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第九章 初恋の行く先は④


「うおぉ…今から私たちはここに行くんですか…!でっっっか!超高層…!!!お値段も凄そうです…。碓氷さん……本当に今日…ここで…………奢ってくれるんですか…?」

 とうとう俺たちは告白をする「ル・シエール」に着いてしまった。

 デデンと都会に登場した超高層ビルの見えない最上階を、笹野は見上げている。

「ああ。手持ちは充分あるから安心しろ。」

「な、なんだか申し訳ないです……。どうして奢ってくれるんですか…?」

 「どうして」?

 ……告白するからだろ…。


「……い、いつも世話になってるからな…。」

「お世話になってるのは私の方です…!」

「ま、まあなんでもいいだろ…。年上の特権だよ。ほら、寒いし予約の時間迫ってるから入るぞ。」

「ごちそうさまですっ!」

「まだ食ってないだろw」




 店内に入り、ウェイターに席へ案内された途端、笹野はやっぱり窓ガラスの奥に広がった輝く景色を見つめていた。ウェイターの説明も聞かずに、嬉しそうに夢中で窓の外を見る笹野の表情に少しだけ緊張が(ほど)けていく。


「はぁ〜…ずっと見ていたくなりますねぇ…。」

 ウェイターが去った直後、噛み締めるように笑った笹野に釣られて、俺も右手側のガラスの外に目をやる。

 自分たちより幾分も小さく見える暖色系のライトたちは、キラキラと瞬くように凍てつく夜空へ明かりを届けている。その美しさは俺も思わず息を呑む程で、まさに告白にもってこいの場所であることがわかった。

「そうだなぁ、ずっと見ていたいな…。」

 笹野とも……ずっとこうやって一緒にいたいな…。




「ん〜!これも美味しいです…!!!歯要りません!!」

 食前酒、アミューズ、オードブル、スープ、パン、ポワソン(魚料理)、ヴィアンド(肉料理)と次々に運ばれてくる少量の料理を笹野は全力で楽しんでくれているようだった。

 対して俺は……

「ふっ、美味いな。」

 緊張し過ぎて、味が全くわからなかった…。


 因みに、告白するタイミングは食後のコーヒーと紅茶を飲んでいる最中。花束を出すタイミングやセリフなど諸々、何度も家で練習してきたが……全て飛びそうだ…。

 しかしそんなことを言っていられる場合では無い。絶対に最高のデートにしてやるんだ。

 そう意気込んで、俺は口下手な性格の割にもめちゃくちゃトークを頑張った。だが、別に「頑張る」必要なんてなかった。いつも通り話せば、笹野がとても楽しそうに笑ってくれるから。

 そのおかげで、また少し俺の緊張は解けていく。




「私、碓氷さんに出会えて本当によかったです。碓氷さんと出会ってから、毎日がとっても楽しくなりました。」

 幸運なことに、サラダやデザートを堪能してから食後のコーヒーと紅茶が運ばれてきたあと、笹野が嬉しそうに語ってくれた。

 赤くなった頬は、別に酒に酔った訳では無いだろう。

「俺も、笹野と出会えて本当によかったと思ってる。毎日思ってるよ。」

 笹野の言葉に便乗しながらも、俺は告白を始めようと覚悟を決める。

 芳醇な香りを漂わせるコーヒーから手を離し、腿の上に手を載せる。そして、背筋を伸ばした。


 そんな俺を見て、笹野も砂糖たっぷりの紅茶をテーブルに置いて、素早く腿の上で小さな手を握りしめた。どうやら、今から「褒めてもらえる」とでも思っているようで、何だかワクワクと肩を少し上げて笑った。

 相変わらず呑気な笹野に、今度は逆に緊張してくる。



 俺は意を決して、笹野の瞳を真っ直ぐ見つめ、深呼吸をしてから語り始めた。


「笹野は、大嫌いな筈の俺の強みを見つけて受け止め、伝えてくれた。仕事仲間でも気づかないような俺の『強み』を。普通の人間なら、強みを見つけたとしても嫌いになった時点で突き放す。俺は、その誰にも持ち合わせていないような笹野の『優しさ』と、『寛容さ』に、救われたんだ。」

