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第九章 初恋の行く先は③


「わぁ〜!かわい〜い〜!♡」

 レストランにて、運ばれてきた料理に笹野はキラキラと瞳を輝かせた。

 運ばれてきたのは、ほのかにピンク色に色付いた蟹の形をした米の周りに、海よりかはエメラルドの宝石のような――そう、丁度 笹野の瞳に近い色をしたルーの入ったシーフードカレーライスだった。


 すごい色だな……。食欲が削がれる気しかしない…。


 そうやって現実的に考える俺とは対称的に、笹野はカレーライスの蟹とお揃いのくりくりの目を細めて嬉しそうに「かわいくて食べられないです〜!」と写真を撮る。

 そんな笹野に俺は思わず、だらしの無い笑みを零していた。

 因みに俺は、普通のふわとろオムライスを頼んだ。

「では!いただきましょうか!」

「そうだな。」

 と、いつものように笑い合って

「いただきます!」「いただきます。」

 俺たちは食事を始めた。


 笹野は、可愛らしい顔をした蟹のカレーライスをじーっと目に焼きつける。

 俺はそんな笹野を、バレないようにオムライスを掬いながら視界の端で目に焼きつけた。視界の端で、笹野は頬を緩みに緩ませてカレーライスをひと口食べた。

 そして……


「おいし〜い…!!」


 噛み締めるように、キラキラとした目を細める。

 俺はもう、ニヤつきを我慢することを諦めた。この顔は反則だ。見ているだけで幸せな気持ちで満たされる。

「ふっ…あんま食欲そそられない色してるけど美味いのかw」

「はい!美味しいですよ!碓氷さんも一口いかがですか?」

「うん、食べてみる。」

 正直、こんな真っ青なカレーライス…食べるのには気が引けるが……少し、俺も冒険したくなった。

 微笑みながら、俺は持っているスプーンで正面のカレーライスを掬おうと手を伸ばす。


 だが……


「どうぞ、碓氷さん♪」


 笹野は、カレーライスを自分のスプーンで食べようとしている俺には気づかずに、たった今 笹野が口をつけていたスプーンでカレーライスを掬ってみせた。そして、カレーライスの載ったスプーンをなんの気もなしに「あ〜ん」とこちらの口元へと運んでいる…。


 あ…「あ〜ん」をしろと…?!!そんなの…ご褒美すぎやしないか?!!

 って…!!何考えてんだ俺は…!!!付き合ってもないのに「あ〜ん」なんて良くないだろ……!!!しかも笹野の使ってたスプーンだぞ?!!!で…でも…………笹野が気にしないなら……


 っいや!!気にしろよ…!!!!もっと警戒しろよ…!俺という男を……!!!

 てかこれどうする…?!た…食べていいのか……?!!

 なんて考えている間にも時間は過ぎていく。笹野はこてっと首を傾げて「食べないんですか?」と俺に尋ねた。


 …………こんなん…断れる訳が無い……。そう…不可抗力ってやつだ………。


 そうやって勝手に頭の中でこじつけて、俺はゆっくりとスプーンに近づいた。ぱくっと食べると、笹野は静かにスプーンを抜く。そして、「食べた!」とでも言うように嬉しそうに肩を少し上げて笑う。

 その一連の動作が、俺を更に魅了させた。


「どうですか?美味しいですか?」

 ニコニコと無邪気な顔で笹野は俺へ笑顔を向ける。


 ……緊張しすぎて味がわからねぇ…。


「碓氷さん?」

「あっ…ああ……めっちゃ美味い。」


 俺の言葉に、笹野は満足気に「よかったです。」と笑った。


 …………俺も……負けてばかりではいられないな…。


 最近、笹野にドキドキしっぱなしで悔しいので、俺も笹野を意識させてやろうとふわとろオムライスを俺のスプーンで掬う。


「笹野も食べるか?」

 なんて引き攣った悪戯げな笑みを浮かべて、スプーンを笹野に見せる。

 すると――


 笹野は何も言わずに、スプーンを持つ俺の右手を掴んで引き寄せ、小さな口にぱくりとオムライスを入れた。


「うーん!美味しいです!」


 か……勘弁してくれ…。


 そういえば笹野は前からこんなふうに、人が口をつけたものとか気にしないタイプだったな……。初めて一緒に出かけた映画館でも気にせずに俺のジンジャーエールを飲んでいたし…。


「あれ?碓氷さんってオムライス好きでしたっけ?珍しくないですか?碓氷さんがオムライス頼むなんて。」

 昔を思い返しつつ、最初の方から俺は笹野に負けていたんだという事実に気づいたところで、笹野がそう尋ねた。俺は反射的に顔を上げる。


「…あ、あー……気分だよ気分…。普通に好きだし。」

 ………笹野が迷ってたから頼んだなんて、口が裂けても言えねぇ…。笹野の笑顔が見たいから頼んだなんて…………。

「そうですか!そういえば、食後にバレンタイン限定のケーキを食べませんか?」

「お、いいな。苦めのケーキがあるといいけど…。」

「ご安心を♪ さっきメニューで確認したら『ビターチョコレートのガトーショコラ』がありました。」

「マジか、じゃあ俺それにするわ。笹野は?」

「私は、『ハートの桃ケーキ』にします!」

「おぉ、もう決まってたのか。」

「はい♪」

 スイーツの話をすると一層嬉しそうだな。可愛いヤツめ。

 笹野の好きなところがポンポン出てくるもんだから、あまりの愛おしさに本日何度目かもわからないニヤケを零す。

 そこで、俺は気がついた。

 笹野の小さな口元に、カレールーがついてしまっていることに。

 俺は何も考えず、反射的におしぼりを手に笹野の口元優しく拭いた。

「ちっさい口でバクバク食うからつくんだよ。ゆっくり食べろ。時間ならまだ余裕あるんだからさ。」

 気を抜いていたため、俺は自分がにやけ顔のままだったことに気がつかなかった。頬が突っ張るような違和感で漸く、だらしなく笑っていたことを自覚する。「やばっ」と思った矢先――


「あっ……ありがとう…ございます…。」


 笹野が慌てて自分のおしぼりを持って、口を隠した。直ぐに俯いていたため、あまり見やすい状況では無かったが、少しだけ見える笹野のもっちりとした頬は、赤く染まっている様子が伺えた。


「い……いえ、どういたしまして…?」

 予想外の反応に動揺しながら返しても尚、笹野は何も言わずに恥ずかしそうに俺から視線を外すだけであった。


 や、やっぱ……俺を少なからず意識してる、よな…………?




