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第8話:ハンスの「お触れ」とカニの威光

リオンがリーゼと新作タルトの箱を開け、平和な午後のひとときに浸り始めた、その裏側で 。

ハンスは、静かに、しかし激しい使命感に燃えながら執務室を後にしていた 。


(……先日、シルヴィア様が殿下に代わって鮮やかに定義された『事後届出制』。国王陛下もその合理性を認められ、正式な御璽ぎょじが下りた 。……ならば、早急にこの新たなお触れを市場へ出し、この混乱を早急に鎮めなければなりませんな)


ハンスはまず、王宮の騎士団待機所へと足を運んだ 。


「お忙しいところ恐縮ですが、騎士団長殿はいらっしゃいますでしょうか?」

「ハンスです。これよりリオン殿下の御名代として、新たなるお触れを出しに市場へ参りたく、護衛をお願いしに参りました」


「お、ハンスじゃないか! 今日はどうしたんだい?」


奥から現れたのは、近衛騎士団長 オズワルド だった 。

二人は同じ貴族の家系であり、気心の知れた旧知の仲だ 。オズワルドはハンスの肩を軽く叩き、微笑む 。


「おいおいハンス、君と僕の仲じゃないか。そんな他人行儀な挨拶はやめてくれよ。そうだ今度家にも顔を出してくれ、妹も会いたがっているんだよ」


「いや、それだけは本当に遠慮させてもらいます」



「本当になにがあったんだお前たち。

……さて、お前が直接来るとは、今日はリオン殿下からの急ぎの御用か?」


「左様です。殿下は一刻も早いこの王都の状況の改善を望んでおられるので 、早急にお触れを出しに行きたく、護衛をお願いをしにきました」


「なるほど、お触れを出しにね。確かに最近、市場ではガラの悪い連中が幅を利かせているって聞いてるよ 。騎士団にもしょっちゅう仲裁の要請が来るようになっていて困っていたんだ 。……よし、心配だから若いが腕の立つ部下を二名付けよう。 ポンド 、 オンス !」


呼び出しに応じ、純白の義礼服に青いマントを翻した二人の若き騎士が姿を現した 。

その胸元には、アルカディア王家の新たなる象徴――繊細な刺繍で施された 『カニの紋章』 が誇らしげに輝いている 。


「近衛騎士ポンド。殿下の名代をお守りすること、光栄に思います」

「オンスです。ハンス閣下の白い服に、埃ひとつ付けさせませんよ」


二人の頼もしい言葉にハンスが頷くと、オズワルドがさらに一人を招き寄せた 。


「さらに、あと一人付き人を用意しよう。…… グラム ! お前も来い!」


「は、はいっ! グラム、ただいま参りましたぁっ!」


ドタバタと音を立てて現れた見習い騎士のグラムを見て、オズワルドが苦笑する 。


「ポンドとオンスは腕利きだ、存分に使ってくれ。このグラムは、まあ、君の身の回りの世話を焼かせるのにちょうどいい。……グラム、粗相のないようにな!」


「感謝いたします、オズワルド殿」



王都の市場へと続く大通り 。

ハンスがお触れの掲示場所へ向かっていると、後ろを歩いていたグラムが情けない音を鳴らした 。


「あ、あのぅ、ハンス様……。朝から何も食べていなくて。お腹が減りませんか? あそこのパン屋さん、すごく美味しそうですよ! 私、ちょっと買ってくるので、その間にハンス様も少し休憩を……」


ハンスは「…はぁ…」と、と深い溜息をついた 。


「……分かりました。すぐですよ。我々もここで待っていますから」


ところが、グラムはパン屋に入ったきり、なかなか戻ってこない 。


「……遅いですね。どうしたのでしょう。少し様子を見てきます」


ハンスがパン屋の扉を開けると、そこにはグラムが困り顔で立ち尽くし、奥ではギルドの職員たちが店主を怒鳴りつけていた 。


「いいか、マスター! うちのギルドを通すなら、お前の店で売っていいのは食パンとクロワッサンだけだと言っただろう! 菓子パンも売りたければ別途手数料を払え。それからこの金額欄は空欄にしておけ、こっちで書いてやる!」


「そんな! ご無体な。そんなことをしたら生きていけません……!」


そこへグラムが、おどおどしながら声を挟む 。


「あのぅ……そんなことより、パンを買いたいんですけど……クロワッサン二つ……」


「あぁ!? 黙ってろガキ! 今は大事な話をしてるんだよ!」


職員がグラムを突き飛ばそうとしたところで、ハンスが静かに歩み出た 。


「……いいえ。それは殿下の御意志ではありませんな」


ハンスの姿を見たギルド職員たちは、鼻で笑った 。


「あぁん? なんだ貴様、どこぞの商家のお坊ちゃんですかい? 説教ならパパにでもしてな 。あんたの店にも後で行くから、黙ってうちに帰ってろ!」


職員の一人が、ハンスの肩を掴んで店外へつまみ出そうとする 。


「ほら、さっさと失せな!」


店外へ押し出されたハンスは、整えられた衣服の襟を軽く直し、眼鏡の奥で冷徹な光を宿した 。


「……これはいけませんね。……ポンド、オンス。やっておしまいなさい」


「「はっ!」」


青色のマントが鮮やかに翻った 。


ポンドが職員の腕を掴んで捻り上げ、同時にオンスが抜かれぬ剣のさやで、店主に掴みかかろうとした他の職員の膝裏を鋭く叩く 。

一瞬にして、横暴な男たちは石畳の上に這いつくばることとなった 。


「なっ……! 貴様ら、何をしやがる……!」


床に転がされた職員が、驚愕と共に叫ぶ 。


「静まれ、静まれぇい!」


オンスが周囲を圧倒する鋭い声で制した 。


そこへ、巨漢の騎士ポンドが悠然と歩み寄り、懐から銀色に輝く印章を勢いよく取り出した 。

ポンドは、眩い『カニの印章』を職員たちに突きつける 。



「控え、控えーい! この『カニの刻印』が目に入らぬか!」


ポンドの雷鳴のような怒号が広場に響き渡る 。


「ここにおわす御方をどなたと心得る! 畏れ多くもリオン・アルカディア皇太子殿下の名代、ハンス閣下であらせられるぞ!

頭が高い。

控えおろう。」


「な……リ、リオン殿下の……!?え?そこの方も貴族様でいらっしゃるので?」

「は、ははぁぁぁ」

職員たちの顔から一瞬で血の気が引き、一斉に伏せる 。周囲の民衆も、カニの紋章の威光に息を呑む 。


ハンスは冷徹な眼差しで彼らを見下ろし、改めて告げた 。


「本日この時より、全ての『事前許可制』を廃止する! これからは商人が自分の責任で売り、事後に報告する『事後届出制』を導入する! 菓子パンだろうが何だろうが自由に売るがいい! 」

「つまりは「王家の手出し無用レッセフェール」。ギルドの仲介など不要、直接、尚書部の窓口へ届け出よ!」


ハンスの声に、市場から地鳴りのような歓声が沸き上がった 。


***


そんな小さな事件を知る由もなく、リオンは「リーゼ、この前のケーキ屋さんいつ行こうか?」などとリーゼと遊ぶ計画を立てているのであった。

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