第八章 家族のかたち⑤
そう誓った翌日。
昼前に電話があった。笹野であることを期待してスマートフォンを手に取ると……
「遠藤…?」
なんと掛け主は遠藤だった。遠藤からの電話だなんて何ヶ月ぶりだろうか。
「もしもし?珍しいなどうした?」
不審に思いながらも出ると、遠藤は少し気まずそうに「もしもし」と返す。
『碓氷さぁ…知ってるかもわかんないんだけど……』
「ん?」
『………。』
なんなんだ…?そんな言いづらいことなのか…?
遠藤が答えないので、ただただ首を捻っていると――
『……笹野ちゃん、岸本と付き合ったらしいよ…。知ってる…?』
「はっ……?」
そんな掠れた声が零れて、俺は何も声が出なくなった。
遠藤が今言った言葉を、俺は暫く理解が出来なかった。けれど、徐々に事の重大さに気がついてきて、クラクラと目眩がする。
その先で、遠藤が喋っていた言葉も何も聞こえなくなった。ただ、聞こえてくるのは「碓氷さん!」と俺を呼ぶ可愛らしい笹野の声だけ。
なんで……?
なんで…………。
そんな言葉ばかりがぐるぐると頭を駆け巡って気持ちが悪い。
気がついたら電話は切れていた。
電話が切れたあとも、俺はずっとショックでベッドに横たわっていた。
なんで……誰も好きにならなかった笹野が…?
なんで寄りに寄ってアイツなんだよ…。
「結婚するなら碓氷さんがいいです」とか言ってたじゃんか…!!!
ふざけんなよ……。
思わせぶりな態度ばっかとっておいて、結局は他の奴のとこ行くのかよ…!!!
………いや…も、もしかしたら嘘かもしれない……。
そうだ…!本当に付き合ったなら、笹野は絶対に俺に言う…!そうだよ!おかしい!!岸本とかいうクソ関西人の嘘かもしれないだろ!!よし!それなら笹野本人に訊いてみよう…!
……いや、そんなこと聞いたら…狙ってたみたいに思われそうだな…。いや確かに狙ってたけれども…!なんか印象悪い……。しかも、そういうのは笹野が言いたい時に話を聞くべきだ……。
なんて、考えてももう意味の無いことを延々と頭の中で繰り返していると……
――トゥルトゥントゥントゥントゥントゥントゥントゥン♪
再びスマートフォンが鳴った。ビクッと反応して手に取る。
どうせ遠藤だろうとか思っていたが、電話の掛け主はなんと笹野だった。
……出たくない…。
どうせ……「私、知弥さんとお付き合いすることになりました♪」とかの報告だろう…。そう分かっていても、どうしても笹野の声が聴きたくて……俺は、電話に出てしまった。
「……も、もしもし…。」
バクバクと高鳴る胸を押さえていつも通りを意識する。案の定、電話に出た瞬間、笹野の高ぶった声が耳に飛び込んできた。
『もしもし碓氷さん!ビッグニュースです!』
「……なんだどうした…。」
やばい……声が震える…。「普通」……「普通」に…。
自分に言い聞かせて、俺は笹野の答えを待っていた。答えを聞けば諦めがつく、とでも思っていたのかもしれない。
だけど、笹野がその先を言うことは無かった。代わりに笹野が言ったのは……
『碓氷さん…?どうしましたか、元気がありませんね。』
そんな、俺に対しての心配の声だった。
……くそ…………なんで気づくんだよ…。
『もしかして、具合でも悪いんですか?』
失恋しても尚、笹野の柔らかくて優しい声に胸が揺れ動いてしまう。
今までは全く言えなかった癖に、頭の中では「好きだ」という言葉が顔を出しては消えていく。
だめだ…………折角ずっと我慢してきたのに…ここで言ったら笹野を困らせてしまう……。全てが水の泡になる…………。
笹野には………笹野には………………岸本が………。
――俺の方が好きなのに……。
そんな言葉が口から溢れそうになって、俺は慌てて口を両手で押さえた。
「……あ…いや………大丈夫だ…。問題無い。ちょっと………頭が痛いだけだ。多分寒さの所為だろ。」
『頭痛いんですか?!大丈夫ですか?!――あっ…ごめんなさい……声、響きますよね…。』
「……い、いや………大丈夫だよ…。」
なんで…………。
『では、今から私が看病に行きますね。待っててください、必要なものを買ってわたくし笹野、碓氷さんを助けに参りますっ。』
……なんで………………。
だめだっ……
「なんで優しくするんだよ……。」
駄目だ駄目だと言い聞かせていたのに、やはり……抑えることは無理だった。
電話の向こうでは『えっ…?』と動揺した声が聞こえる。
『なにか……ありましたか碓氷さん…。』
俺の意味深な言葉に笹野は心配そうに尋ねる。けれど、直ぐに自信満々に慰め始めた。
『……前も言いましたが、私は碓氷さんに優しくしようとして優しくしてる訳ではありません。優しくしてしまうんです。碓氷さんだから。他の人にはこんなことしませんよ。碓氷さんが素敵な人だから、優しくしてあげたくなっちゃうんです。』
ああもう………。
今はその優しさがしんどいって言うのに……なに俺は喜んでんだ…。
『ふふっ、碓氷さんが分かってくれないなら、分かってくれるまで何度でも言います。凄いのは碓氷さんです。優しいのは碓氷さんなんですよ。』
…………だめだな…。
これ以上話していると……もっと言いたくなってしまう…。
もっと…………好きが増してしまう……。
「……ありがとな。笹野のお陰で元気出た。」
『んふ、今から碓氷さん家に行って抱きしめてあげましょうか?』
「簡単に言うな…w じゃ、切るぞ。」
『……はい♪ ではまた。』
「おう、またな。」
そう言って通話終了ボタンを押して、俺は電話を切った。
……………はぁ………。
……………………。
「じゃあ俺にしろよ…!!」
ああもう!!腹立ってきた!!岸本のとこ行って直接訊いてやる!!!
なんて珍しく俺は感情に任せて、遠藤へ岸本の居場所を尋ねる電話を入れた。
勢いで岸本の家に来てしまった…。こんなに感情的に動くのは久々な気がする……。
ドクドクと全身に血が巡るのを感じる。震える人差し指を、俺はインターホンへと伸ばした。
そして、深呼吸をしてボタンを押す。
――ピーンポーン…ピーンポーン……
典型的な音が鳴って数秒後、インターホンの向こうで『ちょいとお待ちをー。』という声が聞こえる。だが……
『…ん?もしやイケメン野郎か?!』
直ぐに俺の姿に気がついて、嬉しそうな声が聞こえた。その声に俺はムカッとする。笹野と付き合えたから自分の方が立場が上、とでも思っているのだろうか。
なんて、イライラしている間に岸本がガチャリとドアを開けて出てきた。そして、ワクワクとした様子で「どないしたん?」と尋ねてくる。
…………もう、訊くまでも無いな…。
けど……折角ここまで来たんだから……。
俺は覚悟を決めて、顔を上げた。
「覚悟」というのは、現実を受け入れる覚悟だったのだろうか。
それとも、諦める覚悟だったのだろうか。
どっちにしろ、絶対に不可能だということは確かだった。
「……あんた…笹野と…………つっ、付き合っ…たのか…?」
拳は固く握りしめていたけれど、発せられた声はとても弱々しく情けないものだった。そんな俺の質問に、岸本は余裕の笑みを浮かべる。
「あぁ、遠藤から聞いたんかw」
そして、得意げにサラッと答えた。
「付き合ってないで。ウソやウソ。」
「…………はっ…?」
岸本の答えに…………全身の力が抜けた…。
「よかった」と、本気でそう思ったのだ。
……笹野に好きな人が出来たなら喜ばなければいけないのに、笹野にはまだそういう人は出来てないと知って、「よかった」と…………思ってしまった…。そんな自分に腹が立って、同時に……しょうもない嘘をついた目の前の関西人に怒りが沸々と沸き上がってきた。
「………ふざけんなよ…」
「へっ?」
俺の小さく放たれた言葉を、関西人は聞き返した。恐らく小さすぎて聞こえなかったのだろう。俺の声量が悪かったのだが、呑気な岸本の声と顔に、更に腹が立った。
「ふっざけんなよ!!!」
だから今度は確りと聞こえるように、大きな声で怒鳴った。怒りが爆発して、気がつけば俺は関西人の胸ぐらを掴んで揺らしていた。
「あんた人間として恥ずかしくないのか?!!そんな惨めな嘘ついて恥ずかしくないのかよ!!!」
そうやって如何にも正義感で満ち溢れてそうな怒鳴り方をしたが、全て嫉妬と自己嫌悪と安堵から来る怒りだった。
けれど……許せない…。
だって、笹野のことを誰よりも好きなのは俺なんだから。
それなのに、そんな大好きな奴がよく分からないチャラチャラとした奴と付き合ったとか嘘をつかれて……
「ちょっ、待てい!あんたも同じようなウソ俺についたやろ!」
「えっ?」
胸ぐらを掴まれたまま足をゆらゆらさせて、苦しそうにそう言った関西人の言葉に俺は耳を疑った。
………いつ俺が同じような嘘を…?
