第8話:不信の金貨、信頼の紙切れ
翌朝、城の裏手にある業者用の納品口は、かつてないほどぴりついた空気に包まれていた 。
野菜、肉、日用品――城の巨大な胃袋を満たすために集まった商人たちが、困惑と不信の入り混じった顔で一人の男を囲んでいる 。
「……ハンス様。失礼ながら、これは何かのご冗談でしょうか?」
最古参の肉屋の主人が、指先で一枚の紙を摘まみ上げた 。
そこには、ハンスが夜通し職人に作らせた緻密な幾何学紋様と、僕が昨日ポンポンと押した『王家の印章』が鎮座している 。
「冗談に見えますか? 私は至って真面目ですよ。本日から支払いは、すべてその『王家引換保証券』で行います」
ハンスは冷徹なまでの事務的な笑顔で答えた 。
周囲の商人たちが一斉にざわめき始める 。
「紙切れで肉を買えというのか!」
「王家もついに金が尽きたのか?」
「こんなもの、市場じゃ一銭にもならないぞ!」
不穏な憶測と怒号が飛び交う 。
そんな中、肉屋の主人は冷静にハンスに問いかけた 。
「ハンス様の意図をお伺いしてもよろしいでしょうか」
ハンスは眼鏡を指先でクイと上げると、商人たちを一人ずつ射抜くような目で見据えて言った 。
「皆さんは、最近金貨の質が落ちていることを肌身で感じているはずです。……今の金貨が、どれほど信用できないものになっているかを。偽造金貨を握らされた時のリスクを、今一度、冷静に想像してみてください」
その言葉に、商人たちの動きが止まった 。
ハンスはたたみかけるように言葉を繋ぐ 。
「もし、ここで私があなた方が疑心暗鬼に陥っている金貨で支払ったら、どう思いますか? おそらく、あなた方は私の目の前で天秤を取り出し、一枚一枚、疑いの目を向けながら重さを量らなければならないでしょう。ですが、あなた方はここでそれを行うことはできないはずだ」
商人たちは顔を見合わせた 。確かに、ハンスの言う通りだ 。
金貨を受け取れば、その瞬間に「これは本物か?」という疑いが頭をもたげる 。量れば時間がかかり、量らなければ夜も眠れない 。
「金貨を受け取っても、皆さんは疑いから逃れられない。ですが、その紙はどうですか?」
ハンスは肉屋の主人が持つ『カニ券』を指差した 。
「それは王家が発行し、リオン殿下が自ら『保証』の印を押されたものです。偽造は不可能。そして何より、その紙一枚を城に持ってくれば、我々は即座に一点の曇りもない本物の金貨と交換することを約束しましょう。案ずることはありません。王家には、これまで金貨を作っていた金が、そのまま蔵に眠っています。この券は、その金を直接握っているのと同じことなのですよ」
ハンスのその言葉は、商人たちの不安を完璧に沈黙させた 。
実際には、僕が「鑑定待ちが面倒だから」という理由で作ったものだが、ハンスの口を通せば、それは「王家の金蔵と直結した、究極の安定資産」へと昇華される 。
「……確かにそうだ。昨日の市場は酷いもんだった。おばさんのケーキ屋でも揉めていたしな……」
肉屋の主人が、カニ券をじっと見つめる 。
紙の質感は、今まで触ったこともないような滑らかさで、光にかざすと精巧な紋様が浮き上がった 。
「……ハンス様。本当に、本当にこれを保証してくださるのですね?」
「ええ。リオン殿下がアルカディア王家の名において保証しております 。あのお方が嘘をついたことが、一度でもありましたか?」
その一言が、決定打だった 。
リオンという人間がこれまで行ってきた数々の改革 。そして何より国民と同じ目線で笑うその姿 。その積み重ねが、ただの紙切れに「黄金以上の重み」を与えていた 。
「……わかった。あんたがそこまで言うなら、受け取らせてもらうよ。リオン殿下には、これまで何度も儲けさせてもらってる。あのお方が保証するなら、怪しい金貨よりよっぽど安心だ」
肉屋の主人がそう言ってカニ券を懐に収めると、堰を切ったように他の商人たちも手を挙げ始めた 。
「私にもお願いします!」
「ここにある私の金貨と、そのカニ券の交換は可能なのでしょうか!」
ハンスは、群がる商人たちをさばきながら、心の中で深い溜息をついた 。
まだ一枚も「実際の金貨」と交換した実績がないというのに、リオンという人間の名声だけで、紙が金に変わってしまったのだ 。
◇
一方、そんなこととは露知らず 。
気分よく王宮から出ていく商人たちの様子を、僕は執務室の窓から眺めていた 。
「お、ハンスのやつ、上手くやってるみたいだね。これで次から会計がスムーズになるよ。金貨とか一枚一枚数えるの、重くて肩が凝るしさ」
横で同じく外を眺めていたシルヴィアが、あきれ果てたように肩をすくめる 。
「リオン、これからどうするつもりなの?」
「これからたくさん刷って、金貨を『カニ券』に置き換えようかなぁと思ってるよ。そしたらいつの間にか偽造金貨もなくなるかなぁって。
新しい金貨を発行するより安いしね。ほら、あの商人のみんなを見てる限り、大丈夫でしょ」
「まあ、ハンスが上手くやってくれるさ。さて、シルヴィア。朝ごはんを食べたら何しようか?」
今日のスケジュールと食べるおやつのことだけを考えて、僕は軽やかな足取りで部屋を飛び出した 。




