第八章 家族のかたち④
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びっくりしたぁ…。やばい…………心臓がおかしくなっちゃいそう……。というか…顔あっつ…!!!碓氷さんにバレてないといいけど…。
でも…………凄く嬉しかった…。初めて呼ばれた…。
声カッコよすぎ……。
…もう一回だけ…………呼んでくれないかな…。
なんて、絶対に叶いもしないことを願っていると……
「…ほら、乾いたぞ。」
小さな声で碓氷さんがそう言って、ドライヤーのスイッチをオフにした。
だけど…………まだ、離れたくない……。
今日の私は何だかワガママだ…。
私は、何か碓氷さんがまだ私の髪に触れられる口実を作ろうと、自分の髪の毛に指を通してみた。
それでも………碓氷さんがしてくれたドライヤーは完璧で、「ここ、乾いてません」なんて言えなかった。けれど……きっと、碓氷さんは言えば甘えさせてくれる…。
そう思って、私は震えた声で碓氷さんの名前を呼んだ。――勿論、苗字の方だ。
「碓氷さん…。」
だけど……………
「出たべー。」
タイミング悪く、お母様がバスルームのドアを開けてしまった。だが、まだ部屋に出てきてはいない。
碓氷さんは慌ててテーブルにドライヤーを置き、座っていたソファに寝転がる。そして、テーブルの上の本に手を伸ばしたところで……
「律月ぃ、風呂入る準備すれ。」
今度こそお母様がリビングに出てきてしまった。
碓氷さんのよろけたような変な格好を見て、お母様は立ち止まる。
「なんしてるんだい。」
お母様の声にギクッとして、焦ったのか……
「あっ、いや゙ぁ゙っ゙!」
なんと、碓氷さんはバランスを崩しソファの足元にドスンと落ちた。そして、驚いて振り返り、避けた私の太腿に碓氷さんの頭が直撃した。
最後には、その反動で転がり、ゴンッ!とテーブルの脚に思い切り頭をぶつけた。いつもはクールな碓氷さんが二回も頭をぶつけた(しかも一回目は私の太腿に頭突きをした)ので、私とお母様は唖然。
だが……
「ぷっ……ははははは!!!www」
「あっはは!ww」
結局、我慢できなくなって吹き出してしまった。
碓氷さんは物凄い勢いで私から離れて、ぶつけた後頭部を押さえながら、少し大きくした目でこちらをじっと見ていた。顔はお風呂上がりみたいに耳まで真っ赤だ。
そんな珍しい「あほ面」にも笑いが込み上げてくる。お母様と私で笑い続けていると、碓氷さんは恥ずかしそうに手の甲で顔を隠しながら、バスルームへと逃げていってしまった。
「はぁ〜w 碓氷さんは本当に可愛いですねw」
目尻に浮かんだ涙を人差し指で拭いながら、お母様に笑いかける。すると、お母様も「うんうん」頷いて笑ってくれる。
そして…
「ありがとうね、明香里ちゃん。」
とても嬉しそうにそう言った。なんの事だろうと振り返ると、お母様は優しく笑顔を浮かべている。
「明香里ちゃんのおかげで、あの子は私でも知らんような顔をしてくれるようになった。あんな恥ずかしそうな顔も、あんな笑顔も初めて見たさ。明香里ちゃんが律月を救ってくれたんだよ。」
そんなお母様の温かい笑顔に、私も嬉しくなる。
まるで、本当の家族になったみたいに胸がじんわりと熱くなって、幸せな気持ちで満たされた。
何よりも、碓氷さんの感情や表情が豊かになったこと、そして、それは私の影響だということが嬉しくて堪らなかった。
「救われたのは私のほうです。碓氷さんは、何度も私を危険から守ってくれました。私がつらい思いをしているときは、いつも優しく隣にいてくださいました。いつでも無駄なことは言わずに、ずっと寄り添ってくださいました。碓氷さんは凄いですし、真面目で誠実で、人としてとてもカッコイイです。私の憧れです。」
私の言葉を聞いて、お母様は穏やかに――でも、やっぱりとても嬉しそうに笑う。
そして、瞳を潤ませて言った。
「明香里ちゃん、律月んこと好きになってくれて、ありがとうね。」
お母様がそうやって嬉しそうにお礼を言うから、「はいっ!」と返したが……
「…ん……?はっ…!いっ、いえそういう意味合いで言った訳ではなくっ…!!!」
「好きになってくれてありがとう」という言葉を漸く理解して、突然、爆発したみたいに顔が熱くなった。急いで否定をするが、お母様には分かってしまうようで……
「ありがとう。」
もう一度噛み締めたように、お礼を言われてしまった。小さく、「いえ……」と返すと、お母様は続ける。
「律月はねぇ、素直じゃないから…よく他人から低く評価されがちだけど、本当はなまらいい子だし、自慢の息子なんさぁ。」
私が碓氷さんのことを好きだということが、本当に嬉しいみたいだ。お母様は瞳を輝かせて頬を緩めている。
私は、そんなお母様の表情を見て「羨ましい」というよりも、「嬉しい」気持ちの方が大きかった。
碓氷さんは、お母様にとても愛されているのだ。碓氷さんが「幸せ」だということが、私も嬉しくて仕方が無かった。
そんな喜びに浸っていると、お母様はしみじみと呟く。
「勿論、唯織も自慢の娘なんさぁ…。」
碓氷さんをあれだけ傷つけたお姉様も、お母様から見たら「自慢の娘」なのだ。少し変に感じたけれど、私はお母様に不審がられないように微笑んだ。
「お姉様と碓氷さんは、仲がよろしいんですか?」
まるで、何も知らないように「きょとん」として尋ねた質問に、お母様は驚かなかった。
「うーん、昔は仲良しだったんだけどねぇ…。ある日を境に、殆ど喋んなくなりさったんさぁ……。りっちゃんが思春期で『姉さん』と話すのが恥ずかしくなりさったんでないかねぇ。りっちゃん、いっちゃんの顔見る度に逃げるようになりさってたし…。」
碓氷さんがお姉様と話せなくなった理由は、そんなちっぽけなことじゃない……。叫びたくなるのを我慢して、私は言葉を呑み込んだ。もし言ってしまえば、碓氷さんに迷惑がかかってしまうから。
でも、きっとお姉様が碓氷さんに強く当たるのも何か理由がある筈だ。それに、お姉様の「顔」は碓氷さんが話していた「怖い人」だけでは無いだろう。
現に家族のお母様が「いい子」と言うのだから、酷いことをするお姉様にも、きっと素敵な一面がある筈…。だから、私はその「素敵な一面」を妄想して笑った。
「きっと、いつかまた話せるようになりますよ。」
すると、お母様は安心したように優しく私へ笑いかけた。
「ほんと、明香里ちゃんはいい子だねぇ。」
そう言って、私の頭を優しく撫でてくれる。
本当に「お母さん」に撫でられているように、胸がぽかぽかと温かくなる。
私は、お母様との「ひととき」に大きな幸せを感じた。碓氷さんと一緒にいるときと同じような、「幸せ」。
私は、碓氷さんとお母様が大好きだ。
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俺が風呂を出た頃には、もう時刻は二十二時半を回っていた。
いつもなら母さんは、大晦日の夜は年を越すまで起きているのに、今日は空気を読んでくれたのか、静かに隣の部屋に布団を敷いて寝ていた。……母さんは「空気を読む」ということを知らないと思っていたが………。
しかし、母さんが幾ら空気を読んでくれたって、俺たちはいつもと何一つ変わらない。笹野は酒をガバ飲みして、俺はそんな笹野を見ながらノンアルコールを片手にくだらない話に笑う。年が変わるこの時でさえ、何一つ変わらない「いつも通り」だったが、俺たちは確かに「幸せ」を感じていた。
ずっと、笹野とこうやって話していたい。
笹野が同じことを思っているかは分からないが、「幸せ」を感じていることは確かだった。
「あんま飲みすぎんなよ?またあの日みたいにべろんべろんになられたら困る。」
緩む頬を隠せずにそう言うと、笹野はへへっと笑って言う。
「大丈夫ですよ。そのときは、また碓氷さんに介抱してもらいます。」
かっわいすぎんだろ…!!!なんだその天使みたいな笑顔は!!!一生介抱してやりたい……!!!