「っ……下ろせやっ!」
「……いつ嘘ついた?」
「教えたるから!!お゙ろ゙ぜっ…!!」
「…………。」
そろそろ関西人が死にそうなので俺は仕方なく、手を離す。
「はぁ…はぁ………。」
「早く。」
「ちょっ…待てぃ……。息整えてんねん…。」
と言って数秒後、関西人は漸く答えた。
「『明香里ちゃんと一夜を共に過ごした』って言うたのは誰や?」
「あっ…。」
…………確かに…言っていた……。しかも……こいつの嘘よりも酷いんじゃ………。
「……悪かった…。俺の胸ぐら掴んでくれ……ついでに殴れ…。」
「アホか。そんな意味無いことせんわ。」
そう言って俺を睨むが、関西人は直ぐに何かいい事でも思いついたようにニヤッと笑った。
「せや、どうせ暇やろうし今から宅飲みせん?」
「は…。」
…………根に持たないのかよ…。
「……しないわ。そんな酒を酌み交すような仲でもないし。大体、俺 車で来たし。」
「えー、つまらんなぁ…。まあまあ、とりあえず上がっていき?」
「上がんねぇよ。」
「ええやんええやん!こたつあるで!」
「いや、うちにもある。」
「ほら早く上がりぃや、寒いねん。」
「だから、上がんねぇよ。」
「イケメン野郎は何飲みたいー?酒がダメやったら〜、んー…麦茶、コーヒー、ぶどうジュース、サイダー……ん?あっ、これ賞味期限切れとるww ははっwww」
「………コーヒー…。」
五分したら帰ろ…。
なんて思いつつ、折角なので関西人の部屋を見回してみる。が……特に面白いものは無く、直ぐに暇になってしまった。
暇になってしまえば、勿論頭に思い浮かぶのは笹野のことで……俺はもう一度、安堵した。関西人のくだらない嘘で良かったと。
けれど…………
「っ……。」
あまりの安堵に、何かが込み上げてきた。苦しくて息ができない。熱くなるまで噛み締めた唇が震える。そして、それと同時に目元が熱くなる。胸が痛くて痛くて、必死に落ち着こうと深く息を吸い込んだ時――ずっと、我慢してきたものが零れてしまった。
更にそんな最悪なタイミングで、コーヒーを注いだ岸本が帰ってきた。
「ほい、お待たせしました〜こちら知弥ちゃん特製コーヒーに……あ?…え?!何泣いとんっ?!!」
「泣いてない」と返したいのだが、一度零れてしまったものはもう溢れて止まらなかった。
最悪だ。こんな奴の前で泣くなんて…絶対、笑われるに決まっている。そして一生ネタにされるんだ…。
そう絶望したが、岸本はコップをテーブルに置き……
なんと、俺の背中を摩った。
「明香里ちゃんのこと、まだ引きずっとんのか?ごめんなぁ。けど、俺より碓氷のほうが可能性あると思うねん。だって、碓氷といるときの明香里ちゃん、ほんま嬉しそうなんやもん。」
そう言って微笑んだ岸本は、笹野とよく似た優しい目をしていた。俺はそんな岸本に、酷く安心してしまった。
だから…………今まで溜め込んでいた想いを……俺は全て零してしまった…。
「…っ……初めて…だったんだ…。初めてこんなに誰かを信じた……。はじめてこんなに…………誰かの幸せを願って……だれにも取られたくないと思ったっ……。…笹野が笑うたび…………胸があったかくなって…けど苦しくって…………愛おしくて…………守りたいって……俺がしあわせにしたいって……本気で…そう思えた………。なのにっ………なのにおれは……ささのが傷つく言葉しか言えなくて………………正直に言えなくてっ……。うぐっ………こんなに好きなのにっ……こんなに大切なのにっ…………。…しまいにはっ……笹野とお前が付き合ってなくて…………『よかった』って…………。…自分が情けなくて…………ほんと……生きてるのも嫌んなる……。…なんで…………なんで俺はっ…………………こんなにもクズなんだっ………。」
ボロボロと溢れて止まらない。今、こうやって大人げなく泣いている自分がまた情けなく感じた。
けれど……
「クズなんかやないで。」
ハッキリと放たれた岸本の優しい声色に、俺は思わず顔を上げた。岸本は優しく微笑んで続ける。
「そんなふうに考えるんはごく普通のことや。俺だって思ったで?あんたが明香里ちゃんとえっちしてないって知った時。明香里ちゃんが俺よりも、碓氷のほうが好きなんやって分かっとったけど、それでも安心したんや。」
…声が震えていたから、岸本もきっと……俺と同じくらい苦しい思いをしてきたんだと、漸く俺は気づいた。
「ごめんっ……。」と零しても、案の定岸本は怒ったりしない。優しく、悲しそうに微笑むだけだった。
そして、思いもよらないことを言う。
「もう……そんなに悩むんやったら………――そんなに好きなんやったら、告白した方がええと思うで。」
「はっ…?」
「明香里ちゃんが避けるこた無いってのは分かっとるやろ?」
「い…いや、でも……お前も笹野のこと…――」
「俺はもう勝ち目無いよ。デートすら行ってくれへんもん。」
………「そんなことない」とは言えねえ…!
「他の男に取られるのが嫌やったら、せめて告白せんと独り占めする権利なんか無いで?明香里ちゃんを守りたいんなら絶対に告白するべきや。」
岸本は、ティッシュを俺に差し出しながらそう笑った。真っ直ぐな瞳を見ていると、もう覚悟を決めたんだということが分かる。
………俺も………ケジメつけなきゃだな…。
このまま、「好き」を隠し通せる気がしないし……。何より…………笹野をずっと隣で支えていきたい…。
「…………分かった…。…俺、笹野に告白する…。」
受け取ったティッシュで涙を拭いて、宣言をすると岸本は嬉しそうに笑ってくれた。
「……ってか…なんで嘘ついたんだよ?嘘ついてまで…笹野と付き合いたかったのか?」
「あぁ、ちゃうちゃう。あんたに告らせる為や。」
「はっ?」
「イケメン野郎がいつまで経ってもウジウジしてるから、背中押してやろー思てな。こんな風に他の男に取られるでーって。」
えっ………
「俺の為…?」
「んー、イケメン野郎の為っていうかー、ムズムズするから俺の為?」
あぁ…。
………けど…最初からもう手を引くつもりだったんだな……。
「…そういう気遣い要らない。」
「気遣いちゃうわ。俺はもう無理やったんよ。」
「けどっ…!お前は諦めないタイプの人間だろ…!」
「まあな〜。」
「まあな〜」って……呑気に笑いやがって…。
何だか悔しくなって、俺は腿の上で拳を握りしめた。けれど、そんな俺に岸本は「けど」と続けて笑いかける。
「けど、俺な、あんたと一緒におるときの明香里ちゃんがいっちゃん好きやねん。凄く楽しそうで、嬉しそうで、コロコロ変わるあの表情が大好きなんや。せやから、これでいいんやと思う。」
優しく笑った岸本の目はやはり真っ直ぐで、笹野の幸せしか願っていないということがハッキリと伝わってきた。そんな岸本の綺麗な心が垣間見えて、俺はまた自信を失くす。
けれど…………もう決めたんだ。
絶対に告白する。
今まで隠してきた想いを、全て届けるんだ。
その数日後。俺は告白プランを練りに練って、笹野に電話をかけた。笹野はいつも通り直ぐに出てくれた。
『もしもし、どうしましたか?』
ルンルンな可愛らしい声に、緊張が増す。心臓がバクバクと高鳴って、あちらに聞こえてないか心配だ。
「も…もしもし…。あ…のさ……」
『はい!』
や…やばい……落ち着け俺…。
いつも通り……いつも通りに…………。
深呼吸をして…………
いざ…!