 昼食を終えると俺たちは、イルカショーの会場へと急いだ。その行動が功を奏したのか、会場へ着くと客は数名程度しかおらず最前列の席をとることができた。

 イルカショーまではまだ二十分もあるが、俺たちにはその待ち時間が苦痛ではなかった。

「そういえば碓氷さん、今度映画観に行きませんか?」

「いいけど、なに観るんだ?」

「『ドッグマン』っていう映画です。犬小屋で育てられた男性の壮絶な人生を描いたストーリーで、どうやら『ジョーカー』に似ているとか。」

「マジか、超面白そうじゃん。絶対行こうな。」

「はい!…って言っても、公開は三月なのですが。」

「来月なんて直ぐ来るよ。『ドッグマン』一緒に観るの、楽しみにしてる。」

「私も楽しみにしてます!!」

 そう、他愛も無い雑談を楽しんでいたから。

「……カラオケ行きたいな…。」

「随分と急ですね。今度一緒に行きますか?」

 ふと、頭に浮かんだ言葉を何気なく声に出してみても、笹野は必ず反応してくれる。そして、俺の待っていた「答え」もくれる。

 こういう「素直」で「俺の気持ちを汲み取ってくれる」ところも、当然好きなところの一つだ。

「そうだな、笹野と行ったことないし行くか。笹野は歌が上手いから早く聴きたい。」

「実は私、前まで歌には自信があったのですが……車の中で碓氷さんの歌声を聴いて、自信なくしちゃいました…。」

「何言ってんだ、笹野の方が上手いだろ。」

「いえ!かんっぜんに碓氷さんの方が勝ってます!碓氷さんが私に『負ける』だなんて、有り得ませんから!」

 そして、こうやって直ぐにムキになる子供っぽいところも。

 普通の人なら「短所」として受け取るようなところも、愛おしく思ってしまうのだ。

「ふふっw まあ気に入って貰えたならよかった。そういえば、人前で歌うのは笹野とのドライブが初だったな。」

「そうなんですか?!それであの上手さ…!どうかしてますよ!」

「そうか?w」

「はい、碓氷さんの歌声は何だか安心します。変な癖もありませんし、鼓膜を震わせる優しい低音が心地よくて、ずっと聴いていたいと思ってしまうほどです。」

「…そ、そうか……。」

 そんなこと言われると…恥ずかしいな…。


「あー、引かないでくださいよ?たっ、ただ、歌声の『ファン』なだけなんでっ…!けど……普段の声も大好きです。どの声よりも落ち着きます。」

 そう屈託のない笑顔を浮かべる笹野は、少しだけ照れているようだった。

 どういう意味を含んで言っているのか、ただ単純に俺の「声が」好きで言っているのかはわからないが、それでもとても嬉しかった。それは、今まで隠していた想いが自然と顔を出してしまうほどで……


「俺も、笹野の声は好きだな。聴くと元気が出る。俺は基本的に一人が好きだけど、それでも笹野の声だけはずっと聴いてても苦じゃない。それどころか、ずっと聴いてたい。」


 語りすぎてしまったことに気づいたのは全て言い終わってからだった。

 笹野は耳まで赤らめた顔を隠すようにして、なんとも言えない表情で自分の髪を撫でている。


 しまった…。随分と気色の悪いことを……と、焦った俺は慌てて付け足す。

「う、うるさいし幼くて他には無い声だしな…。」

 こうやって卑怯にも逃げてしまう自分に腹が立って、俺は俯く。

 そんな俺の気持ちを知っているかのように笹野は「ずるいですよ…。」なんて、風に掻き消されてしまいそうな小さな声で呟いた。そして、悔しかったのか拗ねたように俺の顔も見ずに言い返す。

「私も碓氷さんの……っ…………ぁ…ぅ……碓氷さんのっ…!!…えと……ひ、人たらしみたいな声好きですけどね!!」

 「言い返す」と先程は表現したが、撤回しよう。

 全然言い返せていなかった。なんなら、どっちかというと褒めてるし…。

 悪口が思い浮かばないなんて、如何にも笹野らしくてつい吹き出す。そんな俺を見て笹野は再び恥ずかしそうに髪を触る。

 そして、誤魔化すようにクソデカボイスで勢い良く尋ねた。

「そういえばっ…!!唯織さんはお付き合いしてる人とかはいるんでしょうか!!!」

「どうした急に。」

「たっ、ただ気になっただけです…!」

「ふーん?俺には、俺の声を貶す言葉が見つからなくて、その恥ずかしさを紛らわす為に姉さんの話を無理矢理引き出したようにしか見えないけどな。」

「ゔっ…。」


 随分とバツが悪そうな顔するじゃんか…。わかりやすっ……可愛すぎだろ…。


「そ、それで…?いるんですか…!」

「俺も前に訊いたけど、いないよ。あんな人に彼氏なんかできる訳ないだろ。それと、姉さんには『彼氏いるんですか』とかそういう類のものは訊かない方がいいぞ。警棒で殴られるか、拳銃で撃たれる。」

「碓氷さんも大概だと思いますけどね……。『彼氏なんかできる訳ない』とか……唯織さんが聞いてた場合の格闘が容易に想像できちゃいます。」

「あの人は外ヅラは優しくてコミュ力おばけだけど、化けの皮を剥がすと横暴で傲慢だからな。そりゃあ、彼氏なんてできる訳ないだろ。」

「そういう唯織さんを『可愛い』と思う方が現れるかもしれませんよ?唯織さん、ツンデレだし。」

「あぁ……まあ…確かに………。」

 俺も笹野の「欠点」でさえ可愛いと思ってしまうしな…。

「けど、相当悪趣味だな。姉さん好きになるとか。」

 そう俺が呟いた瞬間――


――トゥルトゥントゥントゥントゥントゥントゥントゥン♪トゥントゥルトゥントゥントゥントゥントゥントゥン♪


 ポケットに入れていたスマートフォンが、突然けたたましく鳴り出した。俺はビクッと肩を跳ね上げさせ、かけてきた主は誰かと画面を見る。


 すると……


「えっ…」

 それは……なんと、姉さんであった…。


 笹野は、ビビる俺を見てぷぷぷっと笑う。

 恐る恐る、俺は応答ボタンを押し…そっと耳を近づける…。

「もっ…もしもしどうした姉さんっ…。」

 まさか悪口を言っていたことを知られた…?!盗聴器でも仕掛けてるのか……?!いや…姉さんなら普通に野生の勘で陰口叩かれてることに気づきそう…!!!

