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第5話:不信の秤

店主のおばさんは、僕が差し出した金貨を手に取るなり、申し訳なさそうに顔をしかめた 。

 そして、カウンターの下から使い古された天秤を取り出したのだ 。


「悪いねぇ。最近、質の悪い金貨が混ざっててね…… 。

 こうして一枚一枚、重さを量らないと、うちみたいな小さな店はすぐに潰れちまうんだよ 。

 両替商のところに十枚持って行っても、九枚とか、ひどい時は八枚分にしかならないなんて言われちまうのさ……」


おばさんは、僕の出した金貨を慎重に天秤に乗せ、分銅と睨めっこを始めた 。

 金貨の色味を確認し、石に擦り付け、何度も首を傾げている 。


 だが、僕の顔を改めて見たおばさんは、ふっと表情を和らげた 。


「……ああ、お客さんのは大丈夫だよ 。

 いつもいい顔をして食べてくれてありがとうね 。

 これは本物だ、間違いないよ」


そう言って、おばさんは僕の金貨をそれ以上の鑑定なしにレジへと収めた 。

 一見、温かいやり取りのようにも思えたが、僕の胸には、言葉にしがたい違和感が残っていた 。


(……僕のは、大丈夫?)


僕たちが立ち去ろうとしたその時、後ろに並んでいた次のお客さんの会計が始まった 。

 おばさんは先ほどと変わらぬ、ニコニコとした柔らかな笑顔でそのお客さんに向き合う 。


「あら、お客さん。ごめんなさいね。ちょっと量らせてもらうよ……」


おばさんの手元は丁寧だが、その作業は極めて厳格だった 。

 天秤の針を見つめ、何度か分銅を置き直す 。

 そして、困ったように眉を下げて、申し訳なさそうに告げた 。


「……あら、ごめんなさいね。この金貨だと、ちょっと…… 。

 重さが、金貨一枚に少し足りないの 。

 0.9枚分くらいの重さしかないわ……」


「そんな! これ、さっき両替してきたばかりなんだぞ!」


お客さんが悲鳴のような声を上げる 。

 おばさんも「本当にごめんなさいねぇ。でも、うちもこれで受け取ると、仕入れができなくなっちゃうのよ……」と、胸を痛めるように手を合わせた 。


(……一体、この街で何が起こっているんだ……?)


誰かが意図的に仕組んでいるのか、それとも自然に質が落ちているのか、今の僕にはわからない 。

 でも、確かなことが一つだけある 。


(このままにしておくと、まずい気がする……)


本来、この金貨には「アルカディア王国の刻印」が押されている 。

 それは国が「この金貨にはこれだけの価値がある」と、保証している証のはずだ 。


 なのに、今のこの場では、国の保証よりも「目の前のはかり」の方が信じられている 。

 秤の上が全てで、国が認めたはずの刻印は何の役にも立っていない 。


(国が保証する金貨が信用できない。……それは、ひいては『王家の信用』そのものが消えていっていることにならないか?)


ふと、恐ろしい考えが脳裏をよぎった 。


 この国の金貨の価値を保証しているのは、王家だ 。

 その価値が否定されているということは、王家が……僕たちが、民衆から信じてもらえなくなっているということじゃないか 。


(僕の、……僕たちの信用が、街の人たちの中でボロボロになってる……?)


人々の困り顔の原因が自分たちにあるような気がして、急に胸が苦しくなった 。


「僕が悪いのかなぁ……」


思わず、弱気な呟きがポツリと漏れた 。

 すると、それを隣のシルヴィアが聞き漏らさなかった 。


「はぁ? リオン、何かしたの?まさかあなたっ」


シルヴィアの鋭い言葉に、僕は心臓が止まるかと思った 。


「い、いや、誤解だよ! 何もしてないよ! 何も悪いことはしてないけど……」


「ならいいんだけれど。気になるから詳しく話しなさい」


シルヴィアは足を止め、僕の目をじっと覗き込んできた 。

 僕は抱いた不安を共有するために、ぽつりぽつりと話し始めた 。


「国が押した刻印より、自分の天秤が信じられるようになっちゃうのは、王家の信用がなくなることと同じなんじゃないかと思って……。なんだか、申し訳なくて」



「ああ、そう言うことね」とシルヴィア

「金貨が削れたりして少し軽くなることはよくあることなのだけれど……」

「リオン、……実はね、過去に一度だけ、ゼノビアでも同じことがあったの」


「えっ……ゼノビアで?」


シルヴィアが語り出す言葉は、氷のように冷えていた 。


「あの時は大変だったわ 。少し削れた、なんてレベルじゃないほど金貨が軽かったわ。

 ゼノビア金貨の信用が急激に低下して、ものの値段が信じられないくらい跳ね上がった 。

 ……いわゆるインフレね 。

 国民は食べるものにも困って、本当に、地獄のような惨状だったわ」


彼女の視線が、一点を見つめて動かなくなる 。


「幸いなことに、それほどの鋳造技術を持つ職人は少なく、そんなことができる資産を持つのは一部の貴族だけだったから……。

 それにお父様も、ほらあんな性格でしょ 。

 だから……犯人を見つけ出すことは簡単だったわ 。

 結局ゼノビアの要所を守る辺境伯だったのだけれど」


シルヴィアは、そこで言葉を切り、薄く笑った 。

 その微笑みが、かえって僕の背筋を凍らせる 。


「……その時のお父様は苛烈だったわ 。

 ……犯した罪を、その血で償わせたの 。

 一族郎党、偽造に関与した職人、商人、全員よ、全員。誰一人として例外は認めなかった 。

 ……あの光景は、今でも昨日のことのように思い出せるわ」


シルヴィアの放つ殺気に、僕は思わず生唾を飲み込んだ 。

 彼女が責任を感じている僕を嗜めたのは、彼女の国で起こった「最悪の結末」を知っているからなのだろう 。


「……それで、そのあとはどうしたんだい? どうやって立て直したの?」


僕が恐る恐る尋ねると、シルヴィアは淡々と語り出した 。


「本当に大変だったのよ 。

 まず、流通していた国中の金貨をすべて回収するために『使えなくする』というお触れを出したの 。

 そして、混じり物のない新しい金貨を、急いで再発行して入れ替えたわ」


「国中の金貨を、無効に……!?」


「ええ。そうかなければ不信の連鎖は止まらないから 。

 ……もちろん、そのための費用は莫大よ 。

 主犯の貴族たちの家財、土地、全資産を没収して補填に充てたけれど、……それでも、全然足りなかったわ 。

 国が立ち直るのに、何年もかかった……」


シルヴィアの放つ重苦しい空気感に、僕は再び生唾を飲み込んだ 。

 彼女が責任を感じている僕を嗜めたのは、彼女の国で起こった「一度崩れた信用を取り戻すための、血の滲むような代償」を知っているからなのだろう 。


「……そんな悲劇は、二度と繰り返させたくないわ 。

 このアルカディアでもね」


シルヴィアの言葉は静かだったが、そこには鋼のような意志が宿っていた 。


(……待てよ。ケーキ屋のおばさんが求めているのは『金貨の重さ』じゃない 。

『この対価を、間違いなく誰かが保証してくれるという安心』なんだ 。

 だったら……)

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