第10話:自由の味と『モンブラン』の衝撃
国王からの過分な称賛を浴び、命からがら謁見の間を脱出した僕は、その足で城下町へと向かっていた 。
「お兄様! 今日は街がとっても元気ですわ!」
僕の手を引いて跳ねるように歩くリーゼが、嬉しそうに声を弾ませる 。
確かに、数日前に来た時とは街の空気が一変していた 。
路地裏からは子供たちの笑い声が響き、商人たちは生き生きと荷を運んでいる 。
「たぁっ! えいっ!」
ふと視線を向けると、広場の隅で子供たちが遊んでいた 。
一人の少年が木剣を振るい、悪いギルド職員役の友達を鮮やかに「斬る」ふりをする 。
斬られた子は「うわぁ~」と大げさに倒れ込んだ 。
そこへ、一番年長らしいお兄ちゃんが、木の切れ端を懐からバッと取り出した 。
炭で大きく「○」と書かれている 。
「控えおろう! この『丸の印』が目に入らぬか!」
少年は胸を張り、木の切れ端をぐいっと前に突き出す 。
「このお方をどなたと心得る! お兄ちゃんであるぞ!」
すると、さっきまで斬られ役でひっくり返っていた弟くんが、伏せていた顔をガバッと上げて叫んだ 。
「今度こそ僕が『控えおろう』をやりたいのー! もうお兄ちゃん三回目じゃないか。ずるいー!」
「だめ! もう一回お兄ちゃんがやったら変わってあげるからね!」
お兄ちゃんの方は、ヒーローになりきるのに夢中なようだ 。
(……へぇ。なんだか勧善懲悪の遊びが流行ってるのかな。どこもヒーローのごっこ遊びってのは楽しいもんだよね)
隣を見ると、当のハンスは「……」と無言のまま、スッと顔を伏せて視線を逸らしていた 。
眼鏡の奥の瞳がどこか泳いでいる 。
(……もしかして、ハンスも小さい頃はあんな遊びをしてたのかな? いつも怖い顔してるけど、意外とノリノリでヒーロー役をやってたのかも)
***
「あ! お兄様、ケーキ屋さんですわ!」
リーゼに引かれるまま、僕は「許可証がない」と嘆いていたあの店へと辿り着いた 。
「いらっしゃいませ! ……あぁ、お客様。またお越しいただけたのですね」
店主のおじさんは、僕たちの顔を見るなり、パッと表情を輝かせた 。
だが、おじさんの視線はすぐに僕の隣のハンスへと向けられる 。
おじさんは何も言わず、ただ深く、意味ありげな視線をハンスに送った 。
ハンスは相変わらず顔を伏せたままだが、おじさんはすべてを察したように深く頷く 。
「……今日はいい栗が入ったんです。最高の一皿をお持ちしますよ」
運ばれてきたのは、黄金色に輝く新作ケーキ 。
高くそびえる栗のペーストの上に、粉砂糖が雪のように降り積もった――念願の『モンブラン』だ 。
そしてなぜか、ハンスの前にだけは、モンブランに加えて大きなチーズケーキが一皿追加されていた 。
「これ、サービスです」
「(……あのお触れのおかげで、うちは救われましたから)」
おじさんは小声でそう言い残し、また別の客の対応へと戻っていった 。
ハンスは追加のケーキを前に、さらに顔を下に向け、震える手でフォークを握っている 。
「へぇー、よかったじゃんハンス。何かいいことしたんだね」
僕がのんきに声をかけると、ハンスの肩がビクッと跳ねた 。
(ハンスってば、仕事が早いうえに街の人にサービスされるくらい親切にしてたのか。やるなぁ。僕が判子放り投げてサボってる間に、街で徳でも積んでたんだろうな……偉いなぁ)
「お兄様! モンブラン、とってもおいしいですわ!」
クリームを頬につけたリーゼが、最高に幸せそうな笑顔を見せる 。
一口食べたモンブランは、脳が溶けるほど濃厚で、事務作業に疲れ果てた僕の心に染み渡った 。
(……僕はただ、判子を押すのが面倒でシルヴィアに泣きついただけなんだけどな)
外では相変わらず「控えおろう!」という元気な声が響いている 。
自分の「怠惰」が「ヒーロー」に形を変え、美味しいケーキとなって返ってきた 。
平和だ 。
判子を押さなくていい世界は、こんなにも甘くて美味しい 。