「明後日ってヒまっ?!」
『ぷっww』
その笹野の笑い声で、終わったと俺は確信した。……緊張で声が裏返ってしまったのだ…。
『はいw ヒまぁ、ですよw』
……ま、まあ笑ってくれただけましか…。落ち着け…………俺……。
『それで、どこ行きます?ふふっ』
…………俺が誘おうとしてんのもう分かってんのか……。くそ…………嬉しそうなの可愛いな…。
「あー…久々にドライブしようかなって…。横浜に。」
『もしかして、私が行きたがってたの覚えててくれたんですか?!』
「ま、まあな…。」
『ありがとうございます〜!流石は碓氷さんですっ!』
「ふっ…だろ?」
可愛すぎんだろ。
『はい!楽しみです!』
「そんで、晩飯は俺が奢ってやるよ。いいレストラン見つけたんだ。」
『え!いいんですか?!!』
「たっ…偶にはな。」
『ありがとうございます!!……ん?…あ……あれ……この間借りたビデオって…借りられるのいつまででしたっけ……。』
「あっ?」
笹野に言われて、俺は急いでDVDのケースに挟んでおいたレシートを見てみる。
「うそ……」
なんと…………そこには、三日後の日付が書かれていた…。
「明明後日…………だっ…た……。」
『やっぱりですか…!…では、ドライブは別日にして、明後日はそのビデオ、碓氷さんのお家で観ませんか?』
「……そ、ソウダナ…。」
あぁ………計画が全部崩れた…。
…ま…まあ……俺たちらしく「いつも通り」でいいのかも…な………。
「…けど、ディナーは行こう。帰り道の方面のレストランを選んだから。」
『やったー!楽しみです!!』
「だな。あ、それと…結構ちゃんとしたとこだからオーバーオールで行くなよ?」
『なんと……!で…では……ドレスとかの用意も必要ですかね…?!』
「そうだな。私服で来て、ドレスは俺ん家で着替えるのがいいかも。」
笹野のドレス姿が見れるのか…!!!俺天才すぎる…!
『では今すぐ買ってきます!』
「わ、悪いな急で…。」
『いえいえ!また一つ楽しみが増えたので!では!』
そう言って笹野は電話を切った。
き…緊張してきた…………。
笹野は…勘づいているのだろうか……。高級なディナーに連れてくなんて初だぞ…。
くそぉう……もっと連れてってやれば良かった……。
…………俺も、色々と準備するか……。
そして、ディナーデート当日。
俺は朝から笹野を車で迎えに行っていた。
約束の時間五分前に、笹野は笑顔で家から出てきた。中から助手席のドアを開けてやると「ありがとうございます。」と笑顔を見せる。
か…かわいい…………。
ってか……髪型がいつもと違う…?!
笹野は綺麗なオレンジゴールド色の髪を巻いてハーフアップにしていた。そして、そのハーフアップ部分はいい感じに抜け感を出して花のように仕上げている。
「髪……」
何とか褒めたくて、呟いてみるが……その先の言葉は、声が震えて出なかった。だが、俺の言葉に笹野は嬉しそうに後ろを向いて髪を見せる。
「そうなんです♪ 今日はディナーに連れてってくださると聞いたので♪ どうですか?可愛いですか?」
「可愛い待ち」をしている笹野は有り得ないほどに可愛いのだが、ドキドキと鼓動が高鳴って何も返せない。
……くそ………こんなんで今日告白なんか出来るのか…?
な……何か…………何か言わなきゃ…!
「…や…やだー……カワイイワネー…。」
「ん?なんでオネエなんですか?」
「……気にすんな…。」
「…?……は、はい…。」
その後は俺の家に着き、いつも通りを過ごしていた。いつも通り映画を観て、いつも通りお菓子を食べて、いつも通り語り合う。「いつも通り」の筈なのに、やっぱり笹野を想う気持ちは強くなるばかりだった。
笹野の一挙手一投足が愛おしくて仕方が無い。少しでも気を抜いたら、告白のタイミングも待てずに零してしまいそうだった。
✶ --------------------------------------------------------------------------------- ✶
昼食後。私たちは仕事を分担して食器を片付けていた。碓氷さんが洗って、私が拭く。やはり、相性がいいのか作業効率は完璧で私たちはテキパキと動いていた。
「そういえば…」
作業をしながらも、碓氷さんが切り出した。私も手を動かしながら、碓氷さんの顔を見上げる。
「前に言おうとしてた『ビックニュース』って何だったんだ?」
「あぁ、そうなんです!実は……KATーTUNの亀梨和也さんと田中みな実さんが真剣交際してたんです!」
私はニュースを見た時の衝撃をそのまま表して、笑顔で伝えた。すると、碓氷さんは「えっ?!マジで?!」と目を丸くする。
「うわでもなんかあの二人雰囲気似てる気がする…!」
そう言って、碓氷さんが楽しそうにしているのが私は嬉しかった。だから、いつの間にかじっと見つめてしまっていたらしい。碓氷さんは私の視線に気づき、手を止めて「なっ…なんだよ…?」と尋ねた。
「いえ、碓氷さんも変わったなーと思いまして。あっ、勿論いい意味ですよ?」
「…?……そうか?」
「はい。」
「どこが。」
「『どこ』ですか……。」
う〜ん…そう言われると具体的には……
「全体的に、丸くなった気がします。」
「えっ?俺、太った…?!」
私の言葉に動揺して碓氷さんは、態々手を拭いてから自分のお腹を触った。全然お腹は出ていない。
羨ましいという気持ちと同時に、そんなふうに焦る碓氷さんが可愛らしくて笑みが溢れてきた。
「いえ、そうではなく。」
きっと私は、碓氷さんが太ってしまっても変わらずに碓氷さんを好きでい続けるんだろう。嫌いになんか、なれる筈無い。
「もしかして、性格の方のこと?」
太ってお腹がボヨンボヨンしている碓氷さんの姿を思い浮かべていて微笑んでいた私は、細身でどこか色気のある体つきの碓氷さんによって、意識が引き戻された。
「はい。前の碓氷さんなら、熱愛報道とか聞いても『へぇ、どうでもいいな。』とか言いそうじゃないですか。」
「『前』っていつの話だよ…。」
なんてツッコミを入れてから、碓氷さんはいつの間にか再開していた洗い物を進める。
「まあ、確かに性格は変わってるかもな。」
「ですよね♪ 優しくなった気がします。」
碓氷さんのことを理解出来ている気がして、私は勝手に嬉しくなっていた。
そんなウキウキな私に、碓氷さんは――
「全部、笹野のおかげだ。」
とても嬉しそうに、甘ったるい笑顔で優しく笑いかけた。
その瞬間、ドキンと胸がなって作業していた手が自然と止まる。もう既に破壊力ともいえる笑顔と言葉で、私の頭はキャパオーバーなのに碓氷さんは更に続けた。
「信じられないと思うけど、笹野と出会ってから本当に世界が明るくなった気がするんだ。笹野がいてくれるから、俺も少しは自分を大切に思えるようになる。」
いつもは絶対に自分からは語らない碓氷さんが、そうやって私への感謝を嬉しそうに告げる。
「出会った頃はさ、笹野の明るさが、純粋さが大っ嫌いだったけど……笹野と関わってくにつれて、大好きに変わったんだ。これも、笹野のおかげだな。」
や…やばい……。ドキドキして、頭が混乱してきた。
――パリンッ…!
