第4話:皇女の一喝と、比較試験の提案
職人たちが嵐のように去っていった執務室には、ただ静寂と、削り立ての木の香りが残されていた。
リオンは魂が抜けたような顔で椅子に深く沈み込み、机の上の「割れたフリスビー」を見つめている。
(……見積もりを出してもらって、適当に一人選ぶ。そのはずだったのに、なんで二十人も来たの? なんで『負けたら仕事がなくなる』なんて重い話になってるの?)
胃が痛い。僕にとって最も避けたいのは、こうした「感情的なしがらみ」だ。
だが、リオンの目の前には、腕組みをしたまま、獲物を逃さない鷹のような瞳をしたシルヴィアが立っていた。
「……それで、リオン。どうするつもり? 一人を選べば他の十九人が暴れ出し、誰も選ばなければリーゼのフリスビーは直らない。そして、父上からの『興行』の王令も放置されたまま……」
「……シルヴィア。僕、今からでも急病になって寝込んでもいいかな?」
「あはは。面白いこと言うのね。でも却下よ。あなた、リーゼの悲しむ顔を見たいの?」
その一言で、リオンの逃げ道は完全に断たれた。
シルヴィアはため息をつき、机の上に散らばった職人たちの名札を、事務的な手つきで並べ替えた。
「えーっとね、リオン。多分彼らは単に仕事が欲しいんじゃないのよ。ギルドが解体された今、自分たちの腕がどれほどの価値を持つのか、王室という最高の権威に『証明』してほしいの」
「証明、ねぇ……。でも、みんな木工のプロでしょ? 誰が作っても大差ないと思うんだけど」
「そう!そこなのよ。」
「だったら、その『差』をはっきりさせればいいじゃない。……そうね、実際に使って彼らの腕を競わせましょう」
シルヴィアは楽しげに、提案を口にした。
「そうね。20人を5チームに分けて、それぞれ同じものを作らせるの。そして、どれが一番遠くまで飛び、どれが一番狙った場所に当たるかを競わせる。そうすれば、文句のつけようがない『一番』が決まるわ」
「えっ……。それって、要するに競技会ってこと?」
「そうよ。それこそが、父上の言っていた『民が熱狂する興行』になるわ。職人のプライド、最新の木工技術、そして勝敗。皆が真剣勝負なんだから、これ以上の娯楽はないでしょう? ねっ」
リオンは目を丸くした。
妹のフリスビー修理という超個人的な用件が、シルヴィアの「整理」によって、いつの間にか国家行事へとパズルのピースがはまるように合致していく。
「でも、シルヴィア。同じ条件で競わせるって言っても、木の厚みも大きさもバラバラだったら比較にならないよ」
「だから、これを使いなさい」
シルヴィアが懐から取り出したのは、一本の簡素な真鍮製の棒だった。
それを見たリオンの顔が、わずかに引きつる。それは王国標準寸法――『1リオン』の基準定規だった。
「これをすべての職人に配るの。直径は『1リオン』、縁の厚みは『一リオンの十分の一』、重さはこれくらい……。すべての職人に、寸分違わぬ仕様で作らせる。そうして初めて、純粋な『技術の差』が見えてくるわ」
(……出たよ。規格化の鬼だ)
リオンは、自分の名前がついたその定規を見て、遠い目をしそうになった。
「これなら不公平はないわ。職人たちは同じ土俵で戦えるし、貴方は一人を選ぶ責任から解放される。そして、リーゼは王国最高精度のフリスビーを手に入れ、民は新しい娯楽に熱狂する。……ね? 完璧でしょ!」
シルヴィアの言葉は、リオンにとって福音のように聞こえた。
自分が誰かを不採用にする必要もない。誰からも恨まれない。責任を取らなくていい。
そのあまりに完璧な解決策に、リオンの感情が溢れ出した。
「シルヴィア……っ! 君は、君はなんて天才なんだ……!!」
ガタッ、と椅子を蹴立てて立ち上がると、リオンはそのままの勢いでシルヴィアに抱きついた。
「えっ、ちょ、リオン!?」
「ありがとうシルヴィア! 君のおかげで僕の胃に穴が開かずに済むよ! あははは。全く思いもよらなかった!君こそが神だ、一生ついていくよ!」
感激のあまり、リオンはシルヴィアの背中に腕を回して力いっぱい抱きしめる。
至近距離で伝わるリオンの体温と、真っ直ぐな感謝の言葉。
シルヴィアは一瞬で顔を真っ赤に染め、金縛りにあったように固まった。
「あ、う……リ、リオン……近すぎるわ……っ」
普段は冷静沈着な皇女が、完全に余裕を失ってパクパクと口を動かす。
そんな二人をソファから眺めていたリーゼが、顔を赤らめながら両手で頬を押さえた。
「あら……。お兄様っ?お姉様も……。あわわ、なんだか見てはいけないものを見てしまいまし……」
恥ずかしそうに身をよじるリーゼの前に、即座にハンスが割って入った。
「リーゼ様、失礼いたします!! これより先は、教育上あまりに刺激が強すぎます!!」
ハンスが大きな手で、リーゼの目をしっかりと覆い隠す。
「あわわわ……お兄様。目の前が真っ暗ですの。どうしたのですか? 何が起きているのですか?」
視界を奪われたリーゼが、足をパタパタさせながら戸惑っている。
「こ、コホン! ……失礼、取り乱したわ」
シルヴィアは慌ててリオンを突き放すと、裾をはたいて直しながら、激しく咳払いをして仕切り直した。
だが、その耳たぶは隠しきれないほど真っ赤なまま。
「……とにかく、話を進めるわよ。競技にするなら、リーゼ様と遊んでいた棒を狙う競技にしましょう。で何種類かコースを作るの。そう、うんと難しいやつね」
リオンは、今さらながら自分の取った行動の恥ずかしさに気づき、顔を引きつらせながらも頷いた。
「……決まりね! ハンス!」
聞き耳を立てていたであろうハンスが、勢いよくシルヴィアに応える。
「はっ! シルヴィア様! 仰せのままに! 『1リオン』の神聖なる定規を用い、技術の粋を競う聖なる武闘会……これぞまさに、王国の新たな歴史であります!」
「話が早いわね。すぐに触れを出しなさい。……職人の規格、そして技術の精度を競う祭典の布告よ」
かくして、一人の事務員と一人の皇女の「整理」によって、世界初の産業規格競技会が、その産声を上げたのである。




