第2話:リーゼのおねだりと「嵐の予感」
窓から差し込む春の陽光が、執務室の床に柔らかな四角い模様を描いている。
かつては山のような書類で埋め尽くされていた大きな机の上には、今や二杯の淹れたてのハーブティーと、小さな一輪挿しの花瓶が置かれているだけだ。
その花瓶に生けられているのは、今朝、僕とシルヴィアが二人で王宮の庭園から摘んできたばかりの、淡い色彩の小花たちだった。露を含んだ花びらが、光を浴びてキラキラと輝いている。
「……あぁ、平和だ。平和すぎて、今までの忙しさが嘘のようだね」
ふかふかのソファに深く身体を沈め、僕は至福の溜息をついた。
視線の先では、僕の婚約者であるシルヴィアが、同じようにカップを傾けている。
「本当に、平和ねぇ。一時はどうなることかと思ったけれど」
シルヴィアがふふっ、と柔らかく笑い、満足そうにティーカップを口に運んだ。
「あら、この紅茶、とっても美味しいわね。なんだか今まで飲んでいたものより、ずっと香りが華やかというか……。さくらの紅茶かしら。
リオン、これどうしたの?」
「ああ、それね。ハンスが街に出た時に買ってきたんだ。実はさ、近衛騎士団の団長さんがいるだろ?」
「ええ、あの気さくな団長さんね。この前も訓練の帰りにリーゼ様にお菓子をくれたって喜んでいたわ」
「で、その団長のオズワルドさんから聞いたんだって。実は、そこの妹さんがね……」
僕がそこまで口にした瞬間だった。
シルヴィアがティーカップを「コトッ」と机に置き、目に見えて身を乗り出してきた。
その紫色の瞳は、夜空の星をすべて詰め込んだかのように、キラッキラと輝いている。
「……ちょっと待って、リオン。それって聞き捨てならないわ。あのハンスに、浮いた話があるっていうの!?」
あ、そうそう、その団長さんの妹さんが、実はハンスと――」
僕がそこまで口にした瞬間だった。 シルヴィアがティーカップを「コトッ」と机に置き、目に見えて身を乗り出してきた。
その紫色の瞳は、夜空の星をすべて詰め込んだかのように、キラッキラと輝いている。
「え?……ちょっと待って、リオン。それって聞き捨てならないわ。あの、ハンスに? 浮いた話があるっていうの!?」
「え、あ、いや。まあ、多分そんな感じじゃないと思うんだけれど」
目の前にいるのは、身近な部下の色恋沙汰にこの上なくワクワクしている、好奇心の塊のような女の子だった。
怒涛の質問攻めだ。 目の前にいるのは、身近な部下の色恋沙汰にこの上なくワクワクしている、好奇心の塊のような女の子だった。
人の色恋沙汰が気になるのは、やっぱり女の子なんだな……なんて思いながら、僕は内心で苦笑した。
(……いや、シルヴィア。君が期待しているような、そんな甘酸っぱい話じゃない可能性の方が高いんだけどな……)
とはいえ、真相を話そうにも、僕自身も騎士団の団長から断片的な情報しか引き出せていない。
僕は彼女の好奇心の燃料を、ほんの少しだけ追加してみることにした。
「それがさ、実はその妹さんがね……」
「おーにーさーまー!!」
バァァァン! と、景気のいい音を立てて扉が開かれた。
そこには、朝露を浴びた花のように輝く笑顔を浮かべた、僕の最愛の妹リーゼが立っていた。
「お兄様! シルヴィアお姉様! 起きていらっしゃいますね!」
「あら、リーゼ様! うふふ、いらっしゃい!」
シルヴィアは、さっきまでの「恋バナ待機モード」を全く隠せていなかった。
目はキラキラしたままだし、体は僕の方に乗り出したままだ。その状態で、ぶんぶんとリーゼに手を振っている。
そんな二人の「ただならぬ空気」を、リーゼが見逃すはずもなかった。
リーゼは入り口で足を止めると、ジト目になって僕たちを交互に見つめた。
「……あら? お二人、何かありましたの? なんだか、『楽しいお話』をしていたような気がしますわ!」
「い、いや、別にそんな大したことじゃ……」
「ずるいですわ! お兄様とシルヴィアお姉様だけで内緒話なんて! わたくしも混ぜてくださいまし!」
リーゼはぷーっと頬を膨らませて、僕の隣に潜り込んできた。
そのまま僕の腕をぎゅっと抱きしめ、シルヴィアを牽制するように見つめる。
「お兄様、お庭に行きましょう! アヒルさんたちが待っていますわ! そのあとは絵本ですわ! それからダンスも見ていただかなくては!」
「アヒルか……。彼らも忙しいだろうし、無理に挨拶しなくても……」
「ダメですわ! わたくしも、お兄様とおしゃべりしたいのです。遊びたいのです!」
リーゼの勢いにたじろぐ僕を見て、シルヴィアは優雅にティーカップを口に運んだ。
完全に「高みの見物」を決め込んでいる。
「ふふ、リオン、行ってらっしゃい。リーゼ様、アヒルさんによろしくね」
一口、優雅に紅茶を飲んで微笑むシルヴィア。
だが、リーゼはそんな彼女を逃さなかった。
「シルヴィアお姉様もですわよ!」
「……えっ?」
シルヴィアが目を丸くする。カップを口元に寄せたまま、時が止まった。
「お二人ともですわ! さあ、参りましょう!」
「ちょ、ちょっと待ってリーゼ様、私はまだ紅茶が……」
リーゼは僕の腕を、そして困惑するシルヴィアの手を掴むと、小さな身体からは想像もできない力でぐいぐいと引っ張り始めた。
それはまさに、逃れられない暴風雨の始まりだった。
僕とシルヴィアは顔を見合わせ、悟った。
今日の「平和」は、この音を立てて閉まった扉の向こう側に置いてきてしまったのだと。




