一直線で結びつくものではない。俺が一緒に旅したからって運命は変わらなかったかもしれないし、変わったかもしれないからだ。
それでも、現場にいなかった俺は何も手出しできなかった。
まずは旅行に参加する必要があるのだ。
タイムパラドックスは恐いが、俺が死ぬような変異が起こる場合にはエラーが出るという。
あのじいさんの言葉を信じて、コメント欄を編集しよう。
『メモリ編集モードです。テキストを編集し登録ボタンを押してください。
豪介と学から旅行に誘われて了承する 【登録】』
『メモリー編集を行いますか?【はい】【いいえ】※はいを選択すると動画は更新されます』
『はい』ボタンを押すのに一瞬だけ躊躇した。
俺が死なないまでも、とんでもない違いが現在に発生するかもしれない。
考えればキリが無いが、その時にはコメントを元に戻せばいいと自分に言い聞かせ、俺はボタンをクリックした。
「わっ!うあぁぁ!!」
あまりの凄絶さに思わず大声を出してしまった。
クリックした瞬間、俺の脳内に様々な情景が流れ込んできた。
正気でいられるのが不思議なくらいだ。これが正気なのかと問われれば、自信をもって首を縦には振れない。
二つの記憶が同時に重なる。
旅行の打診を受けた俺は、原付しか乗れない普通自動車免許を理由にして断った。
弁の立つ学が、ならば二人乗りで行こうと粘ったのだが、俺が旅の邪魔になるからと断った筈だ。
だが、新しく流れ込んできた記憶では、二人乗りで行こうとの説得に折れている。
それら二つの記憶が同時に存在するのだが、断ったのが新しくて、誘いに乗ったのが古い記憶というのとも違う。
どちらも七年前の同じ日の出来事だからだろう。時を同じくして起こった別の記憶が共存するのは、吐きそうになるほど気持ち悪い。
とはいえ、幸いにも体に異常は無い。
さっき豪介に語ってもらった三月十一日の記憶が、俺の実体験として頭に入ってきた。
今ならありありと思い出すことができる。
宇都宮の餃子の味、海を見て大声を出した思い出や、ホッキ飯で動けなくなった事。防波堤の上で穏やかにほほ笑む美緒ちゃん。
そして震災の恐怖。東京でビビっていた方の記憶を鼻で笑う自分がいる。
眼前に迫ってくる津波の恐ろしさは、生まれたばかりの記憶ながらもう忘れたいほどだ。
だが、肝心の学に関しては、俺が旅行に同行しても運命は変わらなかった。
何せ俺は食材を買い出しに行ったスーパーで一人怯えて待ち、憔悴した状態で帰って来た豪介と美緒ちゃんと合流するという流れなのだ。
そこに学を助ける余地は無かった。
これじゃダメだ。
もう一度コメント欄を確認すると、今までには無かったテキストが出現していた。
『美緒の祖母を助けに行く豪介達を待つ 2011/03/11 15:03』
重要と言えば、これも俺にとって重い選択だった。
あの時、豪介はすぐにバイクに跨って走り出していた。咄嗟の出来事に思考停止になった俺は、ただ呆然と大きな背中を見送った。
間を置かず豪介を追った学の後ろには美緒ちゃんが乗っていたので、俺は同行する事も出来なかった。
あの時の記憶が甦る。
ついさっき流れ込んだ記憶なのに、甦るというのも変な話だが。
ならば、こちらのコメント欄を編集してみよう。
『メモリ編集モードです。テキストを編集し登録ボタンを押してください。
美緒の祖母を一人で助けに行く 【登録】』
【登録】ボタンをクリックすると、初めて目にするメッセージが表示された。
赤いマークに否が応でも身構えてしまう。
『警告:メモリー編集を行いますか?【はい】【いいえ】※はいを選択すると登録ユーザーが死亡します』
出た!!これが警告のメッセージだ!
怖すぎるよ。【はい】を選択したらレッドカードだよ!
俺は慎重に慎重を重ねて【いいえ】のボタンをクリックした。
手が滑って【はい】を押したらどうなるんだろ?『本当にいいですか?』的なメッセージくらい出すんだろうか?とても試してみる気になれない。
一人で救出に向かうのはやっぱり無謀すぎるか。
最悪の場合、俺を助けに来た豪介も学も、災害に巻き込まれる可能性の方が高い。
『メモリ編集モードです。テキストを編集し登録ボタンを押してください。
美緒の祖母を助けに行く豪介を止める 【登録】』
ならば、これならどうだ!?
【登録】ボタンを押したが警告は出ずに進んだ。
「んっ!」
再び別の記憶が押し寄せてくる。さっきほどでもないが、やはり頭が混乱する。
今度入ってきたのは、圧倒的な後悔の念を伴った記憶だった。
食材を買い出しに行ったスーパーで俺達四人は震災に遭遇した。
やっとの思いで店から出て豪介と学が負傷者を運び、俺と美緒ちゃんで手当てした。
「お祖母ちゃん……」
救出が一段落したところで、美緒ちゃんが民宿に残したお婆ちゃんを気にし出したんだ。
「俺が様子を見てくる。学と美緒ちゃんはここにいろ」
「駄目だ!絶対に駄目だ!豪介はここに残れ!」
「あ?何でだ?」
「いいからここに残れ!行っても道に不慣れな豪介じゃ役に立つわけないだろう!!」
後から豪介に『なぜ止めたんだ』って責められた。
問われても、当の俺自身が上手く答えられなかった。
でも、今なら分かる。
それは、未来の俺が強制した選択だったからだ。
「学さん!バイク出してもらえませんか!?できればお祖母ちゃんを探すのを手伝ってもらえると――」
美緒ちゃんの言葉を最後まで聞かず、既に学はバイクに向かって走っていた。
そして、二人は海の方に向かって疾走していった。
これが二人との最後の思い出だ。
あの時は日が暮れるまでスーパーで豪介と待ち、波が引いた民宿へ恐る恐る学達を探しに行った。
結局二人は見つからず、学と美緒ちゃんの亡骸が別々の場所で発見された報せを人伝に聞いた。
美緒ちゃんのお婆さんは、現在も行方不明とされている。
これもダメだと元の記憶が叫んでいる。
一方で、新しい記憶は既に七年も前の出来事として、学と美緒ちゃんの死をどこか受け入れてしまっている感がある。
それぞれの記憶が別の感慨を抱いている。
かなり倒錯した気分だ。
冷静に考えれば、豪介は美緒ちゃんを助けるために必要なキーパーソンなんだよな。
豪介の話と総合すれば、お婆さんを助けに行った美緒ちゃんを、無理やりに豪介が連れてきたようなもんだからな。
バイクが無ければ高速で迫る津波から逃げるのは無理だろう。
美緒ちゃんという犠牲者を増やしただけだ。
この選択も悪手だな。
ならば、これなら?
