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第二話・盗聴器

朝五時。


深い眠りから、弾かれたように目が覚めた。


作戦を立てた。


今日は何も考えない。いつも通り登校して、いつも通り授業を受けて、いつも通り寮へ帰る。


神様のことは一切考えない。なんて完璧な計画だ。


窓から覗くと外はまだ暗闇に包まれている。


千年見つからなかったこの国の『ひとめぼれ』だと言われて、ぐっすり眠れる人間がいたらお目にかかりたい。


昨日はパニックのあまり「ニート」だの「顔だけ男」だの暴言を吐き散らしてしまったけれど、冷静になればなるほど、事の重大さに背筋が凍る。


「……やらかした」


鏡を覗き込んでも、そこに映るのは昨日までと変わらない、冴えない自分だ。


今までもやらかしてきた自覚はあった。


でも今までの比じゃない。


寝癖のついた髪。


どこにでもいるような地味な顔。


少し薄い髪の色を除けばこれといって特徴のない女学生。


頬をつねってみるがただヒリヒリとするような痛みが私を襲うだけ。


現実だ。


千年。この国が、神が、世界が待っていた国母のような存在が、この鏡の前にいる少しだけお転婆な女学生?


人類史上最大のミスマッチじゃないだろうか。


挙げ句の果てに自国の神相手に信じられないほどの暴言を吐きらし帰ってきた、頼むから何かの間違いであってほしい。


不敬罪?処刑が頭をよぎる。


神様に助けを求めたいが、あいにく暴言を吐き散らした相手がその神のためどうしようもない。


四面楚歌とはこのことだ。


対策を考えよう。冷静に。


方法一、素直に謝る。………神様相手の暴言が謝罪で済む問題なのかどうかがまずわからない。


方法二、逃げる。相手が神な時点で桜蘭に逃げ場はない。詰んでいる。


方法三、知らないふりをする。後々捕まった時にもっと詰む。


方法四、全部夢だったことにする。頬をつねったらヒリヒリした。現実だ。


「……どうするよこれ」


思わず頭を抱えてしまった。視線が逃げるように卓の上へと向く。


「ねぇ、どうすれば良いと思う」


小さな位牌と遺影の前で手を合わせながら問いかけても、当たり前に返事は返ってこない。


私の母は小さい頃病気で他界。


父は事故で数年前に亡くなった。


そして父の葬式で身寄りのいない私を巡って親族が揉めに揉めた。


その後祖母に預けられた。が、その祖母からも疎ましく思われていたことは小さな私でも分かった。


でも今更そんなことを考えたってどうにもならない。


過去は変えられないのだから。


いつも通りの朝食を口に突っ込んで、いつも通り登校の準備をする。


この当たり前の日常に中に逃げ込めば、昨日のあの感覚も少しは薄れるかもしれない。そう思いたかった。




恐る恐る足を進めた校内は、異様な熱気に包まれていた。


通り過ぎる生徒たちが遠巻きに私を伺い、声を潜める。


「昨日、軍の車に……」


「理事長室からそのまま……」


という単語が耳に刺さる。


連行されるところを見られていたらしい。そりゃそうだ。


教室の引き戸を開けると、一瞬で室内がしんと静まり返った。


予想はしていたがやはり居心地が悪い。


「朱根! おはよ!」


親友がとてとてと駆け寄ってきて、私の肩を叩いた。


「昨日どうしたの?あれからそのまま帰っちゃうし。先生に聞いても教えてくれないからさ」


「ちょっとまたやらかした」


「……何をしたら軍の車で連れてかれるの」


学友たちは、私が『ひとめぼれ』に選ばれたことは知らない。


けれど、もう二度と「昨日までの私」には戻れない気がするという嫌な予感だけが、鉛のように胃の中に溜まっていた。


国語だろうが桜蘭史だろうが授業の内容なんて、一文字も頭に入らなかった。


窓の外をぼーっと眺めていると教諭に当てられ何とも情けない裏返った声が出た。


それに同級生達がくすくすと笑う。


こら如月、ちゃんと聞けというお叱りに笑って誤魔化すとため息を吐かれた。