なんて内心、笹野の可愛さに悶絶しながらもポーカーフェイスで「もうしてやらないからな?」と返した。
そうやって何気ない会話を延々と繰り広げていると、直ぐに年越しの時間が来てしまった。
「わっ…!あと三十秒で年越しです…!」
「マジか、早いな。」
「碓氷さん、年越しの瞬間に一緒にジャンプしましょう!音を立てないように!」
そう子供のようにキラキラの瞳を輝かせる笹野が可愛くて仕方無い。俺は「いいなそれ。」と笑って笹野と一緒に椅子から立ち上がる。お互い笑顔で目を合わせて、残り十秒のところで二人でカウントダウンをする。
そして……
「「5、4、3、2…」」
「いち!」と同時に言って、ぴょんっと床を跳ねた。
「明けましておめでとうございま〜す!」「あけおめ〜!」
少し声を抑えながらも、新年早々 満点の笑顔で俺たちは新年の挨拶を交わした。
「今年もよろしくお願いします!碓氷さん!」
「こちらこそ、よろしく。笹野。」
そう言って暫く、微笑んで見つめ合う。
すると……
――ワニャワニャワー♪ワニャワ♪
笹野のスマートフォンへ着信が来た。笹野は着信音に驚いて、「失礼しますっ…!」と電話に出る。すると、笹野のスマホからは嫌な声が聞こえてきた。
『もしもし明香里ちゃん、起きとったか〜?』
…………またあの関西人だ…。
「あぁ、知弥さんでしたか…!」
『せやで〜!電話出る前に見とらんかったんか?』
「見てませんでした…。あの……それで、何かご用でしょうか?」
『“用”か?せやなぁ、用っちゅう用ちゃうけど……あけおめ電話をしてみたんや!二○二六年一発目に聴く声は、明香里ちゃんが良かったんや〜!』
深夜なのにも関わらず騒がしい声に、笹野は「そうなんですね。」と苦笑する。
だが、笹野が困っていることは気にもせず、変なことを言い始めた。
『明香里ちゃん、もしカレシになんかされたら俺に言ってな!絶対に俺が守ったる!』
「はあ……それは…ありがとうございます…。でも知弥さん、『カレシ』って何ですか?」
笹野の不思議そうな顔に、俺はドキッとした。
これに関しては「ときめき」では無く、笹野を守る為についた「嘘」が岸本にバレてしまうのではないかという「恐怖」だった。
『…は?んっ…?えっ、明香里ちゃん、カレシおらんの?!』
「いませんけど……。」
『はぁ?!あのイケメン野郎は?!!』
「『イケメン野郎』?…あっ!碓氷さんのことですかっ…?!そんなのっ、たっ…ただの友達です…!」
「友達」……そうだよな…。
『“友達”ぃ?!!…えと……すまん明香里ちゃん…不躾なこと訊くんやけど………そのぉ……イケメン野郎に…襲われたことは……』
そんな明らかにアウトな発言をする関西人へ「セクハラだぞ!」と俺が立ち上がる前に、笹野が赤くなる頬と共に激しく怒鳴った。
「はあ?!碓氷さんが私を襲う?!!そんなこと絶ッ対にありません!碓氷さんはそんなことをするような不純な人じゃありませんから!誠実で、優しいんです!私を傷つけるようなことは絶対、有り得ませんので!!! 」
どうやら笹野は本当に俺のことを信じ切っているみたいだ。最初から分かっていたことではあるが、少し嬉しかった。
『せっ、せやな…!変なこと訊いてすまん!』
めちゃくちゃ電話の内容は聞こえているが、笹野が大声を出したのでつい驚いて顔を上げると、丁度同時に赤くなった顔を上げた笹野と目が合ってしまった。
見る見る赤くなっていく笹野の頬に、俺も釣られて顔に熱を帯びる。笹野は気まずそうにして、目を逸らした。
その直後──
『おいコレェィ!イケメン野郎そこにおんのやろ!!ちょっと話しよやぁ!!!』
……岸本の野郎がバカでかい声でそう俺に喧嘩を売ってきた。俺は「電話変わる」と静かに笹野へ手を差し出す。笹野は不安そうな顔で、スマートフォンを俺の手に置いてくれた。
「もしもし、なんの用でい。」
わざと関西人を煽る為にエセ関西弁で返す。そして、会話は聞かれたくなかったので、笹野へ「ちょっと悪いけど暫く借りる」と一声かけてから、椅子から立ち上がって玄関の外に出た。
『“なんの用でい”ちゃうねん!!なんで呼ばれたか分かっとるんやろ!!』
「分かるよ、喧嘩売りに呼んだんだろ?それなら買わないけど。まあ、文句言いたいんならどうぞ?」
『はあぁ?!!売ったのはそっちやろ!!ふざけんのもいい加減にせいよォ?!!』
「早く用件言ってくれ。こっちは暇じゃないんだよ、あんたと違ってな。」
『チッ…一々腹の立つ男やなぁ……。はぁ……何から話せばええんや…。』
「話纏まって無いなら切るけど。」
『待てぇい!!まずぅ!!あんな嘘ついて恥ずかしくないんか!!』
ああ、やはり嘘ついたことに怒っているのか。
「恥ずかしくないだろ。大体、あんたが笹野を困らせるからついた嘘だし。てか、そもそも嘘じゃないし。」
『“嘘やない”?!!どーゆーことや!!!』
「はぁ……うるせぇな一々…。大声出すな。俺は『一夜を共にした』って言ったよな?」
『あぁ!ゆーたな!!』
「一応、『共にした』のは合ってる。だって、手出しはしてないけど同じ屋根の下で寝たんだから。フッ…」
『はっらたつなぁ!!』
「そんな怒んなよ。好きな奴が手出されてなくて良かったじゃねぇか。」
まあ、あんたにも手出しはさせないけど。…ということは口にせず、関西人の返答を待つ。
すると、一秒もしないうちに返ってきた。
『それはええけど……って!ええけどちゃうやん!!さっきあんたは“明香里ちゃんが困ってたから”とか言うたけど、ただ嫉妬してただけやろ!!』
「……。」
しまった…痛いところを突かれてしまった……。
うーん………素直に笹野が好きと言うべきか…?
