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第四話・椿

五限目の桜蘭史の授業中。


担当の山中教諭が黒板に年号を書き連ねているところだった。


「桜蘭と死泉河の親交は建国から途切れることはなく___」


……信じられないくらい眠たい。


穏やかで単調な授業の声が子守唄のように私を襲う。私は試験前に勉強を詰め込む癖があり、いつもの授業はあまり聞いていないのだ。


「助けてくだしゃいいい!!!!」


そこへ飛び込んできた泣き声。


扉を思いっきり開け放ち走ってくる着物の女の子は私の腰にガシッとしがみついた。


教室内が静まり返り、私も学友たちも呆気に取られたように固まってしまった。




空き教室に駆け込み椅子に座らせる。


あのままわんわん泣き出すから思わず抱き抱えて授業を抜けてしまった。


1人で泣いている子を放っておけない。昔からそういう性分だ。


後でこっぴどく怒られそうではあるが。


「で、誰」


ひっく、ひっくと泣く小さな女の子をよしよしと宥めながら視線を合わせる。


「……つ、椿です。近くの椿神社の…」


「神様?」


椿さんがこくん、と頷く。


神様が女学生の腰にしがみついて号泣。


何だこの状況。


神様はこの世界にたくさんいる。


もちろん人間ほど多くはないが。


ただこんな弱っち……か弱い神様は初めて見た。


「椿神社って、うちの学校から歩いて10分くらいのとこですよね」


「はいぃ……」


「何があったんですか?」


椿さんはぐしぐしと袖で目元を拭い、それからまた盛大に泣き崩れた。


「ひとめぼれが………!ひとめぼれがいなくなっちゃって……!」


なるほど。それは確かに泣きたくもなるかもしれない。


椿さんいわく、椿神社のひとめぼれは幼馴染みたいなもので、物心ついた頃から毎日神社に足を運んでくれたらしい。


ところが数日前からずっと姿が見えず、不安になってしまったと。


もし事故や事件に巻き込まれて怪我をしていたり、亡くなってしまっていたらと考えたら怖くなってしまったと。


「てか、何で私なんですか?」


「朱根さんは怜様のひとめぼれ様だから、困った時に頼れば助けてくれるって…………」


ほうほう、誰からだろう。


「神の集会で、由佳様から……」


「神の集会って何ですか」


思わず突っ込んでしまった。


椿さんがきょとんとした顔で首を傾げる。


「桜蘭で暮らす神様同士、定期的に集まって色々と話し合いをするんです……」


「怜さん、そんなのに出てたんですか」


あの人が神妙な顔で会議に出席している図が全く想像できない。


想像したら笑えてしまう。


「それで、由佳様が……朱根さんはとっても度胸があって頼りになるって」


「……そうですか」


由佳様とは今度きちんとお話ししなければならない気がしてきた。


褒められてるのは分かったが何でもかんでもこっちに持ってこられると流石に困る。


教室に神の行列ができてしまう。


気を取り直して椿さんに向き直る。


ひっくひっくとまだしゃくりあげているその顔は、よく見ればずいぶん幼い。


いくつなんだろうか、この神様。


「椿さん、ひとめぼれの方の特徴は。あと最後に会ったのはいつですか。」


「……眼鏡をかけた少し真面目な男性です。最後にお会いしたのは確か………五日前、です。神社に来てくれた時に……その、少し言い合いになってしまって」


「言い合い?」


椿さんの目がまたうるうる潤み始めた。


慌てて「泣かなくていいです、話して」と促す。


「私が……社の掃除をさぼってたら、それを見て、『だらしないですよ』って……。それで私も、つい、『どうせお暇でしょう、人のことは言えないじゃないですか』って……」


「……あー」


どこかで聞いたような展開だ。


担任の鈴木教諭がそんなこと言っていたような気もしなくもない。


「そしたらそのまま帰ってしまって、それから姿が見えなくて。もし私のせいで嫌いになってしまったなら、もし怪我でもしていたなら……」


「ちょっと待って」


私は椿さんの両肩をそっと掴んだ。


「それ、本当にいなくなったんですか。仕事とかで忙しいだけじゃなくて」


「……え」


「人間も神様も、怒ったり気まずくなったりしたらしばらく顔出しにくくなることってありませんか。書き置きとか、伝言とか、神社に残ってたりしませんでした?」


椿さんの目が、ゆっくりと見開かれた。


「……確認して、なかったです」


「一回帰って確かめてみてください。それからでも遅くないですよ」


椿さんはしばらくぼんやりしていたが、やがてふるふると首を振った。


「……でも、もし本当に嫌われていたら」


「嫌いになったなら、黙って姿を消すより先に何か言いますよ普通」


少しの沈黙。


椿さんは自分の手元をじっと見つめてから、ゆっくりと顔を上げた。


目元はまだ赤いけれど、さっきより少しだけ落ち着いた顔をしている。


「……帰ってみます」


「うん、それがいい」


「如月さん、ありがとうございました」


