第九章 初恋の行く先は②
翌日の昼。
笹野を家まで送ったあと、俺は姉さんと家で寛いでいた。
「姉さんいつ帰んの?」
「んー、一週間くらいしたら?」
「は?え、嘘だろ…。普通に嫌なんだけど…。早く帰って。」
「えー、嫌よ。せっかく北海道から来たんだから、色々連れていきなさいよ。」
「無理。てか、それより姉さん、彼氏とかはいないのかよ?」
「いい度胸じゃない。拳銃で撃たれたいの?」
「あ、あぁ……ごめん…。」
まあ……そんな気はしてた…。
なんて、姉さんの殺意の籠った怖すぎる目から視線を外していると……
――トゥルトゥントゥントゥントゥントゥントゥントゥン♪
突然、俺のスマートフォンが鳴った。笹野かと思い、慌てて俺はスマートフォンを手に取る。
が……電話の掛け主は岸本だった。
「もしもし、どした。」
珍しいなと思いながら、俺は耳にスマートフォンを当てる。すると、岸本の興奮した声が耳に響いた。
『“どした?”やないやろ!告白の結果は?!』
……そういえばそうだった……。
「あー…………」
『うっ…嘘やろ……?!フラれたんか…?!』
「あー…いや………告白出来なかったんだ…。」
『はぁ?!なんやとぉ?!飛んだ意気地無し野郎やなあ!!せっかくオレが譲ったったってゆーのに…!!』
「ちっ…違うんだよ…!まず話を聞け……!」
『ほう?聞かせてもらおうやないか。勇気が出なかった言い訳を。』
「まず……バカでかい花束を用意して…高級レストランを予約した…。」
『うわぁ……なんか…むっちゃ碓氷っぽいなぁ…。』
「うっせ…。そんで…遠出してから高級レストランに行きたかったんだけど……一緒に借りたDVDの返却期限が迫ってることに気がついて……家で映画観ることになって……そこで姉さんが来ちゃったんだ…。」
俺が説明すると、姉さんは気まずそうにこちらを見てから目を逸らす。
「姉さんとはめちゃくちゃ仲が悪くて……笹野が俺たちの仲を取り持ってくれたんだけど…………」
『ま…まさか……』
「そう……三人でレストラン行くことになったんだ…。だから……言えなくって………。」
『“姉さん”空気読めやぁ!!分からんのか告白するて!!』
なんて大声で騒ぐもんだから、岸本の声はめちゃくちゃ姉さんに聞こえていた。姉さんは本当に申し訳なさそうに俯く。
「い、いや……姉さんが来た時点でもう告白はやめようと思ってたし…――」
『そもそも昨日来たのが悪かったんや!!もっとタイミングあるやろ!!』
と、岸本が更に騒いだところで……
「………ほんとにごめん…律月…。」
姉さんが恐る恐る謝罪した。
部屋が狭いので、この声は岸本にも届いているだろう…――
『碓氷姉おったんか!あんたなあ、もう少し弟のためにタイミング考えたらどうや!!』
マジかよまだ突っかかる…?!そんなことしたら……
「うっさいわねぇ!まずあんた誰?明香里さんを『譲ってやった』とか言ってたけど、明香里さんはモノなんかじゃない。自己中な男にとやかく言われる筋合いは無い。」
あぁ……やっぱり…。
『明香里ちゃんがモノじゃないなんてオレも分かっとるわ!オレは、あんたの弟がチキンやから背中を押したっただけで――』
「そうよ、律月が早く告白しないのが悪いのよ!」
「はあ?!俺?!」
『ああ!せやなぁ!元を辿ればイケメン野郎が腰抜け過ぎんねん!』
「え?!」
なんでこいつら仲良くなってんの…?!
「なんであんなに両思い確定演出 出てんのに告白しない訳?!意味わかんない!」
「は?!い、いやそんなの出てな――」
『嘘つけぃ!出とるやろ!!』
んんん確かに出てるかもだけど、期待はしたくない…!!!けど…………傍から見ても脈アリなのか……。
そ、それなら………。
結局、告白をすると再び決めてから行動に移すまで一ヶ月かかった…。
もし、失敗したらこの関係が終わってしまう。それが怖かったのだ。
笹野は行きたがっていた横浜へのドライブの誘いに、快く頷いてくれた。寧ろ、楽しそうにワクワクとした様子だった。
当日、その日は丁度バレンタインだった。別に期待している訳じゃないけど、いつもよりもソワソワしてしまう。だが、緊張していることはバレないようにしなくてはいけない。何だか余裕が無いようでカッコ悪いからな。
笹野は、前回のイエローのドレスを隠すようにカフェオレ色のロングコートを着ていた。そして、俺がクリスマスにプレゼントした赤い手袋も。
「いやぁ、今日も寒いですねぇ。」
「おはようございます♪」と言ってから助手席に乗り、笹野はそう腕をさする。その一言に俺は笹野にバレないよう、しれっと暖房をもう一段階強くする。
「そうだなあ。て、てか……そのコート………い、いいじゃん似合ってる…。」
正直に……極力素直に…。
自分に言い聞かせてドキドキしながらも褒めると、笹野はとても嬉しそうに瞳をキラキラと輝かせた。
「本当ですか?!かっ、可愛いですかね?!」
えっ…!!!ハードル高くね…?!!
「えっと…………う、うん…。かわ…………小動物感があって可愛いな…。」
「『小動物感』?!それって、からかってますよね?私が子供っぽいからって!」
うっ……やべえ機嫌損ねちゃった…。超睨んできてるし…………。
「い…いや…………からかってなんか無い…。」
ただ……勇気が出なくて逃げただけだ…。
くそ………こんなんで告白なんかっ……………あぁもう…!なんで俺はこんなにひねくれてるんだ…!!
「か、か…………可愛いよ……。髪もお団子で…大人っぽい……。」
暖房の音でかき消されてしまいそうなほど小さかった俺の声を、笹野はしっかりと拾ってくれた。頬を真っ赤に染めて、黙り込んだのだ。
「きょ、きょう………わたし…ドレス汚しちゃうんで……コート着てきたんです…。」
「お…おおそうか……。笹野はよく汚すから……正しい判断だな…。」
「新しいコート買ったんです……。」
「おぉ……そ…そうか……。」
「…碓氷さんに…………そのっ……か、かわいいって……思ってもらいたくて………………。」
ん…?!!んんん?!!!もっ、もしかしてっ……!!!!笹野っ……俺に…………褒められたいのか…?!!