 なんて、また姉さんに虐められると怯えていたが……


『やっと出た。遅いわよ律月。』

 どうやら、悪口に怒っている訳では無さそうだった…。

 よかった……。流石の姉さんでも、そんな野生的な恐ろしい能力は持っていないか…。

 安堵で笹野と目を合わせると…笹野はくくくっとビビっていた俺を嘲笑っている。

「……。それで…?何の用…?」

『“何の用”って…そりゃ、あんた明香里さんに告h――』

「わー!!!『笹野と出かけてるのか』って?!そうだな今日は水族館来てんだ!!」

 姉さんの声が笹野に聞こえる前に、俺は慌ててそう姉さんの言葉を遮った。すると、姉さんは珍しく察して小さな声で『あっ…ごめん…!』と謝る。

 そして、少しでも早く終わらせようと『それでさっ。』と話し始める。

『あんた、近いうち実家帰ってきなよ。』

「なんで?」

『……前まで…私の所為で帰れて無かったんでしょ…?もうさ……私との仲も修復できたんだし……父さんも母さんもあんたに会いたがってるし…た、偶には…?……その………帰ってきてもいい…っていうか………その、二人とも律月のこと心配してるんだから、偶には顔見せてやりなさいよ!』

 思いもしなかった姉さんの願いに、俺は何と返せばいいのかわからなくなって、助けを求めるように笹野へ目で訴えた。

 しかし、笹野は何だか嬉しそうに優しく微笑み、頷く。そして、囁くように声を潜めて言った。

「唯織さんも会いたがってるみたいだし、帰ってあげたらどうです?」

 そんな笹野の言葉に、優しい顔に、声に、俺は酷く安心を覚えた。だから、深呼吸をして答えを伝えようと――

『唯織さ〜ん、早くしてくださいよ〜…。僕、ずっと構って貰えなくて寂しいんですけど〜!あっ、どーも弟さん!今、唯織さんは僕とデート中なんですよ〜。なのに急に“弟に電話する”とか言い出しちゃって〜…酷いですよねぇ……。』


 ……伝えようとしたところで、電話の向こうから拗ねたような若い男の声が聞こえてきた。その声に反応して、俺と笹野は同時に顔を見合わせる。

 そして……

「え!唯織さん彼氏さんいたんですか?!」

「嘘だろ?!姉さんに彼氏とか有り得ねえ!」

「しかも年下?!すっごい意外です…!おめでとうございますっ唯織さん!」

「姉さんに彼氏できること自体が有り得ない!!明日は空から矢が降ってくるぞ!!」

 俺たちは口々に興奮した様子で、姉さんに祝福の言葉を述べた。


『うっさい彼氏じゃない!!』

「はっ!w だよなそうだと思っ――」

「嘘です!恥ずかしがらなくていいんですよ唯織さん!」

『そうですよ唯織さん〜、せっかくのデートなんだから堂々と認めてくださいよ〜…。』

『っ…!下の名前で呼ぶなって何回言われたら気が済む訳?!あとデートじゃない!調子に乗らないでくれる?!』

『えっへw もしかして唯織さん、照れてます?w』

 ……なんか………目の前で男とイチャついてる姉の声を聞くと、キモイな…。

 なんて、電話を切ろうかと迷っていたが……何故か笹野が電話の向こうの男の声に反応した。

 そして、嬉しそうに騒ぐ。


「そういえば『敬語キャラ』なんて私以外で初めてです!!お名前は?!」


 どうやら、敬語を使っていたことで親近感が湧いたらしい。手にしていたスマートフォンを奪われた。

 電話の向こうの男は、笹野とは気が合うようで嬉しそうに答えた。

桑原(くわばら) 愛生(あおい)で〜す!』

「なんと!あっ、申し遅れました私、笹野 明香里っていいます!植物の入った苗字で仲間ですね!それに、私は『()()り』で桑原さんは『()()い』!何だか、桑原さんとはご縁を感じてしまいます♪」

 はあ?!「運命」だって言いたいのか?!

『確かにそうですね〜!実際、なんか僕たち似てません?』


 なに口説いてんだよ!!あんたは姉さんで充分だろ!!!


「桑原さんも思いましたか?!やっぱり、私たちには通じるものがあるんですねぇ♪ もしかしたら前世は、兄妹かもしれません!」

『なるほど〜、唯織さんは弟さん――りっちゃんと姉弟ですし、有り得るかもしれませんね!そうだ、“あかりん”って呼んでもいいですか?』

 いい訳ねぇだろ!!!

「ぜひぜひ♪ では、桑原さんのことは『あおくん』と呼びますね!」

 はあ?!「あおくん」?!なんだそのバグった距離感!!!俺にはあだ名つけない癖になんなんだよ!!


 俺は二人のやり取りを聞いて、「愛生」とかいう馬鹿げた名前の男に対して、黒く歪んだ感情を抱き始めていた。そして、それは直ぐに膨らんで、やがて破裂してしまいそうになる。

 その気持ちの悪い感情が行き場を失っている中、姉さんの低い声が聞こえた。


『ちょっと桑原、いつまでそんなガキ臭い子と話してる訳?“デート”とかつまんないことに誘ってきたのはあんたでしょ。』

 どうやら姉さんも嫉妬をしているようだ。

 本来ならこの姉さんの始めた戦いに加勢するところだが、どうにも俺はそうはいかなかった。

 それは……


「おい、なんだよその言い方。なんでそいつの雑談を止めるのに笹野が悪く言われなきゃいけねぇんだよ。というか、姉さん忘れたのか?笹野のこと『ガキなんかじゃない』って言ってただろ。自分の言葉に責任も持てないんだな、姉さんのこと前は尊敬してるところもあったけど、やっぱり大したことなかったんだな。平気で人を傷つけるようなことを言うし。」

 笹野のことを貶されたから。


「ちょっ、碓氷さんっ――」

「『ガキ臭い』のはどいつだよ。姉さんのこと好きな素振り見せておいて、年下の女 口説く情けない男の方が余っ程ガキだと思うけどな。」

『はあ?こいつは明香里さんのことなんか口説いてない。そもそも、視界にも入らないわよ。いい?こいつの好きなタイプはもっと色気のあるお姉さん気質の“大人の女性”なのよ?悪いけど、明香里さんには……ふっw そんな要素、一つも無いでしょう?』

