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第一話・遭遇

「如月、呼び出しだ。理事長室へ」


昼の賑わいを切り裂いたのは、木製の扉から顔だけをひょっこりと覗かせた担任の鈴木教諭の言葉だった。


私は、箸を止めて眉を寄せた。


机の上に広げた弁当の中身は、昨日より少し上手く焼けた焦げた卵焼きと不恰好なたこ形に切った腸詰め。


それをゆっくりと口に運ぶ暇さえ与えられない。


「何何なーに?主席の朱根さん今度は何やらかしたの?」


「また呼び出し?懲りないねぇ〜」


「え?次は何で?」


友人たちの好奇の視線とからかいを背中に浴びながら、私は内心首を傾げていた。


私の名前は如月朱根。この桜蘭高等学校で、入学以来一度もその座を譲ったことのない「不動の首席」だ。


不動の首席、という響きがなんとも英雄譚の主人公のようでかっこいい。


ただ残念なことに、呼び出しも不動らしい。


正直今回の呼び出しに心当たりがないわけではない。


法廷の傍聴中に横から口出しし難事件を解決しただとか、広場で子供たちと遊んでいたら好かれすぎて学校の郵便箱に私宛の手紙が隙間がないほどパンパンに詰められていただとか。


そういう類の呼び出しは今までも何度かあった。


ただ今回は何かが違うと私の勘が言っている。


教諭の顔がどこか曇っていたからだ。


「なぁ、如月。今度は何したんだ」


「いや私にも心当たりが……無いわけではないですが」


「あるのか。そりゃまずいな。自分の生徒が理事長室に呼び出しなんて、俺まで巻き添えを食いそうで怖いんだが」


そう会話している間に到着した理事長室。


三度ノックし重厚な扉を開けた瞬間、私の「日常」は音を立てて崩壊した。


部屋の中にいたのは、校長でも理事長でもない。 国章を刻印した軍服に身を包んだ、五人の武装した男たち。


「――十二時五十四分、二年二組如月朱根、確保。傷つけるなよ、それは『国の宝』だ」


状況を理解する前に黒塗りの車に押し込まれた。まぁ何とも情けない声を上げた自覚はある。



革張りのシートが冷たく、石鹸の混じった匂いが鼻をついた。


窓の外を、見慣れたはずの景色が猛スピードで流れていく。


瓦屋根の連なりと煉瓦造りの建物が交互に流れ、路面電車の警笛が遠ざかっていった。どこか遠くで風鈴の音がした。


この国――桜蘭には、二柱の守護神がいる。


世界を分かつ四大国のうち、他の三国は経済や技術で競い合いメキメキと力をつけている。


それは国の頂点の神がたった1人魂を捧げる相手――『ひとめぼれ』が存在するから。


そして桜蘭ではその頂点の隣の席が、建国から今まで空席だった。


「相当な照れ屋か、性格が悪いか……あるいは国民が不細工揃いか」


以前ラジオ受信機で流れていた不敬な冗談が頭をよぎる。


全知全能の崇め讃えられる我が国の神様がたった1人の人間を見つけるのに手こずってるなんて。なんとも情けない話だ。


連れて行かれた先は――桜蘭の象徴、神の住まう宮。


大きな庭には一本の巨大な桜が咲き誇り、この国を見守るように佇んでいる。その様子はまるで桜蘭の真の守護神のようだとも言われている。


宮の前で車が止まり、降りるよう促される。護衛は五人。


主席といえども、女学生を護衛するにしてはあまりにも物々しい。


畳張りの部屋へ通され何も言われず襖を閉められる、古い木材と畳の青臭さが混じった空気が肺に重くのしかかる。


金箔張りの襖の向こうから、線香の残り香がかすかに漂ってきた。


この高級感のある薄い色の襖とか売ったら価値すごそうだなぁ…と怒られそうなことを考えながらキョロキョロしていると襖が開いたため慌てて畳の床に跪いた。


前に、大きな二つの影が落ちる。


一人は、小麦色の髪を低く結い、軍服をきちんとと纏いこちらをじっと観察している女性。


花守由佳様。


桜蘭の守護神の1人であり、「麗しの由佳様」と国民から慕われている方。


確かに整っている美しい顔立ちをされていると思う。


「……顔を上げろ」


そしてもう一人、漆黒の髪。


深藍の軍服には金の釦が一列に並び、肩章の飾緒が室内の光をわずかに照り返している。


その襟元から覗く、彫刻のように鍛え抜かれた体躯。


そして、真紅の瞳の奥でギラリと光る、悪戯めいた、それでいて圧倒的な王者の風格。


この国のもう1人の守護神。


武神――花守怜。


一度戦場に出れば必ず勝利をもぎ取り、この世で彼に力で対等に戦える者は片手で数えるほどだと言われている。


つまり超強い人。


「そんなに緊張するな。取って食ったりはしない」


……噂通り顔は整っているな、とは思う。


私は異性を見る時に顔を意識する少しだけ面食いな自覚はあるが、この神様にはあまり興味がなかった。


だからまじまじと見たことはない。


ただ国民の中には怜様の信奉者の集まりもあるらしい。


神なのに。


怜様は私の前に屈み、逃げ場を塞ぐようにして至近距離で覗き込んできた。


ふわりと、春の嵐の中で嗅いだような、甘く鋭いアネモネの香りが鼻腔をくすぐる。


アネモネ……随分と良いセンスをしている。


彼は私の髪を一房取り、指先で愛おしそうに弄んだ。


その動作に、喉の奥が渇いた。瞬きすら忘れてしまった。


「…やっぱりな、見つけた。今日、この瞬間に」