いや……言ったら絶対に告げ口される…。前の件でも、遠藤に告げ口してたんだから……。
「嫉妬なんかする訳ないだろ。笹野はただの『友達』だ。俺は、あいつに恋愛感情なんか持ってない。」
少し……胸が痛む…。
けれど、仕方の無いことだ。大体、笹野は俺のことを好きじゃないのだから、もしコイツがこれを笹野に告げ口しても、誰も傷つかないだろう。
そう思って、バレないようにハッキリと否定した。だが、関西人はなんか説教モードに入ったのかため息をついて言った。
『はぁ……あんなぁ、イケメン野郎…。』
「碓氷。」
『うっさいわ、なんでもええやろ。』
「で、なに?」
俺はわざと偉そうな態度で催促した。何故さっきからコイツにこんな態度をとっているかと言うと、コイツが嫌いだからだ。
俺の催促に、関西人は素直に続けた。
『…言わせてもらうけどなぁ、実現出来ない“嘘”はつくもんやないで。“夜を共にした”なんて、そんな出来る訳もそんなことする勇気もあらへんのに、嘘ついとったら恥を搔くだけや。公表する勇気も告白する勇気も、襲う勇気も無い奴に、明香里ちゃんを他の男から守る権利は無いねん。言えへんのなら口は出さん。それが男や。』
何だか得意げに語る関西人に、俺は何も言い返すことが出来なかった。
間違ったことは言っていないと、少しだけ感じてしまったから。
『明香里ちゃんを俺から守りたいんなら、まずは自分が正々堂々と明香里ちゃんへの恋心に向き合うことやな。』
なんだよ……こっちにも色々事情があるのに…。
初めて出来た友達なのに…初めて本気で信用出来たのに………そんなの……関係壊したくないんだから、アタックできる訳無いだろ…。
信用もしてない関西人に、笹野が好きだと認められる訳が無いだろ……。
…俺の方が好きなのに………。
頭の中ではそんな考えがグルグルと駆け巡っていた。
だが……俺は、何一つそれを話すことは出来なかった…。
「……態々、『超カッコイイ男の信念』を語ってくれてるとこ悪いけど、そろそろ電話切ってもいいか?外で電話してるから寒くて凍え死にそうなんだよ。」
俺は、『ちょっ、待てぃっ──』と言いかけた関西人を無視して、通話終了ボタンを押した。
そして、家へ入り笹野へスマホを返す。すると、笹野が興味津々な目で俺を見てきた。
「何話してたんですか?」
………。
「何も。別にどうでもいい話だ。遠藤に彼女が出来たとかな。」
「なるほど!どうでもいいと思う話を出来るってことは、知弥さんはもう、碓氷さんの友達ですね♪」
そう笑った笹野の瞳は、とても綺麗で澄んでいた。一方で俺は、きっと汚い目をしていただろう。
……笹野の何気無い言葉に、腹を立ててしまったから。
「それはどうだろうな。」
「知弥さんも一応はいい人なんですよっ。」
「言っておくけど俺、あの関西人のこと嫌いだから。」
そう返したところで、丁度笹野のスマホが鳴った。笹野は「失礼します」と会釈をして、スマホを耳に当てる。
「もしもし、どうしましたか?」
すると、予想通りの嫌いな声が笹野のスマホから響いた。
『明香里ちゃ〜ん!さっきな、俺 明香里ちゃんと話したかったんやけど、イケメン野郎が切るから話せなかったねん!』
「なるほど。用件は何でしょうか。」
『初詣一緒に行かん?!』
「知弥さん、何度も言いますg──」
『あ!ちゃうちゃう!デートの誘いやないよ!ほら、遠藤とか…うーん、せやなぁ……あ、前に合コン来てた子たとかも誘って、みんなで初詣行こうや!』
関西人の戦略的な誘いが聞こえてくるが、俺は何も言わなかった。
いや……何も、言えなかった。
俺には……笹野を引き止める権利も無いと思ったから。
だけど、それでも、笹野が当たり前のように俺に訊ねた。
「碓氷さん、知弥さんたちと一緒に初詣行きませんか?」
最初に話していた関西人に許可も取らず、キラキラとした瞳で俺を見つめる。俺はそれが嬉しかった。
けれど……
「行かねぇよ。」
関西人も居るとなったら、俺はずっと嫉妬して機嫌を損ねてしまうだろう。そうなると、笹野にも迷惑がかかる。
大体、仲良くも無い奴と出かけるなんて時間が勿体ないし。
「そうですか。」
俺の答えに残念そうな顔をしたものの、驚きはしなかった。そして、初詣の誘いを受けると思っていたが、笹野は関西人の見えない電話越しで、丁寧にお辞儀をして言った。
「すみませんが、初詣のお誘いはお断りさせて頂きます。今年の初詣は碓氷さんと行きたいので。」
それってどういう…?!!
笹野のまさかの答えに俺はつい、勢い良く顔を上げてしまった。そんな俺とは対象的に、笹野の持つスマホからは落ち着いたような声が聞こえる。
『はは…またフラれてしもたな…。ほんなら…今度、明香里ちゃんの職場に会いに行ってもええか?会いたくて……おかしくなりそうなんや…。』
その弱々しい声のトーンで、俺は漸く気づく。
岸本は、俺が思っていた二十倍、笹野のことを想っているのだと。
岸本も、笹野のことが本気で大好きなのだ。
「どうぞ、いつでも会いに来てください。」
『良かった……これもフラれたらどうしようかと思たわぁ…ははっ…。』
「ふふっ、会う分には構いませんよ♪ 二人きりじゃなければ。」
『俺はその“二人きり”になりたいんやけどなぁ〜。明香里ちゃん、手強いわぁ。』
「褒めて下さってありがとうございます♪」
『いや褒めてへんわ!w』
「あははっw 流石関西人っ!ツッコミのキレがいいですねぇww」
笹野はあれ程デートを拒否していた岸本相手に、楽しそうに笑っている。
何だかいい感じじゃないか…。
……笹野がコイツを好きになるのも…時間の問題かもしれない………。
そう思うと、胸が苦しくて仕方が無かった。大好きな筈の笹野の笑顔が、俺の胸を苦しめた。
嫌だ、そいつとの会話で楽しそうにしないでくれ。
頼むから、どうか……そいつを好きに…ならないで……。
なんて………告白なんかできっこないのに、我儘過ぎるよな…。
上手く息が出来なくて、席を外そうか迷っていると……
『ほな、そろそろ電話切ろかな。ありがとうな明香里ちゃん。俺と話してくれて♡』
タイミング良く、岸本がデレデレとした声でそう言った。漸く終わると思った。
なのに……
「あっ、知弥さん。待ってください。」
なんと、笹野が引き止めた。
岸本が『ん、なんや?』と尋ねるが、何だか笹野は言いづらそうに口篭る。だけど、岸本は笹野が話すのを黙って待っていた。
そして、暫くして笹野が声を潜めるようにして言う。
「…あのう……知弥さんは…その……私のことがお好きなんですよね…?」
『ん?せやで?大好きや。』
「………そう…ですか…。…何だか自分で訊くのもアレなんですが……何故私がお好きなんですか…?」
なんでそんなこと訊くんだよ……。
『うーん……急に訊かれてもなぁ…。“好き”に理由は無い思うんやけど…。俺はただ、明香里ちゃんが大好きなんや。別に人を愛することに理由は無いと思うで。』
なんで模範解答みたいな答え出してんだよ…。
「で、では………私のどこがお好きで…?」
『なぁーんやぁ♡ 明香里ちゃん、もしかして俺のこと気になっちゃったん?♡ 好きなとこならいっぱいあるで!可愛いとこと〜、無邪気なところ!優しいところ、ハッキリ断れるところ、笑顔が天使なところ、何着ても天使なところ!あとなあとなぁ〜──』
「それって、もしも私が……普通の人とは違っても…好きでいてくれるんでしょうか…。」
笹野は、岸本の言葉の途中でそんなことを尋ねた。まるで、岸本が喋り終わるまで我慢が出来なかったかのように食い気味で。
『ん?明香里ちゃん、なんかあったん?好きに決まっとるやろ。そもそも明香里ちゃんは、普通の人とは違う“特別”な子やからな──』