「…………可愛い……んじゃないか…?てっ…てかさっきも言っただろ……。」
俺はもう一度勇気を振り絞って、伝えてみた。
すると、笹野は緩んだ頬に更に赤みを帯びさせて再び黙り込む。
「なっ…なんだか暑いですねっ…!!」
「そ、そうだな…!暖房弱めよう……。」
と、熱くなった身体を冷ますように服をパタパタとしながら、暖房を先程の強さに戻す。
な…何だか視線を感じる……。
笹野が、俺を見つめているのだ…。首は動かさずに……。
笹野の所為でもっと身体が熱くなっていく。冬だと言うのに汗をかいてしまいそうだ。
俺はクリスマスプレゼントとして笹野に貰ったマフラー――では無く、黒いコートを脱いだ。
因みにコートの下は普通に私服だ。スーツは動きにくいので荷物に入れてある。レストランの前にトイレで着替えようと考えていたのだ。
ブラウンのカーディガンを着た俺をそっと見て、笹野は恥ずかしそうに呟いた。
「…碓氷さん………。とっ…とっても…!…………カッコイイ…です……。」
そんな笹野のか細い声が耳に届いた瞬間、俺の胸はドォンと物凄い音を奏でた。そこからドッドッドッドッと鼓動が有り得ないほど速まる。
「そ…そうか……。ありがとう……。」
もう…………期待させてくれるなよ……。なんて、考えながらも俺はギアに手を伸ばす。
「…よし、行くか。」
そう呟いたところで、笹野が勢いよく叫んだ。
「ちょっと待ってくださいっ…!」
突然の大声に、俺はビクッと肩を跳ね上げてギアを掴む手をパッと離した。
「なっ…なんだ…?!」
「……碓氷さん…今日が何の日か……ご存知ですか…?」
「へっ…?」
こ…これは……どう答えるべきなんだ…?!!分からん…!!教えてくれ岸本……!!!
「…………そ…そりゃあ……バレンタイン…じゃないのか……?」
「そ…そうなんです…!バレンタインなんですっ……!そ…それであの…………わ、私……碓氷さんにチョコを…作ってきたんです……。あっ、に…苦めなのでご安心を…!!」
「えっ…?あ…ありがとう……。」
小さく零すようにそう言って、笹野からオシャレに包装された小さな箱を受け取る。
や……やばい…。超嬉しい…!!!
これって……俺の為だけに作ってきてくれたんだよな…?!しかも、態々俺の好みに合わせて……!!!
やばすぎだろ嬉しすぎだろ…!!!家宝にしたい……!!!けど……せっかく笹野が作ってくれたんだ!今食べるっきゃ無い!
嬉しさと緊張で震える手で、慎重に包装紙を破かないように丁寧に開けていく。
そして、キラキラと効果音を放ちながら現れた八つの艶やかで不揃いな形のチョコレートを目に焼き付ける。
「…………しゃ…写真……撮ってもいいか…?」
「へっ?!あっ…!はい…!ど、どうぞ…!!」
笹野がそう答えたのを確認してから、俺は笹野の方へとチョコレートを箱ごと掲げた。カメラを向けると、笹野は恥ずかしそうピースをする。
それと同時に俺は撮影ボタンを押すが……
――ポンッ
「あ、ごめん動画だった。」
間違えてしまった。
けれど止めるつもりは無い。笹野がハッとしたような顔をして面白かったから。
「ど、動画でしたか…!」
なんて、赤くなった頬で言う。そして、指ハートを作って無邪気な笑顔で「碓氷さん…!ハッピーバレンタインです!」と小っ恥ずかしそうにカメラを向けて語りかける。サービス精神旺盛なところがまた可愛い。
俺はそんな笹野を独り占めしたくなって、少し意地悪をしてみた。動画を止めずにいたのだ。
すると、笹野はきょとんとして俺を見つめる。やばい、にやけそうだ。
そして……
「こっ、これはボンボンショコラというやつです!碓氷さんはお酒飲めませんし、運転中に食べることを想定して、アルコールは飛ばしておきました!勿論、毒味はしてあります♪ 我ながら、結構美味しいですよ♪」
なんと…アドリブで乗り切った…。つい感心をして、俺は「おぉ…」と零しながら録画停止ボタンに触れてしまった。
「いい感じですか…?」
「うん。よく撮れてる。」
音は消して動画を確認してみる。笹野のコロコロと変わる表情、赤くなる頬、身振り手振り騒がしい動き……全てが愛おしくて仕方無い。
「食べても…いいか?」
「はい!是非どうぞ…!」
緊張した様子の笹野にそう言われ、俺は笹野から箱を受け取る。
そして……「いただきます。」とそっとチョコレートをつまんでみる。体温で直ぐに溶けてしまうので急いで口の中へ放り込むと、じわぁと舌の上で蕩けていく。その直後、芳醇な風味が鼻に抜ける。
「うまっ……。」
つい零してしまったそんな俺の一言に、笹野は花が咲いたように瞳を煌めかせて無邪気に笑った。
「本当ですか?!」
「うん。手作りかと思えないほど美味い。」
「良かったです!」
と可愛すぎる笹野の笑顔をおかずにして俺はパクパクとチョコレートを食べる。
が……残り二つで俺は漸く手を止めた。全て食べてしまったら勿体無い…。
「残りは帰ったときの楽しみにする。」
そう言ってチョコレートの箱を閉じると、笹野は顔を覗き込むようにして俺に笑いかけた。
「運転中に食べる分が無くなっちゃいましたねw」
へへっと照れくさそうに笑う笹野を見ていると、どうしても胸が痛くなってもっとそばにいたくなる。
もっと、笑顔を見たくなる。
もっと……独り占めしてしまいたくなる…。
「……ほかの…………他の奴には……あげるのか…?」
どうか……どうか俺だけであって欲しい………。心から懇願して尋ねると、笹野は何ともないように答えた。
「はい、明日職場の皆さんに渡すつもりです。」
「……そうか………。」
そう……だよな…………。
「けど、手作りは碓氷さんだけです♪」
「えっ?」
俺だけ………?なんで…?!
「碓氷さんにはお世話になってますし、そ…それに…………手作りを…食べてもらいたいのはっ…碓氷さんだけなので…!」
予想外の一言に、俺は思わず物凄い勢いで助手席へ振り向く。笹野は、恥ずかしそうに可愛らしい上目遣いで俺を見つめていた。
な…なんだそれ…?!!脈アリじゃないか…!!!てかなんだよその顔……!!可愛すぎる!!!狡いだろ…!!スマホのロック画面に設定したい……!!!
