第12話:偽造貨幣の断末魔
一睡もできないまま、窓の外に見える空が白んでいくのを眺めていた 。
執務室のテーブルには、眠気を無理やりねじ伏せるために淹れた、飛び上がるほど苦いお茶のカップがいくつか転がっている 。飲みかけのまま冷え切った茶葉の残骸が、僕の焦燥感を象徴しているようだった 。
昨夜は、まさに一分一秒が永遠のように感じられた 。城の中を三周し、騎士団の捜索状況を何度も確認した 。けれど、夜が明けても、リーゼの姿はどこにも見当たらない 。
「……リオン。少し、休んだら? 倒れてしまったら、リーゼ様が戻られた時に困るわ」
背後から、シルヴィアが静かに声をかけてきた 。彼女もまた、一晩中僕に付き合って城中を歩き回ってくれたはずだ 。整えられていたはずの髪は少し乱れ、その瞳には隠しきれない疲労が滲んでいる 。
「ありがとうシルヴィア。君のいうとおりだ。……そうだね。すこしだけ。一時間だけ休んでくるよ。そうしたら、僕は市場の方から探しに行くね。昨日見落とした場所があるかもしれないから」
椅子に深く背を預け、自分を鼓舞するように呟いた、その時だった 。
バタン! と執務室の重い扉が、礼儀を忘れたような勢いで開かれた 。
「殿下! 広場に、このようなものが……!」
駆け込んできたのはハンスだった 。いつもなら寸分の乱れもない彼の眼鏡が、今は無様に傾いている 。その手には、王都の広場の目立つところに置かれていたという、薄汚れた一枚の紙が握られていた 。
そこに殴り書きされていた言葉を見て、僕の眠気は一瞬で吹き飛んだ 。
『カニ券の流通を今すぐ停止せよ。金貨の流通に戻せ。さもなくば、リーゼ・アルカディアの命はない』
「……カニ券を、やめろ? なんだってそんな……」
僕は震える手で紙をひったくった 。
「ハンス! 今すぐだ! 今すぐカニ券の発行を止めて、すべて金貨に戻すと触れを出せ! それでリーゼが助かるなら、あんな紙切れ、全部燃やしたって構わない!」
なりふり構わず叫び、椅子を蹴り飛ばして立ち上がろうとした僕の肩を、シルヴィアが強く掴んだ 。
「待って、落ち着いて。リオン」
「落ち着いてられないよ! あいつらはリーゼを――」
「……いいえ、おかしいわ。ここに書いてあることはおかしいのよ」
シルヴィアの冷徹な声が、僕の逆上を切り裂いた 。彼女は僕の手から紙を取り上げると、そこに書かれた文字を射抜くような視線で見つめる 。
「冷静に考えて。犯人は、なぜ『身代金』でも『政治的な権利』でもなく、わざわざ『カニ券』を嫌がっているの?」
「……そんなの決まってるじゃないか、僕への嫌がらせだ。僕に恥をかかせたい誰かが……」
「いいえ。そんな曖昧なプライドの問題じゃないわ」 シルヴィアは首を横に振った 。
「犯人は、カニ券が流通することで『物理的に破滅しかけている』人間よ。それも、王女を誘拐するという大罪を犯してまで、その仕組みを止めたくなるほど追い詰められた連中よ」
「物理的に……破滅?」
僕はシルヴィアの問いを頭の中で反芻し、散らかった思考を整理し始めた 。
犯人のターゲットは僕じゃない。僕が生み出した「システム」そのものだ 。
「カニ券があれば、市場の人々はもう金貨を鑑定しなくて済む。紙一枚で本物の金の価値が保証されているから 。……でも、そのせいで、銀や銅を混ぜた偽造金貨を刷って私腹を肥やしていた連中はどうなると思う?」
「……市場で、金貨が使えなくなる」
「そうよ。カニ券が普及すればするほど、彼らの資産は価値を失う『ただの金属の塊』に変わる 。だから彼らは死に物狂いで、この仕組みを壊そうとしているの」
シルヴィアの言葉で、霧が晴れるように状況が繋がった 。
犯人の正体は、偽造金貨の密造組織だ 。だが、シルヴィアは厳しい表情を崩さない。
「……目的はわかったわ。でも、問題は『誰が、どこで』こんなことをやっているのかよ 。どうして、あいつらは素直に偽造金貨をカニ券に両替して逃げないのかしら?」
その問いに、僕の脳裏に「前世の管理部門」で培った、数字のリアルが浮かび上がった 。
「……いや、それはできないんだよ、シルヴィア」
僕は顔を上げ、執務室の壁に貼られた王都の地図を見つめた 。
「カニ券への両替窓口には、プロの鑑定士がいる 。……これまで、市場に紛れ込んでいた偽造金貨は、せいぜい100枚に2、3枚程度だった 。だから『偶然混ざっていた』と言い逃れもできたし、統計的なノイズとして見逃されてもきたんだ」
僕は震える指で、机の上の金貨を指差した 。
「でも、あいつらが今抱えているのは、10枚出せば10枚すべてが偽物の『純度100%の偽造金貨』だ 。そんなものを窓口に持っていけば、一発で御用さ 。いきなり全額が偽造金貨なんて、不自然すぎて言い訳が立たないからね」
「なるほど……。だから彼らは、カニ券の普及を止めて、かつての『誰もが一枚ずつなんて細かくチェックしきれなかった、ガバガバな金貨市場』に戻したいのですね」
ハンスが納得したように頷く 。
「そう。あいつらにとって、偽造金貨はコストをかけて作った『不良在庫』だ 。経営者なら、死んでもその在庫をさばいて利益に変えようとする 。……となると、あいつらは今でも、無理やりにでもその金貨を使っている場所があるはずなんだ」
「……どういうことかしら?」
「シルヴィア。もし君が大量の偽金を持っていて、王城の両替所にも行けないとしたら、どうする?」
「ええと……まず、手元には残したくないから、使ってしまいたいわね 。カニ券を使わせないようにして、金貨での取引をさせて……。そこで少しずつ、でも確実に使わせるわ」
「その通り 。つまり、今この王都で『支払いが不自然に金貨ばかりで行われているエリア』が必ずあるはずなんだ 。……そこは、あいつらが不良在庫を無理やり吐き出している、いわば汚水の出口だ」
僕の言葉に、ハンスがハッとしたように目を見開いた 。
「なるほど……! 経済の『淀み』を探すのですね! カニ券という綺麗な水が流れない場所こそが、泥水の源流……つまりアジトの近くだと!」
「ああ。ハンス、商業ギルドの入出金記録と、直近の税収報告を照らし合わせてくれ 。不自然に金貨の比率が高い地区を特定するんだ」
眠気で霞んでいた僕の瞳に、ようやく鋭い火が灯った 。
ハンスが深く頷き、執務室を飛び出していく 。
僕が面倒くさがりで作ったカニ券が、皮肉にもリーゼを危険に晒し、そして同時に、彼女を救い出すための唯一の道標になろうとしていた 。