碓氷さんがたった今言った言葉が、ぐるぐると頭を駆け巡って私の頭は本当のキャパオーバーになってしまった。それは、いつの間にか大事に持っていたお皿が手から滑り落ちてしまうほど、危機的状況だった。
「あっ…!ごっごごごめんなさいっ…!また……。」
お皿が割れる音でなんとか精神が保たれた。だが、碓氷さんが「大丈夫か?怪我してない?」とか顔を覗き込んでくるから、ドキドキと高鳴る鼓動は増していくばかりで、結局はまたキャパオーバー状態に戻ってしまう。
「だっ、だだだ!だいじょーぶですっ!本当…ごめんなさい……。」
「いいよいいよ、気にすんな。怪我がないならそれでいいから。それより、触んなよ?今、ちりとりと新聞紙持ってくるからな。」
不自然な程に騒ぐ私を落ち着かせるように、碓氷さんは優しくそう言って掃除道具を取りに行った。そこで漸くまともに呼吸ができる。
…………ドキドキしすぎて胸が痛い…。あんな笑顔向けられたらもう処理できないって……。
や…やばい…………まだバクバクなってる…。顔だって真っ赤だろうし……………。
……「大好き」…………って言ってたよね………?
そ、それって……私を…異性として意識してくれてる…の……かな………。
いやいやいや…!意識してたらあんなサラッと言えないでしょ…!!
「一応、今日はスリッパ履いとけ。」
掃除道具と一緒にスリッパを持ってきてくれた碓氷さんのあたたかい声に、私はビクッと肩を跳ね上げた。
「は、はい!」
そう返事をした直後…
──ピーンポーン、ピーンポーン
インターホンが鳴った。
「悪いけど、代わりに出てくれ。」
碓氷さんはお皿をチリトリで処理をしながら、私を見上げて言った。上目遣いが可愛すぎて一瞬、言葉が脳に入ってこなかったが、三秒後漸く理解出来た。
「りょっ…りょうかいですっ!!」
バクバクと未だに高鳴っている心臓を抑えるように胸元の服をぎゅうっと掴んで、玄関へ駆ける。そして、扉を開ける。
すると……
その先には知らない女性が立っていた。
見入ってしまう程美しく、指通りの良さそうな黒い髪を後ろでひとつに束ねている女性。顔も一瞬で「美人」という言葉が思い浮かぶ程 整っていて、切れ長の目と筋のよく通った鼻は、何だか「威厳」を感じさせた。そして、大人の「色気」も。
碓氷さんの元カノさんだろうか……。
そう思いながらも、私は「あ…碓氷さん呼びますね…。」と伝えた。
たが………
「ううん、その必要は無い。だって、私はあなたに会いに来たんだもの。」
どこか冷酷さを感じさせる笑顔で、目の前の女性はそう答えた。
「えっと……?」
もしかして…この元カノさんは、私と碓氷さんが付き合ってると思ってるのかな……。
「あ、あの………私は碓氷さんと、お付き合いとかは──」
「あの子に可愛い彼女ができたって母さんが言ってたから来たけど、その『彼女』ってのは子供だったんだぁ。」
「母さん」……?
もしかして………碓氷さんのお姉さん…?!!
この皮肉を含めたような笑顔……碓氷さんの言う通り、めちゃくちゃ恐ろしい…!だが、碓氷さんへ意地悪をする人に負ける訳にはいかない!しっかりと反抗してやろうでは無いか。
「お姉さんですね、碓氷さんから話は聞いてます。申し訳ありませんが、今日はお引き取り願います。」
私も負けないように敵意剥き出しの目で訴えるが、お姉さんには効かなかった。
フッと鼻で笑って、私に詰め寄ってきたのだ。
「やだぁ、私が悪いみたいに言わないでくれない?ねえ、いいこと教えてあげる。あの子は被害妄想が激しいの。別に私がなんかした訳じゃないのに、ありもしない話を作り上げて被害者ヅラすんのよ。」
「違います、碓氷さんはそんなことするような方じゃありません!あなたこそ被害者ヅラしないでください!」
「フッ、面白い。こんな歳にもなって『友達ごっこ』なんかしてるんだ。いい?あの子はあなたみたいなガキを信用してない。人間を信用出来るほどの心が無いのよ。」
そうやって言うお姉さんの鋭い目は、絶対に私を離さなかった。そのお姉さんの瞳には、何か呪いでもかけられているかのように、私も怯えてお姉さんから目を逸らすことが出来なかった。
「碓氷さんは私を信用してます!!」今すぐにでもそう叫びたかったのに、お姉さんに睨まれると何故だか声が出なかった。
何も言い返せずに、ただ精一杯お姉さんを睨んでいると……
「誰だった?」
ガチャ…と音を立てて開けたドアから、碓氷さんが顔を出してしまった。
お姉さんの顔を見て、五秒以上も碓氷さんは硬直した。そして、その硬直は直ぐに絶望の顔へと変化する。
「……姉…さん…。」
「久しぶりね。同じ空気も吸いたくないのに、あんたの『彼女』がどんなものか気になって来ちゃった。でも、来る価値無かったわ。だって、こんなガキ臭い子と付き合ってるんだもの。」
「……笹野はガキなんかじゃない…。誰よりも大人っぽいところが…」
「それで彼女を守ってるつもり?声も手も震えてるけどw」
「っ……姉さん、頼む…。きょ、今日は帰って……。ほんとに……」
「へぇ?いつあんたは私に指図が出来るほど偉くなった訳?」
そんなお姉さんの高圧的な態度に、碓氷さんは息を呑んだ。どうやら何も返せないようだ。
「北海道から遥々来たんだから、早く家に入れてくれない?あんたにはおもてなしの精神も無いの?やっぱりあんたって、クズだよね。」
……なんて酷いことを言うんだ…。
「碓氷さんはクズなんかじゃありません!」
「あら、そう?出会ってからまだ一年も経ってないみたいだけど、そんなあなたにこの子の何がわかるの?」
「ずっと一緒にいるので分かります!私は、お姉さんよりも寄り添った時間が長いので!お言葉ですが、今日はもう帰っ――」
「笹野…もういいよ…。もう……今日は帰ってくれ…。」
頑張って勇気を振り絞った私の言葉を、碓氷さんはそう遮った。
………いつもなら、友達である私を何よりも優先したり、守ってくれる碓氷さんが…初めて、そう「帰ってくれ」と言ったのだ…。
ショックで言葉を失う私を無視して、碓氷さんはお姉さんを招き入れるように扉を開けた。
……だめだ…………。
そして、お姉さんは恐ろしい程に上手な笑みを浮かべて私へお辞儀をする。
いつもよりも小さく見える碓氷さんの背中が、玄関の扉とお姉さんの背中で見えなくなっていく…。
――ダメだ!
