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第9話:国王の絶賛とグレモリー公爵の絶望

ハンスが市場でお触れを出し、ギルドの特権を粉砕した翌日のこと。

 僕の執務室に、一人の近衛騎士が無表情で現れた。


「リオン・アルカディア殿下。国王陛下がお呼びです。至急、謁見の間へ」


その言葉を聞いた瞬間、僕の背中に冷たい汗が流れた。


(……終わった。あの『事後届出制』、完全にシルヴィアの知恵を借りてサボろうとしたことがバレたんだ……!)


「自分で管理しろ」って言われたのに、責任を放り出して遊ぼうとした罪で処刑される……!


「リオン、顔色が真っ青よ。また遺言を預かる準備をしたほうがいいかしら?」


 シルヴィアが呆れたように僕の肩を叩く。

 すると、僕の前に小さな救世主が立ちはだかった。


「お兄様、大丈夫ですわ! リーゼがついています! もしお父様がお兄様を怒ろうとしたら、わたくしが『お兄様をいじめちゃダメです!』って言ってあげますから!」


リーゼは小さな拳を握りしめ、ふんす、と鼻息を荒くしている。


「いいですか、お兄様。見ていてくださいませ。……お父様、お兄様をいじめちゃダメです! めっ! ですわ!」


人差し指を立てて、一生懸命に「めっ!」の予行演習を繰り返すリーゼ。 ……天使か。天使がここにいた。


「ありがとう、リーゼ……。でも、もしもの時は……僕の墓標に、昨日食べ損ねた新作のタルトを供えておくれ……」


「縁起でもないこと言わないでよ!」


シルヴィアの激しいツッコミを背に受けながら、僕は死罪を覚悟して謁見の間へと向かった。


***


 重厚な扉が開くと、そこには玉座に座る父上――アルカディア国王と、その傍らで不気味に静止しているグレモリー公爵が立っていた。


(来るぞ……「シルヴィアの知恵を借りてサボるとは何事だ!」という雷が……!)


「父上……! 申し訳ありませんでした! 確かに僕は、あまりの書類の多さに、シルヴィアの知恵を借りて、何とかしてサボろうと……!」


僕が床に膝をついて謝罪を口にするのと同時に、父上の豪快な笑い声が響いた。


「わっはっは! よくやったぞ、リオン! お前は我が一族の誇りだ!!」


「……父上ごめんなさい…………え?」


顔を上げると、父上は満面の笑みで僕を褒めちぎっていた。 国王は、手元の報告書を眺めながら、満足げに声を上げた。


「……素晴らしい。国外との通商もこれまでにない活気だ。リオンの奴、『面倒だから』という理由で規制を全廃しおって。だが、その結果としてこれほどの税収と活気が戻ってくるとはな」


しかし、国王はふと表情を和らげ、グレモリーの方を向いた。


「グレモリーよ。お前の提案した『管理』以上の結果となったな。だが、案ずるな。国家の規律を憂いたお前の忠義、余は十分に買っておるぞ」


さらに国王は、いたわるように声を落とし、彼の肩に手を置いた。


「……先の、お前の娘の件……。流行り病であったとはいえ、忠臣たるお前の家族さえ救えなかった余の不明、今も悔やんでおる。それほどの悲しみにありながら、こうして国の規律を第一に考え、尽くしてくれるお前の献身……。余は、感謝しておるぞ」


国王の言葉は、純粋な善意と、救えなかったことへの本物の後悔に満ちていた。


「……ははっ。もったいなきお言葉にございます、陛下」


グレモリーは、恭しく、深く深く、頭を下げた。


 下げた顔は、王からも、リオンからも見えない。

 その瞬間、彼の端正な顔は、悪鬼のような形相へと一変した。




 ――流行り病、だと?

  ――救えなかった、だと?



グレモリーは奥歯が砕けんばかりに食いしばり、薄い唇を強く噛み締めた。 溢れ出しそうな血を飲み込み、見開いた両目は激しい怒りと悲しみで、どす黒く充血して真っ赤に染まっている。


(何も知らぬ……。娘がどれほどの苦しみの中で、正義を求めて、そして無残に殺されたのか。この国の王も、隣の国の皇帝も……何も見てはおらぬ!!)


国王の善意の言葉の一つ一つが、彼にとっては娘の尊厳を汚す最悪の毒液だった。


(だが、いい。リオン殿下……この市場から『関門』も『監視』もすべて取り払ってくれた。今やこの国の市場は、泥水さえも飲み込んで流れる巨大な濁流だ)


グレモリーは数秒かけて、肺の中の怒りを静かに吐き出した。

 そして。


「……グレモリー? 」


 国王が不思議そうに尋ねるのと同時に、グレモリーは顔を上げた。

 そこには、先ほどまでの激情など微塵も感じさせない、聖者のような、穏やかで柔和な「微笑」が完璧に戻っていた。


「殿下の御差配……まさに『神速』。私のような古臭い官僚には、到底思いつかぬ大胆な一手でございました。……ええ、本当にお見事です」


(ああ、実に見事だ。リオン殿下……)


真っ赤に充血していた目は、いつの間にか細められ、底知れぬ笑みを湛えている。


グレモリーが当初狙っていた「書類で縛り付けてギルドに金を集める」という回りくどいスキームは、もう不要だった。


(記録も、鑑定も、報告も必要ない。誰が、どこで、どんな金を使おうと王家は感知せぬ……。これほど『毒』を混ぜやすい環境を、まさか殿下自らが整えてくださるとは!)


「……大丈夫か、グレモリー」


 国王が不思議そうに尋ねる。

 グレモリーは顔を上げ、聖者のような柔和な笑みをさらに深めた。


「いえ、陛下。この国の未来が、あまりに明るく見えましたので。……これほどまでに『自由』な市場であれば、私も新しい商売が捗りそうだと思いましてな」


その言葉の真意を知る者は、まだ誰もいない。


 リオンが「楽をするため」に作り上げた自由な世界。

 それが、このグレモリーという怪物を解き放ち、王国の根幹を腐らせる「悪貨」の入り口になろうとは。

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