 俺の言葉の一語たりとも聞き逃さないように、笹野はしっかりと俺の目を見て聴いてくれた。

 俺が一生懸命纏めた想いを、まだ気づかずとも真っ直ぐに受け止めてくれた。

 嬉しそうに、少し照れくさそうに笑う笹野の柔らかい表情に、今度は緊張が解けていく。


「笹野に救われたのは一度だけじゃない。何度も……何度も笹野は、ガキみたいに捻くれた俺の心を受け入れて救ってくれた。本当に感謝してる。笹野のおかげで、俺は毎日笑顔で過ごせるようになった。笹野の笑顔を見ると、俺も嬉しくなって自然と笑えるようになった。……笹野のおかげで、信用できる人間がこの世界には存在するってことも知ったんだ。俺は最初、裏切られるのが怖くて拒んだのに、笹野が何度も俺を振り回すから、素直で真っ直ぐで、子供みたいだけど誰よりも大人の笹野を……疑うなんてできなくなった…。…悪い、また意地の悪い言い方をしたな。本当は俺は、こんな俺を信じてくれる存在がいるってことが嬉しかったんだ。初めて…人を信頼できた。初めて……こんなに、誰かと一緒にいたいと思った。初めて…………誰かを――好きになったんだ。」


 椅子の足元に置いていた紙袋から、俺は鮮やかに黄色が咲き誇る大きな花束を取り出し、笹野へ見せた。


 一瞬、大きく開かれた笹野のエメラルドの瞳が煌めき、シャンデリアの光を取り込みながら揺らめく。

 まるで飛び上がる程 高ぶったように、笹野は力いっぱいに太陽のような笑顔を咲かせた。

 その表情に安心して、俺はもう一度深呼吸をしてからハッキリと言葉にしていく。


「好きだ、笹野。気づいたらもう、隠せないくらいに笹野を好きになってた。ずっと、その無邪気な笑顔を隣で見ていたい。笹野が悲しいときはそばにいて、少しでも笹野を笑顔にさせたい。笹野を守ってやりたい。もし、笹野も同じ気持ちなら……俺の恋人になってくれませんか。」


 これまでに無いほどに高揚する胸を抑えながら、甘い香りを漂わせる九十九本もの季節外れの向日葵を笹野へ差し出す。

 俺の言葉を聞いた瞬間、笹野の嬉しそうな表情は一層輝いた。




 が――





 突如……その笑顔はゆっくりと消えていった…。



 そして、先程まで輝いていた歓喜の瞳は……徐々に彩度の低い憂愁の色へと染まっていく。




 俺が異変を感じ初めて数秒後……






「……ごっ、ごめんなさい…わたしっ……。」



 震えて掠れた声でそう零すように言って、笹野はガタッと席を立ち上がってしまった…。



 逃げるように足を踏み出す笹野の腕を咄嗟に俺は掴む。


「まっ…待って……!」


 何か、隠していると思ったのだ…。

 そして、その笹野が感じている「不安」を教えて欲しかった。…けれど、拒絶されるかもなんて もう既にされているのに怖くなって……俺は、掴んだ手をゆっくりと離した…。


「どうやって帰るつもりだよ…?途中で…な、なんかあったら困るし………きちんと…責任持って家まで送らせろ………。」

「…大丈夫です…。タクシーで帰ります…。……ありがとうございました…。」


 深々とお辞儀をして、笹野は右足を庇いながらも走り去っていく。一度も俺の顔は見ずに、自分の顔は見せずに…。


 そのときの笹野の声は、強ばっているようにか細く震えていた。

 俺は……力無く荷物を手に取って、込み上げてくる涙を必死に堪えながらもレジへと向かった。











✶ --­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­- ✶


 「好き」と、確信的な碓氷さんの優しい声が耳に響いた瞬間、私の心はあたたかいもので満たされた。嬉しくて嬉しくて、気を抜いてしまえば立ち上がって碓氷さんに抱きついてしまいそうだった。

 「私も大好きです!」と直ぐに届けようと口を開き、数え切れない程の豪華な向日葵を受け取ろうとしたその瞬間――



 突然、心の中が黒くモヤモヤとした気持ちの悪いものに支配された…。



 何故かはわからないが、あの日――唯織さんと三人でディナーをいただいたときの夜に見た夢が頭の中でフラッシュバックした。


――「え……笹野…幽霊なんて見えるのか…?……やっぱり…あんたは『普通』じゃなかったんだな。気持ち悪い…。もう、話しかけてくるな。俺はそんなバケモノみたいな人間とは関わりたくない。じゃあな。」


