幕間:公爵の落日(らくじつ)
それは、まだ風に春の甘い香りが混じっていた、十年前の日のこと。
「お父様、見てくださいませ! リーゼ様が、わたくしに花冠を作ってくださったのです!」
「グレモリーこうしゃくさま!!」
昼過ぎの公爵邸の庭園に、弾むような喜びの声が響いた 。
声を上げたのは、私の最愛の娘、エレーナ 。そしてリーゼ皇女殿下。
当時、次期公爵令嬢として誰からも慕われていた彼女と、その隣で笑うリーゼ様の頭には、少し不格好ながらも一生懸命に編まれたシロツメクサの花冠が載っていた 。
「あ、あのおねえさま……。リーゼ、がんばったのです 。
グレモリーこうしゃくさま、みてくださいませ……!」
エレーナのスカートの裾をぎゅっと掴み、頬を赤らめて見上げているのは、まだ四歳になったばかりの王女、リーゼ様だった 。
「ああ、エレーナ。実によく似合っている。リーゼ様も、これほど見事なものを作られるとは。……なあ、そう思わないか?」
私が隣に座る妻へ視線を向けると、彼女は穏やかに微笑み、リーゼ様の頭を優しく撫でた 。
「ええ。リーゼ様もエレーナも可愛らしいわ。まるで本物の姉妹のようですわね、リーゼ様」
妻の柔らかな声と、陽だまりのような笑顔 。
東屋で書類を広げていた私は、ペンを置き、目を細めて三人を見つめた 。
心から家族を、そしてこの国を慈しみ、全身で幸せを感じていた 。
「えへへ……。おねえさま、しゅき!」
リーゼ様がエレーナの腰に抱きついて甘えると、エレーナは花冠が落ちないよう手を添えながら、優しくその小さな体を抱きしめた 。
「わたくしも大好きですわ、リーゼ様。この花冠のように、この国がずっと、色とりどりの笑顔で満たされる場所であるよう、信念と正義を持って、リーゼ様をわたくしがお守りいたします」
「……おねえさま、しぇーぎ?」
「ええ、正義ですわ。真っ直ぐな人が笑い、優しい人が報われる世界。……ね、お父様?」
娘の混じりけのない瞳に見つめられ、私は誇らしげに頷いた 。
(……ああ。お前が望むなら、私はこの命を賭してでも、そのための『正義』を守り抜こう」)
それが、私の偽らざる誓いだった 。
この太陽のように笑う娘が信じる「正義」を、汚したくないと願っていたのだ 。
***
数年後。国王ヴィクトールの命により、エレーナの隣国ゼノビアへの政略結婚が決まった 。
娘が馬車に乗り込む当日 。
純白のドレスをひるがえしながら、エレーナは私の不安そうな顔を見て、晴れやかに笑って言った 。
「心配性なお父様。そんなに心配しないでください。私は大丈夫ですよ」
娘は、自分の不安よりも、残していく私の身を案じていた 。
「ほら、『助け愛』っていいますでしょ」
彼女はいたずらっぽく笑って、言葉を継ぐ 。
「お母様も政略結婚だったことは、わたくしも知っています 。
でも、お母様とお父様が心から愛し合っていらっしゃったことを、わたくし知っていますのよ。……ふふっ。お父様、お母様。お二人とも顔が赤くなりましたよ」
「……あははは。エレーナ。まったく、お前というやつは……」
「まぁ」と口元を抑え、こちらを向く妻と顔を合わせ 、
図星を突かれる私 。
それを見て、娘は満足そうに微笑んだ 。
「大丈夫です。わたくしも、あちらでちゃんと幸せを見つけてみせますわ」
そう言って、彼女は軽やかに馬車へと乗り込んだ 。
純白のドレスを揺らし、窓から身を乗り出すようにして、何度も、何度もこちらへ手を振って 。
遠ざかる馬車を見送りながら、私は娘の未来を信じて疑わなかった 。
***
――そして、数年後。
日も落ちる夕暮れの中、娘との再会の時 。
(エレーナ……!)
***
ガタン、と大きく机が揺れたような衝撃 。
同時に、グレモリーは目を開けた 。
「……はあ、はあ……っ、く……ッ」
視界に飛び込んできたのは、春の柔らかな日差しではない 。
淀んだ空気と、短くなってしまったロウソクの頼りない火に照らされた鈍い光だった 。
「……寝てしまったか」
何度も見たはずの悪夢に、冷たい汗が額を伝う 。
執務机に突っ伏していた体を起こすと、節々の鈍い痛みが「現実」を突きつけてきた 。
夢の中のエレーナの温もりが、娘の幸せへの期待が……今もまとわりついて気持ち悪い。
すべては、彼を苛むための、残酷な幻灯機に過ぎない 。
「……ふん。忌々しい。国王があんなことを言うから、また思い出してしまったではないか」
グレモリーは震える手で顔を覆い、深く、長く、呪うような吐息を漏らした 。
グレモリー闇堕ち話の2話目です。
3話目でなんでぐれもりーちゃんは闇に堕ちたのかが分かります。
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