第3話:ハンスの「過剰な求人」と、カオスの執務室
リオンの執務室には、珍しく穏やかで温かい空気が流れていた。
ソファにはリーゼが座り、その隣ではシルヴィアが彼女の肩を優しく抱き寄せている。
「……大丈夫よ、リーゼ様。リオンが新しいのを作ってくれるって言ったんだもの。きっと前よりもずっと素敵なのが出来上がるわ。期待して待っていましょう?」
「……はい。シルヴィアお姉様、ありがとうございます。その通りです。お兄様なら、絶対ですわよね」
シルヴィアの気遣わしげな微笑みに、リーゼもようやく少しだけ笑顔を見せた。
その様子をデスクから眺めていたリオンは、密かに安堵の息を漏らす。
(良かった、シルヴィアがいてくれて助かったよ。さて、あとはハンスが腕のいい職人を二人、あるいは三人くらい連れてきてくれるのを待つだけだ。そこで見積もりを出してもらって、一番良さそうな人に修理か新調を頼もう。お祭りのことは……まあ、その後で考えればいいや)
今のリオンにとって、最優先事項は「リーゼの笑顔」を取り戻すこと。
だが、その安寧は、地響きのような足音によって打ち破られた。
「リオン様ッ! お連れいたしましたッ! 我が王都が誇る、選りすぐりの『職人』たちです!」
バァァァン! と扉が弾け飛ぶような勢いで開いた。
先頭に立つのは、いつにも増して頬を紅潮させたハンス。そしてその背後から、リオンの執務室にはおよそ似つかわしくない、汗と木の香りを漂わせた屈強な男たちが、二十人も雪崩れ込んできた。
「俺が王都一番の指物師だ! 王子の指名と聞いて飛んできたぜ!」
「ふん、指物だと? フリスビーなら旋盤の技術が命だ。俺の右に出る奴はいねえ!」
「甘いな! 最後は磨きだ。漆塗りの仕上げこそが至高だと思わねえか!」
「……ハンス。ちょっと。……数人って、言ったよね?」
リオンが引きつった顔でハンスを問い詰めようとしたが、時すでに遅し。
職人たちは机の上に置かれた「割れたフリスビー」を見るなり、それぞれの専門知識を武器に口論を始めてしまった。
「おい、そこの削り出し野郎! こんな繊細な板厚、乾燥の甘い木じゃすぐに反っちまうだろうが!」
「あんだとぅ? 木目の読みが足りねえんだよ、このカンナ屑野郎!」
一瞬にして、静かだった執務室は木工ギルドの派閥争いのような乱闘場と化した。
それを見たシルヴィアの瞳に、冷徹な光が宿った。
「――静かにしなさい!!」
皇女としての威厳に満ちた一喝が、室内の空気を一瞬で凍りつかせた。
掴み合っていた職人たちが、反射的に動きを止めてシルヴィアを振り返る。
「リオンの執務室で、リーゼの前で何を醜い争いをしているの?」
「はぁ……貴方たちの言い分は分かったわ。それぞれ木工のプロとして譲れない誇りがあるのでしょうね」
シルヴィアが静かに、しかし重みのある声で告げると、職人の一人が少し気圧されながらも、力強く頷いた。
「へっ……。その通りです。私もこいつらにだけは負けねえ自負がありますんで。王子の前で下手なもんは見せられねえ」
「そうなんです! 今、俺たちの仕事はギルドの問題で不安定なんだ。ここでこいつらに負けたとあっては、明日からの仕事がなくなっちまう!」
切実な叫びに、他の職人たちも「そうだ!」「負けられねえ!」と同調し、室内の熱気が再び上がろうとする。
シルヴィアは彼らの熱い視線をすべて受け止め、扉を指差して毅然と言い放った。
「覚悟は十分に伝わったわ。だからこそ、今日はもう一旦帰りなさい。……ここでは何一つ決まらないわ。続きは場所を改めて、リオンが『整理』した後に聞いてあげるから。……いいわね?」
「は、ははっ……。失礼いたしましたっ!」
シルヴィアの圧倒的な威圧感に、二十人の職人たちは蜘蛛の子を散らすように執務室から退散していった。
静寂が戻った部屋で、リオンは「助かった……」と胸を撫で下ろしたが、シルヴィアの視線はまだリオンを逃してはくれなかった。
「……さて、リオン。この収集のつかない事態、貴方がどう『整理』するつもりなのか、じっくり聞かせてもらいましょうか?」
シルヴィアの微笑みは、先ほどリーゼに向けていたものとは明らかに種類が違っていた。
リオンは冷や汗を拭いながら、自分の「見積もり」という言葉がどこで「職人の生存権を賭けた聖戦」に誤訳されたのかを、必死に考え始めるのであった。