「嫌です!帰りませんっ!」
扉が閉まってしまう直前、私は急いでドアに足を挟んで力いっぱい放った。
碓氷さんは弱々しく「は…」と零し、お姉さんはバカみたいとでも言うように「フッ」と冷たく笑う。
この場の空気は最悪だった。
けれど……けれど…………
もし、私が帰ったら…碓氷さんは一人でお姉さんに傷つけられることになる…。
そんなの、絶対に嫌だ。
「っ……笹野…!……ほんとに帰れ!お前がいても邪魔なんだよ!」
「嫌です!!ぜっっったいに帰りません!!」
鋭く碓氷さんを睨んだ私を、お姉さんが嘲笑う。
「気持ち悪い。」
だが……
「まあ、いいわ。そんなにくっついていたいんなら、一緒に入れば?どうせ、後悔すると思うけど。」
なんか許してくれた。
………なんの権限であなたが許可を出してるんですか…。
❖---------------------------------------------------------------------------------❖
家に入り、俺の隣に笹野が、正面には姉さんが座って、暫く沈黙が続いた。用意した飲み物は未だに誰も、一口も口をつけない。
姉さんは、ずっと無慈悲な目で俺の事を見つめていた。そして、笹野はそんな姉さんを睨むように見つめている。
くそ………笹野だけは傷つけられたくなかったのに…。この感じだと、絶対姉さん…笹野にも強く当たるぞ……。
なんて考えていると、静かにコーヒーを一口、口にした姉さんが口を開いた。
「律月ぃ、母さん喜んでたよ。『あの律月に彼女ができたんさ〜』って。母さんもあんたみたいなクズに彼女が出来るなんて思ってもみなかったんだろうね。」
やはり姉さんの言葉は、何故かナイフのように胸に突き刺さる。
俺は、何も言い返せないでいた。
けれど……
「それは違います。お母様は碓氷さんが『すごくいい子だ』って得意げに話してくださいました。驚いてたのはきっと、嬉しかっただけです。」
笹野は、先程 恐怖を感じていた筈の姉さんにハッキリと言い返した。そんな笹野の態度に嫌気がさしたのか姉さんは珍しく眉をピクっと動かして、腹立たしそうにする。
そして、憎しみの籠った低い声で小さく呟く。
「……あんたに何がわかるの。」
「お母様と一日お泊まりさせて頂いたので分かります。お母様は、碓氷さんのことをとっても誇りに思ってらっしゃいました。」
「違う!母さんはこいつに気を遣ってるの!!こんなクズ、誇りに思う筈がないでしょ?!」
バンッ!!と突然、姉さんは机を叩いた。その音に俺はビクッと身体を跳ね上げさせるが、笹野はそんな姉さんの目をじっと見続けていた。
「さっきから言っていますが、碓氷さんはクズなんかじゃありません。碓氷さんがクズな筈ありません。私が泣いてると、何時間も寄り添ってくれるんです。自分の危険を省みずに、いつも私を助けてくれるんです。そんな優しい方が、クズな訳ありません。碓氷さんの優しさにお母様は気づいてるんです。お姉さんも家族なら、碓氷さんのことをもっとよく見てあげてください。」
笹野の真っ直ぐで澄んだ瞳が、姉さんを見つめる。
だけど……
「……本当に気持ち悪い。」
笹野の真っ直ぐな思いは伝わらなかった。
俺のことを庇ってくれようとしたのに、俺は姉さんが怖くて何も言えなかった。
……情けない…。
そんな声が頭の中で聞こえてきて、自分に腹が立つ。だけど、そう落ち込んでいるうちにも姉さんは笹野を追い詰めようとする。
「律月はあんたをいいように利用しようとしてるだけ。いい?あんたみたいな偽善者、誰も好きにならないの。」
「ね…姉さ――」
「あんたは勝手に想像の世界でつくり上げた理想の律月を尊敬してるみたいだけど、律月はあんたが思うようないい人じゃない。幸せになっちゃいけない人なの。」
「『幸せになっちゃいけない人』なんて存在しません!全員幸せになっていいんです!幸せになるべきな――」
「あんたも幸せになっていい人間じゃない!あんたみたいなバケモノ、誰が愛してくれると思う?」
そんな姉さんの鋭い言葉で、今まで威勢の良かった笹野が突然、何も喋らなくなった。
小さく縮んだ瞳孔を震わせて、息が乱れている。笹野は明らかに、今の言葉で何かを思い出してしまったようだった。
そんな笹野を見ていると、漸く恐怖を上回る程の怒りが一瞬にして沸き上がった。笹野の絶望した顔を見るのが、苦しくて苦しくて、仕方がなかったのだ。
「もうやめろよ!!」
気がつけば俺は、恐怖の対象であった姉さんに向かって、そう叫んでいた。
姉さんの鋭い視線に睨まれ、不意に我に返る。
そして、それと同時に、消えていた恐怖が再び戻ってきてしまった。その所為で、俺の声帯からはまた情けなく震えた声しか発せられなくなる。
「……頼むから………笹野には酷いこと言わないで……。」
「いつから私に命令出来るまで偉くなったの?」
そう口答えが出来ないように仕向ける姉さんを見ていると、もう殆ど記憶なんて無い筈なのに、あの時の優しかった姉さんの微笑んだ顔がフラッシュバックする。
今となっては全く見せなくなった、あの優しい表情……。
…どうして…………姉さんは変わってしまったのだろうか……。
「なんで……なんで姉さんは昔から………俺を蔑むんだよ…。笹野は関係無いだろ……。なんで…………そこまでして俺を……。」
「あんたが大嫌いだからよ。あんたが憎くて仕方ないの。あんたには絶対に幸せになって欲しくない。」
「なんで………。」
「分からないの?!!あんたが生まれてこなければ、私はずっと幸せだったのに!!全部あんたの所為よ!!私の幸せ……返してよ…!!」
俺の零した言葉に突然怒鳴った姉さんは、とても感情的で俺の知っている姉さんとは程遠かった。
俺は再び何も言えなくなって、姉さんはそんな俺の心を操ろうとするようにじっと目を見続ける。
笹野は……ずっと、怯えたように俯いていた…。
再び、部屋は沈黙で包まれて居た堪れない空気になる。
だけど……そんな中…
「……お姉さんは、寂しかったんですね。」
笹野が、口を開いた。
思わず隣へ目をやると、笹野はゆっくりと顔を上げて、姉さんの瞳を優しく見つめていた。
そんな笹野の目に動揺したのか、「は……」と声を零している。
「『母さんも父さんも、律月のことばっかりで私を見てくれない』って……。唯織さんは、ずっと、お母さんとお父さんにもっと見てもらいたかったんですよ。…ずっと……ずっと、本当に長い間、つらい思いをしてたんですね。」
姉さんは、まるで笹野の澄んだ目に心を見透かされるのが怖いとでもいうように、急いで顔を背けた。
「なっ…何言ってるのよ。……馬鹿じゃないの?私がそんな子供な訳――」
けれど、笹野は鈴のような優しい音色で続ける。
「けど、お母様はこの間 碓氷さんのお家でお泊まりしたときに、唯織さんのことすごく自慢げに話していました。『大学を卒業したあと試験に一発合格したんだ』って、『警察学校を優秀な成績で卒業したんだ』って、『すごくいい子で、自慢の娘なんだ』って。」
そこで、漸く姉さんは顔を上げた。唇を震わせて笹野の瞳を見つめている。
そんな姉さんの瞳には、今にも零れ落ちてしまいそうな涙が、溜まっていた。
…姉さんのこんな顔は、初めて見た。
静かな部屋には、姉さんの小さく震えた息遣いだけが響いていた。
「碓氷さんの話を聞いて、お姉さんは物凄い意地悪な方なんだなって思ってましたが、お母様の話を聞いて気づきました。唯織さんは、優しくて頼りがいのある社交的な方だったんですね。寂しくて仕方ないから、攻撃的になっちゃってただけなんですね。お母様とお父様は、唯織さんのこともきちんと見てくれています。そして、誇りに思ってますよ。」
ポタッ、とテーブルの上に姉さんの涙が落ちる。
「そ…そんなはず……」
姉さんの弱々しい泣き声が、小さく部屋に零れた。
それから姉さんは、過呼吸になるまで泣いた。
あの残忍酷薄で無慈悲のイメージだった姉さんの涙に、俺は理解が追いつかなかった。
大きくなってから初めて見る姉さんの泣き顔は恐怖でしかない。
そんな俺とは対称的に笹野は、優しく微笑んで姉さんへティッシュを渡してやる。いつもなら泣いている人がいれば直ぐに抱きしめる笹野だが、これも俺よりプライドの高い姉さんの性格を見据えて、ティッシュを渡すだけにしているのだろう。
というか…………笹野……「凄い」通り越して怖い………。あの姉さんを泣かせるだなんて……。
それから、笹野は姉さんと直ぐに打ち解けた。
しかも、「いい顔をしている」姉さんでなく、「素の」姉さんと。
「ほら律月、早くぶどうジュース持ってきなさい。ほんと気が利かないんだから。」
「……。」
「明香里さんは何飲む?」
「私はビールが飲みたいです♪」
「え、明香里さんお酒飲めるの?凄いじゃない。」
「ありがとうございますっ♪」
「………。」
…………なんで姉さん帰らないんだ…?
「…あの……姉さん…。今日は……か…帰ってくれない…?」
「は?なんで?」
「なんで」って……見りゃわかんだろ…!今日は笹野とデートだったんだよ…!!