「そうじゃないんですっ…!」
笹野は、岸本の言葉を遮るようにして小声で叫んだ。
まるで、先程の質問に何か特定の答えを求めていたかのように。
とても苦しそうで、つらそうな顔をしていた。それは、笹野の顔が見えない岸本でも気づいたようで……
『…明香里ちゃん……何かあったんか…?』
電話の向こうの岸本の声色も変化した。
だが………
「……いえ、失礼しました。急に変な話しちゃって。何もありません、ただ気になったから訊いてみただけです。」
笹野は下手くそな作り笑いをして、「おやすみなさい」と急いで電話を切った。そして、まるで俺が居ることを忘れているかのように、物凄くつらそうな顔でため息をつく。大きな目には、またしても涙が溜まっていた。
俺は、そんな笹野の顔を黙って見ていられる訳が無かった。
だから……
「……笹野…。…多分だけど…………アイツは…例え笹野が『普通』とは違ったとしても……ずっと、笹野を………好きで…いてくれると思う……。」
自分が不利になるような発言をしてしまった…。
俺の言葉に、笹野はハッと顔を上げるが直ぐに俯く。
「………それなら……お母さんは…最初から私のこと…好きじゃなかったのでしょうか……。」
笹野の零した震える声は、俺を更に苦しくさせた。
……どうしたら、笹野を笑顔に出来るのだろうか…。
「そんな訳ないだろ…。笹野は、誰にでも好かれる天才だ。きっと、『お母さん』も笹野のこと大好きだったよ。今も、密かにお前のこと心配してる筈。もし……本当に嫌われてたんなら…母親じゃないとダメなんだろうけど……慰めてやる。なんでも奢ってやる。酒いっぱい飲んで、いつもみたいに笑ってたら、きっと少しは楽になるだろ。」
笹野が今、どんな言葉を求めているのかは分からない。
この言葉が正解なのかも分からない……。
けれど、やっぱり笹野には笑顔でいて欲しい。
その一心で、笹野を慰めた。安心できるように、少し微笑みも含んで。
すると……
笹野は涙を拭いてグイッと缶ビールを傾けた。そして、満面の笑みで言う。
「私、将来は碓氷さんみたいな方と結婚したいですっ!」
先程まで泣きそうだったのが嘘みたいな笹野の笑顔に、言葉に、俺は胸を撃ち抜かれたような感覚に陥った。ドギュン!と物凄い音を立てて、心拍数は上昇していく。
「ずるいんだよ…。」
目の前に座っている笹野にさえ聴こえないような声量で、つい俺は嘆く。そして、「ん?なんですか?」ときょとん顔で尋ねた笹野へ、言ってみる。
「じゃあ……結婚してみるか?」
心臓がバクバクとうるさくて、笹野に聴こえてしまっていないか心配になる。目の前の笹野は口をあんぐりと開けて、揺らぐ瞳で俺を見つめていた。顔が真っ赤だから、意識くらいしてくれただろうk――
「じゃっ…『じゃあ』ってなんですかっ…!女性の夢を壊さないでくださいよ!それがプロポーズなら誰も喜びませんからね?!冗談だとしてもっ、そんな冗談 最低ですっ…!!」
期待した俺が馬鹿だった。
めちゃくちゃ怒られてしまった。
かっこつけて頬についていた肘を、俺は慌てて外す。笹野は頬を赤くしながら俺を睨んでいた。
どうやら本気で怒っているようだが……それさえも可愛くて堪らない。
俺は死ぬ気でニヤケを我慢して「悪かった…」と謝った。
「…そんなつもりは無かった。ただ……笹野が結婚したいって言うから…。」
「たっ…例えですよっ…!真面目に受け取らないでくださいっ……!」
動揺してるの可愛すぎるだろ…。
なんて、気まずそうに自分の腿をスリスリしている笹野が可愛すぎて、つい俺は「ぷっw」と吹き出してしまった。それに気がついて、笹野は勢い良く顔を上げて真っ赤の顔で怒る。
「なに笑ってるんですかっ…?!」
「いやっw 可愛いなって思ってwww」
「へ……?」
「ん?」
笹野は何故か更に顔を赤くして、俺を見つめている。
どうしたんだ…?急に変な顔して……。そう思って、俺は首を傾げていた。
だけど…………
「…………はっ…?!あっ…違っ…!!!」
自分が先程言ってしまった言葉を漸く思い出した。無意識に「可愛い」だなんて、そんな気色の悪いことを言ってしまっていたのだ。
「そのっ…ち、違くてだなっ……!!!」
どうやって言い訳しよう…!!
そう頭をフル回転させても、何も言葉は出てこなかった…。
笹野はただ、さくらんぼのように両頬を真っ赤に染めて俺を見つめているだけ。目は丸く見開いて、口は変に「ムッ」と口角が下がっている。
あぁ……もう…………そんな…意識してるみたいな顔…しないでくれ……。
「………いや…今の笹野は……………くそ可愛かった…。」
勇気を振り絞った俺の言葉で、笹野は今度はきつく結んでいた口を、あんぐりと開けた。目の前から、物凄い速くてデカい心臓の音が聞こえる。
……いや、これは俺の音かもしれない…。
どっちの心臓の音かは分からないが、笹野はいつもならべちゃくちゃ喋っているのに、この時は本当に静かだった。だから、笹野が何を思っているのか分からなくて怖かった。
「…………や…やばい眠過ぎる…!今日はもう寝ようっ……!」
俺がそう騒いだ五秒後に、笹野はハッとして返事をした。
「そっ…そうですね…!!!」
それから爆速で寝る支度をして、俺たちは母さんの寝ている部屋へ入ろうと、風呂上がりに敷いておいた布団を捲った。そして、それぞれ並んだ布団に入る。
因みに並びは、右から母さん、笹野、俺だった。
笹野がゴソゴソと布団に入った瞬間、右端の布団から声がした。
「明香里ちゃん、おいでぇ。」
気になって、布団を整える手を止めて見てみると、母さんが笹野へ微笑んで、自分の布団を捲っている。
笹野を取られた気がして少し嫌だったが……
「はい!行きます、お母様!」
笹野の嬉しそうな声を聞くと、嫉妬なんか無くなった。
笹野が母さんの布団に入ったことを確認してから、俺も寝転がる。
「おやすみ。」
「おやすみなさい♪」
「おやすみい。」
就寝の挨拶を交わして目を瞑るが、先程の笹野の顔が気になって眠れそうに無かった。
なんなんださっきの顔は……。俺のこと…意識してくれてるのか……?
いや…でも…………いつもはあんなにうるさい笹野が一言も喋らなかったんだ…。怒ってたんじゃないのか……?いきなり俺が「可愛い」だなんて、自己中で気持ち悪いことを言うから……。
…そう思うと、笹野に嫌われてしまったんじゃないかと心配で心配で……中々寝付けなかった。
ぐるぐると頭の中を巡る考えに随分と長い間、苦闘していると…………
「おかあさん…。」
突然、隣の布団の方から、幸せで満たされているような可愛らしい声が聞こえた。だが、実際はもう一つ奥の布団から聞こえているらしい。
二つ隣の布団で、笹野が母さんに寄り添っている。とても幸せそうな顔をしながら、母さんの胸元に小さな頭をぐりぐりと甘えていた。
確かに、笹野は幸せそうな顔をしていたが……それでも、俺の胸は苦しさを覚えた。
今の笹野は………俺の母さんに甘えているが、夢の中では笹野のお母さんに甘えているのだろう…。
……幾ら俺の母さんが優しくしてくれても、本当は自分のお母さんに甘えたいのだ…。
夢に出てくるまで、笹野は母親の存在を必要としている。……母親からの…愛を恋しく思っている……。
苦しくなって、自分の無力感に腹が立った。
だけど……俺は唇を噛み締めることしか出来なかった…。
それから二日後。母さんを空港まで見送った帰り、笹野から電話がかかってきた。近くのコンビニで車を停め、電話に出ると笹野は慌ただしい声で言った。
『碓氷さん、今すぐ私の家に来て頂けますか!』と。
何かあったのかと尋ねる前に、電話は切れてしまった。俺は急いで車を走らせ、笹野の家へ向かった。
強盗か?