そんなクソデカすぎる笹野への気持ちがバレないように、俺は言葉を唾と一緒に呑み込む。
そして、小さく零すように言った。
「……ありがとう…。」
ドライブを初めて十分後、飲み物を買っていないことに気がついたので俺たちはコンビニに寄った。
笹野はオレンジジュース、俺はホットコーヒーを買って車へ戻る。その頃には車内は暖まっていたので、笹野は手袋を、俺はマフラーを外していた。
「奢ってくれてありがとうございます、碓氷さん。何だか最近、太っ腹ですねぇ♪」
「そうか?」
「はい♪ 仲良くなり始めた頃は、たまーに奢ってくれる程度でした。けど、今となっては……毎回奢ってもらってばかりです…。……申し訳なくなってきました…!」
笹野は「あわわわわ」と言うような顔をしてオレンジジュースを見つめる。そんな笹野に俺は思わず吹き出した。
「気にすんなよw 俺が奢りたくて奢ってんだ。」
「ですが……たまには私にも奢らせてください…!」
「年下に奢ってもらう程、金に困ってない。お前いっつも財布の中 殆ど入ってないだろw 何に使ってるんだ?」
「主に……食べ物…ですかね……。」
「よく太らないなw」
やっぱりか。可愛いなw
「そう言う碓氷さんは何に使ってるんですか?」
ムスッとした笹野に訊かれて、俺は改めて考えてみる。
うーん……最近は………
「貯金、だな…。」
「何だか……寂しい人ですね。」
「………。」
「けど、『貯金』なんて将来を考えていていいですね♪」
「だろ?」
大学に入学してバイトを始めた頃からコツコツと貯めていたお金も、笹野の為なら惜しみなく使える。なんなら、全財産をやってもいい。
笹野への愛の大きさに自分でも驚いていると、視界の端で笹野が飲んでいたオレンジジュースをドリンクホルダーに戻した。
その時――隣に置いていた熱々のホットコーヒーが入ったカップに手を引っかけ、助手席側へグラついた。
このままでは笹野の手にコーヒーが…そう思った時には、身体が勝手に動いていた。倒れた先の笹野の小さな右手に俺の手を重ねていたのだ。
案の定、傾いてしまったコーヒーが俺の手の甲にかかる。
「大丈夫か?!かかってない?!」
車内に充満したコーヒーの苦い匂いが、俺の心配を募らせた。見た感じかかってはいないが、見えていないところも確認しなければ――
「ええええ!!!何やってるんですか?!!」
笹野は突然騒いでポケットからハンカチを取り出し、慌てて俺の左手にかけた。
その瞬間……
「あっっっつ!!!!」
心配で忘れていた痛覚が、突如俺を襲った。
だが、このまま手を離してしまえば激熱のコーヒーが笹野の手にかかりかねない。俺は笹野が拭き終わるまで、ジンジンとする手からは意識を背けて再び運転に精神を全集中させた。
「あぁあああ…!う、碓氷さん車路肩に停めてくださいっ!!!」
「お…おう…!!!」
「本当に……ごめんなさい…。」
俺の手についたコーヒーを拭き取りながら、笹野は泣きそうな声でそう言った。
「いや、俺の置き場所も悪かったよ。ハンカチ、汚して悪いな。」
「いえ……。」
笹野にかかってなくて良かった……。と、安堵をしていたが………
「うっそかかっちゃってんじゃん…!!」
笹野の新品のコートに直径五センチ程の染みができてしまっていた。
俺は慌ててティッシュを何枚も取り、笹野のコートを拭く。すると……笹野が、火傷した方の俺の腕を包み込むように弱々しく静かに握った。
「どうして……そんな優しいんですか…?怒ってくれてもいいんですよ…?」
「え、いや……だから笹野悪くない……。」
俺に触れる熱い体温に反応して、俺の体温も上昇する。
泣きそうな顔に、声に……どうしてもドキドキしてしまう…。
くそ……最低だ俺………。
笹野を好きだと気づいた時も…泣き顔を見た時じゃないか……。ずっと笑わせるって誓っただろ…。
「大丈夫だよ。だから、泣くな。」
小さな頭に手を載せたくなるのを我慢して笑いかけると、笹野の綺麗な瞳が揺らいだ。そして、笹野も俺と同じように微笑んでくれた。
「はい!泣きません…!それよりも、スーパーで氷を買いましょう。」
「ふっ…そうだな。」
「庇ってくれて、ありがとうございました。」
笹野がスーパーで買ってくれた氷を手に当てている俺に、笹野はそう嬉しそうに言った。
「どういたしまして。」
「それにしても…瞬時に庇ってくれるだなんてカッコイイですね。やっぱり、碓氷さんはヒーローみたいです。」
そんな笹野の何気ない言葉に、ドキッとする。
「……か…身体が勝手に動いたんだよ…。」
「そういうところがカッコイイんです。」
「っ……。」
無自覚は困るんだよ……。
やばい……心臓の音…笹野に聞こえてないかな………。
「けど、無理はしないでください。嬉しいですけど……嬉しくないです…。碓氷さんが怪我をするのは嫌です……。」
そう言って、笹野は俺の火傷した手の甲では無く、手のひらを優しく握る。
氷を当てている筈なのに、手の甲だけでなく全身が熱を帯びる。
明らかに心拍数が更に上昇するが、車は駐車中なので安全面では問題無い。
……いや………心臓が破裂しそうなので問題アリアリだ…。
「わ…分かった…。無理はしないから……。」
無理はしないから離してくれ…!!!
なんて心の中で願っても笹野は手を離してはくれない。
黙って、俺の手を見つめているだけ。
それどころか、頬を耳まで真っ赤にして伏し目気味に零した。
「……ずっと…………こうしていたいです…。」
は?!!何言ってんの…?!!俺のこと好きなの……?!!!
「………ま…まあ…………気が済むまで……ドウゾ……。」
何言っちゃってんの俺…?!!馬鹿なの……?!!!
「………。」
「………。」
車内には、なんとも言えない気まずい雰囲気が流れる。きっと、お互いがお互いの好意に気づいている。
けれど、俺は信じられないでいた。まさか笹野みたいな純粋無垢な天使が、こんな捻くれた俺を好いてくれる筈が無い……。大体…俺の中身を知った上で、俺を好きになってくれた人間なんて、今まで一人もいなかったんだし……。
そうやって、自分に言い聞かせていた。
それなのに………
「…碓氷さんの手………好きです……。」
消え入りそうな小さな声で、笹野はそんなことを言った。
そして、ゆっくりと指を絡めて恋人繋ぎをする。ぎゅむぎゅむと俺の手を握るので、その度に柔らかくてきめ細かな肌の感触が俺の手に伝わった。
「私と違って……大きくて…長くて、細くて……硬くて………男の人って感じがします…。」
もう既にキャパオーバーな俺の視線の先には、俺の手を見つめる笹野がいる。いつもはガキっぽいのに何故か今だけは色気ムンムンで、全身が熱くなっていく。
やばい…手汗……!!
というかこいつどうしたんだ…?!!俺を嵌めようとしてるのか……?!!なんだ?!!ハニートラップか…?!!
てっ…てか……!!!手ちっさ…!!!柔らかすぎだろマシュマロじゃん……!!!スベスベしてるし頼りないし…!!!あー!!!守ってやりてぇ!!!!離したくねぇー!!!
「なっななななんか暑いなあっ!!!」
遂に脳がオーバーヒートして、俺は心の内の欲求とは真逆に、物凄い勢いで笹野の手を振り払ってしまった。
そして、クーラーをガンガンにかけ始めた。
そんな俺に笹野はビクッと驚き、唖然としていた。
くっっっっそ俺のヘタレ……!!!もっと繋いでいたかったのに…!!!!