しかも………告白するつもりだったのに…。
「……ディナー予約しちゃったし…。………ほんと…………キョウダケハ カエッテクダサイ…。」
また心無いことを言われるかもしれないという恐怖を抱えながら、恐る恐る懇願するが……
「じゃ、予約変更して私の分も入れといてよ。いいでしょ?明香里さん。」
「もちろんです!人数は多い方が楽しいですし、唯織さんとご飯食べてみたいです!」
「そっ…そう?………ゔっゔん…。だってよ?律月。ほら…早く予約してよ。」
「………。」
空気を読むことを知らない姉さんには意味が無かった。……嫌なとこで母さんに似やがって…。
なんて思いながら、まずは新しい飲み物を出そうとキッチンへ行くと……
「律月ー。あんたって、ロリコンだったんだねー?」
なんかリビングから姉さんの声が聞こえてきた。何を言っているのかよく分からない。
「何が…。」
「『何が』って……ほら、明香里さん、中身は大人びてるところもあるけど外見はもう見るからに子供じゃん。」
「は?!大人ですよ!!」
「だからさー、そんな人彼女にするなんて意外だなーって。」
「「………。」」
嘘だろ姉さんまだ勘違いしてるの…?!と、リビングのソファに座っている笹野と顔を見合わせる。
「…姉さん……俺たち、付き合ってないんだけど…。」
周知の事実を述べると姉さんは何故かイラついたように顔を顰めた。
「は?嘘でしょ?お泊まりもしてるのに?」
「…うん。」
………何だか意地悪を言っている訳じゃないのに、胸に刺さる…。
「手 出してないの?」
「だっ…出す訳ないだろっ…!」
「うっわ、無いわぁ…。ダサすぎだよあんた。」
「はっ?」
「出す方がダサくないですか?」
そうやって目を丸くする俺たちに、姉さんは分かりやすくため息を吐く。
「ほんっとあんたたちってガキだね。手ぇ出されて『しちゃったね、どうしよっか』『じゃあ付き合おっか』で始まるもんじゃないの?恋愛って。」
…………この人、俺と関わってない間にどんな人生歩んできたんだろう……。
「そーなんですかっ?!!」
………笹野もどんな人生歩んできたらこんな純粋バカになるんだろう……。
俺は姉さんの恋愛観と笹野のアホさに呆れて、飲み物を用意する作業に戻った。飲み物を注ぎ終わり、リビングに持っていくがまだくだらない話は続いていた。
「でっ…ではっ……そのっ…………え…えっちをしないと………付き合っちゃダメなんですか…?!」
「当たり前でしょ。体の相性が合わないと話にならないもの。」
「なななななっ…!!は…ハードルが高すぎますっ…!!わたしっ、一生恋人できません…!!!」
「やっぱり明香里さんはガキね。恋愛はまだ早過ぎるのよ。」
……………。
「………姉さん、笹野に変なこと教えないで…。…笹野も真に受けんな…。普通、そういうことは多分付き合ってからするもんだから……。」
笹野は俺の言葉を聞いて「なんだぁ……びっくりしました…。」と赤くなった頬を冷ますように、手で顔を仰ぐ。
姉さんはというと…「ふんっ、そんな綺麗にいく訳ない。」とうんざりしたようにぶどうジュースを一口飲んだ。
そして……
「明香里さんはしてみたいとか思わない訳?」
なんと、そんな無頓着なことを訊き出した。
その所為で、笹野の顔は冷ましていたのにも関わらず更に赤くなる。そして「へっ……あっ…………えっと…………その……」と口篭った。
俺は、コーヒーを飲みながらも興味無いフリをして、そんな笹野の答えを……待ってしまった。決して、したいからとかでは無い。ただ…………もし、付き合えた場合のことを考えて…知りたかったのだ…。
だけど…………笹野の俯く姿を視界の端で見て、俺は我に返った。
「…男の俺がいるんだから、そういうのは………。」
自分もしれっと聞こうとしていたのだ。ハッキリは言えなかった。
姉さんもそんな俺に気がついているのか、何も言わずにただただ俺を見つめるだけだった。
「律月は?」
「……はっ?」
「どうなの?したことあるの?彼女いたんでしょ?」
「えっ…………」
…………これ……答えた方がいいのか…?
いや………笹野の前でそんな話するなんて嫌だ……。
そんな時――
「もっ…もう……こういう話…やめませんか…?」
笹野が頬をさくらんぼ色に染めながらも助けてくれた。姉さんは笹野の赤くなった頬を暫く見つめて、「そうね。」とだけ言う。
「……え…映画でも観ますか…?」
「いいんじゃない?何があるの?」
笹野は俺と違って、直ぐに助けてくれた…。自分が恥ずかしくなる…。
ああいう時は俺が守るべきなのに何やってんだ……。
「えっと………色々ありますよ。この間沢山レンタルしたんです。碓氷さんの奢りで。」
「へぇ。『エスター』、『デッドプール』、『ハッピーデスデイ』…うーん……恋愛系無いの?」
「あー、恋愛系は借りてないですね。というか、唯織さん、恋愛系が好みなんですか?」
「いいや?気分なだけ。」
「そうなんですね。」
「はっ…!こんなことしててはダメです!」
『search』を見始めて三分後、 笹野が突然叫んだ。俺たちはビクッと肩を跳ね上げさせる。
「きゅ…急に何?!」「きゅ…急に何だよ…?!」
「「……。」」
…………最悪なことに、姉さんと声が被ってしまった。
姉さんは暫く俺を嫌悪の目で見つめてから…
「…チッ……」
舌打ちをした。
「それで?何なの?」
「えと……唯織さんのドレスを買わないとと、思いまして…。」
「え?なに、今日行くレストランってそんな高級なところなの?」
「はい!」
元気よく返事をして、笹野は俺に悪戯っぽく笑いかける。その瞬間に、胸がぎゅうっと締め付けられる。
……か……かわいすぎる………。
「じゃ律月、連れてって。」
「………かしこまりました。」
…せっかく悶絶してたって言うのに……!
あー……早く帰ってくんねぇかな………。
ショッピングモールに着いて直ぐに、俺たちはドレスショップに入った。
その瞬間――
「わぁ〜…!」
笹野がエメラルドの瞳をキラキラと輝かせて、店内を見回した。
可愛すぎて笑顔が溢れてくる中で、姉さんは「プッ…」と笑う。
「ほんとガキくさw」
姉さんの言い方にムカッとくるが、どうやら見下すような意味で言った訳では無いらしい。直ぐに「あはははっwww」と腹を抱えて笑っていた。
姉さんの見たことない笑顔を見て、俺はハッとする訳でもなく…………ただただいつもと違う姉さんに鳥肌を立てて怯えていた。一方、笹野は頬を赤くして自分よりも少し高い顔に威勢よく立ち向かう。
「『ガキ』とか言わないでください!」
「え〜、仕方ないじゃん。あんたガキっぽいんだもの。」
そういえば今日、笹野はどんなドレスを持ってきたのだろうか………。やっぱり黄色?いや……赤も似合いそうだな…!
「そんなことないです!」
「いやw どう見てもそうでしょww いいんじゃない?可愛くて。律月もこういうのがタイプなんだから。」
「へっ?!そっ…そうなんですかっ…?!」
水色も似合うんじゃないか?!やっ…やばい…なんかドキドキしてきた……!!笹野のおかげで姉さんへの恐怖も少しは――
そう思いかけたところで、
「あ、あれ…?碓氷さん何だか顔色が悪いですね…。」
笹野がきゅるきゅるな瞳でこちらを見上げてきた。
あまりの可愛さにドキドキと胸が高鳴るが、ここは何か答えないと不自然すぎる。
「そ…そうか…?……この店寒いんだよ…。」
これ以上ドキドキすると、今度は顔が真っ赤に染まりそうなので笹野を見ないように、笹野の顔の前に手を翳していた。
すると――
「熱でもあるんじゃないの?」
姉さんが、そんなふうに言って…こちらの額へと手を伸ばしてきた。その瞬間、何故だか酷く不安を覚え、身体が震えだして……
――バシッ…!