火事か?
それとも……誘拐?
そんな色々な憶測が頭の中で飛び交った。
俺は心臓をバクバクと鳴らしてよろめきながらマンションの階段を駆け上がり、震える手で笹野の部屋のインターホンを何度も押した。
「笹野!笹野ォ!大丈夫か?!!」
右手でインターホンを押しながら左手で扉を激しくノックする。そうしていると、三秒程後にドタバタとこちらへ駆け寄る音が聞こえた。
そして……
――ガチャ
音を立てて開いた扉の先に居たのは………
「えっ…?」
全く見たことのない、アメリカ系統の顔をしたイケおじだった。
髪は赤毛で随分とダンディな見た目をしている。背は百八十三ある俺より五センチは高い。そして、何よりも驚くべきことは…………
その男が赤ん坊を抱いているということ。
……笹野って夫いたのか…?!!しかも子持ち?!!いやいやいや!!!そんな訳無いっ…!!!だって……そうだとしたら、毎日俺の職場に遊びに来ないだろ…!それに、(事実上の)デートもしない筈だ…!!!実際、「好きな人できたことありません」とか言ってたし…!!!そう……大丈夫だ…!!!きっと部屋を間違えただけ…!!!
違う意味で心臓がバクバクしている俺は、焦ってうわずった声で叫んだ。
「部屋間違えました!」
「ううん、間違ってないよ。明香里からよく話は聞いている。『碓氷』くん、だよね?」
「はあ?!!」
部屋を間違えていないことにも、「明香里」呼びにも、外国人顔の男が日本語ペラペラなことにも驚いて、頭が混乱する。
ぐるんぐるんと幾つもの認めたくない事実が頭を駆け巡って、目眩さえ覚えた。
そうしていると、その浮かんだ「事実」を証明するかのように部屋の中から笹野の元気な声が聞こえてくる。
「お父さ〜ん!碓氷さんだったでしょ〜?」
「お父さん」……。やはり………この男が抱えている赤ん坊は…笹野と目の前の男との子供なのだ………。
胸の奥から何かが込み上げてきて、俺は嘔吐してしまいそうだった。だけど、このまま黙って立ち去る訳にはいかない。
せめて、何処の馬の骨かだけでも……知る権利はある筈だ…。
「…………あんた誰だよ…。」
舐められないように威勢よく放ったつもりの声は、思った以上に弱々しいものだった。
ぽつりと呟くように吐き出された俺の問いに、目の前の男は明るい声で答える。
「失礼、申し遅れたね。私はイーサン。明香里の父親だよ。」
「…は?」
あまりに現実味の無い言葉に、俺は思わず顔を上げた。そして、その言葉の真偽を確認する為、奥から顔を出している笹野の顔を見た。
すると……
「そうですよ!この人は私の父親です!」
笹野は、優しい笑顔でそう答えた。
「えっ…?んっ……?は…?…………えっ…どういうこと…?」
笹野って純日本人じゃなかったのか…?!!え?!!!てか…………
「おっ…おおおお義父さん…?!!!」
俺めっちゃ敵意向けて「あんた誰だよ」とか言ってたんだけど…?!!
「はい。『お父さん』なんです。実は、南房総の実家から父が会いに来てくれたのですが、丁度 父の妹――私の叔母とその娘が家族勢揃いで旅行に行くそうで、その従姉妹の息子を預かったんです。」
そうだったのか…。
「お義父さん……。あの…俺…『あんた誰』だなんて無礼な態度をついてしまって………」
俺がいつもの笹野を見習って深々と頭を下げると、お義父さんはにこやかに手のひらを見せた。
「ああ、いいよいいよ。碓氷くんは、本当に明香里のことを愛してくれているんだね。」
「えっ、ちょっ…!お父さん何言って――」
「……はっ?えっ…お、俺そんなこと一言も………」
「あははっ、言ってないね。ごめんよ、全く男っ気の無かった明香里が男の君と話しているところを見て、少し舞い上がってしまって。」
モテるのに男っ気は無いのか…。
なんて思いながら、困ったように笑うお義父さんを見ていると――自己紹介をしていなかったことを思い出した。
俺は、慌てて姿勢を正す。
「あの……申し遅れました。改めて、碓氷 律月と言います。笹野――さんの友人です。笹野さんには、いつも大変お世話になってます。」
会社で社長と対話した時よりも数倍緊張しているが、何とか心を落ち着かせようと深呼吸をして自己紹介をする。お義父さんはそんな俺に優しく微笑んでくれた。
「こちらこそ、明香里がいつもお世話になってます。」
「ふふん、何だか緊張してる碓氷さん面白いです。」
「うるせぇ……。それで…笹野、なんで俺を呼んだんだ…?」
「あっ、そうですね!一番大事なことを言い忘れていました!今から父に晩御飯の材料を買いに行って貰うので、そうすると私ワンオペで、大変なので碓氷さんを呼びました。」
「あぁ、そういうこと?なら、俺におつかい頼んでくれても良かったのに。」
「たっ…確かにそうですね…!」
なんて会話をしていると、お義父さんが相変わらずの笑顔で笑いかけた。
「じゃあ、私はお使いに行ってくるよ。エディを頼んだよ。」
笹野へ赤ん坊を預けて、この場を発ってしまった。
チラッと「エディ」という名の赤ん坊を見てから俺は言う。
「笹野ってハーフだったのか。」
笹野は、そんな俺の一言に綺麗なエメラルドの瞳を丸くした。
「知らなかったんですか?!」
「え?知らなかったけど。そこまでハーフ顔じゃないし。」
確かに笹野の目は綺麗な二重をしているが、鼻も低いし童顔だし……いや、それが可愛いのだが。――あっ……
「だから目がそんな宝石みたいに綺麗なのか!」
出会ってからの謎が漸く解けた俺は、思わずそんなことを言ってしまった。笹野が何だか恥ずかしそうに顔を背ける。それと同時に、笹野のサラサラとした綺麗なオレンジゴールド色の髪に視線を奪われた。
そうして長い間見ていると……どうしようもなく、触れたい…なんて言葉が頭を過ぎる。
そして、無意識に俺は笹野の綺麗な髪へと手を伸ばしてしまっていた。
だが――
「おぎゃあー!おぎゃあああ!!」
俺が触れる寸前で、赤ん坊――エディが大声で泣き始めてしまった。俺はその声で漸く我に返り、咄嗟に手を引っ込める。
一方、笹野はというと、赤くなったままの頬を緩ませて、「よーしよしよしっ♪」とあやしながら瞬時にエディを揺らしてやっていた。そんな笹野の姿を見て、ふと俺は思う。
――きっと、笹野はいい母親になるんだろうな…。
笹野が子供を産んだら、こんな感じになるのだろうか。いつか…………俺と、笹野の子供が欲しいな――って…!!何を考えているんだ俺は…!そもそも付き合ってもないし告白も出来てないのに…!!!
