第6話:王家の約束と、カニの導き
「……そんな悲劇は、二度と繰り返させたくないわ。このアルカディアでもね」
シルヴィアの言葉は、店先の喧騒のなかで、それだけが切り取られたように冷たく響いた。 僕は彼女の隣で立ち尽くし、ポケットの中にある一枚の紙切れをそっと握りしめた。
それは、リーゼに渡している『カニスタンプ券』だ。 ただの紙にカニのスタンプを押しただけの代物だけど、あの子にとっては金貨以上の価値がある。 なぜなら、これを出せば僕が必ず願いを叶えると――あの子が僕との約束の「価値」を信じているからだ。
(……待てよ。おばさんが量っているのは、金の重さそのものじゃない。金の『価値』なんだ)
だとしたら。その価値を何かで保証できれば、もしくは……
「ねぇ、シルヴィア。……ちょっと、僕の適当な思いつきを聞いてくれるかな」
うなずくシルヴィアに、僕はポケットからその『カニスタンプ券』を取り出して見せた。
「これね、リーゼが勉強とか頑張ったら僕がスタンプを押してあげて、その数に応じてリーゼのお願いを聞いてあげるための券なんだけどさ……」
シルヴィアは、僕が差し出したカニの絵をまじまじと見つめ、呆れたように鼻を鳴らした。
「……はぁ? 何よそれ。そんなカニの落書きで、私にお願いを聞いてくれって言うつもり? 悪いけれど、何の効果もないわよ」
彼女はツンと顔を背けたけれど、すぐに少しいたずらっぽい笑みを浮かべて、僕を見てきた。
「……ちなみに、私にどんなお願いをするつもりだったのよ?教えなさいよ」
上目遣いで、どこか楽しそうに聞いてくるシルヴィアに、僕は慌てて手を振った。
「い、いや、君にお願いするわけじゃないよ! そうじゃなくて、『価値』の話なんだって」
「……あっそう。ざーんねん」
シルヴィアはあっさりと、でもどこか不満げに肩をすくめた。 僕は気を取り直して、さっきから頭を悩ませていた「問題」を口にした。
「リーゼはこの券に、僕がお願いを聞くっていう価値を信じてるじゃない。てことはさ、この券に金の価値があればいいんじゃないかなって思ったんだけれど」
「でもさ、これにどうやって価値を持たせるかが難しいんだよね。ただの紙切れを『金貨と同じだ』って信じてもらうには、どうすれば……金で作る?それだと金貨と同じだよねぇ」
うーんと唸る僕を見て、シルヴィアは少し視線を落として考え込み……やがて、人差し指を立てて僕の鼻先に向けた。
「……リオン。だったら、『価値』と『信用』を分けて考えたらどうかしら?」
「分ける?」
「ええ。王家が発行する『信用』を、その券に持たせてあげるの。 つまり、その券は金貨そのものじゃないけれど、『王家が責任を持って金貨に換えることを約束した証』にするのよ」
シルヴィアの言葉が、すとんと胸に落ちた。 そうか。紙自体に価値を持たせようとするから無理が出るんだ。 紙はあくまで「王家が金の価値と同等であることを保証しています」という証明書であればいい。
「なるほど……。王家が発行する『信用の券』か。それなら、ちょっと試してみてもいいかな」
僕はくるりと振り返り、まだ次のお客さんの会計に頭を悩ませえているおばさんに声をかけた。
「おばさん、ちょっといいかな?」
「おや、お客さん。忘れ物かい?」
「いや、ちょっと聞きたいんだ。……もし、さっきみたいな重さの足りない金貨じゃなくて、王家が『いつでも本物の金貨と交換します』って保証した王族の印を押した特別な券があったら……。 おばさんは、その紙を天秤で量らずに受け取ってくれる?」
おばさんはきょとんとして、僕とシルヴィアの顔を交互に見た。 それから、天秤の上の「0.9枚分の金貨」を悲しそうに見つめてから、力強く頷いた。
「……ああ、そりゃあ助かるよ! 王様たちが『本物だ』って言い切ってくれるなら、あたしたちがお客さんを疑うなんて嫌な真似、しなくて済むんだから。 そんな券があるなら、あたしは喜んで受け取るよ。あれだろ、両替商の引換券みたいなもんだろ」
(……いける)
確信を得た僕は、シルヴィアに向き直った。
「シルヴィア。……決めた。城に戻って、本格的にこの『かに券』を作るよ」
おばさんの笑顔に背中を押されるようにして、僕たちはようやく城への帰路についた。
リーゼの「カニスタンプ券」が、アルカディア王国の歴史を動かす新たな通貨――に格上げした瞬間だった。