…つい……後退りをして姉さんの手を弾き返してしまった…。
怖くて姉さんの顔が見れない…。
笹野の顔を見る訳にもいかないので、俺は床を見つめた。けれど、耳はなるべく多くの情報を取り入れようと無意識に澄ましていた。
姉さんの息遣いが聴こえる。……流石の姉さんでも、実の弟に拒絶されると傷ついてしまうらしい…。
「……うそ…………。……律月…………い……今まで…ごめんなさい……。」
俺は目を丸くした。そして、つい姉さんの顔を見てしまった。
だって……今まで一度も謝ったことの無かった姉さんが、今…………「ごめんなさい」と言ったから…。
「……い、いや…………俺の方こそ…気づかなくてごめん……。」
気まずい空気が流れる。それを吹き飛ばしてくれたのは、
「さあ、仲直りもしたことですし可愛いドレス、見つけちゃいましょう!」
やはり笹野だった。そんな笹野の明るい声に笑顔が溢れる。
また、笹野を想う気持ちが大きくなっていく。
「ははっ、そうだな。」
「ふっ……そうね。」
「唯織さん、これとかどうですか?」
笹野が一番最初に姉さんへ見せたのは、情熱的な赤いパーティドレス。
赤色を勧めるってことは、笹野は赤じゃないんだな。
「え、嫌。赤なんて目立つじゃない。こんなのより、これがいいわ。」
そう言って姉さんが手に取ったのは……
「えっ…」
…………なんと…蜂のコスプレだった。
胴体が丸っとしていて、尻部分には鉄の針がつけられている。
あまりのダサさに俺と笹野は顔を見合せた。そして、俺たちは瞬時に理解した。
これは、姉さんの渾身のギャグなのだと。
「ぶっはははwww 姉さん、これは無いわwww」
「は?」
「えっ?」
姉さんの冗談だと思ったから俺は大爆笑した。
なのに……今、姉さんは俺を目を蛇のように鋭くして睨んでいる…。
…………ね…ネタじゃないのか…?!!嘘だろこんなダサいのか姉さんって…!!!てか笹野、今小さく「……よかったぁ…。」って言わなかったか…?!!
「ね…姉さん……流石にこれはダs――…目立ちすぎると思う……。」
「えー…まあ確かにこれを私が着たら、あまりの美しさに誰よりも目立つかもしれないわね。」
「そ…ソウデスヨー……。モウスコシ オチツイタドレスガ イインジャナイデスカネー……。」
そもそもこれがドレスかも怪しいけど…。というか、なんでこんなもんが置いてあんだ……。
なんて思いながら、せめてこれよりもマシなものをと辺りを見回すと……
「あ。」
いいものを見つけた。
「これなんてどうだ?」
そう言って、手に取ったのは黒いシックなパーティドレス。姉さんも笹野もその大人っぽいドレスに食いついた。
「綺麗〜!!キラキラ装飾があって綺麗です!!これ、絶対唯織さんに似合います!!」
「ふーん、いいんじゃない?気に入った。」
「これでいいの?」
「ええ。」
よし、決まった!結構即決だったな。なんて、思いながら俺は一応値段を見てみる。
が…………
「……ね…姉さん……これやめておいた方がいい…。」
「は?なんでよ?」
「こ…これ…………七万五千円……。」
めちゃくちゃ高かった…。
驚愕で口を縦に大きく開く笹野の横で、姉さんは全く動揺していなかった。
「問題ないわ。関係ないもの。」
涼しげな顔でそうあしらうのだ。
「……ま…マジか…………。」
警察官ってすげぇ…。
感心しながらも、俺たちは三人でレジへと向かった。店員がピッとバーコードを読み取って「七万五千三百六十円になります。」と姉さんを見る。
だが……姉さんは財布を出そうとせず、俺を見つめてきた。
「…えっ、何…?」
「払って?」
「はっ?え、立て替え?」
「ううん、払って?」
「…………?」
…………は…?!七万五千三百六十円を…?!!
嘘だろこの人頭おかしいんじゃないか?と、笹野に共感を求めるように目を合わせるが……笹野は、予想してたような顔で苦笑した。
「……嫌だ。」
「なんでよ、あんた売買仲介営業じゃん。年収いいんでしょ?成果も上げてるって母さん言ってたし。」
「いや……そ、ソンナコトナイデスケドモ…。」
「貯金が趣味なんでしょ?」
「は…なんで知ってんの…?」
「母さんが言ってた。」
「…………。」
………くっそここは黙って払うしかないのか…?!!
い、いやでも高級レストランも奢るんだぞ……?!!流石にキツくないか…?!クレジットで払ったとしても、来月貯金できる分も減って、財布の中もカツカツに………。
そうやって頭を抱えていると、ポンポンっと肩を叩かれた。叩かれた方へ振り向くと、笹野が財布の中から二万円を取り出して、苦しそうにガサガサな声で言う。
「お手伝い…します…。」
ふと、笹野の財布に目をやると、中身はもうすっからかんだった。
…………いや……。
「………………クレジットで………。」
好きな人&年下&女の子である笹野に払わせるなんて、人間としてどうかと思ったので、自分のプライドと笹野の財布を守る為に、俺は渋々クレジットカードを財布から取り出した。
「買ってくれてありがとね、律月。」
「………どういたしまして…。」
買わせたんだろ…。
予約の時間が迫っていたので、俺たちは家に戻って直ぐに出かける支度を始めた。
バスルームで笹野と姉さんが着替えている間、俺はいつも着ているスーツでは無く、オシャレ用のスーツに着替えた。そして、腕時計をつけて、ほんの少しだけ香水をつける。
そうやって、準備を進めているとバスルームの扉が開いた。
直後、笹野と姉さんが出てくる。
「碓氷さん、どうですか?」
テクテクと俺の前まで歩いてきて、笹野は笑顔で腕を広げた。
丈がフィッシュテールのイエローのドレス。
スカート部分はシースルーの生地が重なっていて、ヒラヒラと揺れる可愛さに加えて色気も引き出されていた。オフショルダータイプで、笹野の華奢で滑らかな肩は丸見えだ。
耳には長さのあるゴールドのイヤリングがつけられていて、笹野が揺れる度にイヤリングが揺れ、その笹野の姿に俺の心も揺らいだ。
俺は、暫く笹野のあまりにも綺麗すぎるドレス姿に見惚れて、息の仕方さえも忘れていた。
そして、もう一度「どうですか?」と褒められ待ちをする笹野の高ぶる声で、意識が引き戻される。
「あ…ああ…………めちゃくちゃ綺麗だ…。」
思わず零したその一言に、笹野は透明感のある肩を少し上げて、嬉しそうに、そして無邪気に笑った。
そして、もう一度褒められたいのかくるりと回って見せたその時――
「はっ…?!!なっ…ななななんだその背中っ…!!!」
なんと、背中部分が大きく開いていた。
バクバクと心臓が警鐘を鳴らす。あまりに高い露出度に、俺の全身は湯気が出そうなくらい熱くなった。
俺の騒ぎ立てる声に、笹野はこてんと首を傾げる。
「え?こういうデザインなんですよ?」
い…いやそれは分かってるよ…!!こんなんほぼ裸じゃねぇか…!!!目のやり場に困る……!!
これ以上、笹野の綺麗な背中を見ていたら、今度こそ本当に頭が沸騰してしまうというのに、男の俺は笹野から目を離せないでいた。ついつい見てしまう。
そんな俺をからかうように、姉さんがニヤニヤとしながら言った。
「律月は明香里さんの身体にコーフンしてんのよ。」
「はっ…?!!し、してねぇし!!!変な事言うなよ…!!!ってか笹野……それ、誰と買いに行った……?」
「へっ?あっ…こ…高坂さんと麗華さんと一緒に選びました…!」
やっぱりかよ…!!!あのババアたち……許さねえ!!!
「笹野!これ着ていけ!」
俺は慌ててスーツジャケットを脱いで、笹野の肩へかけた。こんな綺麗な背中、他の男に絶っってぇ見せたくない。なのに、勿論 笹野はそんな俺の願いを聞くはずが無く……
「嫌です!」
俺のジャケットを脱ぎ、更には床に投げ捨てた。
「あー!俺の十一万が…!!」
この日の為に注文したオーダーメイドなのに…!!!