ああああ流石に俺キモすぎ…!!!セクハラで訴えられても何も言えない!!!
「おんぎゃあああああ!!!」
「よーしよしよしっ、大丈夫だよエディ〜。お腹すいたのかな?じゃあ、『おばあちゃんのお兄さん』が『ママ』から預かったミルク飲もっか!」
そう言いながら笹野は、部屋への扉を開けて「どうぞ入ってください!」と言う。
そして、俺が家に入ると、ミルクを作ろうとエディを抱いたままキッチンへと歩いていった。
俺はそんな笹野に着いていき、腕を広げる。すると、笹野は言わなくても「お願いします。」とエディを差し出してくれた。
首がまだ座っていないので、慎重に包み込むようにして、ギャン泣きしているエディを抱える。
小さ……。こんな小さくても生きてるんだな…。慎重に、丁寧に抱き抱えないと……。
そう思いながら、腕を揺らし、エディが安心するように小さな声で歌ってみる。
「あぁ〜♪ 歌〜うこ〜とは〜 難しいことじゃな〜い♪」
だが、幾ら歌ってもエディが泣き止んでくれる筈が無かった。けれど……小さいながらに大きな声で一生懸命泣いているエディが可愛らしくて、歌うことは全く苦痛では無かった。前は赤ん坊を見ても何とも思わなかったのに。
『歌うたいのバラッド』が終盤に差し掛かった頃、笹野は出来上がったミルクを持ってきてくれた。
何となく恥ずかしいので慌てて歌をやめ、エディを渡そうと腕を伸ばすと、笹野は優しく微笑んで俺に言った。
「碓氷さん、ミルクあげてみますか?」
「えっ、いいのか?」
「はい!エディも喜ぶと思います!」
「こんなギャン泣きしてるのに?」
無邪気に笑う笹野へ、俺も少し悪戯っぽく笑って人肌の哺乳瓶を受け取る。そして、そっとエディの口元へ哺乳瓶の乳首を近づける。
すると……エディはすんっと泣き止んでミルクを持っている俺へ、一生懸命小さな手を伸ばしながらごくごくと飲み始めた。
「飲みっぷりいいな。」
思わず笑顔を零して呟く。
エディは直ぐにミルクを完飲した。そして、小さなぷよぷよした手で俺の指を握って……「きゃっきゃ」と笑った。
か………!…かっ…………!!
「可愛いっ…!」
あまりの可愛さに思わず俺は顔を背けた。その先で、いつの間にかしゃがんでいた笹野とバチりと目が合う。
……俺のことを、見ていたのだろうか…?
い、いや……そんな訳無いだろ…!エディを見てたんだ…!そうだ…!絶対そうだ……!
そうやって俺はめちゃくちゃドキドキしているのに、笹野は何にも気にしていないようにニコニコと笑っている。
「な…なんだよ…?」
顔が熱くなっていくことを自覚しながら尋ねると、笹野は何だか嬉しそうに言った。
「いえ、碓氷さんはいいお父さんになりそうだなぁと思いまして。」
「はっ…?」
そ、それって…………い、いや……笹野のことだ…。深い意味は無いだろう…。
俺は笹野の天然の思わせぶりに落胆しながらも、ため息をついてエディの頬をぷにっとつついた。
すると……
――ブリッ!
…………めちゃくちゃ笑顔でエディがうんこをした。
「まだゲップしてないのに…。」
俺は急いでお尻を触らないようにエディを抱え、笹野は言わずともエディの背中をポンポンと叩いてくれる。そのおかげで無事、エディはゲップを出した。見事な連携プレーだ。
「サンキュー。…よ…よし……うんこの処理は俺がする…。」
「えっ、いいんですか…?」
「任せろ……。」
そうカッコつけたがイケメンな笹野は、両手がエディで塞がっている俺へ気を遣って、オムツを床に広げて敷いてくれた。
そして、俺はエディのお尻を丁寧におしりふきで拭いてから、エディを寝かせ、タポタポしているオムツを外し…――
「くっさ…!!!こんな身体小さいのに、いっちょ前に臭い…!!お前凄いぞエディ……!!」
そんなふうに騒ぎつつも、エディのオムツを替えてやる。そんな俺を笹野は何だか不思議そうに見ていた。
「やり方分かるんですね。」
「ん?ああ、高校のときに人形で実習したからな。」
何が嬉しいのだろう。俺の顔を見て嬉しそうにニコニコと笑っている。
不思議に思いながらもオムツを丁寧につけていく。すると、笹野は言った。
「やっぱり碓氷さんは真面目ですね♪ 高校生のときにやったことを覚えてるだなんて、凄いです。尊敬します。」
「そ…そうかよ……。」
なんなんだ急に褒めてきて…。
笹野の所為で気が散ってしまっていたが、何とか綺麗にオムツを替えられた。「きゃっきゃっ」と笑って手足を動かすエディを俺は抱えた。
「随分とご機嫌だなw スッキリしたか?」
だけど……そんな俺の子守りは、再び笹野の一言によって中断された。
「ふふっ、結婚するなら私、やっぱり碓氷さんみたいな方としたいです。」
そんな思わせぶりなことを、笹野はサラッと言ったのだ。勿論、俺は心臓がバクバクと高鳴って何も考えられなくなった。
驚いて笹野の方を見るが、笹野は楽しそうにエディを見つめるばかりで、俺のことは一切見なかった。
本当……なんなんだよさっきから………。
「……さっきから俺のことからかってんの?」
急に俺のことを褒めだして、しかも「結婚するなら碓氷さんがいい」だなんて言って……俺の気持ちを弄んでいるようにしか思えなかった。
笹野がそういう奴では無いことも分かっているし、笹野が俺の恋心を知らないことも分かっている。
けれど……どうしてもそんなことが頭に張り付いて離れなかった。
俺の疑いに、笹野は少し悲しそうに笑って答える。
「からかってなんかいません。」
俺に疑われたことが嫌だったのだろうか。
何故こんな顔をしているのかはハッキリとは分からないけれど、笹野が本心から言っているということは分かった。
そして、笹野が俺を意識していないということも。
それでも………そんな恥ずかしいことを平気で言える純粋無垢な笹野を、また…好きになっていく……。
苦しくなって、俺は笹野の顔は一切見ずに、可愛らしく笑うエディの頬をぷにっと触っていた。
それから約三十分程後、お義父さんが帰ってきた。そしてそのまた三十分後、笹野とお義父さんは昼食を作り始めた。
俺も動きたかったのだが、エディの世話を頼まれたため、動けなかった。けれど、リビングでエディと遊んでいると、キッチンからの声は殆ど丸聞こえだ。
聞いてはいけないような会話も、俺の耳に届いてしまっていた。
「……お母さんは…私と会ってくれないのかな…?」
「……今日は用事があるそうだ。」
「そっ…か……。」
笹野の、苦しそうな声が俺の心臓を握り潰す。けれど、俺は無意識に聞き耳を立ててしまっていた。
「………小さい頃はさ…よく……家族三人で旅行に行ったりしたよね…。また……行きたいな…。」
「……そうだなあ…。」
「…………お母さんさ、元気…?今も……花、育ててる?」
「…ああ、元気だよ。花も、毎日きちんと育ててる……。」
「そっか。よかった……。…お…お母さんは……私のこと…………なにか、言って――」