 私には見せたこともない、冷酷な瞳が私の脆い心を貫いた。そんな夢の中の碓氷さんの顔は、ブツブツと脈打って……私のお母さんの顔へと変形する。


――「もうやめて!!!私は化け物なんか産んだつもりは無い…!!!幽霊なんてバカみたいなこと、もう二度と口にしないで!!!」


 耳を(つんざ)くような甲高い叫び声が、頭の中で流れる。大きく見開いた母の目は、私を逃さないとでも言うようにはっきりと捉えていた。

 そして、それを合図とするかのように嫌な言葉たちが頭を流れる。



「……あかりちゃん、さっきからどこ見てるの…?ちょっと…こわいよ……。」



「えっうっそ、明香里…幽霊見えてんの…?……そ、そう…?い、いや…はは、なんでもないよ…。…大丈夫大丈夫、疑ってないから。」



「ねー、そういや知ってる?二組の明香里ちゃんって、幽霊見えるんだってー。ちょっとキモくない?」

「えーきも〜いw スピリチュアル的な?w 前から変な子だと思ってたんだよね〜。明日から無視しよー。」



「二組の笹野明香里って、幽霊見えんだってよ。」

「へぇー。言われてみれば確かにこの前、なんか何もいないのに一人で楽しそうに話してたなぁ。超気持ち悪かったわ。もしかしたら精神病かなんかじゃね?あんなん頭おかしくないとならんだろ。」

「確かにw 一理あるわ〜w」

「てかお前、こないだあいつのこと好きって言ってなかった?」

「あー……『前』な?幽霊見えるとかキモいじゃん。今は顔見るだけで吐き気するw」

「えーお前性格悪すぎ〜w」

「なあ、あいつのこと好きだったこと、周りにぜってー言うなよ?」



「明香里…もう、お母さんのことは忘れた方がいい……。」



「本当はそいつのこと大切じゃないんじゃないの?それとも、本当は──そいつのこと、大切にし続けられる自信無い?」

「ホントに?本当に、コイツのこと信用できんの?」



 そんな、思い出したくもない嫌な言葉たちは私の頭をぐるぐると駆け巡って、砕けた私の心へと物凄いスピードで浸透していった。

 その所為で……目の前の碓氷さんの真っ直ぐなヘーゼルの瞳が怖くなる。

 そして、こんなことが頭に浮かんできた。



 ……碓氷さんも、「幽霊が見える」と知ったら…いつかは私を拒絶するのだ、と。



 それを証明するように、私の脳内にはもう一度……「ゆうきくん」と話していた私を見つめた、碓氷さんの不信感で侵された瞳が私を追い込むように映し出される。


 その瞬間、呼吸ができなくなって私は慌てて息を吸い込んだ。

 頭の中には何か重りのようなものがぐわんぐわんと移動しているようで、目の前が(くら)んできた。



 碓氷さんが優しいことは充分わかっている。けれど……今まで出会ってきた人たちは、私に幽霊が見えるという気持ち悪い力があることを知ると、みんな私を嫌悪の目で見つめ、私を突き放した。だから、「受け入れてもらえる」なんて期待は私には抱くことができなかった。

 もう、幽霊が見えることを知られてしまえば……「嫌われる」という選択肢しか、私には残っていなかったのだ。



 嫌だ……捨てられたくない…。

 嫌われたくない。

 「バケモノ」だなんて言われたくない。

 もう……あんな思いしたくない。

 傷つきたくない。






 嫌だ…




 嫌だ……



 嫌だ……。

 嫌だ

 嫌だ嫌だ

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!!!





 既に私の脳は、心は――恐怖で侵されていて、もう……碓氷さんから逃げることしか頭に無かった。


「……ごっ、ごめんなさい…わたしっ……。」


 そう言って席を立った私を見て、碓氷さんの瞳は取り込んでいた希望を全て断ち切り、絶望の色へと変化する。碓氷さんが傷ついたのは、考えずとも直ぐにわかった。

 けれど、私はそんな大好きな碓氷さんのことは……一切、考えられなかった…。


 それでも碓氷さんは、たった今裏切った私を変わらず想ってくれているようで、慌てて立ち上がり掴んだ私の腕をゆっくり解放する。そして、今にも涙が零れてしまいそうな震えた声で私の帰り方を尋ねた。