「そ…そろそろ行くか……。」
「…………はい…。」
今日は、まず八景島シーパラダイスに行き、少し回ってから昼食、そこから三時間ほど回ったら称名寺へ向かう。一時間ほど滞在して横浜マリンタワーへ行き、日の入りを見る。そして、レストラン ル・シエールにて食事中に告白。上手く行けばみなとみらいへ行って横浜の夜景を眺める……といった計画だ。とにかく笹野を楽しませるために、絶対に失敗してはいけない。
………もう既にかっこ悪いところを幾つか見せてしまったが……。ま、まあ…まだ挽回の余地はある……筈だ…。
「……手、痛みますか…?」
「ああ、少しだけな。」
「ごめっ…――……そうですか…。」
「なんか、怪我する度に笹野に殴られた日を思い出すなw」
俺がクスッと笑って言うと、笹野は嬉しそうに微笑んで呟く。
「あのとき、私が『不審者に追いかけられてる』って言ったら碓氷さんは、見ず知らずの――しかも、たった今殴ってきた私を守ろうとしてくださいました。きっと、気づかなっただけで碓氷さんは最初からいい人だったんです。」
出会った日の俺の行動の細部まで、笹野が覚えてくれていることに気がついて、胸の中で温かい何かで込み上げてくる。
「ふふっ、碓氷さんとの出会いは最悪でしたが、何度でも思い返したくなります。」
「そうだな。」
あの日、俺と笹野が遅くまで残業していなかったら……。あの日、笹野が不審者に追いかけられていなかったら……。笹野が怪我をした俺を放って帰ったら…俺が笹野に皮肉を言わなかったら…笹野が物事をハッキリと言う性格じゃなかったら…俺たちのスタート地点はもっと綺麗なものだっただろう。
……いや、あんなに仲が悪くなかったら、今のように互いを信じ合うことなんてできなかっただろう。
出会いは最悪でも、俺たちにとっては全部、大切な思い出なのだ。
水族館に着いて、俺たちはとっておいたチケットを使って園内に入った。
入場ゲートをくぐると辺りにはメリーゴーランド、コーヒーカップ、ジェットコースターなどのテーマパークが広がる。それが目に入ると同時に、笹野が子供のように はしゃぐ。
「わぁ〜…!碓氷さん碓氷さん!遊園地みたいですよ!早速!ジェットコースター乗りましょう!!」
ぴょんぴょんと跳ねて、嬉しそうに俺の腕を引っ張る。
表情は太陽のようにキラキラとしていて、見ていると眩しすぎて心臓がぎゅうっと締め付けられる。さくらんぼのように赤く染まった頬が笹野の無垢さを増加させる。
可愛すぎんだろ。
「そうだな。けど、遊園地で はしゃいだあとの疲れた状態で水族館まわるのは大変だろうから、後で乗ろうな。」
「なんと…!確かにそうですね!後でにしましょう!」
ハッとしたように丸くした目がキラキラと輝く。俺はそんなエメラルドの瞳を持つ笹野へ、同じように無邪気に笑いかけた。
「ああ、楽しみだな。」
「はい!」
アクアミュージアムに入ると、バレンタインデーのイベントが開催されていたからか中は家族連れやカップルで混み合っていた。
「はぐれんなよ…。」
と言って、笹野を視界に入れておくために前を歩かせる。
が………
「うわぁ〜!チンアナゴ…!!」
何故か入ってすぐチンアナゴに興奮した笹野は、俺からすごいスピードで離れて駆けていってしまった。
「お、おい笹野っ!」
焦って俺も追いかける。けれど、行き交う人たちにぶつかって中々前に進めない。
しかも……
「あのぉ…す、すみませんっ…。」
後ろから肩を叩かれ振り返ると、制服を着たJKがスマートフォンを握りしめて恥ずかしそうに俺を見上げていた。その後ろには「ほらっ、早く言いなよ!」と楽しそうに前のJKを押しているJKが。
なんっで今なんだよ…?!!しかもJK……?!!俺のこと何歳に見えてるの…?!!
と、心の中でツッコミながらも「ごめん急いでる。」と前を歩こうとしたが……
「………。」
人が多くて全く進めなかった…。急いで俺はコートのポケットからスマートフォンを取り出し、笹野に『どこいる?』とLINEを送ってからもう一度振り返る。
「なに?」
癖で睨むように訊く。すると、JKはビクッと肩を跳ね上げさせた。そんなJKの顔を見て、昔、笹野に「もう少し言い方に気を使ったらどうです?!」と怒られたことを思い出す。
俺は咳払いをしてぎこちない笑顔で、もう一度訊き直した。
「ん?どうした?」
…………ダメだなこれキモいわ…今度から辞めよう…。そう自分でも引いていたが、目の前のJKは目を丸くしてぼふんっと瞬時に顔を真っ赤に染めた。
……マジかよ…。
そして、震えた声で俺に言う。
「あっあああのっ…!カッコイイなって…思っちゃって…………よ、良かったら…インスタ……こっ、交換してくれませんか…?」
やっぱナンパかよ…?!てかマジで俺のこと何歳に見えてんの…?!
「あー……ごめん、俺…好きな人いるんだ……。そいつと今来てて…。はぐれちゃったけど……。」
初めて口にする「好きな人」という単語に、少しだけもどかしさを感じる。けれど……何だか、嬉しかった。
正直に伝えると、いつも他の女性から告白を断っている反応よりかは、傷ついてないような反応をしてくれた。「あっ、そっそうでしたか…!すみません…!」と恥ずかしそうに俺を見上げる。
ここで会話を終わりにしようかと思ったが……
「……因みに…………俺のこと何歳くらいに見えてんの…?」
気になりすぎて訊かずにはいられなかった。
JKは「えっ?」と言って当たり前のように答える。
「大学生くらい…なんじゃないんですか?」
嘘だろ……?俺そんな童顔か…?!いや……怖い顔してるとかよく言われるけどな…。
「…………今年で……二十九…なん、だけど……。」
何だかこっちが恥ずかしくなってくる…。JKは二人して「二十九ぅ…?!」とめちゃくちゃに驚いていた。
「じゃ……。」
と言って少し前方に隙間を見つけた俺は歩き始める。そして、『チンアナゴの前です!』と笹野の返信を見て急いでチンアナゴコーナーへと人混みを掻き分けた。
三分ほどかけて、漸くチンアナゴコーナーへ辿り着く。笹野の小さな背中が見えた。
酷く安堵して笹野の名前を呼ぼうと口を開ける。
だが……
「なんの仕事してるんですか?」
「マーケティングの仕事をしてます!アンケートとかを作って、皆さんがどんな商品を求めているのか調べるんです。楽しいですよ♪」
「へぇ〜、いいですね。笹野さんにピッタリな仕事だ。」
「ふふっ、ありがとうございますっ♪」
……隣に笹野と同い歳くらいの男が二人、立っていた…。
しかも、片方は笹野に気がありそうな顔をしている。今、笹野と話している男が手伝ってやっているようだった。
「笹野さん、今日はおひとりで?」
「いえ、友達と来てます!さっき私がチンアナゴに目を奪われた際、はぐれてしまって…。」
「友達」かよ……。
その言葉を聞いた途端、今まで軽快だと思えていた水槽の音が、何だか重苦しく感じる。
照れ笑いする笹野に、一人は楽しそうに笑い、一人はだらしなく笑う。
そして……
「じゃっ…じゃあ…!それならその『友達』とっ……合流できたら四人で回りませんか…?!」
思いついたように、笹野に気がありそうな男が勢いで誘いやがった。
「うーん…それはどうでしょ――」
居た堪れなくなった俺は、笹野の横に貼り付けた笑顔で登場した。
「それはいい提案ですね。是非、四人で回りましょう。」
勿論、殺意を100%込めて。
そんな俺の礼儀正しい笑顔に、笹野は「え!嫌です!」とド直球に騒ぎ、男二人は怯えたように「やっ…やっぱ大丈夫です…。」「じゃっ、邪魔しちゃ…いいいけませんし…!」と言って去っていった。
「はあ……もう…一人でどっか行くなよ…。」
そう二度目の安堵をしている俺を、笹野は鋭く睨む。
「……なんだよ…?」
なんで睨むんだ…?先にどっか行ったのは笹野だろ……。
「…今日、私を『横浜に行こう』と誘ったのはどこのどなたですか?」
「え、千葉県在住の俺だけど……。」
なんなんだ…??