『わー!唯織さんストップ…!ストップ!!』

「えっ、何?w もしかして姉さん、自分が『色気のある大人の女性』だと思ってる?w 嘘だろ冗談やめてくれよw 色気もクソも無いだろw そんなまな板みたいな胸で『色気』とか語っちゃってんの痛すぎだろww あー、その胸の上なら料理全くできない姉さんでも野菜が上手く切れるんだろうなあ。」

『っ…!姉に向かってなんてこと言うの?!ってか、キモすぎ。女の胸に文句を言うなんて、人間として終わってるよ。』

「悪いけど、『姉』を女としては見てないからなあ。論破できたって勘違いしてるとこ申し訳ないけど、俺 そんな気色の悪い弟じゃないんだわ。」

『はあ?!どの口が言って――』

「「姉弟喧嘩しないでください!!!」」

 俺たちの言い合いは笹野と桑原の声で一度休戦した。それは、怒られたからではなく……どちも二人の声が被ったことに苛立ちを覚えたから。


『も〜!唯織さん、言葉に棘がありすぎます!僕いっつも言ってますよね?!もう少し言葉に気をつけてくださいよ〜!!』

「碓氷さんもネチネチしすぎです!ついこの間までビクビクしてたんだから、牙を剥いてもどうせ負けますよ!!」

 姉さんは桑原の言葉に、俺は笹野の言葉に胸を抉られ、とうとうライフがゼロになってしまった。

 そして、スマートフォンからは『はぁ…』と桑原のため息が聞こえてくる。


『もう、唯織さんもりっちゃんも、ヤキモチ妬いたからってお互いの相手を攻撃しないでくださいよ〜!』

『は、はぁ?!ヤキモチとか妬いてる訳ないでしょ?!馬鹿なのっ?!』

「……わっかりやす…。姉さんは完全にヤキモチだけど、俺は笹野を悪く言われて腹が立っただけだ。」

『ま、いいですけど〜。そろそろ切りませんか?お互いのデートの時間が減っちゃいますし。』

「でっ『デート』っ…?!」

 隣で勢いのある大きな声が聞こえてきたもんだから、俺はそちらに目をやった。

 すると、笹野がとても恥ずかしそうに赤らめた顔を小さな手で隠していた。そんな俺の視線に気づいて、慌てたようにスマートフォンに語りかける。

「でっ、では!そちらのデー…お、お出かけ楽しんでください!!」

 なんてまたクソデカボイスで言って、物凄い勢いで人差し指をスマートフォンの画面に押し付けた。そして、「ふぅ…」と一息ついてから自分の腿に視線を落として今度は小さな声で呼ぶ。


「…う、碓氷さん……。」

「ん?」


 若干声が震えている。しかし、寒い訳では無いということは直ぐにわかった。

 俺も笹野の空気を感じ取って緊張気味に返すと……オレンジゴールドの髪を靡かせる風に乗って、可愛らしく弱々しい声が俺の鼓膜を震わせた。



「……碓氷さんは………今日…でっ、デートのつもりで…………わたしをっ…誘った、んですか…?」



 そんな笹野のたった一言によって、俺の心臓は警鐘を鳴らすように暴れ出す。そして、脳はどの答えが一番適当なのか物凄いスピードで選択を始めた。


 頭に浮かんできた選択肢は三つ。

 一つは、YES。これはもう、好きバレさせる他ならないだろう。

 二つは、はぐらかす。笹野の気持ちを萎えさせてしまう可能性はあるが、これなら今日の夜まで好きなことがバレることは無い。

 三つは、感情は取り込まず現実的に「男女二人で出かけているのだから」と答える。二つ目と同じ作用をもたらすが、あまり現実的な話を好まない笹野には、一番腹の立つ答えだろう。

 その微妙な三つの中から俺が選んだ答えは――


「………そう…だな……。少なくとも………俺は……そのっ…………『デート』だと…思ってるよ………。」


 一つ目の正直に答える、という選択肢だった。


 笹野も少しは俺を意識しているようだし、笹野の前ではできる限り正直でいたかった。


 「へっ…?」と阿呆な声を出してゆっくりとこちらを向くエメラルドの瞳が俺を捉える。緊張した様子の頬は、予想通り真っ赤に染まっていた。どうやら何か言おうとしても言葉が出ないようで、あわあわと動かした口を小さく滑らかな手で押さえている。

 笹野がどんな言葉を発するのか、俺も胸が昂揚する。

 けれど……


「あっ…!わっ、わり…!」

「いっいえいえっ…!お気になさらず…!!」


 それは、二人の手が触れてしまったことで聞けなくなってしまった。つい驚いて、手を引っ込めてしまった自分を酷く嫌った。

 というかそれよりも……


 絶っっったい今ので好きなのバレた…!!!手が触れただけでこんな跳ね上がるとか……キモすぎだろ…!!!!


 単純に自分がキモすぎて、バレたか怖すぎて……俺は気が気じゃなかった。そんな最悪なタイミングで、近くのスピーカーからイルカショーの開始を知らせる放送が入る。


 いつの間にか辺りは、俺たちの他にも期待を胸に膨らませた観客たちで席は埋め尽くされていた。

 放送を合図に楽しげな音楽が流れ始める。そして、ショーに出演する飼育員とイルカが登場した。

 俺たちの気まずい空気が消えたのは、ショーが始まって随分と経ってから。そりゃあそうだ。

 だって、さっきの俺の言葉は「告白」とほぼ等しかったから。その上、手が当たっただけであの反応は……マジで笹野…気づいただろうな……。

 というか…さっきからずっとよそよそしいのは…俺の反応がキモかったからか…?!俺に好かれてるって気づいて嫌になってるんじゃないのか……?!

 そんなふうに心に深い傷を負っていると……


「最後にエールくんが皆さんに今日のお礼をしてくれるみたいで〜す!!」

 飼育員の元気な声が聞こえてきた。もう、ショーは終わりに差し掛かっているらしい。イルカが可愛らしい鳴き声を上げながら、大ジャンプで観客たちへ水飛沫をお見舞していた。

 この後の不安要素が多すぎて、ぜんっぜんショーを楽しめなかった…。


「はぁ……。」

 フラれたらどうしよう…。


 隣の笹野も全然楽しそうじゃないし……。ずっと気まずそうだし…。


 辺りはキャーキャーと黄色い歓声が響いているのに、俺たちだけめちゃくちゃ静かだった。

 この後、どう挽回しようか頭を捻りに捻っていると……



――バッシャーン!!