「私のドレスはこれだけでもうコーデが成り立ってるんです!それに!碓氷さんのジャケットは大きすぎます!」
「いや!こんな背中露出した服なんか着てたら他のおとk――ゔっゔん!寒いだろ!!」
「高級レストランなので大丈夫です!暖房は完備してる筈です!!」
そうやって、久しぶりの喧嘩を繰り広げていると姉さんが呆れたような声で言った。
「はぁ……なら私の上着着れば?」
姉さんが笹野へ渡したのは、家に入った時にハンガーに掛けていたシースルーの白いカーディガン。笹野が着たのを確認してから、姉さんは笹野の袖を折ってやった。
「ほら、こうしたらいい感じでしょ?」
笹野が笑顔でくるりと回る。
んんんシースルーだから逆にエロい…!!!
「ありがとうございま――」
「ダメだ!透けてるの無し!」
「チッ…変態が一番近くにいるんだからいいだろ…。」
「はっ?今姉さん…なんて…――」
「んーん、なんでもなぁい。てか私の上着無くなっちゃったから、律月なんか貸して?」
そう言って姉さんはクローゼットの取っ手に手を――
「待ってっ!!」
慌てて叫んだ時には、もう遅かった。
姉さんはクローゼットの中に入っていた物に、「うそ……」と零した。
不幸中の幸いで笹野の視界にはそれが入っていなかったが、姉さんがポツリと零した所為で興味を持ってしまった。
「どうしたんですかー?」
因みに、「それ」と言うのは……様々な黄色のコントラストが咲き誇る豪華な花束。告白のときに差し出そうと思って、今朝、早い時間帯に買ってきたのだ。
このバカでかい花束が笹野にもしバレたら……一巻の終わり…。いや……この世の終わりと言っても過言では無い…。笹野の好きな色を選んじゃったし、俺には女友達もいないから誤魔化しようが無いのだ……。
笹野は、キラキラと澄み切った瞳でクローゼットを覗こうとする。だが、見られる前にバンッ!と物凄い勢いで思い切り姉さんが扉を閉めてくれた。
しかし……かえってそれが笹野を不審に思わせてしまったようだ。
「ん?何があるんですか?」
そう言って、今度は姉さんのいるところまで歩いてきてしまった。
頼む姉さん…!どうにか誤魔化して!と目で訴える。
「あー…えっと……エロ本よエロ本!」
…う、嘘だろ……。
「なんとっ…!碓氷さんもそういうの興味おありなんですね…!見たいです見せてください!」
なんで興味持つんだよ…?!!
「だっ、ダメ!」
「どうしてですか見せてくださいよ!」
「ダメに決まってるでしょ?!あんたには刺激が強すぎる!」
「大丈夫です!慣れも大切ですから!」
笹野はいつもよりも瞳をキラキラとさせて、クローゼットを守るように立ちはだかる姉さんの両手を掴んで、押している。俺はこの危機的状況に、何も動けずにいた。
だって……ここで動いたら「エロ本」の真実味が増してしまうから…!!ドレス姿でグイグイとお互いを押し退ける二人と、それを見てその場で立ち尽くす俺。かなりカオスな状況が三十秒程続いたが……
「ダメだって!けっ、結構マニアックだから…!!」
姉さんのそんな一言で、あっさりと戦いは終わりを迎えた。
「あっ……そ、ソウナンデスネ…。失礼しました……。」
笹野は気まずそうに俺を一瞬見てから、姿勢を戻した。
最悪だ………。
…今……笹野にドン引きの目で見られた気がしたのは気の所為だろうか………。…気の所為だといいな……。
…………気の所為じゃなきゃ困る……………。
「ちょ…ちょっと……おトイレ…行ってきますね…。」
めちゃくちゃに引き攣った笑顔で、笹野はトイレへ消えていった。
「はぁ………。」と魂の抜けたため息をつくと、すぐさま姉さんが小声でこちらに近づいてくる。
「きょ…今日告白する予定だったの…?!」
切羽詰まった表情で訊いているが、気づかなかったのだろうか……この人は…。
こくりと力無く頷くと、姉さんはやってしまった、とでも言うように顔を両手で覆った。
「ごめんあんたの人生壊してばっかりだ私……。」
「い…いや……………誤魔化してくれてありがとう…。バレてた方がやばかったし……。」
「…ねえ、明香里さんトイレから出てきたら、私『ダイエットしてる』って言うからさ……どっか今日は近くのホテル泊まるからさ………ディナーもいいから……告白しなよ…。」
「………今日はいいよ…。俺……笹野にとんでもないド変態だと思われてるし………。…それに、姉さんと仲直り出来ただけでも充分だ。今日は色々あったから、詰めすぎても疲れるだろうし。」
少し困ったように笑ってそう言うと、姉さんも自然に、優しく笑ってくれた。
「あんた変わったね。」
「え?」
「前は、相手に罪悪感を与えないように気遣うとか、全く無かったもの。」
「い、いや俺は別に気遣って言った訳じゃ…――」
「じゃあ、ちょっと恥ずかしいような本心を言えるようになったってことね。前は意地の悪い本心しか言わなかった。」
「…そうかな?」
「うん。」
暫く、俺と姉さんは無言で見つめ合って……
「「あははっ」」
同時に笑った。
こうやって、姉さんと笑い合えているのも笹野のおかげなんだと思うと更に嬉しくなる。
この、姉さんと関係を修復できた幸せと、笹野といる幸せを噛み締めて笑顔を溢していると、姉さんが嬉しそうに言った。
「明香里さんのおかげで、『クズ』じゃなくなったね。」
初めて見る、人をからかうような姉さんの悪戯げな顔に、俺は嬉しくなる。
「ふっ…」
「うそうそw 最初からあんたは『クズ』なんかじゃなかった。多分ね、私の嫉妬心で自分に言い聞かせてたの。だって、じゃないと私が可哀想なんだもの。」
「『可哀想』?どこが?」
「私より勉強もできて、正義感も強くて、誠実で、努力家で、オマケに実は優しいなんて……そんなの、私の生きてる意味分からなくなるじゃない。」
そう笑った姉さんの顔は、どこか苦しそうで寂しそうで………知らない間に、ずっと俺も姉さんを傷つけてきたんだということを強く感じさせた。けど……
「…そんなこと無い。」
そう。そんなことなんて全く無かった。
「姉さんは…面倒見が良くて、みんなに慕われてて、常に誰かを笑顔にさせてて、俺と違って強くて、かっこよくて……ずっと、俺の憧れだった。」
ずっとずっと忘れていた本心を語ると、姉さんは唇を震わせて嬉しそうに微笑んだ。
そして、その泣きそうな声を誤魔化すように、ワントーン声を高くして言う。
「明香里さん、すっごくいい子ね。あんな純粋な子、存在したんだって感じ。」
「うん。」
「ふっ…あんたのあんな顔、初めて見た。傍から見たらバレバレだよ。」
「えっ…マジで…?!」
「まああの子はバカみたいに鈍感だろうから、気づいてないだろうけどね。」
「良かった……。」
「てか、明香里さんトイレ長くない?」
「もう俺の顔見たくなくなったのか…?!」
「いや、どう考えても大便でしょ。」
「ああ、うんこか。」
「ちょっとあんたね…。」
「何?大便もうんこも変わんないだろ。」
「そうじゃなくって……」
と、姉さんがうんざりとした顔を見せたところで笹野がトイレから漸く出てきた。それから洗面所で手を洗い、リビングに戻ってくる。
「よし、じゃあそろそろ行くか。」
そう言って立ち上がるが……
「ん…?」
何だか視線を感じたので、少し下に目をやると……笹野が何故か俺を睨んでいた。
「…な……なに…?」
「………。いえ、なんでもありません。」
「……あ、そう…。」
ここまで読んでいただきありがとうございます!
明香里の視野の広さと心の広さで、まさかの律月と唯織(姉)の仲が修復しました!こういうことを無自覚でできるところが、明香里のすごいところだと思います笑 書いててめちゃくちゃ楽しいです!
次回もよろしくお願いします!
※本作はフィクションであり、実在の団体・人物とは関係ありません。