「そうですよね。碓氷さんとの二人きりのお出かけが楽しみで、私は今日オシャレをして来ました。」
「…う、うん……。俺もだけど…。」
「………。」
俺の言葉に、笹野は何も言わずに睨み続ける。
「……何だよ…?なんかあるならはっきり言えよ…。」
「……はぁ………。どうしてあの方たちと『回ろう』とか言い出すんですか!私は二人きりがいいんです!!」
笹野の威勢のいい言葉で、俺の頭は「?」で埋め尽くされた。
「え、俺……アイツらと回る気一切無かったけど…?」
「はぁ?!絶対嘘です!回る気ないのに『回りましょう』とか言いませんもん!」
「いや、あれは圧で手を引いてもらおうと…。」
てか怒ってる笹野可愛すぎないか?こうやって自分の感情を全力で表現するところ……大好きだ…。
「というか、笹野…あれ殆どナンパされてたんだからな?一人、めちゃくちゃお前に気ありそうだったぞ。」
「え…?!そうなんですか?!知りませんでした…!」
「う、うん……。だろうな…。」
あんな奴らと回る気はさらさら無かったけど……それでも、笹野は嫌……だったんだよな…。回りたくないのに俺が勝手に「回りましょう」って言った所為で……笹野は不安だったんだよな…。
「まあ俺の気持ちがどうあれ……ごめん…。諦めさせる目的だったけど、それでも笹野に嫌な思いさせた…。………俺も……笹野と二人でしか回りたくない…。」
なるべく正直に伝えようと、俺は足元を見ながらも頑張った。そんな俺に、笹野は照れたように むくれて言った。
「……も、もういいですよ…!碓氷さんが私としか回りたくないんなら……いいんです…!」
あまり聞いたことの無い感情の声に、俺は思わず顔を上げた。
その先の笹野は、見たことの無い顔をしていた。いつもなら、素直に恥ずかしそうにする笹野が、照れ隠しをするように怒っているのだ。
出会ってからもう八ヶ月ほど経っているが、それでも初めて見る笹野の表情に、俺は嬉しくなった。そして、勿論……めちゃくちゃドキドキしていた。
「う、うん……。なんだその顔可愛すぎるだろ絶対反則………。」
いいなら良かった…。ややこしいこと言って悪かったな……。
「へっ…?!」
笹野は突然顔を更に赤らめて物凄い勢いでこちらへ向き、口元を押えた。
「ん?」
俺、そんな変なこと言ったか…?
なんて、首を傾げて思い返してみる。
ん?待った……俺、今なんて言った…?
「うん、いいなら良かった。ややこしいこと言って悪かったな」…?
…………い、いや……自分の声で聞こえてきたのは、もっと……違う言葉だった筈…………――
「あっ!!!」
頭をフル回転させて考えていると、自分の声でこんな言葉が聞こえてきた。
――「なんだその顔可愛すぎるだろ絶対反則………。」
慌てて笹野の顔を見ようと肩下まで目線をやると……笹野はめちゃくちゃ恥ずかしそうに口元を未だ押さえていた。
「あっ…!い、いいいや違う…!そう!違うんだよ……!そっ、そのっ……言いたかったことと思ってたこと逆になったって言うかっ……って違う…!!あの違くて…………」
あぁ……くっそ…何も弁解できることがねぇ…!!
笹野は驚いた顔で俺を見上げるばかり。
対して俺は……めちゃくちゃ目を泳がせた挙句、言うべき言葉が何も見つからず、絶望して頭を抱えていた。
そうしていると……
「前も訊きましたが……碓氷さんは…わっ、私のこと……どう思ってるんですか…?」
笹野がそんなことを訊いてきた。
今訊かないでくれ…!!!くっそなんて答える…?!矛盾してなくて、且つ告白はしないような返しを……!!
「かっ……かわいい年下の…友達……。」
小さな声で返すと、笹野は視線を落とし、どこか悲しそうに「……そうですか…。」とだけ言った。
視界の端で、何かを堪えるかのようにぎゅっと握りしめる小さな手が見える。
………ごめん…笹野……。
「って、てか……俺たちずっとチンアナゴ見てんじゃん。そろそろ動こう…?」
「………ですね。」
そんな会話を交わして、俺たちは順路通りに歩き始める。笹野は、未だ悲しそうにしている。
「…チンアナゴ、そんなに好きなのかよ?」
「えっ?はい、好きです。なんか可愛いじゃないですか。」
「そうか?ムーミンのニョロニョロみたいじゃん。」
「それがまた可愛いんですよ。」
なんて笑って、笹野はある水槽の前で立ち止まり、瞳をキラキラと輝かせた。クマノミの水槽の前だ。
「かわいい〜…!♡」
そう言って笹野は夢中でクマノミを見つめる。
俺も笹野の真似をして、水槽に張り付くようにして鮮やかな魚たちを見てみた。そうしていると、自然と楽しかった先程よりももっとワクワクとした気持ちになれる。
笹野のお陰でまた「楽しさ」が倍増したことが嬉しくて、微笑みながら水槽を眺めていると……
「あ、あいつ笹野に似てないか?w」
くるくると慌ただしく一匹のイシダイの周りを回っているクマノミがいた。いつも楽しそうに俺の周りをちょこちょこと歩く笹野にそっくりだ。
笹野はそんな俺のくだらない話に、楽しそうに乗ってくれる。
「言われてみれば確かに似てますね!けど、私が回ってるイシダイも、碓氷さんにそっくりですw 何だかんだ楽しそうにゆらゆら泳いでますもん♪」
「ふっ…そうだなw」
うん、似てる。
俺も初めは笹野のこと鬱陶しく感じていたが、何だかんだ少し嬉しかった。笹野が現れる前は、態々 俺の周りをうろちょろするような暇人はいなかったから。
そんなことを考えてだらしなくニヤついていると、俺は一つ、疑問に思った。
「会って間もない頃、笹野は俺のことどう思ってたんだ?」
俺はいつも「昔はどうだった」とか、笹野によく過去の思いを伝えている。だが、笹野の思いはあまり聞いたことがない。ただ、「あまり好きではなかった」……とかだけだ。