「……明香里…もう、お母さんのことは忘れた方がいい……。」
お義父さんがそう言ったあと、笹野は何も声を出さなかった。
けれど……俺には分かった。
お義父さんのそんなたった一言で、笹野の心が深く抉れてしまったことが。
そう考えると……どうしても、じっとしているなんて無理だった。俺は気がつけば、エディを抱えてキッチンに立っていた。
「やっぱり俺、料理だけは得意なんで作ります。お義父さん、エディを頼んでもいいですか。」
そう言うと、お義父さんは少し気まずそうに「そうなのかい?じゃあ、頼んだよ碓氷くん。」と笑ってエディを預かってくれた。そして、お義父さんがキッチンを去った頃に、笹野の顔をチラッと見てみる。
……思った通り、泣きそうな顔をしていた。だから…笹野のそんな顔は見たくないから……俺は、安心させるように言った。
「……大丈夫だ…。忘れる必要なんか無いよ。『優しくて大好きなお母さん』は、笹野の胸の中に大切にしまうといい…。」
この行動が正解かは分からないけれど、笹野は自分の頭の上に載った二回りほど大きい手に、優しく小さな手を重ねた。
そして、震える瞳で俺を見つめる。
手も小刻みに震えていたので、俺は一度笹野の頭から手を離し、笹野の小さな手に重ね直した。すると、笹野は か細く震えた声で頼む。
「………少しの間…そのままでいてくれませんか…?」
「ん…。」
笹野に言われた通り、そうしていると……徐々に笹野の震えは治まってきた。
「……ありがとうございます…。もう……大丈夫です…。」
そうは言われたけれど、笹野の大きな瞳は未だ潤んでいる。
そんな顔を見ていると、やはりどうしても胸が苦しくなる。
我慢できなくなった俺は、気がつけば笹野を抱きしめてしまっていた。
笹野は抵抗することもせず、静かに俺の胸に手を添える。
そして……
「うぅっ……ふぐっ…」
お義父さんに聞こえないようにと、静かに泣き始めた。
どうやら、「無理せずに思う存分泣けばいい」ということは言わずとも笹野に伝わったようだ。
「わたしがっ……あんなこと言わなかったらっ………おかあさんもっ…わたしをっ…………っ…」
何かかける言葉は…と探すが何も見つからない。
……当然だ。何も、訊けていないんだから…。
笹野を慰める為には、ある程度状況を知っておく必要があるのだが、ただの友達の俺は……そんな家族の問題までに踏み込んではいけないような気がして何も訊けずにいた。
そもそも、こういうのは笹野が話したいと思ったときに自分から話してくれるのが一番いいのだ。
料理を作り終わり、昼食時になると笹野はすっかり元気を取り戻していた。空元気、という感じも無く「いつも通り」明るく可愛らしい笹野に戻っていた。
「エディ、眠ってくれて良かったですね。」
気持ちよさそうにリビングのゆりかごで眠っているエディを見つめる笹野の、愛おしそうな表情に安心する。
「ふふっ、そうだな。」
そうやって笑顔を零すと、左斜めのお義父さんと目が合ってしまった。気まずくて逸らしてしまったが、お義父さんは何だか嬉しそうに微笑む。
……ん?なんか目が合う前から微笑んでなかったか…?大体、俺がお義父さんの方を見たのだって、妙に視線を感じたからだし…。
……俺の事見てたってことか…?…………でもなんで…?
なんて考えていると…
「うん、これ美味しいね。」
お義父さんは少し目を丸くしてからそう笑った。それを見て、笹野も嬉しそうに笑顔で伝える。
「でしょ?それね、碓氷さんが作ってくれたんだよ!」
新鮮な笹野のタメは少しドキッとする。もうお義父さんが俺を見ていた理由なんてどうでも良くなっていた。やはり、好きな子の知らない一面は誰でもときめくものだ。
ドキドキしていることがバレないように、俺は静かに食べ進める。だが、笹野の言葉を聞いてお義父さんがそんな俺に笑いかけた。
「碓氷くんはなんでも出来るんだね。」
「へっ?あ、いや、得意なのは精々料理くらいで…」
「仕事もできるって明香里から聞いたよ。それに、エディにも真っ直ぐ向き合ってくれているしね。」
「はあ…」
与えられたことをやるのは当たり前じゃないのか…?
それに、エディに関しては少し目を離したら死んでしまう生き物を扱うんだ。そんなの、真っ直ぐ向き合わない方がおかしいだろう。可愛いからエディのお世話をするのは苦では無いし。
「明香里の結婚相手は碓氷くんのような人だと嬉しいよ。」
お義父さんのまさかの言葉に俺は思わず顔を上げた。
笹野がどんな顔をしているのか気になってそちらに目をやると、真っ赤になった頬で驚いたように目と口を大きく開け、お義父さんのことを見つめている。
「ちょっとお父さんっ!碓氷さんに変なこと言わないでよっ…!」
どどどどどうしよう…!俺もなにか返さないと不自然だよな…?!!
まず……このまま告白するのはナシだ…!想いを伝えるとしたら、まず笹野に伝えなきゃなんだから!
じゃあどうする?!
なんて考えていると、お義父さんは更に続ける。
「碓氷くん、もし碓氷くんがいいなら明香里の結婚相手になってくれないだろうか?」
「はっ?――」
「明香里ももう二十二だ。二人は随分と相性がいいみたいだし、きっと成功する。式代は私が用意しよう。」
マジか…!お義父さんのお墨付きなんてかなり有利じゃないか?!
そう心臓がバクバクと騒ぎ始めるが……
「おおお父さん…!」
笹野は相変わらず真っ赤な顔をしていて混乱している様子だった。先程よりも赤みが増している気がする。
いや…………
「…二十二歳は、まだまだ先があります。それに、笹野は愛嬌があるからこの先沢山の人に好かれるだろうし、その中で俺よりいい人も見つかると思います。だから、そんな急がなくたっていい相手は絶対に見つかりますよ。確かに親としては不安でしょうが、まずは笹野の気持ちが一番です。笹野の大事な人生をそんな勢いで決めないでください。それと、娘が『やめて』と言ってるなら、やめてやってください。」
確かに俺は笹野と結婚したい。笹野とじゃなきゃ嫌だ。
けれど……そんなことよりも笹野の気持ち、笹野の人生の方がもっと大切だ。笹野が嫌がっている中、結婚なんかしたくない。そんなの、全く嬉しくない。
だから、俺はそう言った。どんな反応をされるか少し不安もあったが、お義父さんは目を丸くしてから優しく微笑んでくれた。
「君は本当に明香里を大切に思ってくれているんだね。」
「へっ…?!いや…………まあ…はい……。」
大切に決まっている。逆にどうやって大切にしないって言うんだ…。
今の会話について、笹野はどんな反応をしているんだろうと気になって目をやると……何故か、笹野は悲しそうに俯いていた。小さな手をぎゅうっときつく握り締めて、オーバーオールの腿部分の生地を巻き込んでいる。
どうしたのだろうか…。
……もしかして…………お義父さんが笹野に結婚を勧める理由に気がついている…?