 やめてください…。

 優しくしないで……。

 嫌われることが怖いんです……。碓氷さんだけには…絶対に嫌われたくない…。

 捨てられたくない………。


 そんな頭の中から零れる数多もの言葉たちは伝えることができず、私は溢れてくる涙を隠すようにして、足早にレストランを後にした。





 自分で選択した道の筈なのに、胸が酷く痛む。痛くて痛くて……私は溢れてくる涙を止められずにいた。

 行き交う人々は私を見ては、何も見なかったかのように通り過ぎていく。


 碓氷さんとは、もう会うことはできないだろう。

 あの優しく愛おしそうな笑顔を見ることも、私とは違って大きな骨感のある手に触れることも、叶わない。

 今頃になって、碓氷さんがかけてくれた優しい言葉たちが頭を駆け巡る。


――「俺と居るときは、無理に笑ったりすんなよ。俺のこと…信じてるんだろ?」


――「…………干渉しすぎだとか…思うかもしれない…。でも……………笹野が心配なんだ…。……それは、お前が世間知らずな馬鹿だからってのもあるだろうけど…………一番は………やっぱり……………………やっぱり……………笹野が……たっ…大切………だから……なんだ…………。」


――「来年のクリスマスも、こうやって一緒に過ごしましょうね。」――「当たり前だ。」


――「おい、笹野。こっち見ろ。…そっちに何があるのか分からないけど、何があっても俺が守ってやる。命に変えてもな。」


――「碓氷さんは、私といて幸せですか?」――「当たり前だろ?幸せに決まってる。」


――「…泣くんなら、胸貸してやるから。」


――「……母親の存在が恋しいんなら………俺の母さんに甘えたらいい。でも……もし、それが難しかったら…………幾らでも………お…俺に甘えたらいい…。」


――「……大丈夫だ…。忘れる必要なんか無いよ。『優しくて大好きなお母さん』は、笹野の胸の中に大切にしまうといい…。」


――「まあ、確かに性格は変わってるかもな。全部、笹野のおかげだ。信じられないと思うけど、笹野と出会ってから本当に世界が明るくなった気がするんだ。笹野がいてくれるから、俺も少しは自分を大切に思えるようになる。出会った頃はさ、笹野の明るさが、純粋さが大っ嫌いだったけど……笹野と関わってくにつれて、大好きに変わったんだ。」


――「笹野は凄いな。」


――「笹野のおかげで、俺は毎日笑顔で過ごせるようになった。笹野の笑顔を見ると、俺も嬉しくなって自然と笑えるようになった。……笹野のおかげで、信用できる人間がこの世界には存在するってことも知ったんだ。」


 今まで幾人もの人と出会ってきたけれど、嬉しいときも悲しいときも私に寄り添ってくれたのはいつだって碓氷さんだった。


――「好きだ、笹野。」



 初めて碓氷さんのあんな真剣な表情を見た。


 なんで私は……こんなにも大好きなのに…信じることができないんだろう…。碓氷さんは……信じることに恐怖を感じながらも、一生懸命私を信じてくれたのに…。真っ直ぐ、私を愛してくれたのに…………。


 どうして…どうして私は…………。


「っ…うすいさぁんっ……。」


 凍てつくような冷たい風が吹き抜ける都会を暫く走ったところで、私はついに立ち止まってしまった。涙は拭っても拭っても洪水のように溢れてくる。

 靴擦れで痛む右足を庇いながらも、覚束無いリズムで歩いていると、ドンッと正面から誰かがぶつかってきた。

「っ…?!」

 ビクッと肩を跳ね上げさせ、顔を上げると……


 目の前にはガラの悪いサングラスを掛けた男性が私を鋭く睨んでいた。踏まれた足が痛むが「ごめんなさいっ…」と謝って過ぎ去ろうとすると、その男性は私の行く先を(はば)んだ。


「な゙ん゙や゙ぁ゙逃げるつもりかぁ?あーあぁ、ねーちゃんの所為でせっせ頑張って働いた金で()うた靴が汚れてしもうたなぁ?どうしてくれまんねん。こら、べんしょーやな、べんしょー。おら、金。金出せや。」


 私は討論する気力もなく、お財布からありったけのお金…五千円を出そうとするが……

「あ、いたいた。もう、急に走るなよ。」

 背後から聞こえた聞き慣れた声に振り返ると、そこに立っていたのは……碓氷さんだった…。

 碓氷さんは息切れをしながらもこちらに駆けてきて、正面の男性にあたかも今気づいたように「ん?誰だよあんた。」と声をかける。

 すると、男性は新しい獲物を見つけたとでも言うようにニチャリと不気味な笑みを浮かべて、碓氷さんへ詰め寄った。

「兄ちゃんさぁ〜、ガキから目ぇ離さんように気ぃつけてくれまへんとぉ。おら見ぃ、オレの靴……こいつに踏まれてしもうた所為で汚れてしもうたんですわぁ。ちょ〜、高かったんに。こらぁ、お詫びとしておカネ、払うて──」