「…はい?」


「分からないか。――ずっと桜蘭の神が空席にしていた『特等席』。そこへ座るべき女を、俺が今、決めたと言っているんだ」


思わずあんぐり口を開けてしまった。


「桜蘭の武神、花守怜の『ひとめぼれ』は――お前だ。如月朱根」


目の前の男は一体何と言った。


突然のことに何も言うことが出来ずにいると、怜様がこちらへ一歩、足を踏み出す。


その瞬間、本能が危険信号を鳴らした。


近い。


反射的に一歩下がると、怜様は意外そうに眉を寄せた。


「何故下がる」


「いや、反射的に…」


「反射で下がる相手なのか、俺は」


その言葉を口にした瞬間、瞳がわずかに揺れるがすぐに元の悪戯な笑みが戻る。


「………神様ですし怖いとお聞きしていたので」


その言葉に怜様の眉が少し下がる。


どこかしょぼんとしていて可愛さを覚えてしまう。


それはもう飼い主に拒否されて悲しんでる子犬のような。


「怖いか」


「はい、怖いです」


少しの沈黙。怜様がはぁ…とため息を吐いた、その行動ですらビクッと体が強張ってしまった。それを見てまた怜様がため息を吐いた。


「怖いだってさ、怜」


「お前なぁ」


由佳様は眉をひそめず、淡々と私を観察している。怜様が頭をかきながら鼻で笑った由佳様を睨みつける。


「誰だそんなことを言ったのは」


「下町の人達です」


分かりやすく眉間に皺が寄っている。意外と感情が豊かな人だ。


「それに………」


「それに、何だ?」


「……やっぱりいいです」


これ以上は首が飛ぶ。


流石に自分の命をこんなところで犠牲にするほどわたしは馬鹿ではない。


引き攣った笑みを浮かべて後退りしようとした私に、怜様は低く、愉悦を孕んだ声で笑った。


「不敬罪を気にしてるのか。勘違いしているな。言え。国民は俺をどう呼んでいる。神への直訴だ、許してやる」


顎を掬い上げられ、逃げ場を塞がれる。


至近距離で見つめる真紅の瞳は暴力的なまでに美しく、けれどその瞳に映る私はひどく惨めだ。


龍の檻にぶん投げられた小動物のようでひどく滑稽で情けない。


毒を食らわば皿まで。


私は怜様の指を振り払うようにして、一気に言い放った。


「わかりました言います。城下じゃ皆、『顔だけは良いニート神』『千年間ニートを極めた性格難あり理想が高い男』って呼んでます。ラジオじゃ他国の神様たちが可愛い可愛いひとめぼれ選んで幸せを享受してるのに、うちの神様だけはサボってるって皆呆れてますよ。情けないと思わないのですか」


一気にまくし立てると、部屋の空気が凍りついた。


後ろで武装した男たちが「ひっ」と短い悲鳴を上げるのが聞こえる。


また 怜様の眉間に深い皺が寄った。けれど、私は止まらない。


「私から言わせれば、千年もサボってて今さら『ひとめぼれ』なんて、あまりに無計画です。そんな行き当たりばったりの神様に、私の人生を左右される筋合いはありません」


「……ニート、だと?」


「そうです。神様の気まぐれ一回で、どれだけの血税が動くと思っているんですか。この国の人口の減退も産業の停滞も、神様がやる気を出さないからだって、書物に書いてやりたいくらいです」


沈黙。 それは、嵐の前の静けさというより、あまりに直球すぎる罵倒に神がフリーズしたような、そんな妙な間だった。


「ふ、ふふ……あはははは!」


沈黙を破ったのは、横で見ていた由佳様だった。彼女は腹を抱え、涙を流して笑っている。


「聞いたか怜! ニートだと!首席様は度胸が違うね、正論すぎて反論の余地もない!」


怜様が反論しようとした瞬間、後ろの護衛の一人がとても、本当に小さく「……正論」と呟いたのが聞こえた。


その後怜様に射殺しそうな目で見られて石になってる。



「黙れ、由佳。お前も同類だからな」


怜様は苛立ったように頭を掻きむしった。

そして、怒りよりもどこか「効いている」ような、複雑な表情で私を見下ろす。


「誰がニートだ。俺はただお前がこの世に現れるまで力を温存していただけだ。それに、無計画ではない。俺はお前を見つけるために、今日この日まで__」


「言い訳はいいですから、神様なら、もっとマシなお迎えの仕方を学んでください。いきなり軍服の男を送り込むなんて、教養が疑われますよ。どれだけ肝を冷やしたと思ってるんですか」


最後の最後まで毒を吐く私に、怜様はぐうの音も出ないといった様子で鼻を鳴らした。


けれど、次の瞬間。 彼は乱暴に私の腰を引き寄せ、耳元で熱い息を吐き出した。


「いい度胸だ、朱根。……そこまで言うなら、俺がニートじゃないことを、その身に刻んでやる。お前が『やっぱり神様はすごかった』と泣いて縋るまで、離してやらないからな」


「離してください力が強い」


怜様は満足げな、それでいてひどく執着に満ちた目で見つめていた。


――そして私は、この日から思い知ることになる。神に「ひとめぼれ」された女の末路が、「幸せになる」などという単純なものでは、決してないことを。


……とりあえず、明日学校に行ったら何て説明しよう。


いやそれより。せっかく作った私のお弁当が食べられなかった。


今日1番の損失はそこだと思う。そうでも思わないとやってられない。

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