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第14話:公爵の仮面と、沈黙する闇

王都の市場から少し離れた、旧倉庫街の一角。

 焼けた木炭や湿った土の匂いが充満するその地下で、リズミカルな金属音が響いていた。


――トンテントンテン。トンテントンテン。


 それは、王国の経済を静かに蝕む毒が生成される音だ。

 炉から放たれる不気味な赤光が、作業に当たる男たちのぎらついた瞳を照らし出している。

 作れば作るほど面白いようにはけていく、「粗悪な金貨」の工場だった。


「……へへっ、今日もいい按配だ。銀を二割、銅を一割。これだけで金貨一枚分として通るんだから、笑いが止まらねぇよ」


 作業員の一人が、出来上がったばかりの鈍い輝きを放つ金貨を、満足げに眺める。

 ただの地金を打ち直し、金型に押し付けるだけで利益が転がり込んでくる。

 男たちは鼻で笑い、再びリズムを刻み始めた。



その時だった。


 地下へと続く古い階段の隙間から、場違いなほど澄んだ、鈴の鳴るような声が聞こえてきた。


「……? 何か面白い音が聞こえまして……ここは、なんのお店なんでしょうか?」


 男たちが一斉に作業を止め、顔を上げた。

 そこには、埃っぽい地下室にはおよそ不釣り合いな、真っ白なドレスに身を包んだ少女が立っていた。

 彼女は恐怖を知らぬ純粋な瞳で、炉の火を珍しそうに見つめている。


「あら。皆さん、お仕事中でしたのね。リーゼ、お邪魔してしまったかしら」


 男たちの顔から血の気が引いた。

 ここは絶対の機密を要する密造所だ。しかも、少女の気品からして、ただの迷子ではないことは一目で分かった。


「……おい、ガキが入り込みやがったぞ。どうする」

「どうするもこうするもねえ! 捕まえろ!!」


 逃げようとするリーゼを、男たちは力任せに押さえつけた。

 その正体が王女リーゼ・アルカディアであると気づいたのは、彼女を薄暗い小部屋に放り込み、ポシェットの中から王家の紋章を見つけた後のことだった。


「……大、大変なことになったぞ。これ、リオン王子の妹じゃねえか!!」

「バカ野郎、なんでそんな大物を捕まえちまったんだ! すぐに『オーナー』に連絡だ!!」



 一刻後。

 闇に溶け込むような黒ずくめの装束に身を包んだグレモリー公爵が、密造所へと姿を現した。

 緊急の要件だと連絡を受け、信頼の置ける従者二人だけを伴い、不機嫌そうに階段を下りてきた。


「……直接言いたいこととは何だ。報酬は十分に出しているはずだ。それとも順調すぎて材料がなくなってしまったかな?」


 いぶかしむ公爵に、リーダー格の男が震えながら鉄扉を指差した。

「そ、それが……オーナー、とんでもない『拾い物』をしましてね。あんたの計画どころか、俺たちの首に関わる大物ですよ」


 グレモリーは眉を潜め、扉についた小さな覗き窓から中を覗き込んだ。

 そこには、硬い木の椅子にちょこんと腰掛け、目隠しをされて不安そうに自分の手を握りしめているリーゼがいた。


「…………っ!」


 その瞬間、グレモリーの脳裏を、雷鳴のような衝撃が駆け抜けた。

 記憶の奥底、決して触れてはならない場所に封じ込めていたはずの、一人の少女の姿が鮮烈に蘇る。


 かつての娘、エレーナ。

 正義を貫こうとしたであろう、最愛の娘の面影。

 震えるリーゼの小さな肩が、あの日、永遠に失ってしまった娘の姿と、残酷なほど重なったのだ。


「……オーナー。どうしますか? やはり、消しますか?」


従者の一人が、首を横に引く冷酷なジェスチャーを見せた。

 だが、グレモリーはその手首を、骨が鳴るほどの力で掴み、殺意の滲む低い声で制した。


「……だめだ。それだけは、絶対にだめだ」


「で、ですがオーナー、こいつは王女ですよ? 生かしておけば証拠が――」


「黙れと言っている! 私の命令がくるまで待て。指一本でも触れてみろ、お前たちの命はないと思え!」


 グレモリーは逃げるように、その場を去った。

 混乱する胸中を整理するため、そして「娘」を救い出すための完璧な口実を、冷徹な頭脳で捻り出すために。



 しかし、現場に残された男たちには公爵の葛藤など関係なかった。

 ここ数日で、街では『カニ券』が爆発的に普及し始めていた。

 リオンによる鑑定の厳格化は容赦なく、彼らが命がけで作った偽造金貨は、はけ口を失い、倉庫の隅で「ゴミ」へと変わりつつあったのだ。


「……あの公爵、何が命令を待てだ。このままだとカニ券のせいで俺たちの報酬も削られそうだっていうのに!」