「あぁ、これしまむらに売ってた靴じゃん。これ俺も買おうか迷ってたんだよな。それで?しまむらの靴が何だって?」

 威圧感を与えてくる男性の言葉を、碓氷さんは怯える素振りも一切見せずに……そんなことを言った。私を守るように後ろにやって、はっきりと言い放った碓氷さんの背中は、大きくて逞しかった…。

 そのかっこよさに、胸が抉れる。

 碓氷さんの言ったことはどうやら本当のようで……男性は顔を真っ赤にしてその場を去ろうとした。


 しかし………


「おい、待てよ。」


 低い声で碓氷さんが男性を呼び止めた。

 男性が振り返った瞬間、碓氷さんは「こいつの足、あんたの所為で血出てんだけど。踏んだのあんたなんだろ?」と鋭い目で訴える。

「そっ、そんなもんどこに証拠が──」

「謝れ。」

「あぁ?!なんややんのか?!あんまなめっとたら、いてこまうど――」

「あんたと喧嘩するつもりは無い。ただ、怪我させたんだから謝れって言ってるだけだ。まあ、謝らないんなら、 一部始終 録音させてもらったから、警察行けば『詐欺罪』か『恐喝罪』で捕まることになるけど。」

 手元にあるスマートフォンをトントンと長い人差し指でつついて、碓氷さんがそう言うと、なんと男性は悔しそうに「……っ…すみまへんした…。」と言って去っていった。

 男性が去っていくのを碓氷さんは見届けてから、まるで緊張が解けたように「……ふぅ…。」と一息つく。そして、どこか苦しそうに私へ何かを差し出した。


「……こ、これ、タクシー代…。笹野は知らなかっただろうけど、都会のタクシーは高いんだよ…。今日爆買いしてたし足りないだろ。」

 そう言って碓氷さんが差し出した五万円の上には二枚の絆創膏が。……そのうちの一枚は、靴擦れ用だ…。


 なんで……気づくんだ…。

 今は………その優しさが苦しいというのに……。


 …碓氷さんの手は、小刻みに震えていた。

 ……私と話しているからだろうか…。それとも………先程の男性、碓氷さんも…怖かったのだろうか……。


「…ありがとうございます……。」

 お揃いに震えた手で受け取ると、丁度通ったタクシーを碓氷さんが呼び止める。

「………じゃあ……気をつけて帰れよ…。」

 悲しそうに微笑んだ碓氷さんは、タクシーのドアを開け、運転手へ「お願いします」と言って去っていった。


「お客さん、どこまでにします?」

 タクシーの運転手さんに言われて、住所を言う。けれど、それから数秒もすれば必死に堪えていた涙も一気に溢れてきてしまうのであった。


 はやく……早く忘れなくちゃ…。


 そう思っていても、頭の中は碓氷さんの優しい笑顔や悲しそうな潤んだ瞳、落ち着いた声で埋め尽くされたままで………



「っ………ううっ…」

 胸が握り潰されたように痛かった。


 けれど、きっと……碓氷さんは私より胸が張り裂けそうな思いをしているのだろう…。唯一信頼していた私が……碓氷さんを裏切ったのだから…。

 こんなことになるのなら………恐怖を無視してでも、碓氷さんと付き合うんだった……。

 「気をつけて帰れよ」と笑った碓氷さんの苦しそうな表情が……頭から離れない…。

 私が席から立ち上がったときの、碓氷さんの瞳から希望の色が消えていった瞬間が頭から離れない……。


 どうして………どうして碓氷さんは…自分を裏切った私に、あそこまで優しくするんだ……。もう…私のことなんて突き放せばよかったのに………。碓氷さんから突き放してくれさえすれば…私の苦しみも二倍に増えることなんて無かったのに………。


 うぐっ、うぐっ…と情けない声を洩らして子供のように顔を歪ませながら泣いていると、運転席から「お、お客さん…大丈夫ですか?」と戸惑った声が聞こえてきた。

 すぐさま「大丈夫です」と答えようとしても、勝手に零れてくる嗚咽によって上手に息が吸えず、声を出すことができなかった。

ここまで読んでくださりありがとうございます!


個人的に、このパートめちゃくちゃ好きです。書いてるの自分なんですけど笑

実際、好きなのに過去のトラウマから、自分を愛してくれる人を信じられなくて逃げちゃう人いるだろうなぁって思いながら書きました!

この話を読んで共感してくれたり、この先を楽しみにしてくれたらとっても嬉しいです。

ぜひ来週もお楽しみに.*・゜



※本作はフィクションであり、実在の団体・人物とは関係ありません。

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