 突然、俺に大量の水が降り掛かってきた。

 何事かと辺りを見回す。すると、隣で大声を上げて大爆笑している笹野が居た。


「あっははは!!うっwww 碓氷さんっwwwww」


 そんな直ぐ近くの笹野は全く濡れていない。俺はこんなにびしょ濡れなのに。

 冷水で冷やされた頭は徐々に動くようになり、俺は漸く状況を把握した。

 エールくんの上げた水飛沫が、()()()()振りかぶさったのだ。

 お陰で先程の空気は一気に払拭されたが……


「ぶえっくしょんっ!!うぅ…。」

 めちゃくちゃ寒い。




「カッパ、買っておけば良かったですね。」

 何も言わずに突っ走ったかと思えば、温かいココアを買って戻ってきた笹野は困ったように笑ってそう俺の頬に缶を当て――

「あ゙っ゙づぅ?!!」

「わっ!ごめんなさいっ!!」

 缶を当てられた瞬間、俺の頬にビリビリとした痛みが走った。


 もう俺今日ダメかも……。


「だっ、大丈夫ですか!ごめんなさい本当…!」

 悲鳴を上げた俺を心配して、笹野は慌てて俺の方へ近寄ってきた。そして……なんと、自分の手で俺の顔を挟んだ。殴られたのかと思ったが…どうやら、自分の冷え切った手で俺の頬を冷やそうとしたらしい。

 笹野が俺に触れた瞬間、面白いくらいに俺の心臓はドッドッドッと物凄い速さで脈を打ち始める。


 や…やばい……も、もう心臓が…………。

 ってか…!!


「っ…手冷たすぎだろっ…!ほら早く中入るぞ!」


 笹野の手がキンキンに冷えていたので、俺はドキドキとかはもう無視して、思い切り笹野の両手を引き剥がし、右手でぎゅっと握った。しかし、流石にキモイかと思い、直ぐに左手に持っていたココアを渡した。


「ほら、これ持ってあったまってろ。買ってくれてありがとな。」

 赤くなってしまった顔を笹野に見られないよう、誤魔化すように先を行く。笹野は慌てて俺に着いてくる。俺は少し歩くスピードを落とし、また並んで歩き始めた。

「碓氷さん、これ…どうぞ使ってくださいっ。」

 若干、火照った頬を緩ませて笹野が渡してきたものは可愛らしいパンダの刺繍が施されたハンカチ。

 服は先程、飼育員が貸し出してくれたタオルで水分を拭き取ったが、何だか申し訳なくて顔は拭くことができなかった。そんな俺の変な気遣いも、笹野は気づいていたのだ。

 当然、俺も笹野の優しさに気がつく訳で……


「い…いや、いいよ悪いし…。」

 やはり、顔を拭くのは年齢や性別の関係で抵抗があり、俺は受け取らなかった。

 けれど、笹野は優しく微笑んでくれた。


「顔拭くのに申し訳なさを感じてるんですね。ずっと碓氷さんを見てきたのでわかります。ですが、このままだと綺麗な髪も傷んじゃいますし、お顔も海水で荒れてしまうので使ってください。お顔や髪が傷ついたら、仕事の成績も落ちちゃいますよ。」


 流石、俺を理解しているようで 笹野の言葉は俺の不安を拭き取ってくれた。


 「ずっと碓氷さんを見てきたのでわかります」って………「隣にいたので」って意味だよな…?

 笹野の勘違いしてしまいそうな言葉に悩みつつ、俺は笹野から「ありがとう…。」とハンカチを受け取った。

 顔をなるべく上品に拭いて髪も揉むように拭いてから、整えるように前髪をかきあげる。

 何となく視線を感じたので、左肩付近に目をやると……頬を赤く染めた笹野と目が合った。その瞬間、笹野は素早く目を逸らし、胸の辺りでココアを握りしめた。


 …………。


「…な、なんだよ…?」

 やっぱり、使って欲しくなかったのか…?三十代から男臭する人いるもんなぁ…。まさか……俺も…?!!

「いっ、いえ…!なんでもありません…!!」











✶ --­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­- ✶


 碓氷さんは、目を逸らす私を不安そうに見つめていた。

 先程の碓氷さんの表情が、声が、言葉が、頭の中で映し出され、繰り返される。


――「少なくとも………俺は……そのっ…………『デート』だと…思ってるよ………。」


 あのときの碓氷さんは、今までに見たことが無い程に緊張していた…。そして、そのあとの私と手が触れたときのあの反応――。

 私は、気づいてしまった。わかってしまった。




 碓氷さんは、私に恋をしているのだと――。




 今まで「可愛い」とか「大切」だとか思わせぶりなことを何度も言ってきて、決定的なことは一言も言わないから、ただ……結婚相手が欲しいのだと思っていた…。幾ら大好きな人でも、そんなふうに選ばれるのは……やっぱり、嬉しくなんてなかった。

 けれど………私を見つめるときのあの愛おしそうな()を見ると、そんな消極的な感情には到底思えない。碓氷さんがもし、私に恋をしているというのならば……異常に私にだけ優しいのも、私が他の男性と話していると不貞腐れたり、相手に敵意を剥き出しにするのも、時々とても不安そうな表情を見せるのも、恥ずかしそうに耳まで頬を赤く染めるのも、「可愛い」だなんて柄にも無いことを言ってくれるのも………全て納得がいく。