それどころじゃないんだよこっちは。


放課後のチャイムが鳴り、逃げるように校門を出ようとした私の前に、一台の漆黒の高級車が音もなく滑り込んできた。


周囲が騒然とする中、後部座席の窓がわずかに降りる。


そこにいたのは、軍服の襟を正し、陶器のような美貌を無表情に保つ花守怜、その人だった。


「迎えに来た。乗れ」


「は、」


辺りを見回すと、写真機を取り出す者まで現れ始めている。まずい。


「あの、お呼びじゃないです………」


「迎えにくると言わなかったか?」


「聞いてません、それに私は寮生なので迎えはいりません」


「城に来るときはいるだろう」


不満げに唇を尖らせる様は、まるで子供のような愛嬌がある。


けれど、車内に乗り込んだ瞬間、ほのかに漂うアネモネの香りと共に、空気の密度が変わった。


「アネモネの香り……」


「分かるのか」


「はい。私は好きです、この香り。怜様はセンスがいいのですね」


昨日の不敬を思い出されないよう少し持ち上げておこうという計算もあったが、本音でもある。


「様はいい。怜と呼べ」


呼び捨てで呼べと?いや流石にそれは……


「……じゃあ怜さんで」


流石に呼び捨ては世間が許さなそう。


多分国民と信者から石を投げられる。


車が走り出して数分。


怜さんの視線が、ふっと険しいものに変わる。


「朱根。少し動くな」


「え、なんですか、また」


抗議しようとした私の唇を、彼の指先が優しく、けれど強引に塞いだ。


至近距離で重なる視線。その瞳の奥には、底なしの憎悪が浮かんでいた。


冷や汗が背中を伝う。人間味が強く忘れそうになっていたが、この人は武の神だ。


彼の手が、私の制服の襟元の裏側へと伸びる。


指先で摘み出されたのは、米粒ほどの大きさしかない、銀色の機械だった。


「………盗聴器か」


その瞬間、車内の空気が、音もなく凝固した。


怜さんの指先だけが、静かに動いている。


美貌はそのままに、そこに宿ったのは、数多の戦場を蹂躙した『武神』の、冷酷で苛烈な殺意。


「俺の獲物に、泥棒猫が触れたな」


その声は、震えるほど低く、地を這うような重さを持っていた。 パキッ、と乾いた音が響く。


精巧な盗聴器は、彼の指先の僅かな圧力で塵となり、火花を散らすことさえ許されずに消滅した。


「……不快だ」


あまりに静かな呟き。


それが逆に恐ろしくて、私は呼吸を忘れて固まってしまう。


すると、怜さんは粉々になった残骸を窓の外へ捨て、再び私に向き直った。


そこには、先程までの殺意が嘘のような、意地悪く口角を上げた「彼」がいた。


「面倒臭い……だが、面白い」


「全然面白くないです。その笑み、怖いのでやめていただけますか」


「いや。うちには優秀な研究員がいる。少し寄り道だ」


そうニヤリと笑った彼は、まるで最高に楽しい悪戯を思いついた子供のようで。


私はその、あまりに極端な「神」の二面性に、めまいを覚えた。


「寄り道って、地下の拷問部屋とかじゃないですよね。私そういうのは専門外ですし、倫理観が許しませんし」


そんな私に、怜さんはあからさまに呆れたような溜息をついた。


「お前は俺をなんだと思っている。……いや、ニートだと思っていたな」


彼は私の肩を引き寄せ、耳元で声を落とす。


「いいか、朱根。お前を傷つける奴は、たとえ神だろうと俺が叩き潰す。だが、その前に――。お前の制服にどこのどいつが盗聴器を仕かけたのか。それを調べ尽くすまで、俺の気は済まない」


大きな手が私の首筋をなぞり、まるで所有印を刻み直すような執拗さで襟元を整える。


「首が苦しいのと、息が粘着質すぎて怖いのと、後単純に近いです。離れてください」


「聞こえなかった」


「聞こえてますよね絶対」


私の抵抗など、彼は鼻歌交じりに聞き流す。


漆黒の車は、西日に照らされる宮へと、滑るように加速していった。

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