俺の質問に、笹野は次の水槽に移動しながらも嬉しそうに答えた。
「本当に初めの頃は、正直言っちゃうと大嫌いでした。だって、碓氷さん意地悪と皮肉ばかりで。」
「だっ…だよな…。はは……。」
…過去のことだとは分かっているけど…胸にグサリと……。
「ですが……碓氷さんと嫌々関わっていって、知っちゃったんです。碓氷さんの素敵なところ。」
笹野の更に明るくなった声で、俺は顔を上げた。
目の前には、青く神秘的な灯りに照らされた笹野が優しく微笑んでいる。
「前にも話しましたが、碓氷さんと関わっていく中で、真面目さに、誠実さに、意地悪の中の優しさに、気づいてしまったんです。だから、嫌いでい続けるなんて無理でした。今となっては、『意地悪』だなんて全く思いません。」
悪戯げに笑う可愛らしい笑顔に、真っ直ぐにそんな表情を見せてくれる笹野に――俺は更に惹かれていく。
きっと、普通の人間なら最初の時点で「嫌い」と判断したら、そこからその気持ちは変わらないだろう。そもそも、その嫌いな奴の「いい所」があっても気づかない――若しくは、見て見ぬフリをする筈だ。
けど、笹野はきちんと俺を真っ直ぐな目で見てくれた。そして、他の人なら絶対に気づかない俺の「いい所」に気づき、伝えてくれた。
そんな、「普通」とは違う笹野を見て……俺は、笹野を好きになって良かったと心の底から思った。そして、こうやって嬉しい言葉が返ってくると……どうしても、欲が出た。
「………そういえば、俺ばっか答えて笹野の返答聞いたことないけど……………その……笹野は…今……俺のこと…どう思ってる…?」
俺の意味深な質問に、笹野は目を逸らす。
「そっ…それは………」
バツが悪そうにそう小さく口篭って、今度は俺から逃げるようにもう一つ先の水槽へと歩く。俺は、黙って答えを期待しながら…笹野の震える瞳を見つめていた。
そうして、十数秒間待って聞こえてきた答えは………
「……碓氷さんが…私のことどう思ってるかで…答えは変わります……。」
そんなあやふやな答えだった。
自信が無さそうに、緊張したように笹野はそう俯く。前には、綺麗な魚たちが自由に泳いでいるのにも関わらず……笹野は足元を眺めていた。
「……俺の気持ちは汲み取らなくていい。俺が知りたいのは、笹野がどう思ってるかなんだよ…。」
こんなこと訊いても……どうせ告白するんだし、困らせるだけでは無いのか………なんて、後ろめたさを感じつつも笹野の俯いた綺麗なオレンジゴールドの髪を見つめ続ける。けれど、俺の言葉で笹野はハッとしたように顔を上げた。
だけど…………
「っ……。」
何かを言いたげにしてから、また口篭ってしまった。
もう、深くは訊かない方がいいだろう。そう思って、「ごめん」と謝ってから隣の水槽に歩いたのに、か細い声が聴こえてきてしまった。
「……わからない…です…。」
そんな苦しそうな笹野の声で、心臓を握りつぶされているような感覚に陥る。
だからなのかは分からないが……俺は聞こえなかったフリをしてしまった…。何も言わずに、ただただ ひとり水槽に閉じ込められているタコを眺めていた。
………あんなに褒められて嬉しそうな顔しといて……あんなに、俺のことをべた褒めしておいて…………あんなに………照れたような顔をしておいて……俺のことを好きなのかは「わからない」のか………。
……くっそ…………絶対諦めない……。惚れさせるようなプランは無いが、笹野を楽しませるプランなら幾つものパターンで考えてある。
絶対……このデート兼告白を成功させてやる!
そう意気込んで、俺は笑顔で笹野に提案した。
「笹野、もう少し進んだところで海の生き物たちの『ふれあいコーナー』があるらしい。行ってみたいか?」
気を取り直して尋ねると、笹野は先程まで苦しそうな顔をしていたのが嘘のように、パァっと太陽のような笑顔を咲かせた。
「海の生き物に触れるんですか?!行ってみたいです!」
「それと、あと三十分くらいしたらイルカショーが始まるらしい。」
「一番楽しみにしてたやつです〜!早めに席取らなきゃですね!」
「ふっ…そうだなw」
それから、こっそり予約していたペンギンとのふれあいイベントに参加して、俺たちは腹が減ったので館内のレストランへ向かおうと歩いていた。
「いや〜、ペンギンたち可愛かったですねぇ♡」
「そうだなぁ。」
「帰りにペンギングッズ買いたいです!」
「いいなそれ!俺も買う!」
「お揃いにしますか?」
俺がいい反応をしたのが嬉しかったのか、笹野は先程よりもいっそう嬉しそうに俺へ笑いかける。可愛すぎる。
ってか……お揃いっていいのか…?!カップルがやるやつじゃないのか?!い、いや……友達でもやるのが普通なのか…?でも異性だし………。いや…多分…笹野は性別関係無く、仲良かったらお揃いにしたがりそうだな…。
「…さ……笹野がいいんなら…。」
恥ずかしさと不安の混じった声で返答をすると、笹野は元気よく「もちろんです!碓氷さんとお揃いのもの、欲しいです♪」なんて俺に笑いかけた。
その笑顔で俺は一瞬、時が止まったような感覚に陥る。笹野のあまりに無垢すぎる笑顔に、俺は暫く見惚れていた。
「…そういえば碓氷さん、さっきの『さくらさん』のことどう思いましたか?」
止まっていた時が再び動き出したのは、笹野の何気ない一言。
「えっ?」
やっべ聞いてなかった…。
「『さくら』さんですよ。さっきペンギンのパフォーマンス見せてくれた飼育員さんです。」
「あ、あぁ。あの人か…。」
男性飼育員と女性飼育員がいたけど…どっちがどっちだっけ……?ってか「さくら」って苗字なのか?それとも名前…?