「では、話を変えようかね。」
俺の意識は、お義父さんの嬉しそうな声で引き戻された。
「碓氷くんは、お酒は好きかい?」
……。寄りに寄って酒の話題か…。
「……いえ…。」
「おや、好きじゃないか。それは、味だけが苦手なのかな?」
「………いえ……。弱いんです…。」
「へえ、碓氷くんが弱いなんて意外だなあ。酔ったらフラつくとか?」
「……そうですね…フラついたり……呂律が回らなくなったり…記憶力と判断力が低下したり……。」
そんな俺の答えを聞いて、お義父さんは「ハッハッハッ」と笑った。
弱すぎて笑われているのかと思い、俺は思わず顔を上げる。だが、見下す意味で笑っているのでは無かった。
「お酒に弱くてもそんなに落ち込むことは無いよ。アルコールに弱いか強いかは遺伝だからね。」
「……はい…。」
「ご両親もお酒は苦手なのかい?」
「…はい………。お義父さんは強いんですか?」
「ああ、大好物だよ。」
ですよねぇー…。
というか………笹野、さっきからどうしたんだ…?いつもなら誰よりも喋るのに…。
「……笹野?」
どうしても気になって、俺は訊いてみることにした。笹野は「ハッ…!」と小さく息を漏らしてこちらへ振り向く。
「…さっきからどうしたんだ?」
「な…なにがですか…?」
「『なにが』って、いっつも笹野べちゃくちゃ喋ってんじゃん。なんで今日はそんなに静かなんだよ?」
俺の質問に、笹野は何だか気まずそうに目を泳がせて俯く。そして、顔を上げてこちらを向き、何か言いたげに口を開いたと思ったら、また気まずそうに俺から目を逸らした。
「……い、いえ…。特に理由はありません…。」
「………。」
嘘つけ…。心の中ではそう思ったけれど、お義父さんの前で深くは訊けなかった。
けれど、食後から約一時間後、もう一度訊く機会が訪れた。
お義父さんが「おしるこを食べたい」と言い出してスーパーに出かけたのだ。……笹野の自由人なところはきっと、お義父さんに似たんだろうな…。
いつ訊こうか……なんて考えていると、ずっと無言だった笹野が突然、話し始めた。
「……お父さんは、きっと私にお母さんを忘れさせるために、早く結婚して欲しいんだと思います。」
やはり、気づいていたか…。それで元気が無いんだな……。
そう思って、何とか元気づけようと言葉を纏めてから口を開きかけると……
「…碓氷さんは私と結婚したいとは思いませんか…?」
なんと、笹野は上目遣いでそんなことを尋ねてきた。何だか悲しそうに。
勿論、俺は答えに迷った。
だって、本気で俺と結婚したいと思っているような目で見つめてくるから。
けれど、ここで「結婚したい」とか正直に言ってしまえば……もしかしたら笹野は気持ち悪がるかもしれない…。笹野がそんな奴じゃないというのは分かっている。だけど…………こんな俺を本当に好きだとは思えない…。そもそも、笹野には恋心なんか無いのだろう。
ここは…………ハッキリとは答えずに、躱した方が賢明だ…。
「……笹野と結婚したい?…そうだな、笹野みたいな明るくて純粋な奴と結婚出来たら幸せだろうな。」
一番いいと思っていた答えは、笹野には不服だったようで今度は訴えるように潤んだ瞳で俺の目を見つめた。
「違うんです……わたしがきいてるのはっ…『私みたいな人』じゃなくて……『私』と結婚したいかどうかなんですっ…。」
そんな震える瞳に、胸を貫かれたような感覚に陥る。
「っ……。」
どうしよう……泣かせてしまう…。
笑顔にさせたいのに……どうして俺は…………。
そう思った頃には、勝手に口から言葉が溢れていた。
「……結婚したいよ…。笹野と……。」
自分でも驚く程に弱々しい声で零す。
笹野は息を止めたように、こちらをじっと見つめる。
部屋が、シン……と静まり返って時計の針だけが響いている。
俺の言葉を聞いた瞬間、笹野の頬がじわぁっと赤くなっていくのが分かった。
……分かったのに……笹野の、その後の反応を見るのが怖くなった。拒絶されたらと考えると、息すら吸えなくなってしまうような気がした。
――気がつけば俺は「はは…。なんてな。冗談だ。」なんて、乾いたように笑っていた。
その直後、笹野の瞳から光が、消えたような気がした。時計の針の音も、聞こえなくなった気がする。
そんな時――
「おぎゃぁああああああああ!!!」
すやすや気持ちよさそうに眠っていたエディが起きてしまった。
笹野は慌てて立ち上がって、エディをあやす。俺はそこで我に返ることが出来た。
そして、自己中にもエディの相手で精一杯の笹野に付け足す。
「ま、まあ…一緒に居てこんだけ楽しいんだからな。…結婚したら楽しそうなのは事実だな。けど、俺は……そんなつもりは無いよ…。だっ、大体、六つ上の俺に『結婚したい』なんて言われたら、気持ち悪いだろ。」
笹野が俺の話を聞いていたかは分からないが、何だかエディをあやす笹野は苦しそうに笑っているような気がした。
申し訳なくなって、俺も慌てて立ち上がってエディの尻のにおいを嗅ぐ。
「……臭くないな。ミルクか?」
駆け足でキッチンに行き、ミルクを作って笹野に渡す。笹野は「ありがとうございます。」と言って、エディにミルクを飲ませた。
だが、エディは泣き続けているばかりでミルクを飲もうとしない。笹野がどれだけあやしても泣き止む気配など全く無い。
「うーん…どうしたんでしょうか…。」
「笹野が作ったミルクじゃないと嫌なのか…?」
「なんですかそれw 粉ミルクなんで誰が作っても一緒ですよw」
割と真面目に言ったのに、笹野はそうやって笑った。まあ、笑顔が見れたのでこちらとしても嬉しい――
「あぅ……きゃっきゃ!」
笹野が笑った瞬間、エディが泣き止んで楽しそうに笑った!
嬉しくなって二人で顔を見合せて微笑む。すると、エディは更に嬉しそうに笑う。
安堵した笑顔で「ミルク飲むか?」と哺乳瓶を差し出すが、エディは笑顔でベシッ!と俺の手を叩く。
「そうか〜、いらないかぁ〜♡」
可愛いなぁ〜♡
なんて、ニヤけるが……
俺は気づいてしまった。エディが泣き始めた理由を……。
そう…………笹野が悲しそうな顔をしたからだ…。俺の返答で、笹野は傷ついてしまった…。それがエディにも伝わって……。
そうだよな…………今は笹野は母親のことで落ち込みやすいんだ…。そんな時に友達から、あんな狡い躱し方をされたら誰でも傷つく…。
「……ごめん…。」
自分のしてしまったことが途端に恥ずかしくなって、俺は小さく謝った。笹野は「何がですか?」と言って、きょとんと首を傾げるだけだった。
「あ、もしかしてミルクが無駄になってしまったことですか?それなら大丈夫です!私が飲んでみるので!」
そんなふうに笑って哺乳瓶を俺から奪い、パカッと開ける。そしてグイッと傾け――
「おええええええ…まっず…!!なにこれ…!エディこんなの飲んでたの…?!!」
傾けたと思ったらエディから避けて、思い切りその場にダバーっと口から零しやがった。ゴホゴホと咳き込んでいる。俺は呆れながらも仕方なく背中を叩いてやるが……
「ぷっ…ぶっははは!!ほんとバカだなwww」
我慢できなかった。笹野は顔を赤くして口元を袖で拭こうとしたので、俺は笑いながらも慌てて止め、近くにあったティッシュで口元を拭いてやった。
本当に、笹野は可愛すぎるw こんなのずるい。
……もっと一緒に居たくなるじゃないか。
………もう笹野には悲しい顔はさせないように、正直に伝えよう。
……いや、告白するとかでは無いが、訊かれたことは全て正直に。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
やっぱ書いてて自分でも思うんですけど、律月ってカッコ良いですよね。派手なカッコ良さじゃなくて、静かな誠実さがいいと言うか笑
その誠実さと不器用さが、明るくて元気だけどたまに曇った表情を見せる明香里を救ってて、バランスが最高な気がしてます笑
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※本作はフィクションであり、実在の団体・人物とは関係ありません。