 碓氷さんが「恋」だなんて信じられないけれど、碓氷さんが好きでも無い相手に「可愛い」だなんて言うことはもっと信じられなかった。


 ずっと、ずっと私は碓氷さんに「好き」を隠していた。

 誰よりも碓氷さんを想っているからこそ、自分の気持ちを伝えることなんてできなかった。

 けれど、そんな気遣いは必要無かったのだ。


 碓氷さんは、たぶんずっと前から……私のことが好きだったのだ。


 そんな幸せすぎる事実に気がついてから、ずっと私は上の空だった。嬉しくて嬉しくて、気を抜けば碓氷さんに飛びついてしまいそうだった。

 心臓がドキドキと昂って、感情もワクワクと高ぶって、早くはっきりと碓氷さんへ「大好きです」と伝えてしまいたかった。

 けれど、碓氷さんはプライドが高い。もし私が碓氷さんの気持ちに勘づいてることがバレてしまったり、私から告白してしまったりすれば、碓氷さんは凹んでしまうだろう。

 だから、告白は碓氷さんからしてもらうんだ。……碓氷さんの口からはっきりと「好き」の言葉を聞きたいし…。

 そんなことを考えてニヤケを必死に我慢していると、いつの間にか館内に入っていた。

 そこには中くらいの水槽が幾つも並び、多くの家族連れでごった返していた。


 ふいに、腰元に何か違和感を抱く。


 その「違和感」に目をやると、私の腰くらいの背をした小さな男の子が一人で私を見上げていた。

 三、四歳だろうか。何歳にしろ、一人で行動するには危険すぎる小ささなのは確かだった。


 辺りを見回しても、その子の家族らしき人物は見当たらない。ふわふわの可愛らしいブルーのダウンを身にまとった男の子は、ただ私を見上げるばかりで何も言わなかった。


 もしかしたら、迷子になって助けを求めているのかもしれない。

 そう思って私は、その場に屈んで小さな男の子へ尋ねた。


「こんにちは、お父さんとお母さんは一緒ですか?」


 圧を感じさせないよう、優しい声で尋ねた私に男の子はか細い声で答える。


「ううん、いっしょじゃない。」

「一緒じゃない?はぐれてしまいましたか?お父さんとお母さんが、どんな服装をしてたかは覚えてますか?」

「…おぼえてない。」

「そう…ですか…。」


 困ったな……情報量はゼロか…。まあ、きっと碓氷さんと協力して探せば直ぐにこの子の両親を見つけられるだろう。


 男の子は悲しそうにして、足元に視線を落としている。迷子になってしまった上、知らない人に話しかけられて心細いのだろう。それでも泣かないなんて、とてもいい子だな。

「では、一人でいると危ないので、私と このお兄さんと一緒にお魚さんたちを見ましょう!」

「いい………の?」

「はい、勿論です♪ 碓氷さんも、いいですよね!」

 私は笑顔で顔を上げ、碓氷さんへ尋ねた。笑顔で「勿論だ。」と答えてくれる碓氷さんを想像して。

 けれど……碓氷さんは、こんなことを言った。




「………さ、さの……。誰と喋ってるんだ…?」




「え…?」



 不思議そうに訊ねた碓氷さんの目は、怯えているように見えた。

 その目が捉えているのは、「何もいない空間」ではなく、「私」。

 碓氷さんの目の色は先程とは打って変わって、随分と不信感の色が滲んでいる。碓氷さんは私に対して、「恐怖心」を抱えているように感じた。

 私は慌ててもう一度、男の子の方へ振り返る。


 すると、男の子は全身血だらけになっていた。


 所々、肉が抉り取られ、乾燥しきった骨が顔を出している。辺りは魚の匂いと混じって、生臭く、何かが腐ったような異様な(にお)い私の鼻を突き刺した。

 恐怖で瞳が痙攣し、鳥肌が立ち、足が竦むのを自覚する。

 けれど、私が恐怖を感じたのは、男の子が幽霊だったことよりも……碓氷さんに幽霊と話しているとこを見られてしまったことのほうが何十倍も大きかった。


 私は長い間忘れていた気持ちの悪い絶望に陥り、奇妙に引き攣った笑顔を貼り付けて必死に誤魔化す。


「なっ…なーんて……やだなぁ碓氷さん冗談ですよ…。」


 私の顔を見て、碓氷さんは突然何かハッとしたような顔をした。何かに怯んだようにも見える。

 私が「見える体質」だという気持ち悪い事実に、気づいてしまったのかもしれない。それを証明するかのように、碓氷さんは気まずそうに私から目を逸らし、苦笑をして尋ねた。


「…あー…悪い、俺トイレ行ってくるわ。笹野は?トイレ行くか?」


 まるで、私から早く逃げたいとでも言っているかのように碓氷さんの右足はもう既に一歩踏み出している。

 私の返答を待っている碓氷さんは、少しの間……私の目を見つめた。


 今まで私に一度も見せなかった奇妙な作り笑いで、じっと私を見つめる。



 嫌だ。


 いやだ……。



 そんな目で私を見ないでくれ…。



 そんな……まるで「気色の悪いもの」でも見ているような、目で…………。




「いっ、いえ……私は…大丈夫です………。」



 じっと見つめるヘーゼルの瞳が怖くて、私は慌てて答えた。それを聞いて安心したかのように、碓氷さんは足早に私から離れていった。

 その大きな背中を見つめている私に、男の子は言った。


「おねえちゃん……ぼくが、みえるんだね…。」


 その声に、息が詰まる。

 息を吸い込もうとすれば吸い込もうとする程、呼吸ができなくなって苦しくなる。

 ぐわんぐわんと視界が揺れて目眩がする。


「おねえちゃん?だいじょうぶ……?」


 この子がいなければ私は………碓氷さんにあんな顔で見られることも…――


 ……いや、違う…。この子は何も悪くない……。


 最悪な考えに至ってしまう前に、私は正気を取り戻した。そして、先程のように屈んで、先程と同じ笑顔で尋ねる。

「お名前はなんですか?」

 すると、男の子も安心したように「ゆうき。」と答えてくれた。

「では ゆうきくん、『おねえちゃん』と一緒にご両親を探しましょうか。」

 例え幽霊だとしても、例え血だらけだとしても、困っている子供を放っておくことなんてできる筈が無い。だから、私はそうゆうきくんの手を繋いだ。

 けれど――


「ううん、もうママとパパはいいの。」


 ゆうきくんは、満足したように私へ笑いかけた。


「それよりもぼく、おねえちゃんがはなしかけてくれたことが、すっごくうれしかった。ぼくを みてくれたのは、おねえちゃんだけだったから。ありがとう、おねえちゃん。」

 なんて少しだけ悲しそうに笑って、ゆうきくんの身体はゆっくりと透けていく。

 もう、触れていた小さな手の感触もなくなっていて私はまるで、空気を掴んでいるようだった。


 ゆうきくんの姿が消えると同時に、優しい声が聞こえた。



「おまたせ。」


 碓氷さんは安心させるように笑って、ハンカチをポケットに仕舞う。

 先程の私に恐怖を感じているような顔とは全く違う。いつものように優しく、私にだけ見せる笑顔。


――けれど、私にはその笑顔が怖かった。


 碓氷さんは無理をしているのかもしれない…。私を気持ち悪いと思っていても、優しいから突き放すことなんてできないでいるのかもしれない。だから、無理に笑顔を作っているのだ…。


「…ご、ごめんなさい……。…きもちわるい、ですよね………。」

 また目眩がしてきて、私は碓氷さんの優しい瞳から逃げるように俯いた。

 けれど、そんな私の耳に届いたのは、


「えっ?何が?」

 本当に何が気持ち悪いのかわからないとでも言うような、きょとんとした声。


 「え?」と掠れた声を零し、つい驚いて顔を上げると、碓氷さんは私のことを不思議そうに見つめていた。その瞳には私に対する恐怖などもう一切感じられず、本当に「いつもの碓氷さん」だった。

 そして、まるで普通の会話をするみたいに碓氷さんは尋ねる。


「てか、さっきの子供?どこ行ったんだ?」


「あっ、えっと…帰りました…?」

「そうか、親は見つかったのか?」

「い、いえ……もう『だいじょうぶ』みたいです…。満足したように笑って……消え…――去っていきました…。」

「それならよかった。」

 碓氷さんは安堵したようにもう一度微笑む。


 なんで碓氷さんは私が「見えない者」と話していることを、こんなに…受け入れられているんだ……?