笹野が会話の中で情報をくれるだろうから、それを待つか…。
「それで、あの人がどうした。」
「だっ…だから……どう思いましたか…?」
「んー……どうも…?ってか『どう思いました』ってなんだ?もっと具体的な質問にしろよ。」
「っ……なんで分からないんですか…!それとも分からないフリをしてるんですか…?!碓氷さんがジロジロみてたじゃないですか…。まあ確かに……あの人は私と違ってお淑やかで…ふわふわしてましたし…?お顔もすっごく整ってましたし…!」
あぁ、女性飼育員の方か。男性飼育員、めちゃくちゃ色黒マッチョのおっさんだったもんな。
「碓氷さん……ああいう方がタイプなんですか…?」
何とも不安そうな顔をして、笹野はそんなことを尋ねた。……とても悲しそうに…。
こんなん勘違いしてしまう……。
「……前も言っただろ、俺は特にタイプとか無い…。俺があの人を見てたのは、めちゃくちゃ視線感じたから。ってか申し訳ないけど……顔も覚えてねぇよ…。『さくら』って人がその人なのか、それともムキムキマッチョの方なのかも分からなかったし…。」
俺の好きな人は笹野だから、タイプは「笹野みたいな人」になるんだろうが……別に俺は、笹野が好きなタイプと合致してたから好きになった訳じゃない。笹野だから好きになったんだ。
正直に伝えたが、笹野はまだ不服そうな顔をしている。
……ヤキモチ…か…?くそ……かわいいな………。
「…そういう笹野はどうなんだよ…?す……好きなタイプは…?」
俺も答えたのだから訊く権利はあると思い、尋ねてみた。すると、笹野は頬を赤く染めて答える。
「…な…ないです……。」
……やっぱ無いのか…。まあ…あったとしても素の俺を好きになって欲しいから、もし笹野の好きなタイプが金髪とかでも髪を染めたりはしないけど……。
なんて考えていると――
「けど……」
笹野が、小さな声で何かを続けようとした。その小さな声を拾おうと俺は顔を上げる。
「…し…強いて言うなら………」
「強いて言うなら」…?な、なんかタイプあるのか…?!
笹野のまさかの言葉に心臓をバクバクさせながら、答えを待っているが……笹野は中々続きを言わない。
五秒ほど笹野の赤くなった耳を見つめて、聞こえてきた言葉は――
「…ん?」
答えじゃなかった。
俺も「ん?」と言って笹野の視線の先を見る。
そこには、アザラシに餌をやっている男性飼育員が。随分とチャラチャラとした見た目だ。
ま…まさか……笹野はああいうのが好きなのか…?!俺と圧倒的真逆じゃん…!!!俺も髪染めようかな…!!!!
とか一人絶望していると……
「あれ?」
なんと……あちらも笹野の視線に感じてこちらを向いた。
更に………
「あれ?明香里じゃん!」
アザラシゾーンの中の男性飼育員が笹野に笑顔で駆け寄ってきた。
知り合いか…?!
改めて男性飼育員を観察してみる。確かに…笹野とは同い歳くらいに見える…。
男性飼育員の笑顔に、笹野も目をキラキラと丸くしながら笑う。
「やっぱ一颯だったんだ!めっちゃ偶然じゃん!そういえば神奈川行くとか卒業前に言ってたね!」
貴重な笹野のタメを聞いて、俺はただぽかんとすることしかできなかった。そんな俺に気がついて笹野は笑顔で俺に教えてくれる。
「高校の同級生です!」
「あ、あぁそうなのか、同級生か…。」
……下の名前で呼んでたよな…?結構仲良いのか…??
なんて、考えている間にも目の前の男は俺へ軽く「ちっす!」と挨拶してから笹野へ尋ねる。
「てか、えっ?待って?彼氏?明香里が?!やばくね信じらんない!」
「かっ…彼氏じゃないよっ……!」
明らかに動揺した笹野の反応に、男はほんの一瞬だけ憂いの表情を見せてから何ともないように「へー?」とだけ返す。
「てかさー!明香里聞いた?!竜祐結婚すんだってよ!」
「なにそれ私知らないよ?!いつ言われたの?!」
「昨日の夜!急に電話かかってきたんだよ!やっぱ明香里には来てねーかー。覚えてる?アイツ、昔 お前のこと好きだったじゃん?」
「うーん……?あー!確かに卒業式に告白された!」
「バカなお前でも覚えてたかーw」
何だよ「バカ」って……。
なんて、自分のことのように腹を立てていたが、俺は何も言わなかった。笹野が「バカとか言うな」と自分で怒ると思ったから。
けれど……
「覚えてるよ!w」
…笹野は、一切怒りを見せず楽しそうに笑った。俺が言うといつも怒るのに…。
俺は、笹野を嫌な気持ちにさせてしまうから、素直になれるよう努力をしていたのに……。そもそも、笹野が馬鹿じゃないということは特区の党に気がついているし、もう笹野が嫌がることはしないと心に誓った。
なのに……笹野は、目の前の男に「バカ」と言われても笑って受け流している…。無理を……しているのだろうか…。
「まあ、多分?結婚式の招待状は来るだろうから、その時は一緒に行こーよ。」
「いいね!久々にみんなで集まれるんだね♪」
「てかさ、その前に一回オレたちで遊ぶのアリじゃね?」
「いいじゃんいいじゃん!せっかくならさ、竜ちゃんも、愛翔も、結夏ちゃんも、琉璃も、榛奈もみーんな呼ぼうよ!」
「『みんな』?えーオレ、明香里との二人きりのほうが嬉しいんだけど〜。」
「絶対『みんな』のほうが楽しいよ!人数多いほうがわちゃわちゃできるし、みんなの『今』知りたいし!」
「まーそっかー。うん、いっか!みんなで遊び行こ!」
「やったー!」
なんか……うん…疎外感……。
まあ、笹野も久々の友達とばったり会ってテンションも上がってるんだな。相手が嫌なガキなのは気に食わないが、このまま影を消して友達との時間を存分に楽しませてやるか。
というか笹野、やっぱモテちゃうんだよなあ……。コイツは眼中にも無いみたいだから良かったけど………。いや……気づいてないだけ……?…いいや!気づいたとて!こんな男、好きになんないだろ!そうだ!絶対そうだ!!