「ああ、そうだなぁ。だったらこういうのはどうだ。あの王子を直接脅して、市場を元に戻させてやるんだよ!」


 強欲に理性を焼かれた男たちは、公爵の禁忌を侵した。

 リオンへの脅迫文を広場に置くという、致命的な暴挙に出たのだ。



その報告を受けたグレモリー公爵の瞳から、人間らしい迷いの色は完全に消え失せていた。


「……愚かな。飼い犬がこれほどまでに度し難いとは」


 もはや、この場所に価値はない。

 彼は即座に「清掃」の準備を整えた。今度は従者二人ではない。一切の音を立てない、鉄の規律を纏った屈強な私兵たちを数十名引き連れ、彼は再び密造所へと向かった。


己の関与を完全に消去し、なおかつこの状況を最大限に利用する――。

 自分が「英雄」としてリーゼを救い出すシナリオを完成させるために。


 再び密造所へ現れたグレモリーは、先ほどとは打って変わって、穏やかですらある足取りで男たちの元へ歩み寄った。


「……さて。ところで、どうなった? リーゼ様の様子は。計画は順調か」


「え、ええ……! 広場に紙を置いてきました。今頃、あの王子は真っ青になってますよ!」


 得意げに笑う男を、グレモリーは憐れみの混じった、底冷えのする瞳で見つめた。

 そして、傍らに控える私兵たちへ、わずかに視線をやる。


「そうか。……なら、もういい。お前たちは、本当によくやってくれたよ」


 その言葉が合図だった。

 私兵たちが影のように動き、作業をする男たちの背後を瞬時に取る。


 悲鳴を上げる隙さえなかった。

 鍛え上げられた腕が男たちの首を絞め上げ、手際よく猿轡さるぐつわが噛まされる。


「なっ!? もごっ、ごぼっ!!」


床に組み伏せられ、物理的に言葉を奪われた男たちを見下ろし、グレモリーは冷酷に言い放った。


「なんて愚かな真似をしたんだ。私の名を汚すばかりか、リーゼ様を危険に晒すとは。……もう喋らなくていい。後悔する時間もないほどに、すぐに楽にしてやる」


 口を封じられた男たちは、その場に転がされた。

 彼らはもはや「犯人」という名の、都合のいい生贄でしかない。

 グレモリーが鉄扉の鍵を開け、リーゼを救出しようとした、まさにその瞬間――。


ドォォォン!! と扉が激しく蹴り破られた。


「そこまでだ!!」


 松明の光が地下室に雪崩れ込み、騎士団を率いたリオンが飛び込んできた。

 一晩中探し回り、瞳には血走るような執念を宿したリオン。

 彼の視界には、捕らえられた賊たちと、その中心で毅然と立つグレモリーの姿が映った。


「……あれ、グレモリー!? どうしてここにいるんだ!」


 驚愕に目を見開くリオン。

 対するグレモリーは、一瞬の澱みもなく「悲劇に立ち向かう忠臣」の表情を作り上げた。

 彼はリオンに向けて、深く、そして優雅に頭を下げた。


「これはこれは、リオン殿下。……私もリーゼ様の身を案じ、独自に調査を進めていたところ、この薄汚い密造所に行き着きましてな。今まさに、逆賊どもを捕らえたところです」


グレモリーは、猿轡で顔を歪める男たちを、汚物でも見るかのように指差した。


「リオン様、リーゼ様はあちらの部屋です。ご無事で何よりだ……さあ、一刻も早くお側へ」


「そうだ、リーゼ!!」


 リオンはグレモリーへの疑念を抱く余裕すらなく、奥の部屋へと駆け込んでいった。

 

「リオン様はリーゼ様の確保を。あとの汚れ仕事は、私が引き受けましょう。賊の処遇も、この工場の処理も、すべて私にお任せください」


 その後ろ姿を見送りながら、グレモリーは私兵たちに指示を出し、賊たちを「証拠」として引き立てさせた。


 男たちの瞳には、絶望と恐怖が宿っている。

 彼らはもう、自分たちが誰の指示で動き、何のために働いていたのかを語る術を、永遠に奪われたのだ。


 グレモリー公爵は静かに、返り血一つない高価な外套を整えた。


「お兄様。シルヴィアお姉様。怖かったですの……」

向こうの部屋から、リーゼの声が聞こえる。


リーゼを助け出し、部屋から出てきたリオンは少し安堵した顔をしていたが、この状況で細かいところまでは気が付いていない。

「……グレモリー公爵。助かったよ。……さぁ、こんなところは早く出てお城に戻ろうリーゼ」


その言葉を聞き、清廉潔白な英雄の仮面を被り直し、うやうやしく礼をする

「もったいなきお言葉です、殿下」


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