『メモリ編集モードです。テキストを編集し登録ボタンを押してください。
豪介追う学と美緒を止める 【登録】』
さらに異なる記憶が流れ込む。
「お祖母ちゃん……」
「俺が様子を見てくる。学と美緒ちゃんはここにいろ」
一言残して豪介が民宿に向かった。
大きな背中が見えなくなってすぐ、残された美緒ちゃんから落ち着きが失われた。
「学さん!バイク出してもらえませんか!?できればお祖母ちゃんを探すのを手伝ってもらえると――」
美緒ちゃんの気持ちも分かる。大切な肉親を残して、ただ待つというのは辛い時間だろう。
「行っちゃだめだ!あっちは豪介一人で大丈夫!携帯電話も使えない状況でバラバラになるのはまずい!ここはあいつを信じて俺達は残ろう!」
この時も、自分の口が誰かに乗っ取られたような気がしたんだ。
それまでは黙って状況に流されていた俺が、人が変わったように強く主張したんだから学と美緒ちゃんはさぞ驚いた事だろう。
俺自身、言葉の勢いに驚いたくらいだったから。
その後、待てども豪介は帰らず、美緒ちゃんと学と三人で近くの小学校に避難した。
学はそんな美緒ちゃんの傍を離れずに付き添ったが、震災から三日後に捜索した民宿の中で、豪介は土砂に埋もれて発見された。
バーで豪介から聞いた話では、一度は民宿の外に出て美緒ちゃんと出会い、その時に遠くから迫る津波を見て慌てて逃げたと言っていた。
俺が編集した過去ではそこに美緒ちゃんがいなかったので、豪介は民宿の中を再捜索したのだろう。
豪介が見つかった状況がそれを示唆している。
東京に帰り、俺は豪介の両親から酷く責められた。
美緒ちゃんの悲しい顔を思い出したくなくて、俺は震災の話題から逃げ続けた。
学はそんな俺の姿勢を軽蔑した。
仕方なく独りスーパーで待ったのとは意味合いが違う。俺は、自分の意志で豪介を追う学と美緒ちゃんを止めたのだ。俺の判断と責任において、一人の男を見殺しにしたんだ。
助けに行ったら死んでいたのは学だと言ったが、当の学からすればあくまで可能性の話なので、俺の説明はイマイチ説得力に欠けていたと思う。
学から見た俺は、ただの臆病者として映ったかもしれない。
大学を卒業しても花蓮と出会う運命は消えていた。
今は家と会社を往復するだけの寂しい生活を送っている。
クソッ!どうすればいいんだ?
学を助ければ豪介が死ぬ。
一方で豪介を助ければ学と美緒ちゃんが犠牲になる。
結局何もせずスーパーで夜になるまで震えていれば良かったのか?
だとすると、旅行に同行する必要すら無かったんじゃないか?
俺は今回ほど自分の無力さを恨んだことは無い。
いくつもの記憶が混在し、みんな生きているような、逆に全員がこの世を去ったような感覚に陥る。
今の俺は唯一残った学という親友に距離を取られ、無気力に日々を過ごすだけの腐った男だ。
でも。
それでも。
ああ学!
学が生きている!
その一点の事実が俺を奮い立たせる。
嫌われても、恨まれても、学の命が俺の心を鼓舞する。
「元気だったか?」
「翔太か、なんか用か?」
俺は憑りつかれたようにして学に電話した。
学に電話したのは、新しい方の記憶でも二年ぶりだった。
「………」
心の一方が、いつでも電話出来ると言っている。
だが、学とは二度と交われないと諦めていた別の心が、俺から言葉を奪ってしまった。
「急に電話してきて無言電話か?」
学の口調は冷えている。
こいつにしたら、時間の無駄としか思えないだろう。
「学、福島ではごめんな」
「今更……何を言ってんだ」
「ごめん。それでも………生きてくれていて、ありがとう。それじゃ」
これ以上喋ると泣いてしまう。
俺は礼を失していると分かりながらも、学の返事を待たずに電話を切った。
コールセンターでこんな事をしたらマナー違反で厳重注意だったろうな。
modの警告メッセージの意味を理解した気がする。
あれは警告を出して俺が死ぬことを抑止する機能じゃない。
自分は死んでもいいから過去を変えたいと、切に願う者のための機能なんだ。
それしか選択肢がなければやってやる。
俺みたいに何の取柄もない男が残るより、あいつら二人が生きる方が良いに決まってる。
それでも、優しいあいつらを悲しませるわけにはいかない。
分岐点は地震に遭ったスーパー前だ。ここを上手く乗り切れば道は開ける。
全員であの戦場を生き抜いてやる!
あきらめるもんか!




