第9話:空耳アワワ
「さあ、行こうか、リーゼ」
僕たちは焼き立てのグラタンを抱えて、職人たちが待機する休憩所へと向かった。
休憩所には、製作を終えた五つのチームが円陣を組んでいた。 静かな熱気が漂う中、僕たちが現れると、現場は一気に色めき立つ。
「皆さま、お疲れ様です。召し上がってくださいませ!」
リーゼがトコトコと歩み寄り、一人ずつ皿を手渡していく。
「お仕事、とっても頑張られたのですわね。はい、どうぞ」
リーゼが差し出した皿を、熊のような大男の職人が、震える手で受け取った。
「お、王女様……! ありがてぇ、いや、ありがとうございます……!」
「まあ、顔が煤で真っ黒ですわ。お疲れ様です。しっかり食べてくださいね」
「へ、へい……! 勿体なくて食えねぇ、いや、腹いっぱい食わせていただきます!」
リーゼが天使のような微笑みを浮かべて隣へ移動すると、男は感極まったようにグラタンを頬張った。
「う、美味い……! なんだこれ、涙が出てきやがる……!」 「徹夜続きの体に、この温かさが染み渡るぜ……!」
あちこちから感嘆の声が上がる。 職人たちの表情からは先ほどまでの張り詰めた疲労が消え、活力に満ちた笑顔がこぼれていた。
(うんうん、現場の士気は最高だ。……おい、そこの職人、リーゼをそんなに長く見つめるんじゃない。視線の不適切な占有は兄として認められないぞ)
そんな僕の内心の警報をよそに、リーゼは少し離れた場所に座り、手元の道具をじっと見つめて集中している老職人に気づき、そっと歩み寄った。
「おじい様、お疲れ様です。これを食べて、少し休んでくださいませ」
声をかけられた老職人は、ゆっくりと顔を上げた。 その深く刻まれた皺が緩み、まるで自分の孫を見るような優しい、そしてどこか労わるような眼差しでリーゼを見つめた。
「リーゼ様ぁ、こんなおらいにもありがてぇなぁ。……でも、おいらぁもう歳だかんらよぉ、多かあ(おおかあ)食わねえ、えちぜん(一膳)で十分なんだよ」
老職人は訛りのある声で、照れくさそうに笑った。 リーゼは「まあ、もっと食べていただきたいですのに」と、微笑ましく返している。
だが、それを数歩後ろで聞いていた僕の脳内では、前世の記憶がわずかに悪さをした。
(……え? 今、なんて……? オオ……オカ……エチゼン? 大岡越前!?)
一瞬、心臓が跳ねた。 「これから厳格な審査(お裁き)が始まる」というこの状況で、江戸の名町奉行の名前が出てくるとは。
(……いや、落ち着け。今の訛りからして『多くは食わない、一膳でいい』と言っただけだ。……うん、そうだ。聞き間違い、聞き間違い。空耳にいちいち動揺してしまった)
僕は小さく頭を振り、その不吉な連想を意識のゴミ箱へシュートした。 そもそもここは異世界だ。江戸の奉行がフリスビーの審査に現れるはずがない。
「お兄様? どうしたのですか? 急に頭を振ったりして……」
「なんでもないよ、リーゼ。……さあ、みんなも食べたことだし、僕たちは仕事に戻ろうか」