と、一人心の中で騒いでいるうちに、もう話の内容は変わっていた。話題がコロコロと変わるのでついていけない。
「てか明香里さー、中身全っぜん変わんねーけど見た目っていうか雰囲気めっちゃ変わったよな!」
「え?そうかな?!可愛くなった?!私なりに結構努力してるんだよ!♪」
「どーかなw けど、なんつーか?前は服もオーバーオールばっかでダサかったし、メイクなんかお前高校んとき全くしなかったから芋っぽかったし。」
目の前の男の楽しそうに語る姿に、そいつから発せられる耳障りな声とデリカシーの無い言葉に、俺は目と耳を疑った。
笹野はオーバーオールが誰よりも似合うし、お義父さんが前に見せてくれたアルバムの中の笹野はどの年齢も最高に可愛かった。芋っぽいどころか、もはや──そう、甘いケーキのような。
勿論、それは高校生の頃も同じだ。
「けど凄いよね〜。あんっなに短足でチビだった明香里が今こんなに可愛く──」
「おい、さっきから何様だよあんた。」
笹野に対する目の前の男の態度に、我慢ならなかった俺は……つい、そんなことを口から零して男へ詰め寄った。笹野の友達だろうが関係なく、笹野が嫌がってる嫌がってない関係なく、俺は笹野が悪く言われているのが我慢できなかったのだ。
「『バカ』とか『ダサい』とか、『芋っぽい』『短足』『チビ』。人が傷つく言葉 言って楽しいかよ?人の見た目に関してとやかく言う資格なんか、あんたに無いだろ。そもそも、全然笹野に当てはまってないし。」
俺の真剣な言葉に、男はどんな対応をするだろうか。少し期待していたのに、目の前の男はその期待を裏切った。
「ウケるーw」と嘲笑したのだ。
「ネタだよわかんないの?」
「わかんねぇよ。」
「ジェネレーションギャップこっわ!ww」
「ちょっ、いぶ──」
「あんたは若いのにコンプライアンスって言葉が分からないのか。随分と迷惑な馬鹿だな。」
「コンプライアンスとかないでしょw オレは、明香里が面白い反応するから遊んでるだけ。好きな子のこといじめたくなっちゃうタイプなの。」
めちゃくちゃドヤってるが……何を言っているんだろう、コイツは。
「笹野は喜怒哀楽ハッキリしてるから、いじめたくなる気持ちは分からなくも無い。けど、好きな奴傷つけんなよ。そもそも、あんたが好きな奴いじめたいとか考え方のガキだとしてもそうじゃないにしても、好き嫌いも仲の良さも関係なく、人のことは傷つけちゃいけない。『親しき仲にも礼儀あり』って聞いたことないのか?もう成人してんだから、ちょっとは考えたらどうだ?」
俺の言葉がこのガキの心に響くかは分からないが、どうか分かってくれといつもはしない少しの期待をして俺は言った。
多分、こうやって柄にもない期待をしてしまうのは、笹野の友達だからだろう。笹野と関わってる奴なら、分かってくれる筈、そう思ったのだ。
けれど、目の前の男にはやはり伝わらなかった。
笹野への「ごめんなさい」の代わりに、俺へ顔を歪めて詰め寄る。
「オッサンさぁ、明香里の何だか知らないけど、もし明香里のことが好きならやめてあげてくんないかな?フツーに考えてこんなオッサンに、女として見られてるって知ったら超キモイよ?」
何でもないガキの言葉なのに、その言葉は深く深く俺の心へゆっくりと突き刺さる。そして、抉りとるようにして、頭の中でたった今聞いた言葉が駆け巡る。
そう…だよな………。こんなおっさんから好意を向けられてるなんて知ったら……相当………キモ──
──ベチンッ!!
俺の思考はそんな痛々しい音で停止した。
無意識に落としていた目線を思わず上げると、ガキが怯えるように目を見開いて頬を押えていた。その光景を捉えた瞬間、聞いたこともないような荒々しく──けれど真っ直ぐな怒号が混雑した空間に響いた。
「ネタだからっ、友達だからって今までずっと我慢してきたけど!私の大切な人に酷いこと言うなら容赦しない!!それと歳上なんだから敬語使ってよ!!」
笹野は……まるで自分のことのように怒って、俺を庇ったのだ。そんな笹野を見て、ガキは嫉妬したのか怒鳴り返す。
「敬語使う必要も無いような人間だから使ってないんだよ!説教ばっかするオッサンなんかに誰が敬語使うかっつーの──」
──ベチンッッ!!!
「エッ?!」
笹野はなんと、もう一度ガキの左頬を打った。
今度は何も言わずに男を鋭く睨みつけている。
そんな笹野とは対称的に、思わず「エッ?!」と声を上げてしまったのは、殴られたガキではなく隣で見ていた俺。
打たれた男は赤くなった左頬をもう一度押さえながら、ニチャリと笑った。
「変わってないな、明香里は。高校んときもお前の友達の悪口言って、怒られた。」
これ二回目かよ…?!マジで学習しないじゃん!
「…けど、その時は一回も殴られなかった。なんであの時殴らなかったの?進路に影響出るから?……明香里は人のことになると、自分の後先も考えないで行動しちゃうから違うよね。その男が……あの友達よりも大切?ホントに?本当に、コイツのこと信用できんの?」
「……一颯さ、その口一回閉じなよ…。すごい不愉快。人をイラつかせることしか言えないの?」
「ふっ……どっちが大切かは答えないんだ。」
「当たり前でしょ?!私にとってはっ、どっちも大切なの!!」
「ふーん、オレよりも大切なんだ。」
「っ……だから!私にはみんなが大切なの…!」
「それって同じくらい?違うよねぇ。正直に言えばいいじゃん。そいつが一番大切なら、素直にそう言えば?いつもは素直な明香里がハッキリ答えられないってことは、本当はそいつのこと大切じゃないんじゃないの?それとも、本当は──そいつのこと、大切にし続けられる自信無い?」
「っ……あ、あるに決まってんじゃん!碓氷さんは私の特別なの!!もういい!一颯なんか大っ嫌い!!」
笹野が一瞬、動揺したような顔を見せた気がしたのは気の所為だろうか。
直ぐに眉を釣り上げたままの顔で「行きましょう碓氷さん!」と俺の腕を引っ張った。けれど、いつもの控えめな掴み方じゃない。強く……強く俺の腕を小さな手で握りしめている。
頼りない手なのに、力はか弱くなんか無い。
絶対に離さない──若しくは…離すのが怖い。
そんな笹野の微かな恐怖を感じた。
「……さ、さの…。」
俺が呼びかけても、笹野は振り返らない。
無視しているのかと思ったが、そうでは無かった。何故だかは分からないが、何となくそう感じた。
笹野には、俺の小さな声は聞こえないのだ。
だから………
「…笹野っ!」
俺は腹から声を出した。行き交う人たちの喧騒にかき消されないように。
すると、笹野は驚いたように物凄い速さでこちらへ振り返る。
揺らいだエメラルドの瞳は、ほんの少しだけ、潤んでいるようにも見える。
「…痛い……。」
思ったよりもか細くなってしまった声で訴えると……笹野は、ハッとしたように手をパッと離した。
「ごっ…ごめんなさい……。」
笹野の震えた声で、気まずい空気が流れる。
……笹野は…本当は、俺のこと…………大切に思っていないのだろうか…。一瞬、あのガキの言葉を思い出してそんなことを考えたけれど、そんな不安は直ぐに消えた。
笹野が嘘をつかないことを俺は知っているから。
笹野が、俺を大切に思っていない訳が無い。
いつも言葉できちんと伝えてくれているし、もし大切じゃなかったら――先程、俺を庇ってあのガキを打ったりはしなかっただろう。
けれど、笹野が他の友達やあのガキを大切に思ってないなんてことも無い筈だ。笹野は、関わる人間全てを大切に思える人間なのだから。そんな笹野を見て、俺も人を大切にする方法を学んだのだから。
それなら……何故、笹野はあんな動揺したような顔を…?
……分からない…。
笹野は心から「みんな」が大好きなんだよな…?
…………訊かない方がいいだろうか…。笹野が……話したくなるまで、深掘りはしない方が…。
「気にすんな。ほら、レストラン行くぞ。」
気を取り直して、安心させるように俺は笹野へ笑いかけた。
すると、笹野は再び戸惑っているかのように二秒ほど固まったものの……
「そうですね!」
いつもの笑顔で、俺の隣を歩き始めてくれた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
続きは今週の日曜日に公開予定です!まだこの話しか読んでいない方は、ぜひ日曜日までに第一章から予習してみてください.*・゜
次回もお楽しみに!
※本作はフィクションであり、実在の団体・人物とは関係ありません。