深々とお辞儀をした椿さんが立ち上がりかけたところで、


「あの」


思わず呼び止めてしまった。椿さんが首を傾げる。


「喧嘩の原因、掃除のさぼりって言ってましたけど」


「……はい」


「次からはちゃんとやったほうがいいですよ。心配させると思うので」


椿さんは一瞬きょとんとして、それから小さく、やっと笑った。


「……はい」


「如月ー?お前授業中に出ていったって__」


突然、ガラッと扉が開く音がした。


「………あ」


担任の鈴木教諭の視線が私と、まだ涙目の椿さんと目が合う。


2人の視線がぶつかった。まずい。


見られた。か弱い女の子を泣かせたと思われるかもしれない。それに椿さんのことをなんで説明したら_________


「……椿さん?」


「鈴木さん……!」


椿さんの目に、またみるみる涙が盛り上がった。


鈴木教諭がその小さな体を、不器用に、けれど確かな力で受け止めた。


「ずっと、神社に来てくれなかったから……怒ってるのかと思って、ずっと…!」


すごく嫌な予感が頭の中に浮かんだ。


もしかして椿さんがずっと探してたひとめぼれって…………

「はい、鈴木さんです…!」


思わず頭を抱えてしまった。


私のところじゃなくて職員室に行ったら直ぐにでも会えたのに。


「すみません……ここ数日立て込んでて……」



こちらに意地悪そうな視線を向けてくる教諭に居心地が悪いと感じてしまう。


千年いなかったこの国の守護神のひとめぼれが自分の生徒から出た。


さぞ国との話し合いで忙しかっただろう。


「椿、俺は」


「ごめんなさいっ、私が悪かったですっ、だらしないのは本当のことで、でも暇なくせにだなんて、そんなこと思ってなくて……!」


「……俺こそ、言い過ぎました」


鈴木教諭の声が、私が今まで聞いたことのない、ひどく静かな響きを持っていた。 


「……あと、神社には来ていましたよ。椿さんが寝ている間に」


「え……っ」


「掃除もしておきました」


その言葉を聞いた途端椿さんがわあっと声を上げて泣き崩れた。


鈴木教諭は眼鏡を押し上げながら、困ったように、それでいて穏やかに目を細めた。


私はそっと、一歩後ろに下がった。


めでたしめでたし。


大変結構なことで。


二人は何やら小声で話しながら、仲良く廊下の奥へ歩いていく。


椿さんの花飾りが、楽しそうに揺れている。


私はその背中を見送りながら、壁にもたれてずるずるとしゃがみ込んだ。


廊下の冷たさが、膝からじわじわと染み込んでくる。


鈴木教諭が椿さんの体を受け止めた瞬間、私はなぜか急に自分の手のひらを見た。


何も持っていない。当たり前だけど。


幼い頃、誰かに受け止めてもらえた記憶が、私にはない。


「帰りたい」


どこへ、とは自分でもわからなかった。


膝を抱えてそう呟いた瞬間、廊下の向こうからこつこつと足音が近づいてきた。


止まる。


見上げると、怜さんが呆れたような、それでいてどこか安堵したような顔で私を見下ろしていた。


何でここにいるんだろう。


「……何をしているんだ、お前は」


「なんでいるんですか」


「質問に質問で返すな。お前の担任の教諭に用があってな」


何でわざわざ自分で来たのだろう。


部下でも派遣すればいいのに。


てか鈴木教諭は今駄目だ。お取り込み中。


「膝抱えて現実逃避してます」


「廊下で現実逃避か?」


「はい廊下で」


怜さんは少しの間黙って、それから静かにしゃがんだ。


私と同じ目線になった真紅の瞳が、まっすぐにこちらを向く。


「何があった」


「色々ありすぎて話す気力もないです」


「……そうか」


怜さんは何も言わず、私の頭にそっと手を置いた。


いつもみたいに引き寄せるでも、からかうでもなく。


ただ、そこにある、というように。


春の嵐の中で嗅いだような、甘く鋭いアネモネの香りがふわりと漂う。


「……怜さん」


「なんだ」


「本当に私を待ってたんですか」


怜さんの手が、一瞬だけ止まった。


「……何か吹き込まれたか」


「少し」


廊下の光が、静かに揺れた。


「そうだな、待っていた。お前がどこかにいると分かっていたから」


「気の長い話ですね」


「神だからな」


ふっと笑う声がして、私はなんだか無性に泣きそうになった。泣かないけど。


「……行くぞ、朱根。授業はもういい」


「サボらせる気ですか」


「お前の首席の座が揺らぐほど授業を休ませるつもりはない。今日のところはな」


立ち上がった怜さんが、手を差し出してくる。


私はしばらくその手を見てから、ため息を一つついて、その手を取った。


廊下を並んで歩きながら、私はもう一度だけ振り返った。


椿さんと鈴木教諭の姿は、もうどこにもなかった。


隣を歩く怜さんが、意地悪そうに口角を上げた。

何がおかしいんだ、と言いかけて__やめた。



怜さんの満足そうな顔を見たらもうどうでもよくなってしまったから。

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