 なんで………「気持ち悪い」とか…「化け物」だとか……言わないんだ………。


「どうした?」

 碓氷さんの思考が理解できなくて、怖くなって……また俯く私の顔を、碓氷さんは心配そうに覗き込んだ。


「いっ、いえ、なんでもありません。」

 慌てて顔を上げて作った笑顔で答える。

「そ…うか……?」



 今まで関わってきた人間とは、違う反応をする碓氷さんに…私は不審感を抱いた。



 そんな幽霊が見える私に気づいてまでも、こうやって微笑むだなんておかしい。

 幽霊が見えると知ってしまえば、私のことを「気持ち悪い」と思わない筈が無い。



 碓氷さんは……本当は今、何を思っているのだろう…。












❖--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­-❖


 そこから少し歩くと、サメやエイも優雅に泳いでいる大きな水槽へと辿り着いた。


「綺麗…。なんだか、映画のワンシーンみたいですねぇ…。」


 感動したように瞳をキラキラと輝かせ、大きな水槽を見上げる笹野は、何だか儚い印象を感じさせた。

 どこか切なげで…俺が知らないうちに、ふっと消えてしまいそうな……そんな気がした…。

 実際……先程から笹野の様子がおかしい…。ずっと……作り笑いをしているような………そんな笹野を見ていると………どうしても怖くなる……。


 だから…………だから俺は、笹野の柔らかく小さな細い小指にそっと……小指を絡めた…。

 すると、笹野はとても驚き緊張した様子で俺を見上げた。


「どっ…どうしましたか碓氷さん…?」


 笹野の赤くなった頬に、なんと返せばいいのか分からなくなる。結局、俺は笹野に何も返してやれず、ただ絡ませた柔らかな小指を握る力を強めた。

 怖かったのだ。もし、今日の告白が上手くいかなかったら……笹野に触れることはできなくなってしまう…。

 もしかしたら……気持ち悪がられて、二度と会うこともできなくなってしまうかも…。

 だから……そうなる前に…笹野が俺から離れていく前に………笹野に、最後に一度だけでも触れておきかった…。

 けれど、一番は やはり………ずっと笹野に隣にいてほしい。

 笹野には、ずっと笑顔でいてほしい。

 それが、俺の一番の願いだった。


 だけど………笹野は、黙って俺から絡めた指を解いた。

 それと同時に胸が締め付けられて息ができなくなる。


 だが…――


「こ、こっちがいいですっ…。」

 笹野は、緊張したような顔で優しく俺の手を握った。


 ふわふわとした頼りない手にドキドキと心臓が音を奏でる。

 耳まで赤く染まった頬に目を奪われる。


 やべぇ……可愛すぎ…。


「そっ…んなに……み、見ないでください…。」

 俺の熱い視線に気づいているようで、笹野は俺の手を握る手とは反対の左手で、バッグの肩紐を握りしめている。左に顔を背けてしまっているため、せっかくの可愛すぎる顔が見えない。


 その、ありえないくらい可愛い顔を見せてくれ。

 そんな一心で、俺は思っていることを率直に口から零した。


「………笹野がそんな可愛すぎる顔するのが悪いだろ…。」


 案の定、笹野はそんな俺の一言で弾かれたように勢いよくこちらを向いた。

 丸くなったエメラルドのような瞳をキラキラと揺らして、ぽかんと口を開けたあほ面で俺を見つめる。まるで、息の仕方も忘れているかのように驚いている様子だった。

 こっちを向いてくれた!可愛い!と内心歓喜していたが、笹野の見たこともない顔を見て、俺も突如恥ずかしくなってきた。


 あまりにもキザすぎる言葉を言ってしまった…!!俺はオリラジ藤森かよ…?!!ああ俺がやると気持ちわりぃ…!!!!

 ってか笹野照れてるよな…?!!「わからないです」とか言ってたけどやっぱ俺のこと好きだろ…!!!手ガッツリ握ってきたし!可愛いし!顔真っ赤だしオーバーヒートしそうだし可愛いし!!!


「わっ…悪い……。キモイこと言った………。」


 俺も左側に顔を背け、手で火傷しそうなほど熱くなった顔を隠していると……隣の胸元の高さから「い、いえっ…。」と小さな弱々しい声が聞こえる。


 そして、十秒ほど沈黙になる。


 そんな短時間でも、笹野に対する気持ちは物凄いスピードで膨れ上がっていく。

 無意識に、笹野のマシュマロのような手を握る力を強めてしまっていた。

 けれど、同じ想いなのか笹野も俺の手を強く握り返してくれた。


 その力は、いつもの何倍も強くて……「離れたくない」という強い思いを感じ取った。



 その後も笹野は何だかずっと空元気のようだったが、アクアミュージアムと隣接しているテーマパークで遊ぶと直ぐに「いつもの笹野」に戻った。無理をしているというような感じも全く無く、全力でテーマパークを楽しんでいるようだった。



