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第3話:お人形遊びの罠と「カニ」の誕生

翌朝。

 カーテンの隙間から差し込む柔らかな光の中で、僕はシルヴィアと二人、執務室で束の間の静寂を味わっていた。


「……あぁ、静かだね。昨日の王城の池のアヒルさんたち、可愛かったねぇ」


「そうね。あんなにゆっくりとお散歩をしたのは、いつの日以来だったかしら……。なんだか、懐かしい気持ちになったわ」


シルヴィアが目を細めて、昨日の穏やかな光景を思い出すように呟く。

 僕たちは揃って、昨日の心地よい(と言い張るには少し痛い)筋肉痛に耐えながら、ゆっくりとお茶を啜る。


リオンとシルヴィア、二人きりの時間。

 あまりの心地よさに、僕とシルヴィアは並んで、ついウトウトと微睡んでしまったのだが――。


ガタゴト、と。

 静寂を破って、何か木の触れ合うような音が近づいてきた。


「お兄様! シルヴィアお姉様! また遊んでくださいまし!」


バァァァン! と扉が開く。

 そこには、両手いっぱいに木製の食器セットと、数体のお人形を抱えたリーゼが立っていた。


窓の外は、しとしとと静かな雨が降っている。

 これなら流石に、今日はお庭に連れ出されることはないだろうと安心していた僕の計算は、一瞬で崩れ去った。


「リーゼ……。それは、お人形で遊ぶのかい?」


「そうですわ! 今日はお外に行けませんもの。ですから、お部屋で『おままごと』をいたしますのよ!」


リーゼは抱えていた道具を机に並べると、僕とシルヴィアに一体ずつ、丁寧に作られた木製のお人形を手渡した。


「このお人形はお父様! こっちのお人形はお母様ですわ! お兄様とシルヴィアお姉様、それぞれ動かしてくださいましね。わたくしは、お二人の可愛い娘の役ですわ!」


……なるほど。自分たちが演じるのではなく、この人形で「夫婦」を再現しろということか。

 リーゼの指定するシチュエーションは、予想以上に僕たちの精神を削ってきた。


「まずは、お父様とお母様がまだスヤスヤと寝ているところからですわ! さあ、お二人とも、お人形を並べて寝かせてくださいまし!」


僕とシルヴィアは、机の上でお人形を並べて横にする。

 必然的に、お人形同士の距離が近くなる。それを見ているだけで、なぜか僕の心臓が少しだけ騒がしくなった。


「お父様! お母様! 朝ですわ! 起きてくださいまし!」


リーゼの元気な声と共に、お人形の肩をゆすられる。


「……おはよう、リーゼ。よく眠れたかい……?」


僕が人形を動かしながら声をあてると、リーゼはすかさず娘役の人形を動かして、芝居を続けた。


「あら、お父様。お仕事のお時間ですわね。……あ、お父様の裾が少し乱れてますの。お母様、どうしましょう?」


リーゼがチラリとシルヴィアを見る。

 シルヴィアは、手元のお人形(お母様)を握りしめたまま固まった。


「ほらほら、お母様! お父様の裾を直して差し上げてくださいまし!」


「……っ。え、ええ……わかったわ。……あなた、裾が乱れていますよ。直しますね……」


シルヴィアが真っ赤になりながら、自分のお人形を僕のお人形にそっと近づける。

 机の上で、二つのお人形が触れ合う。


シルヴィアの指先が、僕の動かしているお人形に触れ、裾を整えるような仕草をした。


ただの人形遊びだ。わかっているのに。

 彼女の口から出た「あなた」という言葉に、僕の顔は一気に熱くなった。


「……あ、ああ。ありがとう、お母さん。助かるよ……」


「……うるさいわねっ」


リーゼがじとっとした目でシルヴィアを見つめる

「おかあさまはそんなこと言わないのです」


「あ、ああそうね。リーゼ様の言うとおりね。……ごほん。

そしたら行ってらっしゃい、あなた」


シルヴィアはもう、耳の先まで真っ赤にして俯いている。

 お人形を介しているはずなのに、まるで新婚生活を覗き見されているような気恥ずかしさが、延々と続いた。


夕暮れ時。

 ようやく遊び疲れたリーゼは、僕の膝の上でスヤスヤと寝息を立て始めた。

 その天使のような寝顔を見下ろしながら、僕とシルヴィアは抜け殻のようになってソファに沈んでいた。


「……リオン。リーゼ様、どうしたのかしら。最近なんだか、さらにあなたと遊びたがっているように見えるのだけれど?」


シルヴィアが、寝ているリーゼを愛おしそうに見つめながら、ぽつりと呟いた。


「ああ。……ここしばらく、市場の新制度作りで死ぬほど忙しかったからな。朝から晩まで書類と格闘して、リーゼの顔をまともに見る暇もなかった」


僕は、ここ数週間の激務を思い出した。

 改革の肝となる「信用」の担保のために、ハンスやシルヴィアと寝る間を惜しんで議論し、手続きを整えてきた日々。


その間、リーゼが部屋に来てくれても、「ごめん、後でね」と追い返してしまったことが何度あっただろうか。


「……寂しかったのかもしれないな。あの子なりに、ずっと我慢していたんだろう」


「そうね。……リーゼ様も、本当はもっと甘えたかったのね」


シルヴィアが、リーゼの柔らかな髪をそっと撫でる。

 その光景はあまりにも優しくて、僕の胸を少しだけ締め付けた。


だが、今のリーゼの「寂しさの反動」は、間違いなく僕たちの命(と羞恥心)を削りにきている。



***


翌日。

 僕は朝一番で机に向かった。

 リーゼの寂しさを埋めつつ、僕たちの平穏を確保するための「防衛策」を実行するために。


僕は上質な紙を小さく切り分けると、そこに一枚一枚、魂を込めてカニの絵を描いた。


「お兄様、おはようございます! 今日は何を……」


元気よく飛び込んできたリーゼに、僕は完成したばかりの紙の束を差し出した。


「リーゼ、待って。今日から、新しい『遊び』を始めよう」


「新しい遊び……?」


「そう。これは特製の『カニ券』だ。リーゼが一人でお着替えをしたり、お勉強を頑張ったり……。そんな『お手伝い』をしてくれるたびに、お兄様がこれを一枚あげることにするよ」


「カニさん……?」


「そして、この券5枚につき、お兄様に『一つだけ』どんなお願いでもできるんだ。おままごとでもお散歩でも、この券を出した時のリーゼは、王国の誰よりも優先されるよ」


リーゼの目が、かつてないほどに輝いた。


「すごいですわ……! つまり、これをたくさん集めれば、わたくしは胸を張ってお兄様を独り占めできるということですのね!?」


「そうだよ。……だから、まずは午前中のお勉強から始めてみようか?」


「はいですわ! わたくし、頑張ります!」


爆走して部屋を去っていくリーゼ。

 ようやく訪れた静寂の中で、僕はシルヴィアと深く、深すぎる溜息を共有した。


「リオン……あなたって本当に、自分の平穏のためなら驚くほど知恵が回るのね」


「……なんだか、君から僕への評価がとてもよくわかった気がするよ」

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