「いや〜、ジェットコースター楽しかったですね!」

「そ…そうだな……はは…。」


 めちゃくちゃ怖かった……。気失うかと思った…。なんでテーマパークという楽しい場所であんな危険を体験しなきゃいけないんだ…。


「ふふっ、碓氷さん脚震えてますよ?w」

 強がったものの、直ぐに笹野にバレてしまった。ガクガクと震える脚を見て、楽しそうに手の甲で口元を押さえている。

「可愛いですねっww 少し休みますか?」

「………いい…。」


 何だよ「可愛い」って…。


「そうですか?w 目を合わせてくれませんね。もしかして、『可愛い』って言われたから拗ねてます?ふふっ。」

 なんでバレてんだ……。

「……『拗ねる』ってわかってんなら、言わなければ?」

 笹野には全てお見通しなことが悔しくて、ムカムカとしてくる。きっと、このムカムカは恥ずかしい気持ちから来ている部分もあるだろう。

 そんな俺を、笹野はまるでわかっているかのようにもう一度「ふふっ」と笑う。

「私は思ったことを言っただけですよw」

「………。」


 腹の立つ顔だな…。前も「可愛いと言うな」と伝えたのに……。


「碓氷さん。」

「……。」

「碓氷さーん」

「………。」

「う!す!い!さんっ!」

「…。」

「う〜す〜い〜さ〜ん」

「…………。」


 ガン無視をかましても笹野は気にせずに俺の名前を呼び続けるどころか、俺の前まで走ってくるりと振り向く。

 そして、後ろ歩きで腹の立つ顔をしながらまた歩き始める。

「ねえ碓氷さ〜ん、無視しないでくださいよ〜!」

「…………。」

 ヒール履いてるし絶対転ぶだろ…。


 と、思いつつも腹が立つので忠告はしてやらない。

 代わりに俺は笹野の左腕を掴み、こちらへグイッと引っ張った。

 その衝撃に耐えきれず、笹野はこちらへ倒れ込む。面白いくらいに焦った顔をした笹野を、思い切り俺は抱きしめた。

 笹野は抵抗もせず、すっぽりと俺の腕に収まる。先程まではあんなに騒がしかったのに、今は一言も発さずにただ少し荒くなった息遣いだけが俺の耳に届いてくる。

 密着している身体から、ドッドッドッと物凄い大きさの脈を打つ動きを感じる。

 人のことを散々からかっておいて、自分がからかわれたら何も言えなくなるほど意識する。

 なんて可愛いんだこいつは。


 胸が優越感で満たされる。


 耳を赤くした笹野が可愛くて可愛くて仕方が無かった。

 数秒抱きしめたあと、耳元で囁いてみる。


「耳、真っ赤。心臓の音凄いな。なぁ? すぐこんなになるんなら、あんま調子乗らない方がいいと思うけど。」


 そして、ゆっくりと笹野から離れ、前を歩き始めた。嫌われたんじゃないかと不安になるが、振り向かずに歩き続ける。


 少しの間 笹野は追ってこなかったが、三秒もすると不規則なヒールの音が聞こえてきた。そして、何も言わずに必死に俺の隣を歩く。

 チラッと左肩の付近に目をやると、ショルダーバッグの紐を両手でぎゅうっと握った笹野の顔は真っ赤だった。


 顔を見ようとしても、笹野は下を向いて目を合わせてくれる気配が無い。けれど、嫌われた訳では無いことだけはわかる。わかりやすく恥ずかしそうな顔をしているから。


「次は何まわりたい?メリーゴーランドでも行くか?w」

 笹野の怒る顔が見たくてまたからかうが、笹野は怒らずに小さく零すように言った。


「ずるいですよ…碓氷さん……。」


 俺の耳に届くか届かないかの声量で言った笹野の声はか細く、緊張のためか震えていて愛おしくて堪らなかった。




 それからテーマパークも遊び尽くし、称名寺も直ぐに回ってしまい、横浜マリンタワーで日の入りも目に焼き付け、日の入りに夢中の笹野も目に焼き付け、俺たちは高級レストラン ル・シエールへと車で向かっていた。


「「君がこ〜の世に生〜まれたこの奇跡は〜♪ 僕がき〜みと出会〜えたこの奇跡は〜♪」」

 車内はほぼカラオケ大会。二人の好きな歌を流しては、二人で大熱唱していた。

 そういえば、俺たちの曲の好みはよく似ている。趣味が映画という点も同じだし、真逆の性格でも感性や価値観はきっと似ている部分が多いのだろう。

「この歌、とってもいい歌ですね。」

「そうだな、この人の歌は本当にいい歌しか無いんだよ。」

「そうなんですか?確か、お名前は……かわさきたかや、でしたっけ?」

「そうそう。他は〜…そうだな、『魔法の絨毯』って聞いたことあるか?」

「あぁ!あります!あのアラジンの!」

「あとは有名どころだと『カレンダー』だろうな。」

「『カレンダー』!出会ったあの日から最後の恋だと決めてたやつですね!」

「なんかさっきから覚え方独特だなw ほかにも『愛心』とか『あこがれ』とか愛に溢れた曲ばっかでマジ最高だぞ。」

「この曲終わったら聴きたいです!」

「聴いてくれるのかw あと失恋系もこの人のは沁みるな。『エンドロール』とか『ベルが鳴る前に』とか。」

「聴きましょう聴きましょう♪ この方は声がとってもいいですよねぇ〜。深みの中にも優しさや力強さがあって。」

「……そうだな…。」

 うぅ………少し妬けてしまう…。

 好きな歌手だからいいだろ…!しかもこの人奥さんも子供もいるし……!なに妬いてんだ俺…!


 車を運転しながらも自分に腹を立てていると、笹野がボソッと何かを呟いた。

 だが、川崎鷹也の歌声でその声は掻き消されてしまった。


「ん?なんか言ったか?」

 気になって尋ねると、笹野は俺の耳へ顔を寄せて、手のひらを近づけながらもこう囁いた。



「けど、私はこの方よりも碓氷さんの声が好きです。」



 その声に、言葉に、何だかゾクッとして心臓が一瞬にして大合唱を始めた。おかげで俺はブレーキを一瞬だけ少し踏んでしまう。

 グンッ、と小さく笹野が投げ出されたので、咄嗟に俺は笹野の方へ腕を伸ばした。


「ばっ…運転中に……!」

 顔が熱くなって、熱が籠っているような感覚がする。こんな状況ではとても運転に集中できそうに無い。

 そんな俺に、笹野は澄まし顔をしようと頑張りながらも、赤く染まってしまった頬を少し膨らませたように言う。


「さっきの仕返しです。」

「はっ?『仕返し』?」


 笹野に言われて思い返してみる。


 …あぁ……さっきの抱きしめてからかったやつ………まだ根に持ってるんだな…?


「……あれは笹野が男の俺に対して『可愛い』なんて言うからだ。」

「…本来なら…今の『仕返し』で碓氷さんを抱きしめる筈だったんです。でも碓氷さん運転中だから……。」

 ………あっぶな……。

「そっ、そうか…それは『運転中』で助かったな……。」

 川崎鷹也の声より好きってのは………嘘だったのか…?

「碓氷さん……心臓の音っ…凄いですよ…?」

「………歌で聞こえないだろ…。」



ここまで読んでいただきありがとうございます!


とうとう、幽霊と話しているところを律月に見られてしまった明香里。この出来事が二人にどんな影響を与えるか……続きをぜひお楽しみに!



※本作はフィクションであり、実在の団体・人物とは関係ありません。

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